23 / 88
第23話 第一部 22・転倒!
しおりを挟む八種競技2日目の最初の種目、110mジュニアハードルが始まる。
合同練習からの2週間で、清嶺高校の上野先生からスピードを落とさずにハードルに向かう練習を教えてもらった。3台抜かして跳ぶスピード練習もしてきた。ほんのちょっとだけ自信らしきものも生まれていた。インターバルのリズムのイメージは出来上がっていた。
大丈夫だ。前半の得点は予想外にもトップだ。思い切ってやれる。この程度の雨なんかどってことない。
リレーの結果は気持ちを楽にしてくれていた。
昨日と同じ3レーンにスタブロをセットした。スタート位置は昨日より10m手前になる。セットを終えて1本だけ走ってみる。1台目、低くスピードに乗って越えていく。インターバルの3歩のリズムも楽に走れている。2台目もいいリズムで越えられた。大丈夫だ。スタート地点に戻り合図を待った。雨は少しだけ小降りになっている。濡れた体にも寒さは感じない。
スタートのタイミングの取り方にも慣れて来た。ピストルへの反応は誰よりも速かった。1台目に跳びかかった。抜き足を少しこすったがいいリズムだ。スピードに乗っている。2台目も強く踏み切れた。左腕のリードを強く意識しながらリズムよくインターバルを刻む。前には誰もいないことが分かった。スピードは十分だ。3台目、右足の振り下ろしもしっかりと決まった。
「……! いける!」
イメージ通りに進んでいる。4台目、さらにスピードに乗ってきた。左腕に合わせて右腕にアクセントをつけて上体を深くベントさせ、左足を抜く。抜きのスピードはインターバルのスピードにつながる。
「もっといける!」
スピードを更に上げようとしたことで必要以上に左足に力が入ってしまったらしい。つま先が上を向き踵がハードルに引っかかった。身体が少し前に傾き右足の着地点が手前になった。踵の引っかかった左足が戻ってこない。膝が上がらず右足の横にバタンと着地した。右足が外に流れる。左足を無理して真っ直ぐに戻して踏み切った。が、身体が前に向かわない。振り上げた右足が伸びきらず、高さも足りない。
5台目……。ハードルが本物の障害物となった。ついに僕の右足はハードルを踏み倒し、大きくバランスを崩して、レーンの右側ぎりぎりに飛びこんでいった。倒れたハードルの脚が左のくるぶしの下あたりを切り裂いた。前のめりになったままの僕はこらえることができずにそのまま自分のレーンに頭から突っ込んだ。
柔道の受け身のように左手を曲げて1回転して起き上がろうとすると、目の前に6台目のハードルがあった。
「アー!」
「ウワー!」
どよめきのような叫び声がスタンドからやって来た。振り返ると倒したハードルが自分のレーンに通路を開け、早く通れと言っているようだった。
「まだだ!」
まだ、ハードルは半分残っている。とにかくゴールしなければ。立ち上がった。が、目の前のハードルは越えられない。手を使ったり、故意に倒してしまうと失格となる。もう1度5台目のハードルまで戻って助走を付け直して6台目を超えた。スピードは付けられない。インターバルを3歩で行くことなどできず高跳びを繰り返すように、とにかくゴールを目指した。全員がゴールしてからしばらくして、やっとゴールラインにたどり着いた。先にゴールしていた7人みんながこちらを向いていた。佐々木宏太の顔があった。喜多満男が見つめていた。スタンドからいくつかの拍手が聞こえてきた。
「大丈夫ですか?」
尋ねたのは両足から血を流したままの僕の方だった。
「君は? 大丈夫か?」
ゴール前の観察員の先生が聞き返した。
「いや、ゴールは認められますか? 失格になりませんか?」
「だいじょうぶだよ」
横から声をかけてくれたのは年配の判定員の方だった。右手の白旗をあえて上げて見せてくれた。
25秒58。とにかく記録は残せた。気持ちが少しだけ緩んだ。そのとたんに足の傷が痛み出した。
競技場内にある正面スタンド下の医務室には先客がいた。
「いやー、野田君。ほんっとに君は医務室好きだねー」
振り向いたのは清嶺高校の上野先生だ。清嶺高校でのハードル練習でも医務室のお世話になったことがあるのだ。
「血が垂れてる!」
上野先生の後ろで立ち上がったのは、清嶺高校陸上部キャプテンの長野沙保里だ。彼女は左手に包帯を巻いているところだった。1500m予選でゴールをした時、何人かの集団で転んだ際にスパイクされたのだという。
僕の右膝は何度もすりむいてできていたかさぶたがとれ、血が滲んでいた。左膝の裏側から血が流れふくはぎから足首へと伝っていたのは、転がった時に自分のスパイクで切った傷からのようだ。ハードルを引っかけて切れたくるぶしからの出血も加わって、左足の靴下は赤く染まっていた。
「ほら、ちょうどこの前だよ、転んだの」
上野先生がガラス越しに見えているトラックを指した。
「うちの学校で練習したことしっかり理解してたみたいだけど、スピードに負けてたね」
上野先生は楽しそうに言っている。
「こんな雨の日に、あのスピードでハードルに突っ込んでいくのは君だけだよ。怖いもの知らずっていうか。度胸があるって言うか。たいしたもんだよね」
「結構切れてるみたいですよ」
自分の手の包帯を固定して、長野沙保里が僕の足に消毒薬を吹き付けた。
「サビオで十分!」
上野先生は当番の養護教諭に確認もせず、救急箱から耐水性の大きなカットバンを取り出して僕の膝の裏に貼り付けた。
「他は痛いとこない?」
「今のところは」
「まだ、ショックで痛さもわかんないんでしょ」
「右目の上が赤くなってます」
長野沙保里の顔がすぐ前まで来ていた。少しどきっとした。
「大丈夫です」
思わず目をそらしてしまった。ユニフォームを着たままの長野沙保里は、細く長い腕を動かして、カット綿に消毒液を付けて僕の脚を拭いてくれた。看護婦さんに処置される救急患者のようだった。照れくささと、何だかくすぐったいような気持ちで落ち着かない。
「沙保里なんかね、決勝進出の最後の1枠を4人で争って勝ち残ったんだよー。ゴール前なんかもう、ライフセーバーのビーチフラッグ競争みたいだった!」
「最後の年くらい決勝行きたいですから」
恥ずかしそうな笑顔が僕を見上げた。
「でも、すごく痛かったんですよ、先生!」
「ノダケン!」
「はいっ?」
上野先生が言った
「まあ、とにかく、マエケンにならって君はノダケンってことで、清嶺高校陸上部のアイドルなんだから。しゃきっとしなさい。あと3種目、ビビってられないぞ!」
「大丈夫ですよこれくらい。でも、ハードルってやっぱり難しいですね」
「怖くなった?」
「いや、なんとなくリズムつかめたので今度は何とかします」
「かっこいい。さすがにマエケン、じゃなくて、ノダケン。むかしマツケンってのもいたね」
「野田君、大丈夫だね、その様子じゃ」
医務室に入ってきたのは山口さんだった。
「長野さんは大丈夫だった。すごいデッドヒートだったけど、さすがだよねーあそこでちゃんと残るんだから!『根性の女、サオリン!』って、またまた、後輩たちが騒いでたでしょう?」
「ミス山口、よく分かったね、本当にその通りだったよ。あんた、なんでも分かっちゃうんだね」
「山口さん、今度またスイーツ食べ放題行こうよ!全道大会まで時間あるから、来週でも!」
「いいよー。この間ね、いい店教えてもらったんだよー。駅前通にあるんだけどちょっと目立たない位置にあってね……」
「いいなー、私も行きたいー、でも、体重が気になるー」
上野先生の魅力はこういうところにあるのかもしれない。40人もの清嶺高校陸上部員たちが朝から楽しそうに競技場にやってくる姿は、この人が作っていたのかもしれない。
「あっと、そうだった。次の種目遅れちゃうんで野田君連れてきます」
「はい、はい、山口さんに任せますよ。あなたがいれば、何でも、何とかしてくれるでしょう。ミス山口、よろしく!」
「こら、ノダケン! ビビるなよ!」
山口さんが不思議な顔をした。
僕は小さくうなずくだけで医務室から走り高跳びの招集に向かった。途中で山口さんが他の選手たちの結果を話してくれた。彼女のバインダーには、全員の記録の写しや出発時刻と招集時間などが細かく書き込まれたファイルが何枚も挟み込まれている。雨よけのカバーをめくりながら首から提げたペンでチェックを繰り返しながらも僕との話のペースは変わらない。
0
あなたにおすすめの小説
友達の妹が、入浴してる。
つきのはい
恋愛
「交換してみない?」
冴えない高校生の藤堂夏弥は、親友のオシャレでモテまくり同級生、鈴川洋平にバカげた話を持ちかけられる。
それは、お互い現在同居中の妹達、藤堂秋乃と鈴川美咲を交換して生活しようというものだった。
鈴川美咲は、美男子の洋平に勝るとも劣らない美少女なのだけれど、男子に嫌悪感を示し、夏弥とも形式的な会話しかしなかった。
冴えない男子と冷めがちな女子の距離感が、二人暮らしのなかで徐々に変わっていく。
そんなラブコメディです。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される
けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」
「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」
「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」
県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。
頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。
その名も『古羊姉妹』
本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。
――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。
そして『その日』は突然やってきた。
ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。
助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。
何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった!
――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。
そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ!
意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。
士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。
こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。
が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。
彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。
※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。
イラスト担当:さんさん
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
