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8気になること

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 引っ越してきた当初はひとりきりだった食堂が、今とても賑やかになっていた。
 ユリアンが増え、マティアス様が増えて。
 今日はリュシーも一緒だ。
 リュシーが一緒に食事とか、実家ではありえないことだ。
 だって彼女は侍女で、私と一緒に食事なんてとったことなんてなかった。
 実際彼女も恐縮したような表情を浮かべている。

「本当によろしいのでしょうか……私なんかが一緒で」

 なんてリュシーが呟くと、ユリアンが不思議そうな顔をする。

「なんでリュシーさん、そんなこと言うの? ご飯は皆で一緒に食べるものでしょ?」

 するとリュシーは苦笑して、

「それはそうなのですが……エステル様はともかく……マティアス様まで……」

 なんて呟く。
 何と言ってもマティアス様はフラムテール王国の第二王子。
 うちみたいな小国とは格が違いすぎるもんねえ。
 正直私だって直接言葉を交わすことは一生ないかもしれないくらい身分の差がある。
 マティアス様は、盆にのったお茶の入ったカップを食卓に置きながら微笑んだ。

「俺は気にしないですよ?」

「は、はい……」

 リュシーは気まずそうに俯いてしまう。
 食卓に並んだ食事を作ったのはリュシーなのだけれど、マティアス様もだいぶお手伝いをされたとか。それは本人が嬉しそうに私たちに報告してきた。
 バケットにスープ。サラダにお肉を焼いたものとプロシュート。ごくごく普通の夕食だ。
 家事なんて絶対ありえないであろう王宮で育ったマティアス様がこれを用意するのを手伝ったのかと思うと、なんとも不思議な気持ちになる。
 というか、この人どこを目指しているのだろうか?
 商会に就職してみたり、私の家に同居したり。不可思議な人だなあ。

「なんでリュシーさんはマティアスさんのこと『様』をつけて呼ぶの?」

「それはマティアス様がエステル様の……」

「あーあー、ねえリュシー、スープのおかわりはあるの?」

 リュシーの言葉を遮るように私が言うと、ユリアンが私の顔と食卓のお皿を交互に見て言った。

「スープ、まだ半分も残ってるじゃない。姉ちゃんもリュシーさんも変なの」

 だってユリアンは私の素性もマティアス様の素性も何にも知らなくて、町の人たちだって私たちのことは何も知らないんだもの。
 私としては皆に私の素性をできれば隠しておきたい。
 神官見習いのエステルでいたいから。



 賑やかな夕食を終え、片づけも済ませたリュシーが帰宅したあと。
 私は部屋で飲むためのお茶を用意しようと台所に向かった。
 お風呂の後、私は毎晩部屋でお茶を飲みながら本を読むのが日課たっだ。
 だから私は数種類の茶葉を購入している。
 台所に入ると、そこには人影があった。
 マティアス様だ。
 ポットを手にした彼は、私に気が付くと微笑んで言った。

「ちょうどお茶を淹れようとしていたんだ。どれを飲むの?」

「え、あ……あの、青い瓶のを、じゃあ」

 棚に並べられた七つの瓶は七色に分かれていて、それぞれ違う茶葉が入っている。
 マティアス様はポットを台の上に置くと、私が指し示した瓶を手にした。それのふたを開けて、中の茶葉をポットに入れた。
 って、え?

「あ、あの、マティアス……さん?」

「何?」

「お茶……」

 戸惑う私をよそに、マティアス様は待ってて、と言ってお茶を淹れてくれた。
 何をしてくれているんだろうか。
 いや、嬉しいよりも戸惑いの方が大きい。
 毎晩私がお茶を飲むのを知っているのはさておき、なんでマティアス様が淹れてくれるの?

「あのなんでお茶を……」

「俺も飲みたかったし」

 そして、マティアス様はカップを示す。

「すみません、ありがとうございます」

 そして私は頭を下げた。

「エステルさん」

「はい?」

 カップに手を伸ばそうとしたとき名前を呼ばれ、私は彼を見た。
 
「今日、ユリアンの家に行って来たんだけれど、子供は彼ひとりなんだよね? あと彼には親戚とかはいない?」

 その問いかけに私は頷いた。

「はい、ユリアンしかいないはずです。親戚は少なくともこの近辺にはいないし、ユリアンも知らないって言っていました」

「そっかー」

 と呟き、マティアス様はカップを口につけた。
 いったい何が気になっているんだろうか?

「あの、何か気になることが?」

 私の問いにマティアス様は首をかしげて言った。

「作りかけの編み物があって、大きさがどう見ても赤ちゃんの大きさだったから」

 え、編み物?
 そういえば編みかけの編み物があった。何を作ろうとしていたのか全く分からなかったけれど。
 赤ちゃんの大きさってどういうこと?

「妊娠していたのか、それとも身近に赤ちゃんが生まれる予定があったのかなって思って。赤ちゃんの服も出してあったから」

「全然気が付かなかったです」

 何度も家に行ってるのに私……
 でもユリアンのお父さんは亡くなっているし……妊娠していたってあり得るだろうか? でも獣人て人間より妊娠期間が長いんだよなあ。

「まあ、憶測でしかないけれど、獣人の大人が無抵抗に連れ去られるなんて考えにくいんでしょ?」

「はい。だって人間より力もあるし、彼らのほとんどは魔法が使えますから」

 だから誘拐犯も大人を狙ったりはしない。ユリアンのような成人していない子供を狙うのだ。

「妊娠していたなら抵抗なしで連れて行かれたのも説明がつくかなと思って」

 そう言われれば確かにその可能性はゼロではないかも。ユリアンのお母さんはゆったりとした服を着ていることが多くて、お腹の大きさは全くわからなかったな。
 ユリアンも知らなさそうだし。

「エステルさん」

 コップを置く音が静かに聞こえた後、彼が私に歩み寄ってきた。
 驚いて彼を見上げると、すぐそこに顔があることに気が付く。
 薄い緑色の瞳と視線が合う。
 な、何、顔、近いんですけど。
 ドキドキしながら彼を見つめていると、マティアス様は言った。

「化粧している顔も可愛いけど、素の顔も可愛いね」

 その言葉を聞いて、私は顔中の温度が一気に上がるのを感じた。

「な、な、な、何を言い出すんですか急に!」

 恥ずかしさのあまり私は一歩さがって下を俯く。

「君が十三になった歳から化粧するようになったでしょ? そうしたら急に大人に見えてさ。なぜかどきどきしたんだよね。それまではあまり気にしていなかったし、父親に言われるままに会っていただけだったから」

 確かに、いつからか化粧するようになりましたよ。でもそれは侍女がするっていうからしていただけで、私の意思はあまり関係ない。
 身だしなみとして最低限の化粧はしなさいと言われてもいるし。
 マティアス様と会うときはなぜか気合い入ってたなあ、侍女たち。

「それから俺、毎年君に誕生日の贈り物をするようになったんだよね。次はどんなふうに変わるのかなって楽しみになって。女の子ってたった一年ですごく変わるよね」

「贈り物って……あ……」

 言われてみれば、ある年から毎年マティアス様から誕生日に何かもらっていたっけ。
 婚約はなかったことに、って言った時にきたドレスも誕生日の贈り物だったし、去年ここに越してきてからも食器類が送られてきたっけ。

「次の贈り物はこの間あげた指輪になるといいんだけどな」

「いや、私なんて諦めてくださいってそもそも言ったと思うんですがなんでこんなことに。
 縁談はいいんですか?」

「俺の縁談なんて、父親が片っ端から潰しているよ。君の父上との約束があるからって」

「え、嘘」

 なんで酔った勢いでした約束を、そこまで律儀に守ろうとするのよ。

「君はどうなの? 君にもたくさん縁談があると俺は聞いているけれど。だからてっきりその中の誰かと結婚するのかと思ったんだ」

「すみません、縁談て何のことですか?」

 私に縁談なんて来たことないぞ。むしろこなさ過ぎて一度落ち込んだことがあるくらいだ。
 するとマティアス様は、ああ、そう言うことかと呟いた。

「俺のところには君に縁談を申し込んだって言う話がいくつか届いていたけれど、俺と一緒かな。きっと君の父上が断っているんじゃないかな。許嫁がいるとか言って」

 私に縁談あるなんて聞いたことないぞ。そういうのがあるなら教えてくれたらいいのに……
 友達が成人前に縁談がきたってはしゃいでて、エステルにはないの? って聞かれるたびに心が傷ついていたというのに。

「でも違っててよかった。何もする前に振られるなんて嫌だったし」

「いや、私は別に結婚とか興味ないですから」
 
 言いながら首を振ると、頬に手が触れた。
 この手、誰の手……なんていう間抜けな考えが頭をよぎる。
 いや、ひとりしかいないんだけどさ。
 顔を上げると、マティアス様の顔がすぐそこにあった。
 すっと目を細めて、彼は私を見つめている。あの、顔近すぎやしませんか? 恥ずかしすぎるんですけど。

「結婚に興味なくても、俺に興味を持ってほしいな」

 そう呟いて、マティアス様は私から離れていく。

「じゃあね、エステルさん。おやすみなさい」

 絶対今、私の顔は真っ赤に染まっている。
 いや、顔だけじゃなくって身体もかも知れない。

「お、お、おやすみ、なさい」

 カップを手に去るマティアス様の背を、私は呆然と見送った。
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