2 / 4
2
しおりを挟む
新しい街での生活は、私が思っていたよりもずっと穏やかだった。侯爵家での日々が嵐みたいだったから、この静けさが、私の心を少しずつ癒してくれた。
私が身を移したのは、本当に小さな街だった。人も少なくて、空気が澄んでいて、どこか懐かしいような優しい匂いがする。
馬車を降りて、最初にたどり着いたのは、両親が寄付をしていると聞いていた孤児院だった。小さな建物だけど、手入れが行き届いていて、玄関には色とりどりの花が飾られていた。
「あら、あなたは?」
出迎えてくれたのは、優しい雰囲気の年配の女性だった。この孤児院の院長先生らしい。私は自己紹介をして、ここで奉仕活動をしたいと申し出た。きっと、地味な私を受け入れてくれる場所なんて、ここしかないと思った。
「まあ! 素晴らしいわ! 大歓迎よ、ミアさん」
院長先生は、私の顔を見てふわりと微笑んでくれた。その笑顔は、侯爵家では見たことのない、本当に心からの歓迎の気持ちがこもっている笑顔だった。
孤児院での生活は、初めてのことばかりで戸惑うこともあったけど、子どもたちはすぐに私に懐いてくれた。
「ミアお姉ちゃん、絵本読んで!」
「ミアお姉ちゃん、お花摘みに行こう!」
小さな手で私の服の裾を引っ張る子たち。彼らのキラキラした瞳を見ていると、私の心の中の暗い影が、少しずつ薄れていくのを感じた。絵本の読み聞かせをしたり、一緒に庭で花を摘んだり、料理の手伝いをしたり。侯爵家では許されなかったような、泥だらけになって遊ぶこともあった。でも、それが、すごく楽しかった。
ある日の午後、いつものように庭で子どもたちと遊んでいると、孤児院の門が小さく開いた。そこに立っていたのは、背の高い男性だった。太陽の光を背負っているから、顔はよく見えないけど、すらりとした立ち姿に、どこか気品を感じた。
「こんにちは。院長先生はいらっしゃいますか?」
彼の声は、低くて落ち着いていて、どこか耳に心地よかった。院長先生は不在だったので、私が対応することになった。
「あの、院長先生は今、街にお買い物に行かれていて……何かご用でしょうか?」
私は少し緊張しながら尋ねた。こんな素敵な人、今まで会ったことがない。カイル様とも違う、なんていうか、もっと静かで優しい雰囲気の人だった。
「そうですか。では、後日改めて伺います。寄付のお届けに参りましたので」
そう言って、彼は大きな袋を差し出した。中には、たくさんの絵本やおもちゃ、それから美味しそうなパンがぎっしり詰まっていた。
「わあ! 絵本だ!」
「おもちゃもある!」
子どもたちが、目を輝かせて彼の周りに集まってきた。彼は、一人ひとりに優しく微笑みかけ、頭を撫でてあげていた。その手つきは、とても慣れていて、子どもたちもすぐに彼に懐いているようだった。
「お兄さん、ありがとう!」
一人の男の子が、彼に抱きついた。彼は優しくその子を抱き上げ、くるりと一回転させてあげた。その時の彼の笑顔は、本当に温かくて、私の心臓が、きゅんと音を立てた。
それが、ノアとの初めての出会いだった。彼はその後も、週に何回か孤児院を訪れるようになった。いつもたくさんの寄付を持ってきてくれて、子どもたちと遊んでくれる。彼は自分の素性を一切話さなかった。どこから来たのか、何をしている人なのか、何も教えてくれなかったけど、私は、彼と一緒にいる時間が、一番好きだった。
「ミアさんは、いつも楽しそうですね」
ある日の夕方、子どもたちが寝静まった後、庭のベンチで二人きりになったとき、ノアがぽつりと言った。
「え? そう、ですか?」
私は少し驚いて、彼の顔を見た。彼の目は、私を真っ直ぐに見つめていた。まるで、私の心の奥底を見透かされているみたいで、少し恥ずかしくなった。
「はい。子どもたちといる時のミアさんは、とても輝いています。初めて会った時よりも、ずっと」
彼の言葉は、私の胸にじんわりと温かく染み込んだ。侯爵家では、誰からも「地味だ」「影が薄い」としか言われなかったのに。ノアは、私の良いところを見つけてくれた。
「私、侯爵家の長女だったんです。でも、地味すぎて、婚約者にも捨てられちゃって……」
気づけば、私は自分の過去を話していた。話すつもりなんてなかったのに、ノアの優しい声を聞いていると、自然と言葉が溢れ出した。
ノアは、ただ静かに私の話を聞いてくれた。途中で遮ることもなく、ただ頷いてくれるだけだった。それが、どれだけ私の心を楽にしてくれたことか。
「……だから、もう誰にも期待せず、ここでひっそり暮らそうって決めたんです」
私が話し終えると、ノアは少し考えるように黙り込んだ。そして、ゆっくりと口を開いた。
「地味、だなんて、そんなことはありません。ミアさんは、とても優しい方です。そして、誰よりも強い心を持っている」
彼の言葉に、私ははっと顔を上げた。私のどこに、そんなものがあるというのだろう?
「子どもたちの瞳が、それを教えてくれました。彼らは、純粋な心でミアさんを見ています。そして、私も」
ノアは、私の手を取り、そっと握った。彼の温かい手が、私の冷たくなった心を包み込んでくれた。
「それに、地味なことは、悪いことではありません。むしろ、そこには、真の美しさが隠されていることもあります。派手なものばかりに目を奪われる人は、大切なものを見落としてしまう」
彼の言葉は、私にとって初めて聞く言葉だった。今まで、地味なことは欠点だとばかり思っていた。でも、ノアは、それを私だけの「美しさ」だと言ってくれた。
「ミアさんの真の美しさと強さは、決して表面的なものではありません。それは、心の奥底から溢れ出る輝きです。私は、そんなミアさんを、初めて見た時から、ずっと素敵だと思っていました」
私の目から、涙が溢れ出した。こんなにも、温かい言葉をかけてもらったのは、生まれて初めてだった。カイル様は、私のすべてを否定したけれど、ノアは、私のすべてを肯定してくれた。
「私と、共に歩んでいただけませんか? どんな時も、あなたが望むなら、私はあなたの隣にいます」
ノアは、私の目を真っ直ぐに見つめ、そう言った。彼の瞳は、夜空の星のように、きらきらと輝いていた。この時、私の心の中で、何かが大きく変わった。彼となら、きっと大丈夫。そう思えた。
私が身を移したのは、本当に小さな街だった。人も少なくて、空気が澄んでいて、どこか懐かしいような優しい匂いがする。
馬車を降りて、最初にたどり着いたのは、両親が寄付をしていると聞いていた孤児院だった。小さな建物だけど、手入れが行き届いていて、玄関には色とりどりの花が飾られていた。
「あら、あなたは?」
出迎えてくれたのは、優しい雰囲気の年配の女性だった。この孤児院の院長先生らしい。私は自己紹介をして、ここで奉仕活動をしたいと申し出た。きっと、地味な私を受け入れてくれる場所なんて、ここしかないと思った。
「まあ! 素晴らしいわ! 大歓迎よ、ミアさん」
院長先生は、私の顔を見てふわりと微笑んでくれた。その笑顔は、侯爵家では見たことのない、本当に心からの歓迎の気持ちがこもっている笑顔だった。
孤児院での生活は、初めてのことばかりで戸惑うこともあったけど、子どもたちはすぐに私に懐いてくれた。
「ミアお姉ちゃん、絵本読んで!」
「ミアお姉ちゃん、お花摘みに行こう!」
小さな手で私の服の裾を引っ張る子たち。彼らのキラキラした瞳を見ていると、私の心の中の暗い影が、少しずつ薄れていくのを感じた。絵本の読み聞かせをしたり、一緒に庭で花を摘んだり、料理の手伝いをしたり。侯爵家では許されなかったような、泥だらけになって遊ぶこともあった。でも、それが、すごく楽しかった。
ある日の午後、いつものように庭で子どもたちと遊んでいると、孤児院の門が小さく開いた。そこに立っていたのは、背の高い男性だった。太陽の光を背負っているから、顔はよく見えないけど、すらりとした立ち姿に、どこか気品を感じた。
「こんにちは。院長先生はいらっしゃいますか?」
彼の声は、低くて落ち着いていて、どこか耳に心地よかった。院長先生は不在だったので、私が対応することになった。
「あの、院長先生は今、街にお買い物に行かれていて……何かご用でしょうか?」
私は少し緊張しながら尋ねた。こんな素敵な人、今まで会ったことがない。カイル様とも違う、なんていうか、もっと静かで優しい雰囲気の人だった。
「そうですか。では、後日改めて伺います。寄付のお届けに参りましたので」
そう言って、彼は大きな袋を差し出した。中には、たくさんの絵本やおもちゃ、それから美味しそうなパンがぎっしり詰まっていた。
「わあ! 絵本だ!」
「おもちゃもある!」
子どもたちが、目を輝かせて彼の周りに集まってきた。彼は、一人ひとりに優しく微笑みかけ、頭を撫でてあげていた。その手つきは、とても慣れていて、子どもたちもすぐに彼に懐いているようだった。
「お兄さん、ありがとう!」
一人の男の子が、彼に抱きついた。彼は優しくその子を抱き上げ、くるりと一回転させてあげた。その時の彼の笑顔は、本当に温かくて、私の心臓が、きゅんと音を立てた。
それが、ノアとの初めての出会いだった。彼はその後も、週に何回か孤児院を訪れるようになった。いつもたくさんの寄付を持ってきてくれて、子どもたちと遊んでくれる。彼は自分の素性を一切話さなかった。どこから来たのか、何をしている人なのか、何も教えてくれなかったけど、私は、彼と一緒にいる時間が、一番好きだった。
「ミアさんは、いつも楽しそうですね」
ある日の夕方、子どもたちが寝静まった後、庭のベンチで二人きりになったとき、ノアがぽつりと言った。
「え? そう、ですか?」
私は少し驚いて、彼の顔を見た。彼の目は、私を真っ直ぐに見つめていた。まるで、私の心の奥底を見透かされているみたいで、少し恥ずかしくなった。
「はい。子どもたちといる時のミアさんは、とても輝いています。初めて会った時よりも、ずっと」
彼の言葉は、私の胸にじんわりと温かく染み込んだ。侯爵家では、誰からも「地味だ」「影が薄い」としか言われなかったのに。ノアは、私の良いところを見つけてくれた。
「私、侯爵家の長女だったんです。でも、地味すぎて、婚約者にも捨てられちゃって……」
気づけば、私は自分の過去を話していた。話すつもりなんてなかったのに、ノアの優しい声を聞いていると、自然と言葉が溢れ出した。
ノアは、ただ静かに私の話を聞いてくれた。途中で遮ることもなく、ただ頷いてくれるだけだった。それが、どれだけ私の心を楽にしてくれたことか。
「……だから、もう誰にも期待せず、ここでひっそり暮らそうって決めたんです」
私が話し終えると、ノアは少し考えるように黙り込んだ。そして、ゆっくりと口を開いた。
「地味、だなんて、そんなことはありません。ミアさんは、とても優しい方です。そして、誰よりも強い心を持っている」
彼の言葉に、私ははっと顔を上げた。私のどこに、そんなものがあるというのだろう?
「子どもたちの瞳が、それを教えてくれました。彼らは、純粋な心でミアさんを見ています。そして、私も」
ノアは、私の手を取り、そっと握った。彼の温かい手が、私の冷たくなった心を包み込んでくれた。
「それに、地味なことは、悪いことではありません。むしろ、そこには、真の美しさが隠されていることもあります。派手なものばかりに目を奪われる人は、大切なものを見落としてしまう」
彼の言葉は、私にとって初めて聞く言葉だった。今まで、地味なことは欠点だとばかり思っていた。でも、ノアは、それを私だけの「美しさ」だと言ってくれた。
「ミアさんの真の美しさと強さは、決して表面的なものではありません。それは、心の奥底から溢れ出る輝きです。私は、そんなミアさんを、初めて見た時から、ずっと素敵だと思っていました」
私の目から、涙が溢れ出した。こんなにも、温かい言葉をかけてもらったのは、生まれて初めてだった。カイル様は、私のすべてを否定したけれど、ノアは、私のすべてを肯定してくれた。
「私と、共に歩んでいただけませんか? どんな時も、あなたが望むなら、私はあなたの隣にいます」
ノアは、私の目を真っ直ぐに見つめ、そう言った。彼の瞳は、夜空の星のように、きらきらと輝いていた。この時、私の心の中で、何かが大きく変わった。彼となら、きっと大丈夫。そう思えた。
69
あなたにおすすめの小説
追放された聖女は鬼将軍の愛に溺れて真実を掴む〜偽りの呪いを溶かす甘く激しい愛〜
有賀冬馬
恋愛
神託により「偽りの聖女」として国を追われ、誰も信じられなかった私――リュシア。でも、死を覚悟した荒野で、黒髪の美しい孤高の鬼将軍・辺境伯ディランに救われてから、すべてが変わった。
なぜか私にはだけは甘い彼。厳しいはずの彼の甘く優しい愛に包まれ、私は本当の自分を取り戻す。
そして明かされる真実。実は、神託こそが偽りだった。
神託を偽った者たちへの復讐も、愛も、全てが加速する。
【完結】二十五歳のドレスを脱ぐとき ~「私という色」を探しに出かけます~
朝日みらい
恋愛
二十五歳――それは、誰かのために生きることをやめて、
自分のために色を選び直す年齢だったのかもしれません。
リリア・ベルアメール。王都の宰相夫人として、誰もが羨む立場にありながら、 彼女の暮らす屋敷には、静かすぎるほどの沈黙が流れていました。
深緑のドレスを纏い、夫と並んで歩くことが誇りだと信じていた年月は、
いまではすべて、くすんだ記憶の陰に沈んでいます。
“夫の色”――それは、誇りでもあり、呪いでもあった。
リリアはその色の中で、感情を隠し、言葉を飲み込み、微笑むことを覚えた。
けれど二十五歳の冬、長く続いた沈黙に小さなひびが入ります。
愛されることよりも、自分を取り戻すこと。
選ばれる幸せよりも、自分で選ぶ勇気。
その夜、彼女が纏ったのは、夫の深緑ではなく――春の蕾のような淡いピンク。
それは、彼女が“自分の色”で生きると決めた最初の夜でした――。
王太子様が突然の溺愛宣言 ―侍女から王妃候補へ―
有賀冬馬
恋愛
王太子付き侍女として地味に働いていた私。
でも陰湿な嫌がらせに限界を感じ辞めたその日に、王太子が突然私のもとに現れて「お前がいないと息ができない」と涙ながらに求婚――
平民出身の地味令嬢ですが、論文が王子の目に留まりました
有賀冬馬
恋愛
貴族に拾われ、必死に努力して婚約者の隣に立とうとしたのに――「やっぱり貴族の娘がいい」と言われて、あっさり捨てられました。
でもその直後、学者として発表した論文が王子の目に止まり、まさかの求婚!?
「君の知性と誠実さに惹かれた。どうか、私の隣に来てほしい」
今では愛され、甘やかされ、未来の王妃。
……そして元婚約者は、落ちぶれて、泣きながらわたしに縋ってくる。
「あなたには、わたしの価値が見えなかっただけです」
「魔力も美貌もない君は、私に釣り合わない」と捨てられましたが? 封印された魔王に溺愛されて、今さら元婚約者が縋りついてももう遅いです
有賀冬馬
恋愛
あの時、「価値がない」と私を見限った彼。
地味で何の取り柄もない貴族令嬢だった私は、魔法学院を追放され、ひっそりと生きていくつもりでした。
でも、運命って不思議なものですね。
山奥で出会ったのは、封印されていたはずの魔王様。
彼は私の秘めたる才能を見出し、惜しみない愛情と知識を注いでくれました。
魔王様のおかげで、私の人生は劇的に変わり、今や世界をも動かす存在に。
そして、私を捨てた彼は、すべてを失い、私の前に現れます。「君が必要だ」
『役立たず』と追放された私、今では英雄様に守られています
ほーみ
恋愛
辺境伯の三女として生まれた私は、リリィ=エルフォード。
魔力もなく、剣も振れず、社交界の花にもなれない私は、いつしか「家の恥」と呼ばれるようになっていた。
「リリィ、今日からお前は我が家の娘ではない」
父の冷たい声が耳にこびりつく。
その日、私は何の前触れもなく、家から追放された。
理由は、簡単だ。「婚約者にふさわしくない」と判断されたから。
公爵家の三男との縁談が進んでいたが、私の“無能さ”が噂となり、先方が断ってきたのだ。
【完結】氷の侯爵と25夜の約束
朝日みらい
恋愛
雪の降る夜、平凡な伯爵家の娘セラフィーナは、義妹アデルの身代わりとして侯爵家に嫁ぐことになりました。
その結婚は愛のない〝契約婚〟。相手は王都で「氷の侯爵」と呼ばれる――ルシアン・ヴァン・ローレンス侯爵。
彼は冷たく、近づく者の心を凍らせると言われています。
「二十五夜のあいだで、私の“真実”を見抜けたら、君を妻として認めよう。
見抜けなければ、この婚姻は無かったことになる」
雪に閉ざされた白銀の館で始まる、奇妙な婚姻生活。
無口で孤独な侯爵と、臆病でまっすぐな花嫁。
互いに閉じ込めた心の扉を、少しずつ開きながら過ごす“二十五夜”とは――。
婚約破棄された令嬢、冷酷と噂の王に拾われて溺愛される
ほーみ
恋愛
白い花びらが散る中、私は婚約者に手を振り払われた。
「もうお前とは終わりだ、リリアーナ。俺はセリーヌと結婚する」
――ああ、やっぱり。
そうなるとは思っていた。けれど、実際に言葉にされると胸が締め付けられる。
「そう……ですか。お幸せに」
「お前みたいな地味な令嬢といても退屈なんだよ。セリーヌのほうが愛らしいし、社交界でも人気だ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる