5 / 11
第5話 僕は女の子。。。前編
しおりを挟む
今日の朝は特に問題もなく無事に学校にくる事が出来た。
教室に入り自分の席に着くと、さっそく吾一とモロミが僕の所へ来た。
「ねぇ丸男、また遊びに行ってもいい? 丸男のうちっていうか、カメちゃんの所」
「いいよ。カメ子も喜ぶだろうし」
「でも、丸男もカメちゃんのこと黙ってるなんて水くせぇな」
「そう簡単に言えないよ。僕だってどうしたらいいか結構悩んだんだから」
「悩むかなぁ? 俺なら自慢しちゃうけどな」
「わかる、わかる。あたしも黙ってられないな。だってカメムシの友達なんて面白いじゃない。それにカメちゃんって可愛いだけじゃなく面白いし」
昨日の続きみたいな感じになった。
昨日うちで三人そろったのも久しぶりだったけど、学校で三人で話をするのも久しぶりだ。
懐かしいって言うか、すごく新鮮。
場所が違うだけで気分までちがう。
でもいつからだろう三人で話さなくなったのは。
そんなことを考えながら僕達は三人でのおしゃべりを続けた。
先生が来るぎりぎりまで久しぶりの三人だけのおしゃべりを続けた。
「あれ? これって・・・」
テレビの部屋のテーブルに置いてあったノート。
それは宿題を終えそのまま置きっぱなしになった丸男のノートだった。
それに気づいたカメ子が、食事の後片付けをしてる母のサチコに言った。
「ねぇ、お母さん、これ丸男のでしょ?」
「あ、ほんとね、昨日やってた宿題よね。ホントにもう。せっかくやったのに忘れたんじゃしょうがないじゃない。ねぇ。」
丸男は宿題や、テスト前の勉強は必ずテレビの部屋でやる。
自分の部屋もあり、自分の机もあるが、一人きりだと静かすぎて逆に集中できないと言うのが理由だった。
もちろん、あまり大きな音でテレビを見られたり、やってる最中に声をかけられるのは困るが、丸男にとってはまわりに人がいたり、何か音がする方がかえって落ち着いて勉強に集中できる。
これに関しては父の角児も母サチコも何も言わなかった。
丸男がこの部屋で勉強を始めるとテレビの音や自分達の話し声に注意をしなければならないが部屋に閉じこもられるより自分達の目の前で何かをしてくれてる方がやはり安心だからだ。
ましてやそれが宿題や、テスト前の勉強ならなおさらだ。
まさに目の届く範囲と言うわけだ。
丸男といえば何も言われない事をいいことに勉強する時はテレビの部屋を自分の部屋のように使っている。
昨日もそうだった。
丸男は吾一と一緒にモロミを見送った後、家に戻って、夕飯の時間までの間、テレビの部屋で宿題をしていた。
ただ今までと違ったのはカメ子から質問攻めにあった事だ。
何をしてるの?、勉強ってなに?、宿題って? という風に。
それでもやはり自分の部屋でするより、テレビの部屋でする方がいいようで、丸男はカメ子の質問をうまくかわしながらなんとか宿題をかたづけた。
「どうしようかしら、持って行ってあげた方がいいのかしらね」
「学校へ? 持って行くの? 学校ならあたしも行きた~い」
丸男や吾一やモロミが行っている学校や勉強の事に興味津々のカメ子。
「でも中学生にもなって親が子供の忘れた宿題持っていくなんて、忘れて怒られるより恥ずかしいわよね。ほっときましょ。いいわよ、カメちゃんそのまま置いといて」
そう言われても、もともと丸男が通う学校というものにとても興味があったカメ子は、サチコが最初に口にした ”持って行ってあげた方が~” と言う言葉でスイッチが入っていたのでそう簡単には引き下がらなかった。
「え~、お母さんが行かないなら、あたしがいくわ。 ね、いいでしょ?」
「えっ、でも、、、、大丈夫よ。 明日もあるんだし、ほっときましょ。 それに昨日の今日でカメちゃんが一人で歩くのはちょっと心配よ」
「あたしは大丈夫、それに昨日は道に迷ったんじゃなく、モロミのお母さんと話してたら長くなって遅くなっちゃっただけ。あたしは一度通った道は忘れないもん。歩いて行けるところなら覚えられるし大丈夫よ。ね、場所を教えて。あたしが行って来るから」
カメ子がどんなに食い下がっても中々首を縦に振らないサチコ。
それに対して最後は半ばあきらめかけたカメ子は俯くと、しょんぼりした声でどうしても学校というものがどういうものなのか見てみたいと言った。
カメ子が学校というものに興味を持ったのは丸男やモロミ、吾一がいるという事もだが、それよりも一つの場所に大勢の人が集まり何かをするという習性がカメムシには無い事なので大勢の人間が一つの場所に集まる学校というものがカメ子には不思議でならなかった
それに学校でする勉強というものがどういうものなのか見てみたいとも言った。
いつも元気なカメ子がしょんぼりしたのを見ると流石にサチコも根負けした。
中学校は公園や駅の方角とは反対側になるが、家から公園と同じようにほぼ直線で初めて行くとしても迷う事はないだろうと渋々場所を教え、くれぐれも遅くならない様にと何度も念を押しカメ子にノートを渡した。
ん、なんだあれ?
窓際の子が校庭を見ながら大きな声で言った。
「何を見てるの、今は授業中よ。集中しなさい、集中。 外なんて見ないの」
授業中関係の無い事を言う生徒に先生は注意をした。
しかし、その先生の注意が逆にクラスのみんなの興味を惹き、窓際の列の子達が一斉に校庭を見た。
その窓際の子達が合図になって他の子達も窓の方を見た、中には机を立って窓際に行く子もいた。
ここは丸男達が通う泥沼中学校。
みんなが注目してるのは、その校庭を一人で歩いている緑色した女の子。
誰かが、なんだあの女の子緑色してないかと言うと、今度はクラス中の生徒達が窓際に集まっていった。
緑色した女の子と聞いて僕はドキッとした。
だって緑色した子なんてカメ子に決まってる。
でも何でカメ子が学校へ来たんだろうと僕が考えていると、モロミがカメちゃんだとウキウキ声で言い、窓際まで行くと校庭を歩くカメ子に「カメちゃーん」と大きな声で叫びながら手を振った。
モロミが「カメちゃんだ」と言うのを聞き、いつの間にか吾一もモロミの横に立ち「ホントだカメちゃんだ」と言ってる。
でも今は数学の授業中。
僕はちゃんと自分の席に座ってる。
すると先生は吾一とモロミに聞いた。
「なんなの? あの子はあなた達の知り合いなの?」
「知り合いと言うか、一応友達は友達なんだけど・・・・・」
先生に聞かれて吾一がモゴモゴしていると、モロミがご丁寧に言ってくれた。
「丸男くんが詳しく知ってま~す」
その瞬間、先生も含めクラス中のみんなの目が僕に集まる。
僕はちゃんと自分の席に座ってる。
みんな何か待ってる様だったけど、僕には関係ない。
でも先生は「何かあったの? 菱形くん」だって。
それはこっちが聞きたい。
そうして僕が黙ってみんなの視線に耐えているとモロミが、何かあったのかもしれないからと、カメ子を迎えに教室を出て行った。
するとそれまで静まり返っていた教室が急にザワザワと騒がしくなってきた。
何がどうなってるのか、どうしてカメ子が学校へ来たのか僕にも全然わからない。
とにかく僕は黙って自分の席にいた。
そう、僕には関係の無い事だと思うから。
しばらくするとモロミがカメ子を連れて教室へ戻って来た。
教室へ戻るとモロミはそのまま真っ直ぐ僕の席まで来て満面の笑顔で何かを差し出した。
「はい、わ・す・れ・も・の~」
昨日やった数学の宿題のノートだった。
モロミは先生にカメ子が来た理由を説明した。
「やっぱり菱形くんが原因だったのね」
まさかカメ子が僕が忘れた宿題を持ってくるなんて思ってもみなかった。
これって僕のせい?と思ったけど、忘れたのは事実。
僕は宿題のノートを手にしながらすみませんと謝った。
そして先生はカメ子が来てから更にざわついてるみんなを見た。
「これじゃ授業になんないわね」
でもそれは残念なというよりどこか楽しそうに見えた。
先生は宿題のノートを提出するように言うと、カメ子に向かって、初めてカメ子を見た人なら聞くであろうごく当たり前な事を聞いた。
「あなたは誰なの?」
先生にそう聞かれたカメ子はいつもの様に自己紹介をした。
「私はカメムシのカメ子、丸男のうちで暮らしているの」
「で、今日は菱形くんが忘れた宿題を持って来てくれたってわけね」
「そう。それと学校ってどう言うところか見てみたくって来てみたの。こんなに沢山の人間が集まってるなんてビックリ。面白いわね人間って」
カメ子がそう言うとクラスのみんなからどっと笑いがおきた。
授業が中断されたにもかかわらず先生も一緒になって笑ってた。
僕は恥ずかしい気持ちもあったけど、たまにはこんな日があってもいいかなと思いながら、みんなと一緒に笑っていた。
その時、その中で笑ってない子が一人だけいた。
クラス中が大笑いして盛り上がっている中なのに一人だけぽつんと、そこだけ切り取られたように、そこだけはクラスのみんなの声が届かない場所であるかの様に、無表情で誰にも気づかれまいとじっとしてる子がいた。
僕はその事には気づかずみんなと一緒に笑っていた。
だけどカメ子だけはその子に気づいていた。
そしてその子の事をじっと見つめ、その子が身にまとっている悲しい感情を感じていた。
みんなが笑っているのに一人だけ笑わないでいる子。
その子は自分がみんなの中に染まらない様にひっそりと、そして誰にも気づかれない様にじっとしていた。
僕はカメ子の視線の先に何があるのか、何を見てるのかなんて気にしていなかった。
あとで教えてもらうまでわからなかった。
すっと一人でつらい思いをしてた子がいたなんて。
こんな近くに誰にも相談できずに一人ぼっちで悩んでいる子がいたなんて。
本当に教えてもらうまで僕はわからなかった。
その日の授業が終わり帰りの会の中で担任の青山先生が
「みんな明日は忘れ物の無いようにな」
するとクラスのみんなが一斉に僕の方を見た。
僕の方を見た瞬間にちょっと間ができて、その絶妙なタイミングで吾一が「忘れ物してくれた方がいいんじゃね」と言うと、どっと笑いがおこった。
勘弁してよ。。。
僕は学校を出るまで色んな人からカメちゃんによろしくと言われ、中には今度合わせてよとか言ってくる先生もいて、今日一日で有名人になってしまった。
家に帰ると、先に帰ったはずのカメ子はいなかった。
お母さんに聞くと散歩に出かけたそう。
「散歩?」
「歩くのが楽しいんだって」
そう言えばそんなこと言ってたな。
「それはそうと、今日の忘れ物は大丈夫だったの?」
「ま、一応、、、、」
お母さんは学校での先生の話を聞いてたかのように言った。
「明日は忘れ物の無い様にね」
はい、二回も言われれば忘れません。
僕は自分の部屋へ行き着替えをすませると、吾一の所に借りていた漫画を返しに言ってくるといって自転車で家を出た。
その頃カメ子は一人で公園へ来ていた。
公園のベンチで一人寂しく座りうつむいてる男の子を見つけるとその側までやって来て男の子の隣に座った。
男の子は他にも空いているベンチはあるのに、通りすがりの人が黙って自分の隣に座ったのでちょっと驚いた。
でも自分の隣に座ったのが今日学校に来たカメ子だと気づくとボソっと一言、やっとカメ子に届くくらいの小さな声で言った。
「あなたは今日学校に来たカメ子さんね」
そう言うと男の子はまたうつむいた。
「そう。私はカメムシのカメ子。あなた丸男の学校のお友達でしょ?」
「友達? う~ん、丸男くんとはただのクラスメートで友達ってわけじゃないかな。あた、僕には友達はいないから」
話しかけられた男の子はうつむいていた顔を少しだけカメ子の方へ向けると、またも小さな声で答えた。
「あなた何かあるんでしょ? あたしわかるわ。 だってあなた笑ってなかったもん」
カメ子は教室でただ一人笑う事の出来ない男の子にそう言った。
それを聞いて男の子は少し驚いた。
あれだけクラス中が笑って沸き立っていたのに一番後ろの席で目立たないようにしてた自分の事に気づいていたなんて。
誰も自分の事なんか気にかける人なんていない。
男の子はそれでいいと思っていた。
自分の悩みは誰かに話せるような話じゃないし、誰にも理解なんてされないものだから。
その様に自分の事を考えていた男の子にとってカメ子が気にかけてくれた事は複雑ではあったが嬉しくもあった。
誰にも言えない悩みを抱え、この世から消えてしまいたいと思う事も一度や二度ではなかった。
そんな男の子にとってたまたまだとしても自分の事を気にかけてくれたカメ子が信用できた。
この時男の子は迷子になった子供がやっと親に見つけてもらったような気分だった。
そんな今まで味わった事のない気分がそうさせたのか、男の子は自然と自分の事をカメ子にぽつりぽつりと話し始めた。
「あた、あ、僕の名前は鮫山虎雄、自分で言うのもおかしいんだけど、ちょっと変なの。だから友達もいないし・・・・えーと・・・」
「何が変なの? ちっとも変じゃないわ」
「カメ子さんから見たらそうかも知れないけど、本当に変なの。 病気かも知れないの」
そう言うと虎雄は声を詰まらせた。
虎雄は今まで誰にも話した事のない悩みだったが、カメ子が相手で話しやすかったのか、落ち着くと話を続けた。
「僕は見た目は男の子なんだけど、本当は違うの。あたしにも本当の自分がわからないの。どうしたらいいのか自分でもわからないの」
勢いとはいえ今まで誰にも話すことが出来なかった事を今日はじめて会ったカメ子に話せたのが少し不思議に思えたが自分の悩みを話し終えた虎雄はしばらく涙が止まらなかった。
カメ子は虎雄が泣き止むまでの間、その肩を抱き大丈夫大丈夫と何度も優しく声をかけ続けた。
やがて虎雄が泣き止むとカメ子はその手を優しく握りゆっくりと話し始めた。
「ねぇ虎雄。 あたしにはお母さんがいるの、お母さんはあたしの肌の色や、あたしがカメムシと言うことも気にしないで、あたしのことを大切に思ってくれているの」
「お母さん? お母さんなら、あたしにもいるし・・・・」
「ちがうわ。 あたしのお母さんの事。 いいから虎雄、あなたも会いに来て。一緒に帰りましょう」
虎雄はカメ子の話がよく理解できなかった。
ただカメ子が握るこの手の温もりは今まで感じたことのない温かいものだった。
それは手だけではなく心まで温かくさせカメ子の事をより信じさせた。
虎雄はカメ子の温かさに惹かれ一緒に家に向かった。
家に帰るとカメ子は虎雄の事を紹介した。
「お母さん、あたし新しいお友達ができたの」
サチコは紹介された虎雄を優しい笑顔で迎えテレビの部屋へ通した。
大事な事を話す時はいつもこの部屋だ。
カメ子と虎雄を二人がけのソファへ座らせ、自分は一人がけのソファーに腰を下ろした。
サチコは家にやって来た二人の雰囲気から何かを感じたのか挨拶をした以外は自分からは話しかけず二人のどちらかが切り出すのを待った。
調子に乗って話し込んだらちょっと遅くなっちゃった。
暗くなってきたのもあり、僕は自転車を飛ばし気味で家に帰った。
家に帰ると玄関に誰か知らない人の靴があった。
こんな時間に誰かお客さん?
「ただいま~」
変だ、お客さんがきてるようなのに声がしないし、お帰りなさいの返事もない。
どうしたんだろう?
家に上がりテレビの部屋を覗くとお母さんとカメ子、そしてクラスメートがいる。
「虎雄?」
虎雄はその声に体をビクッさせこちらを振り向いた
「丸男くん」
「鮫山虎雄だろ? どうしたの? なんかあったの?」
「カメちゃんの新しいお友達なんだって。そうなんでしょ」
「新しい友達?」
「そう。あたしの新しいお友達。自分で自分がちょっと変だって言うからお母さんのところに連れてきたの」
ちょっと変?
新しい友達って言っといて、いくらなんでも「ちょっと変」はないだろうと僕は思った。
だけど、お母さんはその「ちょっと変」と言うのが問題なのだと思ったらしく、そこから話が始まった。
それは僕が考えてもみなかった事だった。
「ちょっと変て何が変なの?」
サチコはソファーに座りうつむいてる虎雄に問いかけた。
虎雄にしてみればカメ子を信じてここまで来てみたが、よく考えればここは同じクラスの男の子の家。
誰にも言った事がない自分の悩みを、親にだって言えないこの悩みを、同級生の前でなんか話せるはずがない。
絶対に話せるはずがない。
虎雄は決意した顔で立ち上がり挨拶をして帰ろうとした。
「ごめんなさい、あた、あ、僕もう帰ります。ごめん丸男くんカメ子さん。おばさんもごめんなさい」
丸男は帰ろうと立ち上がった虎雄に向かって言った。
「カメ子ってさぁ、ちょっと天然っていうか変わったとこがあるんだよ。 でも、う~ん、なんて言うか、ちゃんとわかってるって言うか、うまく言えないけど、カメ子に連れてこられたんなら話していきなよ。もちろん僕も学校で誰かに話したりなんかしないよ」
そう言われ虎雄は観念したように座り直し、自分の何が変なのかゆっくりと話し始めた。
「あた、僕は見た目は男の子の様にみえると思うけど、本当は自分の事を女の子だと思ってるの」
鮫山虎雄、確かに普段からナヨナヨして女っぽいと思われていて周りからもそう言ってからかう生徒がいる事は丸男も知ってる。
しかし、見た目は男の子だけど本当の自分は女の子?
丸男には虎雄の言う事がどういう事だか理解出来なかった。
でもサチコは丸男とは違い、真剣な目で虎雄を見つめ虎雄の言ってる事に何度も小さく頷いた。
「わかるわよ。 でもねぇ、それは決しておかしい事でも、変な事でもないのよ」
そう言うとちょっと聞いてちょうだいと言って、サチコは自分の高校時代のある友達の話をし始めた。
「あたしの高校生の頃の友人でね、森山貴彦くんて言う子がいたの。その子は言葉遣いや仕草が女の子っぽいってよくみんなからからかわれていたわ。 学校って仲の良い友達でグループができるでしょ? その子は男の子たちとは付き合わないで、いつもあたし達女子のグループにいたの。 あたし達もタカ、タカって呼んで、女っぽいとかなんて全然気にしないで普通に友達として付き合ってたんだけど、卒業式の後、そのタカがね、話してくれたの。あなたと同じ事を」
それまでその自分の悩みを打ち明けた事でうなだれていた虎雄は、今は体ごとサチコの方を向いて真剣に話を聞いている。
「タカはね、小さい頃から心と体の違いに苦しんでたんだって言ったわ。そしてその事を誰にも相談できずに一人で悩んでたんだって言う事も話てくれたわ。でも一度だけこの人ならと思って相談したことがあったんだって。だけどその相談した相手に、おかしいとか、気持ち悪いとか言われて、それからは怖くて誰にも言えなくなったんだって。それ以来、自分はおかしい人間なんだって、それをずっと自分に言い聞かせてきたって言ってたわ」
そう言うと当時の事を思い出したのか、サチコの目からは涙がこぼれ落ちた。
そしてその涙を拭くと話を続けた。
「本当に辛くて苦しくてどうしたらいいのかわからない時に誰にも相談できずにいるなんて、しかも自分で自分をおかしい人間だって責めるように思いながら生きてきたなんて」
そこまで言うと声を詰まらせて話が止まった。
サチコは気持ちを落ち着けるまで少し時間をかけたが、落ち着くと涙を拭いて話を続けた。
「これはね、あたしともう一人仲の良かったミホって言う友達だけに話してくれたの」
そして丸男の方に向かって、ミホおばさん覚えてるでしょ?
あのミホよと教えてくれた。
何度かうちにも遊びにきてくれた事のある人で丸男もよく覚えてる。
「あなた達だけはあたしと普通に付き合ってくれたし、からかわれてもかばってくれた。だから、もしかしたらわかってくれるかもしれないと思ったんだって言ったわ。それでも、もし嫌われたら、これで卒業だし最後だからいいやって思ったんだって、勿論そのまま話さずに別れることも出来たんだけど、タカはいつも一緒にいてくれた本当の友達であると思っていたあたしとミホだけには言っておきたかったんだって、自分の本当の気持ちを隠してるのが、大切な友達に嘘ついてるようで嫌だったんだって。本当の自分の気持ちを聞いて欲しかったんだって言ったわ」
サチコはそこまで言い終わると、虎雄を見た。
その時のサチコの目にはもう涙はなく、いつもの優しい母親の目になっていた。
今その視線の先にいるのは虎雄だった。
「あた、あ、僕は・・・」
虎雄が何か言おうとしたが、それを遮るようにサチコが言った。
「あたしでいいのよ」
虎雄はサチコの優しい声を聞くと自分の悩みを本当に理解してくれているのがわかった。
また、ずっとおかしいと思い続けた自分を人として認めてもらったようで、心の底から嬉しかった。
そしてこんな自分でも生きていていいんだと思うと自然と涙があふれ出た。
一度流れ出た涙は次から次へとあふれ出し、それまで誰にも知られまいと押し込めていた心の中の負の感情全てを洗い流すかのようでもあった。
隣にいた丸男も堪えきれず一緒に泣いた。
「今も理解があるとは言えないけど、昔は今よりもっと無理解だったわね。社会全体がそんな感じだった。だからそう言う人はホモとか、おかまとか言われて、笑われたりバカにされたりしてたわ。言われた人たちはそう言う事に調子を合わせて生きるか、黙ってるしかなかったのね。自分はおかしいんだって思い続けて。全然おかしい事なんてないのに。おかしいのは、ちっぽけな自分達の基準で人を見て、その基準に当てはまらない人を、おかしいもの、悪いものと決めつける事よ」
サチコは力を込めて強い口調でそう言った。
そしてカメ子に向かって優しい口調で「カメちゃん、いいお友達ができて良かったわね」と言うと、虎雄にも「あなたもいつまでもカメちゃんと仲良くしてあげてね」と言った。
カメ子はサチコの言葉にうなづき、何も言わず虎雄を見て優しく微笑んだ。
虎雄もカメ子を見た、その目にはまだ涙が残っていたが優しく笑っているようにも見えた。
僕は正直、虎雄の話には驚いた。
でもきっと虎雄は今お母さんが話してくれたタカさんと同じように辛い思いをしてずっと苦しんで今まで生きてきたんだと思うと心の底から本当に悲しくてたまらなかった。
こんな気持ち生まれて初めてだった。
