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6 逃げなくちゃ、なのに

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 昨日の夕方から夜中まで降り続けた雨の為か、街路樹の葉が相当散っていた。
 雨に濡れた枯葉は重なり合い、地面に張り付いている。
 ひやりとした朝の空気に、秋の深まりを感じる。
 十一月四日土曜日。
 うちの学校は第二第四土曜日は休みだが、それ以外の土曜日は授業がある。
 第1週目の土曜日である今日は、登校しなくちゃいけない。
 俺は今日も、十五分早い登校となり、校舎内の生徒はまばらだった。
 玄関から教室に行く途中、中庭の風景が校舎の窓から見えた。
 想像通り、枯葉が相当地面におちている。
 濡れているし、今日の掃除は大変そうである。
 まあ今日で最後だし、来週は掃除当番はない。

 木曜日、結局授業は最後まで受けて家に帰った。
 夏目が特別俺に近づいてくることはなかったし、もちろん、俺から近付くこともなかった。
 彼の手が届く範囲に近づくのは怖い。
 あの匂いが、俺の理性を奪い去ろうとしているように思えるからだ。
 アルファのフェロモンだと夏目は言っていたけれど、一之瀬は気が付いているそぶりはなかった。
 ためしに聞いてみたら、きょとん、とされた。
 同じベータでも、あの匂いがわかるやつとわからないやつがいるのだろうか?
 それとも特定の相手にしかわからない様に匂いを出せるとか?
 いや、そんな器用なことできるとは思えないけど。だって、匂いだし。
 まさか本人にこの匂いのことを聞くわけにもいかず、というか聞いちゃいけない気がして、俺は悶々としていた。
 昨日は祝日でのんびりできたとはいえ、朝はやっぱり眠い。
 俺は机に突っ伏して、時間がたつのを待っていると徐々に聞こえてくる声が増えていく。
 話題はもっぱらドラマやアニメ、漫画などだった。
 
「しゅーり。今日も早いな、お前。またなんか見たの?」

 ライの声に、俺は顔を上げた。

「まあ、そんなところ」

 と、俺は曖昧に答える。
 べつに昨日今日と予知を見たわけじゃないけれど、俺が早く登校しているのは、ご近所さんの死を予知してしまったからなので、嘘はない。
 ライは、笑って、

「お前、やっかいだよなー。その眠くなる副作用ってやつ」

 と言った。

「まあ、しょうがないけどさー。せめてコントロールできればいいのに」

「ははは。まあ、好きなものだけ予知して、それで眠くなるんならまあ納得だけど、別にどうでもいい芸能ニュースとか予知して寝落ちしてももやっとするもんな」
 それ、この間あったわい。
 っていうかそう言うやつ予知するたびに、やるせない気持ちになる。
「でも最近多くね?」
「いや……もともとやたら続くときもあれば全然見ない日が続くときもあるから。たぶんいつもとかわんねーよ」

 見たり見なかったり。忘れた頃にやって来たり。
 本当にこの力は気まぐれなのだ。
 ライが自分の席へと去り、俺はひとつ小さな欠伸をした。
 と、そのときだった。
 頭の中に映像が浮かんだ。

 ここはどこだろう。
 場所がぼんやりとして、よくわからない。
 ベッドがある。
 そのベッドの縁に誰か座っている。
 夏目だ。と、直感的に思った。
 いや、顔が見えているわけじゃないのだけれど、なぜだかそう思った。
 ベッドに座る彼の股の間に、誰かが蹲っている。
 何をしているのか、直感的に気が付く。ああ、あれはフェラしてるんだ。
 でも、なんで? なんでこんな映像見てるんだ、俺?

「       」

 夏目が何か言ってるけど、何を言ってるのかわからない。
 これ以上見ちゃいけない。そんな気がして、俺はこの予知を見たくない見たくないと、必死に訴えた。
 いや、こんなことして予知を強制的に終了させられるかなんてわかんないけど。
 映像が消え去り、誰かが俺の顔を覗きこんでいることに気がついた。
 夏目の、きれいな顔がすぐ目の前にある。
 口が動くよりもさきに、眠気が襲い来る。俺は、大きく欠伸をした。この眠気ならなんとか耐えられるはずだ。

「戸上? また何か見たの」

 あぁ、まずい。こんな近い距離にいたら、また匂いに囚われる。
 俺は、口と鼻を抑え首を横に振る。

「だい、じょうぶ。これくらいなら」

 そんなことより、早く俺から離れて欲しい。匂いに俺が囚われる前に。

「気分でもわるいの?」

 匂いだけじゃなく、甘い声が俺の脳を侵してくる。
 やばい。だめだ。
 そう思うのに、眠気のせいで俺は動けなかった。
 俺が反応しないでいると、手が俺の左腕に触れた。
 甘い匂いがする。強く、夏目の身体から漂ってくる。
 こんな手の届く距離にいたら危険なのに、俺はなんで逃げないんだ。

「保健室に、連れていこうか」

 俺の答えなどまたず、夏目は俺を立たせると強制的に教室から連れ出した。
 眠くなければ抵抗できただろうに、今の俺にはなにもできない。
 ただ、彼に導かれるままに、保健室へと連れていかれてしまった。
 慣れた保健室の匂いは、夏目の匂いに徐々に侵食されていく。
 布団からも彼の匂いがするような気がして、俺は正直落ち着かなかった。

「べつ、に……大丈夫なのに」

 ベッドに半ば強制的に座らされながら、俺はなんとかそう主張した。

「そう? それにしては辛そうだけど」

 言いながら、彼は俺の身体をゆっくりとベッドに横たわらせる。

「それ、は……夏目の匂いが……」

 そう俺が主張すると、彼はじっと俺の顔を見つめた。

「匂いが、なに?」

 言いながら、彼は俺に覆い被さってくる。
 匂いが俺の身体を包むかのような感覚を覚え、俺はくらくらした。
 夏目の綺麗な顔が、すぐ目の前にある。
 キスでもするんじゃないかと思うほど、すぐそこに。
 その状況に、俺は思わず声を漏らした。

「あ……」

「どうしたの、朱里」

 甘い声で名をよばれ、俺はびくん、と身体を震わせた。
 ダメだと、理性が叫んでるのに俺は金縛りにあっているかのように、動けない。

「甘い、匂い……夏目の……」

 途切れ途切れにそう言うと、夏目の手が俺の頭を撫でた。

「俺の匂いが、なんなの」

 手が頭から頬に滑り落ち、Yシャツのボタンへとかかる。

「匂いが……すると、俺、動けなくなる……」

「あぁ、君は、俺の匂いに敏感なんだね」

 と、笑いを含んだ声で言いながら、夏目は俺のシャツのボタンを、一つはずした。

「最初は、突然寝落ちしたからどうしようかと思ったけど。君には俺の力が通じないみたいなのに、匂いは通じて。ベータなのにアルファのフェロモンにやられる人って珍しいよね、朱里」

 そして、また一つボタンが外される。
 何を彼がしようとしてるのかわからず、俺は大きく息を吐き、夏目を見つめた。

「オメガでもないのに、このフェロモンがわかるのに、俺の力……精神干渉が効かないのなんて面白くって。じゃあ、精神干渉しないで落とせるのかなってちょっと試してみたくなったんだよね」

 またひとつ、ボタンが外れる。
 精神干渉。それって夏目の能力の事、だよな。それってスゲー厄介だ。相手の心を操るってことは、その気がなくてもこいつに抱かれるってことだよな……なにそれ怖い。

「ねえ、朱里。この匂いは、嫌?」

 言いながら、彼は小さく首をかしげた。
 嫌だと言うより、怖い。匂いが俺から理性を奪い去ろうとしている気がして。
 今だって匂いにやられて、俺の身体の中心が熱を帯び始めている。
 一つずつ、ゆっくりとボタンが外され、俺の肌が彼の目の前に晒されてしまうのに、俺は抵抗できなかった。
 彼の手が、俺の胸をすっと撫でる。ただそれだけなのに、俺は思わず吐息を漏らしてしまう。

「あ……」

「可愛い声だね、朱里」

「ん……なつ、め……?」

 何を考えてるんだ。
 男なのに、胸を撫でられて俺は……喜んでる?
 なんで、もっと触って欲しいって思ってるんだろう。

「い、や……夏目……」

飛衣とい 、だよ。朱里」

「飛衣……」

 言われた通りに彼の名を呼ぶと、彼は良くできましたと言って、口付けてきた。
 触れるだけの、本当に短いキス。
 そんなキスでも、俺を混乱させるには十分だった。
 俺、キスした? 夏目と? え?
 俺の混乱をよそに、彼は離れていってしまう。

「あ……」

 思わず声を漏らすと、彼はくすりと笑った。

「ここは、学校だしね。朝礼始まるから、俺は戻るよ」

 ああそうだ。ここは学校だ。
 その事実を、俺は一瞬忘れていた。
 彼は俺の身体に布団をかけると、耳元に口を近づけて言った。

「いい子にしていたら、もっとあげるよ、朱里」
 低く甘い声でそう告げて彼は離れていき、しゃーっと音を立てて、カーテンが閉じる。
 ドアが開閉される音が響いたあと、静寂に包まれた。
 あぁ、俺。あの腕が届く距離になんて近付いちゃいけないって思ったのに。
 このままじゃ俺は、彼に絡めとられてしまう。
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