「南風の頃に」~ノダケンとその仲間達~

kitamitio

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第23話 第一部 22・転倒!

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八種競技2日目の最初の種目、110mジュニアハードルが始まる。

合同練習からの2週間で、清嶺高校の上野先生からスピードを落とさずにハードルに向かう練習を教えてもらった。3台抜かして跳ぶスピード練習もしてきた。ほんのちょっとだけ自信らしきものも生まれていた。インターバルのリズムのイメージは出来上がっていた。
大丈夫だ。前半の得点は予想外にもトップだ。思い切ってやれる。この程度の雨なんかどってことない。
リレーの結果は気持ちを楽にしてくれていた。

昨日と同じ3レーンにスタブロをセットした。スタート位置は昨日より10m手前になる。セットを終えて1本だけ走ってみる。1台目、低くスピードに乗って越えていく。インターバルの3歩のリズムも楽に走れている。2台目もいいリズムで越えられた。大丈夫だ。スタート地点に戻り合図を待った。雨は少しだけ小降りになっている。濡れた体にも寒さは感じない。

スタートのタイミングの取り方にも慣れて来た。ピストルへの反応は誰よりも速かった。1台目に跳びかかった。抜き足を少しこすったがいいリズムだ。スピードに乗っている。2台目も強く踏み切れた。左腕のリードを強く意識しながらリズムよくインターバルを刻む。前には誰もいないことが分かった。スピードは十分だ。3台目、右足の振り下ろしもしっかりと決まった。
「……! いける!」
イメージ通りに進んでいる。4台目、さらにスピードに乗ってきた。左腕に合わせて右腕にアクセントをつけて上体を深くベントさせ、左足を抜く。抜きのスピードはインターバルのスピードにつながる。
「もっといける!」

スピードを更に上げようとしたことで必要以上に左足に力が入ってしまったらしい。つま先が上を向き踵がハードルに引っかかった。身体が少し前に傾き右足の着地点が手前になった。踵の引っかかった左足が戻ってこない。膝が上がらず右足の横にバタンと着地した。右足が外に流れる。左足を無理して真っ直ぐに戻して踏み切った。が、身体が前に向かわない。振り上げた右足が伸びきらず、高さも足りない。
5台目……。ハードルが本物の障害物となった。ついに僕の右足はハードルを踏み倒し、大きくバランスを崩して、レーンの右側ぎりぎりに飛びこんでいった。倒れたハードルの脚が左のくるぶしの下あたりを切り裂いた。前のめりになったままの僕はこらえることができずにそのまま自分のレーンに頭から突っ込んだ。

柔道の受け身のように左手を曲げて1回転して起き上がろうとすると、目の前に6台目のハードルがあった。
「アー!」
「ウワー!」
どよめきのような叫び声がスタンドからやって来た。振り返ると倒したハードルが自分のレーンに通路を開け、早く通れと言っているようだった。
「まだだ!」
まだ、ハードルは半分残っている。とにかくゴールしなければ。立ち上がった。が、目の前のハードルは越えられない。手を使ったり、故意に倒してしまうと失格となる。もう1度5台目のハードルまで戻って助走を付け直して6台目を超えた。スピードは付けられない。インターバルを3歩で行くことなどできず高跳びを繰り返すように、とにかくゴールを目指した。全員がゴールしてからしばらくして、やっとゴールラインにたどり着いた。先にゴールしていた7人みんながこちらを向いていた。佐々木宏太の顔があった。喜多満男が見つめていた。スタンドからいくつかの拍手が聞こえてきた。

「大丈夫ですか?」
尋ねたのは両足から血を流したままの僕の方だった。
「君は? 大丈夫か?」
ゴール前の観察員の先生が聞き返した。
「いや、ゴールは認められますか? 失格になりませんか?」
「だいじょうぶだよ」
横から声をかけてくれたのは年配の判定員の方だった。右手の白旗をあえて上げて見せてくれた。
25秒58。とにかく記録は残せた。気持ちが少しだけ緩んだ。そのとたんに足の傷が痛み出した。

 競技場内にある正面スタンド下の医務室には先客がいた。
「いやー、野田君。ほんっとに君は医務室好きだねー」
振り向いたのは清嶺高校の上野先生だ。清嶺高校でのハードル練習でも医務室のお世話になったことがあるのだ。

「血が垂れてる!」
上野先生の後ろで立ち上がったのは、清嶺高校陸上部キャプテンの長野沙保里だ。彼女は左手に包帯を巻いているところだった。1500m予選でゴールをした時、何人かの集団で転んだ際にスパイクされたのだという。
僕の右膝は何度もすりむいてできていたかさぶたがとれ、血が滲んでいた。左膝の裏側から血が流れふくはぎから足首へと伝っていたのは、転がった時に自分のスパイクで切った傷からのようだ。ハードルを引っかけて切れたくるぶしからの出血も加わって、左足の靴下は赤く染まっていた。

「ほら、ちょうどこの前だよ、転んだの」
上野先生がガラス越しに見えているトラックを指した。
「うちの学校で練習したことしっかり理解してたみたいだけど、スピードに負けてたね」
上野先生は楽しそうに言っている。
「こんな雨の日に、あのスピードでハードルに突っ込んでいくのは君だけだよ。怖いもの知らずっていうか。度胸があるって言うか。たいしたもんだよね」
「結構切れてるみたいですよ」
自分の手の包帯を固定して、長野沙保里が僕の足に消毒薬を吹き付けた。
「サビオで十分!」
上野先生は当番の養護教諭に確認もせず、救急箱から耐水性の大きなカットバンを取り出して僕の膝の裏に貼り付けた。
「他は痛いとこない?」
「今のところは」
「まだ、ショックで痛さもわかんないんでしょ」
「右目の上が赤くなってます」
長野沙保里の顔がすぐ前まで来ていた。少しどきっとした。

「大丈夫です」
思わず目をそらしてしまった。ユニフォームを着たままの長野沙保里は、細く長い腕を動かして、カット綿に消毒液を付けて僕の脚を拭いてくれた。看護婦さんに処置される救急患者のようだった。照れくささと、何だかくすぐったいような気持ちで落ち着かない。
「沙保里なんかね、決勝進出の最後の1枠を4人で争って勝ち残ったんだよー。ゴール前なんかもう、ライフセーバーのビーチフラッグ競争みたいだった!」
「最後の年くらい決勝行きたいですから」
恥ずかしそうな笑顔が僕を見上げた。
「でも、すごく痛かったんですよ、先生!」

「ノダケン!」
「はいっ?」
上野先生が言った
「まあ、とにかく、マエケンにならって君はノダケンってことで、清嶺高校陸上部のアイドルなんだから。しゃきっとしなさい。あと3種目、ビビってられないぞ!」
「大丈夫ですよこれくらい。でも、ハードルってやっぱり難しいですね」
「怖くなった?」
「いや、なんとなくリズムつかめたので今度は何とかします」
「かっこいい。さすがにマエケン、じゃなくて、ノダケン。むかしマツケンってのもいたね」

「野田君、大丈夫だね、その様子じゃ」
医務室に入ってきたのは山口さんだった。
「長野さんは大丈夫だった。すごいデッドヒートだったけど、さすがだよねーあそこでちゃんと残るんだから!『根性の女、サオリン!』って、またまた、後輩たちが騒いでたでしょう?」
「ミス山口、よく分かったね、本当にその通りだったよ。あんた、なんでも分かっちゃうんだね」
「山口さん、今度またスイーツ食べ放題行こうよ!全道大会まで時間あるから、来週でも!」
「いいよー。この間ね、いい店教えてもらったんだよー。駅前通にあるんだけどちょっと目立たない位置にあってね……」
「いいなー、私も行きたいー、でも、体重が気になるー」

上野先生の魅力はこういうところにあるのかもしれない。40人もの清嶺高校陸上部員たちが朝から楽しそうに競技場にやってくる姿は、この人が作っていたのかもしれない。
「あっと、そうだった。次の種目遅れちゃうんで野田君連れてきます」
「はい、はい、山口さんに任せますよ。あなたがいれば、何でも、何とかしてくれるでしょう。ミス山口、よろしく!」
「こら、ノダケン! ビビるなよ!」
山口さんが不思議な顔をした。
僕は小さくうなずくだけで医務室から走り高跳びの招集に向かった。途中で山口さんが他の選手たちの結果を話してくれた。彼女のバインダーには、全員の記録の写しや出発時刻と招集時間などが細かく書き込まれたファイルが何枚も挟み込まれている。雨よけのカバーをめくりながら首から提げたペンでチェックを繰り返しながらも僕との話のペースは変わらない。


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