教室に入り自分の席に着くと、さっそく吾一とモロミが僕の所へ来た。
「ねぇ丸男、また遊びに行ってもいい? 丸男のうちっていうか、カメちゃんの所」
「いいよ。カメ子も喜ぶだろうし」
「でも、丸男もカメちゃんのこと黙ってるなんて水くせぇな」
「そう簡単に言えないよ。僕だってどうしたらいいか結構悩んだんだから」
「悩むかなぁ? 俺なら自慢しちゃうけどな」
「わかる、わかる。あたしも黙ってられないな。だってカメムシの友達なんて面白いじゃない。それにカメちゃんって可愛いだけじゃなく面白いし」
昨日の続きみたいな感じになった。
昨日うちで三人そろったのも久しぶりだったけど、学校で三人で話をするのも久しぶりだ。
懐かしいって言うか、すごく新鮮。
場所が違うだけで気分までちがう。
でもいつからだろう三人で話さなくなったのは。
そんなことを考えながら僕達は三人でのおしゃべりを続けた。
先生が来るぎりぎりまで久しぶりの三人だけのおしゃべりを続けた。
「あれ? これって・・・」
テレビの部屋のテーブルに置いてあったノート。
それは宿題を終えそのまま置きっぱなしになった丸男のノートだった。
それに気づいたカメ子が、食事の後片付けをしてる母のサチコに言った。
「ねぇ、お母さん、これ丸男のでしょ?」
「あ、ほんとね、昨日やってた宿題よね。ホントにもう。せっかくやったのに忘れたんじゃしょうがないじゃない。ねぇ。」
丸男は宿題や、テスト前の勉強は必ずテレビの部屋でやる。
自分の部屋もあり、自分の机もあるが、一人きりだと静かすぎて逆に集中できないと言うのが理由だった。
もちろん、あまり大きな音でテレビを見られたり、やってる最中に声をかけられるのは困るが、丸男にとってはまわりに人がいたり、何か音がする方がかえって落ち着いて勉強に集中できる。
これに関しては父の角児も母サチコも何も言わなかった。
丸男がこの部屋で勉強を始めるとテレビの音や自分達の話し声に注意をしなければならないが部屋に閉じこもられるより自分達の目の前で何かをしてくれてる方がやはり安心だからだ。
ましてやそれが宿題や、テスト前の勉強ならなおさらだ。
まさに目の届く範囲と言うわけだ。
丸男といえば何も言われない事をいいことに勉強する時はテレビの部屋を自分の部屋のように使っている。
昨日もそうだった。
丸男は吾一と一緒にモロミを見送った後、家に戻って、夕飯の時間までの間、テレビの部屋で宿題をしていた。
ただ今までと違ったのはカメ子から質問攻めにあった事だ。
何をしてるの?、勉強ってなに?、宿題って? という風に。
それでもやはり自分の部屋でするより、テレビの部屋でする方がいいようで、丸男はカメ子の質問をうまくかわしながらなんとか宿題をかたづけた。
「どうしようかしら、持って行ってあげた方がいいのかしらね」
「学校へ? 持って行くの? 学校ならあたしも行きた~い」
丸男や吾一やモロミが行っている学校や勉強の事に興味津々のカメ子。
「でも中学生にもなって親が子供の忘れた宿題持っていくなんて、忘れて怒られるより恥ずかしいわよね。ほっときましょ。いいわよ、カメちゃんそのまま置いといて」
そう言われても、もともと丸男が通う学校というものにとても興味があったカメ子は、サチコが最初に口にした ”持って行ってあげた方が~” と言う言葉でスイッチが入っていたのでそう簡単には引き下がらなかった。
「え~、お母さんが行かないなら、あたしがいくわ。 ね、いいでしょ?」
「えっ、でも、、、、大丈夫よ。 明日もあるんだし、ほっときましょ。 それに昨日の今日でカメちゃんが一人で歩くのはちょっと心配よ」
「あたしは大丈夫、それに昨日は道に迷ったんじゃなく、モロミのお母さんと話してたら長くなって遅くなっちゃっただけ。あたしは一度通った道は忘れないもん。歩いて行けるところなら覚えられるし大丈夫よ。ね、場所を教えて。あたしが行って来るから」
カメ子がどんなに食い下がっても中々首を縦に振らないサチコ。
それに対して最後は半ばあきらめかけたカメ子は俯くと、しょんぼりした声でどうしても学校というものがどういうものなのか見てみたいと言った。
カメ子が学校というものに興味を持ったのは丸男やモロミ、吾一がいるという事もだが、それよりも一つの場所に大勢の人が集まり何かをするという習性がカメムシには無い事なので大勢の人間が一つの場所に集まる学校というものがカメ子には不思議でならなかった
それに学校でする勉強というものがどういうものなのか見てみたいとも言った。
いつも元気なカメ子がしょんぼりしたのを見ると流石にサチコも根負けした。
中学校は公園や駅の方角とは反対側になるが、家から公園と同じようにほぼ直線で初めて行くとしても迷う事はないだろうと渋々場所を教え、くれぐれも遅くならない様にと何度も念を押しカメ子にノートを渡した。
ん、なんだあれ?
窓際の子が校庭を見ながら大きな声で言った。
「何を見てるの、今は授業中よ。集中しなさい、集中。 外なんて見ないの」
授業中関係の無い事を言う生徒に先生は注意をした。
しかし、その先生の注意が逆にクラスのみんなの興味を惹き、窓際の列の子達が一斉に校庭を見た。
その窓際の子達が合図になって他の子達も窓の方を見た、中には机を立って窓際に行く子もいた。
ここは丸男達が通う泥沼中学校。
みんなが注目してるのは、その校庭を一人で歩いている緑色した女の子。
誰かが、なんだあの女の子緑色してないかと言うと、今度はクラス中の生徒達が窓際に集まっていった。
緑色した女の子と聞いて僕はドキッとした。
だって緑色した子なんてカメ子に決まってる。
でも何でカメ子が学校へ来たんだろうと僕が考えていると、モロミがカメちゃんだとウキウキ声で言い、窓際まで行くと校庭を歩くカメ子に「カメちゃーん」と大きな声で叫びながら手を振った。
モロミが「カメちゃんだ」と言うのを聞き、いつの間にか吾一もモロミの横に立ち「ホントだカメちゃんだ」と言ってる。
でも今は数学の授業中。
僕はちゃんと自分の席に座ってる。
すると先生は吾一とモロミに聞いた。
「なんなの? あの子はあなた達の知り合いなの?」
「知り合いと言うか、一応友達は友達なんだけど・・・・・」
先生に聞かれて吾一がモゴモゴしていると、モロミがご丁寧に言ってくれた。
「丸男くんが詳しく知ってま~す」
その瞬間、先生も含めクラス中のみんなの目が僕に集まる。
僕はちゃんと自分の席に座ってる。
みんな何か待ってる様だったけど、僕には関係ない。
でも先生は「何かあったの? 菱形くん」だって。
それはこっちが聞きたい。
そうして僕が黙ってみんなの視線に耐えているとモロミが、何かあったのかもしれないからと、カメ子を迎えに教室を出て行った。
するとそれまで静まり返っていた教室が急にザワザワと騒がしくなってきた。
何がどうなってるのか、どうしてカメ子が学校へ来たのか僕にも全然わからない。
とにかく僕は黙って自分の席にいた。
そう、僕には関係の無い事だと思うから。
しばらくするとモロミがカメ子を連れて教室へ戻って来た。
教室へ戻るとモロミはそのまま真っ直ぐ僕の席まで来て満面の笑顔で何かを差し出した。
「はい、わ・す・れ・も・の~」
昨日やった数学の宿題のノートだった。
モロミは先生にカメ子が来た理由を説明した。
「やっぱり菱形くんが原因だったのね」
まさかカメ子が僕が忘れた宿題を持ってくるなんて思ってもみなかった。
これって僕のせい?と思ったけど、忘れたのは事実。
僕は宿題のノートを手にしながらすみませんと謝った。
そして先生はカメ子が来てから更にざわついてるみんなを見た。
「これじゃ授業になんないわね」
でもそれは残念なというよりどこか楽しそうに見えた。
先生は宿題のノートを提出するように言うと、カメ子に向かって、初めてカメ子を見た人なら聞くであろうごく当たり前な事を聞いた。
「あなたは誰なの?」
先生にそう聞かれたカメ子はいつもの様に自己紹介をした。
「私はカメムシのカメ子、丸男のうちで暮らしているの」
「で、今日は菱形くんが忘れた宿題を持って来てくれたってわけね」
「そう。それと学校ってどう言うところか見てみたくって来てみたの。こんなに沢山の人間が集まってるなんてビックリ。面白いわね人間って」
カメ子がそう言うとクラスのみんなからどっと笑いがおきた。
授業が中断されたにもかかわらず先生も一緒になって笑ってた。
僕は恥ずかしい気持ちもあったけど、たまにはこんな日があってもいいかなと思いながら、みんなと一緒に笑っていた。
その時、その中で笑ってない子が一人だけいた。
クラス中が大笑いして盛り上がっている中なのに一人だけぽつんと、そこだけ切り取られたように、そこだけはクラスのみんなの声が届かない場所であるかの様に、無表情で誰にも気づかれまいとじっとしてる子がいた。
僕はその事には気づかずみんなと一緒に笑っていた。
だけどカメ子だけはその子に気づいていた。
そしてその子の事をじっと見つめ、その子が身にまとっている悲しい感情を感じていた。
みんなが笑っているのに一人だけ笑わないでいる子。
その子は自分がみんなの中に染まらない様にひっそりと、そして誰にも気づかれない様にじっとしていた。
僕はカメ子の視線の先に何があるのか、何を見てるのかなんて気にしていなかった。
あとで教えてもらうまでわからなかった。
すっと一人でつらい思いをしてた子がいたなんて。
こんな近くに誰にも相談できずに一人ぼっちで悩んでいる子がいたなんて。
本当に教えてもらうまで僕はわからなかった。
その日の授業が終わり帰りの会の中で担任の青山先生が
「みんな明日は忘れ物の無いようにな」
するとクラスのみんなが一斉に僕の方を見た。
僕の方を見た瞬間にちょっと間ができて、その絶妙なタイミングで吾一が「忘れ物してくれた方がいいんじゃね」と言うと、どっと笑いがおこった。
勘弁してよ。。。
僕は学校を出るまで色んな人からカメちゃんによろしくと言われ、中には今度合わせてよとか言ってくる先生もいて、今日一日で有名人になってしまった。
家に帰ると、先に帰ったはずのカメ子はいなかった。
お母さんに聞くと散歩に出かけたそう。
「散歩?」
「歩くのが楽しいんだって」
そう言えばそんなこと言ってたな。
「それはそうと、今日の忘れ物は大丈夫だったの?」
「ま、一応、、、、」
お母さんは学校での先生の話を聞いてたかのように言った。
「明日は忘れ物の無い様にね」
はい、二回も言われれば忘れません。
僕は自分の部屋へ行き着替えをすませると、吾一の所に借りていた漫画を返しに言ってくるといって自転車で家を出た。
その頃カメ子は一人で公園へ来ていた。
公園のベンチで一人寂しく座りうつむいてる男の子を見つけるとその側までやって来て男の子の隣に座った。
男の子は他にも空いているベンチはあるのに、通りすがりの人が黙って自分の隣に座ったのでちょっと驚いた。
でも自分の隣に座ったのが今日学校に来たカメ子だと気づくとボソっと一言、やっとカメ子に届くくらいの小さな声で言った。
「あなたは今日学校に来たカメ子さんね」
そう言うと男の子はまたうつむいた。
「そう。私はカメムシのカメ子。あなた丸男の学校のお友達でしょ?」
「友達? う~ん、丸男くんとはただのクラスメートで友達ってわけじゃないかな。あた、僕には友達はいないから」
話しかけられた男の子はうつむいていた顔を少しだけカメ子の方へ向けると、またも小さな声で答えた。
「あなた何かあるんでしょ? あたしわかるわ。 だってあなた笑ってなかったもん」
カメ子は教室でただ一人笑う事の出来ない男の子にそう言った。
それを聞いて男の子は少し驚いた。
あれだけクラス中が笑って沸き立っていたのに一番後ろの席で目立たないようにしてた自分の事に気づいていたなんて。
誰も自分の事なんか気にかける人なんていない。
男の子はそれでいいと思っていた。
自分の悩みは誰かに話せるような話じゃないし、誰にも理解なんてされないものだから。
その様に自分の事を考えていた男の子にとってカメ子が気にかけてくれた事は複雑ではあったが嬉しくもあった。
誰にも言えない悩みを抱え、この世から消えてしまいたいと思う事も一度や二度ではなかった。
そんな男の子にとってたまたまだとしても自分の事を気にかけてくれたカメ子が信用できた。
この時男の子は迷子になった子供がやっと親に見つけてもらったような気分だった。
そんな今まで味わった事のない気分がそうさせたのか、男の子は自然と自分の事をカメ子にぽつりぽつりと話し始めた。
「あた、あ、僕の名前は鮫山虎雄、自分で言うのもおかしいんだけど、ちょっと変なの。だから友達もいないし・・・・えーと・・・」
「何が変なの? ちっとも変じゃないわ」
「カメ子さんから見たらそうかも知れないけど、本当に変なの。 病気かも知れないの」
そう言うと虎雄は声を詰まらせた。
虎雄は今まで誰にも話した事のない悩みだったが、カメ子が相手で話しやすかったのか、落ち着くと話を続けた。
「僕は見た目は男の子なんだけど、本当は違うの。あたしにも本当の自分がわからないの。どうしたらいいのか自分でもわからないの」
勢いとはいえ今まで誰にも話すことが出来なかった事を今日はじめて会ったカメ子に話せたのが少し不思議に思えたが自分の悩みを話し終えた虎雄はしばらく涙が止まらなかった。
カメ子は虎雄が泣き止むまでの間、その肩を抱き大丈夫大丈夫と何度も優しく声をかけ続けた。
やがて虎雄が泣き止むとカメ子はその手を優しく握りゆっくりと話し始めた。
「ねぇ虎雄。 あたしにはお母さんがいるの、お母さんはあたしの肌の色や、あたしがカメムシと言うことも気にしないで、あたしのことを大切に思ってくれているの」
「お母さん? お母さんなら、あたしにもいるし・・・・」
「ちがうわ。 あたしのお母さんの事。 いいから虎雄、あなたも会いに来て。一緒に帰りましょう」
虎雄はカメ子の話がよく理解できなかった。
ただカメ子が握るこの手の温もりは今まで感じたことのない温かいものだった。
それは手だけではなく心まで温かくさせカメ子の事をより信じさせた。
虎雄はカメ子の温かさに惹かれ一緒に家に向かった。
家に帰るとカメ子は虎雄の事を紹介した。
「お母さん、あたし新しいお友達ができたの」
サチコは紹介された虎雄を優しい笑顔で迎えテレビの部屋へ通した。
大事な事を話す時はいつもこの部屋だ。
カメ子と虎雄を二人がけのソファへ座らせ、自分は一人がけのソファーに腰を下ろした。
サチコは家にやって来た二人の雰囲気から何かを感じたのか挨拶をした以外は自分からは話しかけず二人のどちらかが切り出すのを待った。
調子に乗って話し込んだらちょっと遅くなっちゃった。
暗くなってきたのもあり、僕は自転車を飛ばし気味で家に帰った。
家に帰ると玄関に誰か知らない人の靴があった。
こんな時間に誰かお客さん?
「ただいま~」
変だ、お客さんがきてるようなのに声がしないし、お帰りなさいの返事もない。
どうしたんだろう?
家に上がりテレビの部屋を覗くとお母さんとカメ子、そしてクラスメートがいる。
「虎雄?」
虎雄はその声に体をビクッさせこちらを振り向いた
「丸男くん」
「鮫山虎雄だろ? どうしたの? なんかあったの?」
「カメちゃんの新しいお友達なんだって。そうなんでしょ」
「新しい友達?」
「そう。あたしの新しいお友達。自分で自分がちょっと変だって言うからお母さんのところに連れてきたの」
ちょっと変?
新しい友達って言っといて、いくらなんでも「ちょっと変」はないだろうと僕は思った。
だけど、お母さんはその「ちょっと変」と言うのが問題なのだと思ったらしく、そこから話が始まった。
それは僕が考えてもみなかった事だった。
「ちょっと変て何が変なの?」
サチコはソファーに座りうつむいてる虎雄に問いかけた。
虎雄にしてみればカメ子を信じてここまで来てみたが、よく考えればここは同じクラスの男の子の家。
誰にも言った事がない自分の悩みを、親にだって言えないこの悩みを、同級生の前でなんか話せるはずがない。
絶対に話せるはずがない。
虎雄は決意した顔で立ち上がり挨拶をして帰ろうとした。
「ごめんなさい、あた、あ、僕もう帰ります。ごめん丸男くんカメ子さん。おばさんもごめんなさい」
丸男は帰ろうと立ち上がった虎雄に向かって言った。
「カメ子ってさぁ、ちょっと天然っていうか変わったとこがあるんだよ。 でも、う~ん、なんて言うか、ちゃんとわかってるって言うか、うまく言えないけど、カメ子に連れてこられたんなら話していきなよ。もちろん僕も学校で誰かに話したりなんかしないよ」
そう言われ虎雄は観念したように座り直し、自分の何が変なのかゆっくりと話し始めた。
「あた、僕は見た目は男の子の様にみえると思うけど、本当は自分の事を女の子だと思ってるの」
鮫山虎雄、確かに普段からナヨナヨして女っぽいと思われていて周りからもそう言ってからかう生徒がいる事は丸男も知ってる。
しかし、見た目は男の子だけど本当の自分は女の子?
