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第22話 第一部 21・4継(ヨンケイ)400mリレー
しおりを挟むサブトラックでリレーの練習が始まってすぐ、中川健太郎の話になった。400mを66秒で走りきったことに「やるね、あのむっつり君」と山野憲輔さんが僕にバトンを渡しながら言った。
「何すか、その、むっつり君って?」
坪内航平が聞いた。ジョギングしながらのバトン練習もトラック3週目に入り、そろそろダッシュに移る時間だ。
「いや、あいつほとんど表情変えないし、言葉も少ないけどよ、この前バッグの中に水着写真集入ってんの見つけたんだ。」
「練習のときっすか?」
「部室でさ」
「いいんじゃない。健太郎もちゃんと男だったってことだし」
大迫さんが笑った。
「だれのだったの?」
「名前は知らない女の子だ」
「グラビアアイドルとかそんな感じだったな」
「ネットだなきっと」
「健太郎も普通に成長していたってわけで、めでたしめでたしじゃないの」
「あいつ走ってるとき何考えてるのかな」
「それはお前、水着ギャルじゃねえだろうよ」
学校の練習でこんな会話になったことは今まではなかった、学年が違うこともあるし、一緒にいる時間も限られていた。大迫さんと会話することなんか今までになかったかもしれない。山野さんの声もこんなに近くで聞いたことはなかった。試合になるとこんなところにも楽しみがあるのだ。そして切り替えの上手さがこの人たちの賢さの理由なのかもしれない。
「おまえは1番後ろのラインからスタートしろよ、4歩で左手。いいな。マークは、15足長、内側に寄るな。最初は外側にいろよ。いいか」
「はい、練習通りいきます」
「スタート位置は、調整してもいいから、最初はまず15で行ってみるぞ」
「わかりました」
サブトラックで50mのバトン練習が始まった。山野さんが15足長のマークに差しかかり僕がスタートを切る。4歩目に左手を後ろに伸ばし手のひらを上に向け、バトンをしっかりと奪い取る。が、すぐに追いつかれてしまう。マークを18にしてもう1度。今度は届かない。僕と山野さんのところだけがうまくいかない。
「こら、野田、しっかり走れ! 疲れてしまうだろう!」
坪内航平が怒鳴る。
「おまえは今、頭で走ってるからだ、もう少ししたら体で考えるようになるからいつものスピードになるはずだ。このまま行こう。15だ。練習通り15。何としても合わせる。いいか。全力で走れ、俺が何とかするから」
「すいません。全力で行きます。お願いします」
リレーの練習でしっかり体が温まったと思った頃から雨になった。今は小降りだが今後の予報は良くない。午前中はずっとこうだという。レンガ色を鮮やかにしたゴム製のトラックは雨に濡れて光っていた。サブトラックにいた時よりも少し強くなってきた。でも寒さは感じない。
女子の400mリレーはアンカーの山野沙紀までバトンがつながらなかった。3年生の北田由美が泣いていた。初めての決勝進出を目指していたのだ。男子は北翔高校と同組の2組目となった。1組目では札幌第四高校が43秒12で1着となっていた。2着プラス2で決勝を目指すのだが、44秒台前半が目標となりそうだ。
7レーンから坪内航平が飛び出した。後半内側の2校に詰められたが3校がほぼ同時に第2走者につないだ。大迫勇太は流石に速く、すぐにトップに立った。カーブの奥で山野憲輔にバトンが渡った時には2mくらいの差があった。カーブを回りきって近づいてくる山野さんの顔に執念を感じた。
「ゴー!」という大きな声。左脇の隙間から15足長のところにあるマークを見ていた僕は、浅いレフトフライでタッチアップする時と同じように右足のスパイクを路面にしっかりと打ち込んで待った。左脇のあいだからマークの位置だけをしっかりと見ていた。山野さんの声なのか他校の人なのか、はっきりとしないまま自分の目で見えたマークの通過をスタートの合図とした。レーンの右側ギリギリを走り、4歩目で左手を後ろにいっぱいに伸ばして。手のひらを上に向け指をしっかり開いた。右肘を小さくたたみピッチを上げるために素早く振ってスピードを上げていった。
「ハイ!」という声とともに手のひらに冷たく硬いバトンの感触がやってきた。全力で握り奪い取るように引き抜いた。バトンの先端ギリギリの不安がよぎった。思わず右手に持ち替え握り直していた。
先頭で走っていたはずが、前を向くと3レーンの北翔高校山崎昇が2mほど前で5レーンの恵北高校と先頭争いをしていた。アウトレーンの南が丘は直線になって初めて本当の位置がわかった。2着取りのこのレースでは何が何でも前の2人のうちの1人を交わさなければならない。
「言い訳できない!」
「野田くんでかわすの!」
山口さんの言葉が聞こえてきた。肩に力が入った。腕を大きく振った。5レーンの選手を追いかけた。ゴールが近づいてきた。山崎昇のスピードが上がっている。
「おー!」
歓声が一気に大きくなった。追いつけない。速い。腕の振りが力強い。
「負けるか!」
スタンドからの声がいろいろな音になって耳に届いた。白線を次々に通過し、左に体をひねるようにゴールに胸を突き出した。
「交わした! かもしれない……」
5レーンの選手もこっちに顔を向けていた。無理な体勢のフィニッシュだったらしく、僕はゴール後バランスを崩して外側のレーンに倒れ込んでしまった。ようやく治りかけていた膝の傷がまた開いて血が滴っていた。
坪内航平がやってきて、バトンを受け取り、右手を出して引っ張り起こしてくれた。
「かわしたぞ!いいフィニッシュだったぞ!」
初めて聞く坪内さんの褒め言葉だった。
山崎昇の力強さが強烈に頭に残った。北翔高校のタイムは43秒45。これでも札幌四高に届いていない。南が丘は44秒18のタイムで2位に食い込んだ。3組目は東栄高校が44秒14で1位となった。決勝進出校の中で南が丘は5番目の記録だった。決勝は午後6時から行われる。
「なんでお前、バトン持ち替えた?」
山野憲輔が言った。
「えっ、持ち替えました?」
全く覚えていない。
「バトンの先端だったからだろう?」
大迫勇太さんが言った。決勝進出でひと安心という感じの話し方だった。
「スタート速かったぞ!」
「ゴー!って言いました?」
「言わないだろ!いつも」
山野さんは怒ってはいない。
「ちゃんとマーク通りに行けよ!」
「ゴー!って山野さんが言ったようで」
「試合になるとさ、いつもと違う感覚になるんだ。だからいつもと同じことしかやらない。特別なことやったら失敗するんだ。いいか、ちゃんと覚えとけ!」
大迫さんは冷静だ。山野さんが続いた。
「俺はいつもと違うことはしないからな!」
「分かりました」
「さっきのはバトン持ち替えて正解だ。でも、それでタイムは少し落ちたはずだ。バトンがうまくいけば持ち替えなくていいからな。」
「ほら、青木もほっとした顔してる」と大迫さんは明るかった。
「ノダケンやるじゃん!」とテントの中からタクが出てきた。
タクの走り高跳びは激戦だったようで、180センチを超えたところで5人の選手が残り、次の高さを跳べなかった3人の中でタクが試技数の関係で4位となり全道大会に進出した。今はもう珍しくなったベリーロールにこだわった彼の助走は、上下動の激しいゆっくりとしたスピードで進む。踏切地点の手前で極端に重心が下がり、足の振り上げというよりも膝の曲げ伸ばしで上向きの力を生み出しているように見えた。そして、跳び上がってからのタクの身のこなしは誰よりも上手で、バーのぎりぎりを滑るように越えていった。まさに腹を下にして……、ベリー(腹)をロール(回す)する跳び方だった。右手をバーの向こう側へ落とし込むようにして越えていた。最後に残った左足にさえちゃんと意識があるようにバーのギリギリをかわしていった。
沼田先生がテントにやって来た。
「決勝だな!よかったな山野。コーナーで危なかったぞ。インを意識しすぎだ。もっと、ゆったり回っても大丈夫だ」
そして、僕の肩を右手でつかみ、笑いながら言った。
「野田、アンカーはな、目一杯リキんで走れ!」
「はい?」
「リレーのアンカーなんてな、冷静に力抜いて走るなんてできないもんだ。逆にな、前にいるやつを必ず抜いてやるって、負けたくない気持ちだけが力になるもんだ。最後はな、全身の筋肉で前にいるやつを追っかけるんだ。それで負けたらしょうがねえ。いいか、決勝はがむしゃらにいけ。お前のそのパワーを見せてやれ!」
3人の先輩たちが笑っていた。
「先生、いつもと違うこと言ってますよ。最後まで必要な力以外は使うなって練習で言ってます」
「野田はお前たちとは違う。こいつは頭では走れない。気持ちが入らなきゃ力が出ないやつだからな」
大迫さんが大きくうなずいた。
「そうだ野田、お前の腕振り強烈だから、札幌第四のハチマキ引っ張ってさ、抜いてやれよ」
「うちにもハチマキあったはずですよね?」
「いいよ、それは、南ヶ丘のイメージ崩れるよ」
全道大会に出られるという気持ちが、みんなの口を軽くしているようだった。
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