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辺境伯エリオット様の領地は、王都の華やかさとは対照的に、素朴で自然に囲まれた場所だった。私はそこで、屋敷の一室をあてがわれ、しばらく療養することになった。
「体は、大丈夫か?」
エリオット様は、忙しい合間を縫って、毎日私の様子を見に来てくれた。彼の言葉はいつも短く、感情を表に出すことは少なかったけれど、その瞳の奥には、いつも私を気遣う優しさが宿っているように感じた。
「はい、おかげさまで。もうすっかり元気になりました」
私は精一杯の笑顔で答えた。ロルフ様の屋敷にいた頃は、常に誰かの顔色を窺い、びくびくしていた。けれど、エリオット様の屋敷では、そんな必要はなかった。彼も、使用人の方々も、私を「ただの平民」として蔑むことはなく、一人の人間として扱ってくれた。それが、私にとってどれほど心を安らげることか。
「あの…何か、私にできることはありませんでしょうか?」
体力が回復してくると、私はいてもたってもいられなくなった。このまま、ただお世話になるばかりでは申し訳ない。ロルフ様の屋敷では、メイドとして働いていたけれど、ここでの生活は、まるで客人扱いだった。
エリオット様は、私の言葉に少し考え込んだ後、言った。
「そうか。では、経理を手伝ってもらえるか?」
私は驚いた。経理? 貴族の屋敷の経理なんて、私にできるのだろうか。
「で、ですが、私は…」
「君の書物を読み解く力と、計算の早さは、道中で私が確認した。それに、平民の視点から意見を出すことも、領地運営には必要だ」
エリオット様の言葉に、私は胸が熱くなった。ロルフ様は、私の才覚を「出しゃばり」と嘲笑ったけれど、エリオット様はそれを認めてくれた。彼は、私を「使える人間」としてではなく、「必要としている」と言ってくれているのだ。
私は、翌日からエリオット様の執務室で、経理の手伝いを始めた。膨大な書類の山と、複雑な計算に最初は戸惑ったけれど、エリオット様が丁寧に教えてくれた。彼は、私が理解するまで、何度でも付き合ってくれた。時には、夜遅くまで二人きりで仕事をする日もあった。
そんな日々の中で、私はエリオット様の意外な一面を知った。彼は、無口で表情があまり変わらないけれど、領民のことを誰よりも深く考えている人だった。
「この村の収穫が落ちている。何か原因があるはずだ」
「新しい街道を作ることで、物資の流通が活性化する。だが、そのための予算をどう捻出するか…」
エリオット様は、いつも真剣な顔で、領地の問題に取り組んでいた。そして、私が提案したことにも、真剣に耳を傾けてくれた。
「マリアの言う通りだ。この農具は、改良の余地があるな。職人と相談してみよう」
私が、故郷の村で見た農具の改良点や、平民の生活の知恵を話すと、エリオット様はいつも真剣な顔で頷き、取り入れてくれた。彼の目は、常に民の方を向いていた。
私の提案が、実際に領地の改革に繋がり、領民の生活が少しずつ良くなっていくのが分かった。領民の方々も、私を見るたびに感謝の言葉をかけてくれる。
「マリア様のおかげで、今年の収穫は豊作になりそうです!」
「マリア様が提案してくださった水路のおかげで、水汲みが楽になりました!」
「マリア様! いつもありがとうございます!」
そう言われるたびに、私の心は温かくなった。誰かの役に立つこと。誰かに必要とされること。それは、ロルフ様の屋敷では決して感じられなかった、大きな喜びだった。
エリオット様との距離も、少しずつ縮まっていった。執務室で二人きりで過ごす時間が増えるにつれて、彼は私に個人的な話もしてくれるようになった。
「私は、辺境伯という立場上、あまり感情を表に出すことができない。だが、君と話していると、少しだけ心が軽くなる」
そう言って、彼がかすかに微笑んだ時、私の心臓はドキリと跳ねた。彼の笑顔は、とても珍しく、そして、とても素敵だった。