丸男には虎雄の言う事がどういう事だか理解出来なかった。
でもサチコは丸男とは違い、真剣な目で虎雄を見つめ虎雄の言ってる事に何度も小さく頷いた。
「わかるわよ。 でもねぇ、それは決しておかしい事でも、変な事でもないのよ」
そう言うとちょっと聞いてちょうだいと言って、サチコは自分の高校時代のある友達の話をし始めた。
「あたしの高校生の頃の友人でね、森山貴彦くんて言う子がいたの。その子は言葉遣いや仕草が女の子っぽいってよくみんなからからかわれていたわ。 学校って仲の良い友達でグループができるでしょ? その子は男の子たちとは付き合わないで、いつもあたし達女子のグループにいたの。 あたし達もタカ、タカって呼んで、女っぽいとかなんて全然気にしないで普通に友達として付き合ってたんだけど、卒業式の後、そのタカがね、話してくれたの。あなたと同じ事を」
それまでその自分の悩みを打ち明けた事でうなだれていた虎雄は、今は体ごとサチコの方を向いて真剣に話を聞いている。
「タカはね、小さい頃から心と体の違いに苦しんでたんだって言ったわ。そしてその事を誰にも相談できずに一人で悩んでたんだって言う事も話てくれたわ。でも一度だけこの人ならと思って相談したことがあったんだって。だけどその相談した相手に、おかしいとか、気持ち悪いとか言われて、それからは怖くて誰にも言えなくなったんだって。それ以来、自分はおかしい人間なんだって、それをずっと自分に言い聞かせてきたって言ってたわ」
そう言うと当時の事を思い出したのか、サチコの目からは涙がこぼれ落ちた。
そしてその涙を拭くと話を続けた。
「本当に辛くて苦しくてどうしたらいいのかわからない時に誰にも相談できずにいるなんて、しかも自分で自分をおかしい人間だって責めるように思いながら生きてきたなんて」
そこまで言うと声を詰まらせて話が止まった。
サチコは気持ちを落ち着けるまで少し時間をかけたが、落ち着くと涙を拭いて話を続けた。
「これはね、あたしともう一人仲の良かったミホって言う友達だけに話してくれたの」
そして丸男の方に向かって、ミホおばさん覚えてるでしょ?
あのミホよと教えてくれた。
何度かうちにも遊びにきてくれた事のある人で丸男もよく覚えてる。
「あなた達だけはあたしと普通に付き合ってくれたし、からかわれてもかばってくれた。だから、もしかしたらわかってくれるかもしれないと思ったんだって言ったわ。それでも、もし嫌われたら、これで卒業だし最後だからいいやって思ったんだって、勿論そのまま話さずに別れることも出来たんだけど、タカはいつも一緒にいてくれた本当の友達であると思っていたあたしとミホだけには言っておきたかったんだって、自分の本当の気持ちを隠してるのが、大切な友達に嘘ついてるようで嫌だったんだって。本当の自分の気持ちを聞いて欲しかったんだって言ったわ」
サチコはそこまで言い終わると、虎雄を見た。
その時のサチコの目にはもう涙はなく、いつもの優しい母親の目になっていた。
今その視線の先にいるのは虎雄だった。
「あた、あ、僕は・・・」
虎雄が何か言おうとしたが、それを遮るようにサチコが言った。
「あたしでいいのよ」
虎雄はサチコの優しい声を聞くと自分の悩みを本当に理解してくれているのがわかった。
また、ずっとおかしいと思い続けた自分を人として認めてもらったようで、心の底から嬉しかった。
そしてこんな自分でも生きていていいんだと思うと自然と涙があふれ出た。
一度流れ出た涙は次から次へとあふれ出し、それまで誰にも知られまいと押し込めていた心の中の負の感情全てを洗い流すかのようでもあった。
隣にいた丸男も堪えきれず一緒に泣いた。
「今も理解があるとは言えないけど、昔は今よりもっと無理解だったわね。社会全体がそんな感じだった。だからそう言う人はホモとか、おかまとか言われて、笑われたりバカにされたりしてたわ。言われた人たちはそう言う事に調子を合わせて生きるか、黙ってるしかなかったのね。自分はおかしいんだって思い続けて。全然おかしい事なんてないのに。おかしいのは、ちっぽけな自分達の基準で人を見て、その基準に当てはまらない人を、おかしいもの、悪いものと決めつける事よ」
サチコは力を込めて強い口調でそう言った。
そしてカメ子に向かって優しい口調で「カメちゃん、いいお友達ができて良かったわね」と言うと、虎雄にも「あなたもいつまでもカメちゃんと仲良くしてあげてね」と言った。
カメ子はサチコの言葉にうなづき、何も言わず虎雄を見て優しく微笑んだ。
虎雄もカメ子を見た、その目にはまだ涙が残っていたが優しく笑っているようにも見えた。
僕は正直、虎雄の話には驚いた。
でもきっと虎雄は今お母さんが話してくれたタカさんと同じように辛い思いをしてずっと苦しんで今まで生きてきたんだと思うと心の底から本当に悲しくてたまらなかった。
こんな気持ち生まれて初めてだった。
0
あなたにおすすめの小説
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
雪の日に
藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。
大学卒業を控えた冬。
私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ――
※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる