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侯爵家の長女、それが私、ミア・クロードの肩書きだった。でも、実際はただの「地味な子」。それが、私のすべてだった。
朝、お気に入りのリボンを付けようとして、鏡の中の自分と目が合った。色素の薄い茶色の髪は、いつも地味に三つ編みにされている。地味な顔に、地味な瞳。隣にいる妹のルチアと比べたら、それはもう雲泥の差。ルチアは太陽みたいにキラキラしていて、金色の髪は天使の輪みたいに輝いていたし、大きな瞳は宝石みたいにキラキラしていた。誰だって、ルチアの方に目を奪われる。私だってそう思うもの。
「ミアお姉様、またそんな地味なリボン付けてるの? カイル様が見たらがっかりするわよ」
ルチアは、今日のドレスの色に合わせて、パステルカラーの大きなリボンを揺らしながら、からかうように言った。カイル様、ね……。私の婚約者。そう、私はあのカイル様と婚約しているのだ。信じられないでしょ? 私もそう思う。カイル様は、この国で一番強い騎士団の隊長で、誰からも憧れられるヒーローみたいな人。そんな人が、どうして私みたいな地味な娘と婚約したんだろう?
それは、両家の取り決め。カイル様のご実家と私の実家が、昔から仲が良くて、私が生まれたときから決まっていたことらしい。でも、最近はカイル様も私を見る目が冷たい。ルチアを見る目に、熱っぽい光が灯っているのを、私は知っていた。
「別にいいのよ。カイル様は私のことなんて見てないわ」
精一杯の強がりを言ってみたけど、心臓はドクドクと音を立てていた。ルチアはくすくすと笑い、「あら、そんなことないわ。カイル様は、いつだってお姉様のことを気にかけてくださってるもの」なんて言ったけど、その目は笑っていなかった。
その日の夜、夕食の後、カイル様から呼び出しがあった。いつものように書斎で、かしこまって座っているカイル様は、いつも以上に遠い存在に見えた。
「ミア」
カイル様の声は、凍えるほど冷たかった。彼の隣には、ルチアがいた。いつもよりずっと華やかなドレスを身につけ、自信に満ちた笑顔を浮かべていた。私の心臓は、さらに激しく音を立てた。嫌な予感しかしない。
「単刀直入に言おう。君との婚約を破棄したい」
その言葉は、優しさのかけらもなく、まるで冷たく研がれた氷の刃のようだった。容赦なく私の胸を貫き、奥深くにまで突き刺さった。その一言は私の心を凍らせ、痛みと絶望を残していった。呼吸さえも困難になるほどの衝撃が全身を襲い、私はただ立ち尽くすしかなかった。
わかっていたことなのに、頭が真っ白になった。何も考えられない。ただ、呼吸が苦しくなっていくのを感じた。
「君は影が薄い。侯爵家の長女として、社交界でも地味な存在でしかなかった。正直、私には理解できなかった」
カイル様は淡々と、私を否定する言葉を並べた。私の存在そのものを否定する言葉だ。これまでどれだけ頑張って、貴族としての教養を身につけようとしたか。どれだけ彼の隣にふさわしい人間になろうと努力したか。そのすべてが、無意味だったと言われているようだった。
「ルチアの方が、貴族にふさわしい。華やかで、聡明で、私の隣に立つにふさわしいのは、彼女だ」
カイル様は、横に立つルチアの肩を抱き寄せた。ルチアは、私に向かってにっこりと微笑んだ。その笑顔は、私の心に深く刻まれた。屈辱と、絶望。
「わ、わかりました……」
声が震えた。もっと何か言わなきゃいけないのに、何も言葉が出てこない。ただ、頷くことしかできなかった。
カイル様は、私が頷いたのを確認すると、すぐにルチアと共に書斎を出て行った。残された私一人。凍えるような静けさの中で、私は膝から崩れ落ちた。
「っ……!」
涙が、止まらなかった。
これまで私は、どれだけ汗を流し、どれだけ心を削って努力してきただろう。でも、その努力は誰の目にも映らなかった。どれほど声を上げても、どれほど手を伸ばしても、誰一人として私に気づいてはくれなかった。まるで私は透明な存在で、いてもいなくても変わらない、そんな扱いを受け続けてきた。
認められたくて、ただ誰かに「頑張ってるね」と言ってもらいたかっただけなのに。その願いさえも届くことはなかった。いつも影だった。
でも、それでもいつか、カイル様が私を見てくれる日が来るんじゃないかって、どこかで期待していた。その期待が、音を立てて崩れ去った。
数日後、私は侯爵家を出る準備をしていた。婚約破棄された私に、もはやこの家に居場所はなかった。父も母も、私には何も言わなかった。ただ、ルチアとカイル様の結婚の準備で忙しそうだった。
私の部屋は、荷物で散らかっていた。着慣れた地味な服ばかり。華やかなドレスなんて一枚もない。この部屋で、私はずっと一人で生きてきたんだ。幼い頃、ルチアはいつも両親に甘えていた。私は、遠くからその様子を眺めていただけ。勉強も、習い事も、誰からも褒められることなく、ただ淡々とこなしてきた。
「ミアお姉様、本当に行っちゃうの?」
ルチアが、部屋の入り口から顔を覗かせた。彼女の顔には、どこか寂しそうな色が浮かんでいた。それが本心なのか、もう私にはわからなかった。
「ええ。もう、私にはこの家にいる理由がないもの」
私は、気づかれないように、精一杯の作り笑いを浮かべた。唇はかろうじて笑みの形をなしていたが、その裏で心は音を立てて崩れ落ちていた。けれど、私は笑った。誰にも、何も、悟られないように。
「そう……。カイル様との結婚、応援してね」
ルチアは、そう言って部屋から出て行った。私は、残された荷物を淡々とパッキングした。
侯爵家の門を出る日。誰一人見送りには来てくれなかった。それが、私の人生を象徴しているようだった。馬車に乗り込み、侯爵家の大きな門が後ろに消えていくのを見た。もう、この家に戻ることはないだろう。
どこへ行こうか。そんなあてもないまま、私は馬車に揺られていた。そして、ふと思い出したのは、昔から両親が寄付をしているという、小さな街にある孤児院のことだった。私は、そこでひっそりと暮らそうと決めた。誰の目も気にせず、誰にも期待せず、ただ静かに生きていく。それが、私のこれからの人生。
馬車は、侯爵家から遠く離れた道を走り続ける。窓の外には、見慣れない景色が広がる。新しい場所。新しい生活。私の心には、まだ深い傷が残っていた。
朝、お気に入りのリボンを付けようとして、鏡の中の自分と目が合った。色素の薄い茶色の髪は、いつも地味に三つ編みにされている。地味な顔に、地味な瞳。隣にいる妹のルチアと比べたら、それはもう雲泥の差。ルチアは太陽みたいにキラキラしていて、金色の髪は天使の輪みたいに輝いていたし、大きな瞳は宝石みたいにキラキラしていた。誰だって、ルチアの方に目を奪われる。私だってそう思うもの。
「ミアお姉様、またそんな地味なリボン付けてるの? カイル様が見たらがっかりするわよ」
ルチアは、今日のドレスの色に合わせて、パステルカラーの大きなリボンを揺らしながら、からかうように言った。カイル様、ね……。私の婚約者。そう、私はあのカイル様と婚約しているのだ。信じられないでしょ? 私もそう思う。カイル様は、この国で一番強い騎士団の隊長で、誰からも憧れられるヒーローみたいな人。そんな人が、どうして私みたいな地味な娘と婚約したんだろう?
それは、両家の取り決め。カイル様のご実家と私の実家が、昔から仲が良くて、私が生まれたときから決まっていたことらしい。でも、最近はカイル様も私を見る目が冷たい。ルチアを見る目に、熱っぽい光が灯っているのを、私は知っていた。
「別にいいのよ。カイル様は私のことなんて見てないわ」
精一杯の強がりを言ってみたけど、心臓はドクドクと音を立てていた。ルチアはくすくすと笑い、「あら、そんなことないわ。カイル様は、いつだってお姉様のことを気にかけてくださってるもの」なんて言ったけど、その目は笑っていなかった。
その日の夜、夕食の後、カイル様から呼び出しがあった。いつものように書斎で、かしこまって座っているカイル様は、いつも以上に遠い存在に見えた。
「ミア」
カイル様の声は、凍えるほど冷たかった。彼の隣には、ルチアがいた。いつもよりずっと華やかなドレスを身につけ、自信に満ちた笑顔を浮かべていた。私の心臓は、さらに激しく音を立てた。嫌な予感しかしない。
「単刀直入に言おう。君との婚約を破棄したい」
その言葉は、優しさのかけらもなく、まるで冷たく研がれた氷の刃のようだった。容赦なく私の胸を貫き、奥深くにまで突き刺さった。その一言は私の心を凍らせ、痛みと絶望を残していった。呼吸さえも困難になるほどの衝撃が全身を襲い、私はただ立ち尽くすしかなかった。
わかっていたことなのに、頭が真っ白になった。何も考えられない。ただ、呼吸が苦しくなっていくのを感じた。
「君は影が薄い。侯爵家の長女として、社交界でも地味な存在でしかなかった。正直、私には理解できなかった」
カイル様は淡々と、私を否定する言葉を並べた。私の存在そのものを否定する言葉だ。これまでどれだけ頑張って、貴族としての教養を身につけようとしたか。どれだけ彼の隣にふさわしい人間になろうと努力したか。そのすべてが、無意味だったと言われているようだった。
「ルチアの方が、貴族にふさわしい。華やかで、聡明で、私の隣に立つにふさわしいのは、彼女だ」
カイル様は、横に立つルチアの肩を抱き寄せた。ルチアは、私に向かってにっこりと微笑んだ。その笑顔は、私の心に深く刻まれた。屈辱と、絶望。
「わ、わかりました……」
声が震えた。もっと何か言わなきゃいけないのに、何も言葉が出てこない。ただ、頷くことしかできなかった。
カイル様は、私が頷いたのを確認すると、すぐにルチアと共に書斎を出て行った。残された私一人。凍えるような静けさの中で、私は膝から崩れ落ちた。
「っ……!」
涙が、止まらなかった。
これまで私は、どれだけ汗を流し、どれだけ心を削って努力してきただろう。でも、その努力は誰の目にも映らなかった。どれほど声を上げても、どれほど手を伸ばしても、誰一人として私に気づいてはくれなかった。まるで私は透明な存在で、いてもいなくても変わらない、そんな扱いを受け続けてきた。
認められたくて、ただ誰かに「頑張ってるね」と言ってもらいたかっただけなのに。その願いさえも届くことはなかった。いつも影だった。
でも、それでもいつか、カイル様が私を見てくれる日が来るんじゃないかって、どこかで期待していた。その期待が、音を立てて崩れ去った。
数日後、私は侯爵家を出る準備をしていた。婚約破棄された私に、もはやこの家に居場所はなかった。父も母も、私には何も言わなかった。ただ、ルチアとカイル様の結婚の準備で忙しそうだった。
私の部屋は、荷物で散らかっていた。着慣れた地味な服ばかり。華やかなドレスなんて一枚もない。この部屋で、私はずっと一人で生きてきたんだ。幼い頃、ルチアはいつも両親に甘えていた。私は、遠くからその様子を眺めていただけ。勉強も、習い事も、誰からも褒められることなく、ただ淡々とこなしてきた。
「ミアお姉様、本当に行っちゃうの?」
ルチアが、部屋の入り口から顔を覗かせた。彼女の顔には、どこか寂しそうな色が浮かんでいた。それが本心なのか、もう私にはわからなかった。
「ええ。もう、私にはこの家にいる理由がないもの」
私は、気づかれないように、精一杯の作り笑いを浮かべた。唇はかろうじて笑みの形をなしていたが、その裏で心は音を立てて崩れ落ちていた。けれど、私は笑った。誰にも、何も、悟られないように。
「そう……。カイル様との結婚、応援してね」
ルチアは、そう言って部屋から出て行った。私は、残された荷物を淡々とパッキングした。
侯爵家の門を出る日。誰一人見送りには来てくれなかった。それが、私の人生を象徴しているようだった。馬車に乗り込み、侯爵家の大きな門が後ろに消えていくのを見た。もう、この家に戻ることはないだろう。
どこへ行こうか。そんなあてもないまま、私は馬車に揺られていた。そして、ふと思い出したのは、昔から両親が寄付をしているという、小さな街にある孤児院のことだった。私は、そこでひっそりと暮らそうと決めた。誰の目も気にせず、誰にも期待せず、ただ静かに生きていく。それが、私のこれからの人生。
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