ある日のこと、執務が終わり、二人で夜空を眺めていた時のことだ。満月が、辺境の広大な大地を優しく照らしていた。
「マリア」
エリオット様の声が、静かに響いた。
「はい」
「君は、この一年で、この領地に大きな光をもたらしてくれた」
彼の言葉に、私は顔を赤らめた。
「そんな…私なんて、何も…」
「謙遜することはない。君の勤勉さと、誠実さが、領民だけでなく、領地内の貴族たちにも認められている。皆、君のことを『辺境の賢女』と呼んでいる」
辺境の賢女……。私が? そんな大それた呼ばれ方をされているなんて、夢にも思わなかった。
「マリア」
エリオット様は、私の手を取り、優しく包み込んだ。彼の大きな手が、私の小さな手を温める。
「君は、これからも私の隣にいてくれるだろうか」
彼の真剣な眼差しが、私の心を捉えた。
「え…?」
「私と、結婚してほしい。辺境伯夫人として、私の妻として、共にこの領地を、そしてこの国を、より良いものにするために、力を貸してほしい」
彼の言葉に、私の頭は真っ白になった。結婚? エリオット様が、私に? 信じられない思いで、私は彼の顔を見つめた。彼の瞳は、真剣そのものだった。
「私で、よろしいのでしょうか…平民の私など…」
私は震える声で尋ねた。ロルフ様の言葉が、ふと脳裏をよぎる。平民のくせに。身の程知らず。
「関係ない。私は、君という人間を求めている。君の才覚も、優しさも、すべてを。君の過去は、私がすべて受け止めよう。そして、未来は、君と共に築きたい」
エリオット様の言葉は、私の心の奥底まで届いた。ロルフ様との婚約は、私にとって地獄のような時間だったけれど、エリオット様との出会いは、私に新たな希望を与えてくれた。彼となら、きっと幸せになれる。彼となら、どんな困難も乗り越えられる。そう、確信した。
私の目から、熱いものが溢れ出した。それは、悲しみや絶望の涙ではなかった。温かく、喜びに満ちた涙だった。
「はい…! 喜んで…!」
私は、エリオット様の手をぎゅっと握りしめた。彼の温かい手が、私を包み込んでくれる。この瞬間、私の世界は、色鮮やかな光に満ち溢れた。
「体は、大丈夫か?」
エリオット様は、忙しい合間を縫って、毎日私の様子を見に来てくれた。彼の言葉はいつも短く、感情を表に出すことは少なかったけれど、その瞳の奥には、いつも私を気遣う優しさが宿っているように感じた。
「はい、おかげさまで。もうすっかり元気になりました」
私は精一杯の笑顔で答えた。ロルフ様の屋敷にいた頃は、常に誰かの顔色を窺い、びくびくしていた。けれど、エリオット様の屋敷では、そんな必要はなかった。彼も、使用人の方々も、私を「ただの平民」として蔑むことはなく、一人の人間として扱ってくれた。それが、私にとってどれほど心を安らげることか。
「あの…何か、私にできることはありませんでしょうか?」
体力が回復してくると、私はいてもたってもいられなくなった。このまま、ただお世話になるばかりでは申し訳ない。ロルフ様の屋敷では、メイドとして働いていたけれど、ここでの生活は、まるで客人扱いだった。
エリオット様は、私の言葉に少し考え込んだ後、言った。
「そうか。では、経理を手伝ってもらえるか?」
私は驚いた。経理? 貴族の屋敷の経理なんて、私にできるのだろうか。
「で、ですが、私は…」
「君の書物を読み解く力と、計算の早さは、道中で私が確認した。それに、平民の視点から意見を出すことも、領地運営には必要だ」
エリオット様の言葉に、私は胸が熱くなった。ロルフ様は、私の才覚を「出しゃばり」と嘲笑ったけれど、エリオット様はそれを認めてくれた。彼は、私を「使える人間」としてではなく、「必要としている」と言ってくれているのだ。
私は、翌日からエリオット様の執務室で、経理の手伝いを始めた。膨大な書類の山と、複雑な計算に最初は戸惑ったけれど、エリオット様が丁寧に教えてくれた。彼は、私が理解するまで、何度でも付き合ってくれた。時には、夜遅くまで二人きりで仕事をする日もあった。
そんな日々の中で、私はエリオット様の意外な一面を知った。彼は、無口で表情があまり変わらないけれど、領民のことを誰よりも深く考えている人だった。
「この村の収穫が落ちている。何か原因があるはずだ」
「新しい街道を作ることで、物資の流通が活性化する。だが、そのための予算をどう捻出するか…」
エリオット様は、いつも真剣な顔で、領地の問題に取り組んでいた。そして、私が提案したことにも、真剣に耳を傾けてくれた。
「マリアの言う通りだ。この農具は、改良の余地があるな。職人と相談してみよう」
私が、故郷の村で見た農具の改良点や、平民の生活の知恵を話すと、エリオット様はいつも真剣な顔で頷き、取り入れてくれた。彼の目は、常に民の方を向いていた。
私の提案が、実際に領地の改革に繋がり、領民の生活が少しずつ良くなっていくのが分かった。領民の方々も、私を見るたびに感謝の言葉をかけてくれる。
「マリア様のおかげで、今年の収穫は豊作になりそうです!」
「マリア様が提案してくださった水路のおかげで、水汲みが楽になりました!」
「マリア様! いつもありがとうございます!」
そう言われるたびに、私の心は温かくなった。誰かの役に立つこと。誰かに必要とされること。それは、ロルフ様の屋敷では決して感じられなかった、大きな喜びだった。
エリオット様との距離も、少しずつ縮まっていった。執務室で二人きりで過ごす時間が増えるにつれて、彼は私に個人的な話もしてくれるようになった。
「私は、辺境伯という立場上、あまり感情を表に出すことができない。だが、君と話していると、少しだけ心が軽くなる」
そう言って、彼がかすかに微笑んだ時、私の心臓はドキリと跳ねた。彼の笑顔は、とても珍しく、そして、とても素敵だった。
ある日のこと、執務が終わり、二人で夜空を眺めていた時のことだ。満月が、辺境の広大な大地を優しく照らしていた。
「マリア」
エリオット様の声が、静かに響いた。
「はい」
「君は、この一年で、この領地に大きな光をもたらしてくれた」
彼の言葉に、私は顔を赤らめた。
「そんな…私なんて、何も…」
「謙遜することはない。君の勤勉さと、誠実さが、領民だけでなく、領地内の貴族たちにも認められている。皆、君のことを『辺境の賢女』と呼んでいる」
辺境の賢女……。私が? そんな大それた呼ばれ方をされているなんて、夢にも思わなかった。
「マリア」
エリオット様は、私の手を取り、優しく包み込んだ。彼の大きな手が、私の小さな手を温める。
「君は、これからも私の隣にいてくれるだろうか」
彼の真剣な眼差しが、私の心を捉えた。
「え…?」
「私と、結婚してほしい。辺境伯夫人として、私の妻として、共にこの領地を、そしてこの国を、より良いものにするために、力を貸してほしい」
彼の言葉に、私の頭は真っ白になった。結婚? エリオット様が、私に? 信じられない思いで、私は彼の顔を見つめた。彼の瞳は、真剣そのものだった。
「私で、よろしいのでしょうか…平民の私など…」
私は震える声で尋ねた。ロルフ様の言葉が、ふと脳裏をよぎる。平民のくせに。身の程知らず。
「関係ない。私は、君という人間を求めている。君の才覚も、優しさも、すべてを。君の過去は、私がすべて受け止めよう。そして、未来は、君と共に築きたい」
エリオット様の言葉は、私の心の奥底まで届いた。ロルフ様との婚約は、私にとって地獄のような時間だったけれど、エリオット様との出会いは、私に新たな希望を与えてくれた。彼となら、きっと幸せになれる。彼となら、どんな困難も乗り越えられる。そう、確信した。
私の目から、熱いものが溢れ出した。それは、悲しみや絶望の涙ではなかった。温かく、喜びに満ちた涙だった。
「はい…! 喜んで…!」
私は、エリオット様の手をぎゅっと握りしめた。彼の温かい手が、私を包み込んでくれる。この瞬間、私の世界は、色鮮やかな光に満ち溢れた。
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