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ようこそ、リトルウィッチ

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 星降る夜の夢を見た。

 紺青の布の上に金銀の粉をはたいたような星空が広がっている。その空から、まるで聖堂の壁に描かれているような多角形の星がくるくると回りながら落ちてくるのだ。
 身体は雲の様なふかふかの綿の上に横たわっている。まわりは空から落ちてきた星で埋もれ、ぴかぴかと光り輝いている。なんだか気持がいいからこのまま寝てしまおうと思ったら、空から一際大きい星が落ちてきた。
 青白い星である。
 星はくるくると落ちてくると、横たわっている身体の胸の上に降りてきて、そのまますうっと消えてしまった。思わず胸に手をあてる。

 「熱い……!」


 がたん、と大きな音を立ててベットから転げ落ち、凛は目を覚ました。けたたましく目覚まし時計のベルが鳴っている。
 「あいっ、痛っ……腰っ、いったあああ……」
 凛はよろよろとベットの上に這い上がり、鳴りっぱなしのベルを止めた。午前六時。いつも通りの起床時間だ。
 「面白い夢見た気がする……星が……なんだろ」
 凛は壁に貼ってあるカレンダーを見上げた。月齢が印された月のカレンダーだ。
 「今日は満月か」
 ぼうっとした起きぬけの頭で思考が回らず、再び布団に入りそうになるのをまるで見計らったかのように、部屋の外から足音が近づいてくるのが聞こえた。床を踏む音が凛の部屋の前で止まる。コンコン、と強く戸を叩く音が響いた。
 「凛! 起きているんでしょ。また二度寝してるんじゃないでしょうね。朝御飯用意できてるから出てらっしゃいよ」
 航空機の客室乗務員だった母・双葉の声は通りがいい。結婚して専業主婦になってからもきびきびとしたふるまいは現役時代と変わらないと、たまに遊びに来る双葉の元同僚達が声を揃えていう。
 「今から着替えるとこだったんだよー、すぐ行く……」
 凛は軽く嘘をついて睡魔に打ち勝つと、ベットから降り、うーん、と伸びをして支度を始めた。入学当時、成長が速いからという理由で幾分か大きめのサイズで購入した制服は未だに身体にフィットする気配を見せない。同級生の中にはすでに購入当初の制服が窮屈になり、新たに新調した者もちらほら出はじめているのに。凛はふう、と制服に手を通しながら深いため息をついた。
 (不公平だよな……)
 着替えが終わると今日の時間割の教科書を揃える。双葉から前日にやっておくように小学生のころから毎日言われるが、中学生になった今も当日揃える癖は抜けない。
 「数学、理科、英語……」
 机の上に必要な教科書を広げ、トントンと揃えるとリュックの中に収める。凛の通う学校は指定の鞄という物が無い。なので余程の変わり者でない限り、男女変わらずリュックかスポーツバックを使う。容量があるので運動着も収まるスポーツバックが人気だ。肩にぶら下げ、両手がふさがるようなスタイルは野暮だと思われている。凛は特にこだわりはないが、両手が空いて便利なので黒地に白い流線がデザインされた無名のリュックを使用している。用意が終わると洗面台で顔を洗い、入念に髪を梳かす。寝ぐせつきの登校など笑いものだ。生活指導員に悟られない程度に整髪剤を使う。これでよし、と頭をチェックしていると双葉の大きい声が聞こえてきた。
 「凛ー、パン何枚焼く?」
 「二枚」
 そう答えてリビングに入ってくると朝食が広げられたテーブルについた。オレンジジュースの紙パックを開けると自分と双葉のグラスに注ぐ。
 「今日も父さん帰れないの?」
 「次の休みは明後日だとおもうわ。国際線は色々不規則だし……」
 凛の父、総一は航空会社のパイロットである。母の双葉とは職場結婚なのだ。職業柄総一は家を空ける事が多い。休みの日は家でひたすら寝ているかゴロゴロしている。パイロットというと世間的には花形の職業で、人気も高く、いかにもイケメンがやっていそうなイメージだが総一は至って普通の会社員といった感じだ。ただ制服を着ると見た目は二割増しになる。チン、とトースターの音が鳴りパンが出てくる。凛は焼けた食パンの上にカリカリに焼いたベーコンと目玉焼きをのせてはむっとかぶりついた。やっぱり目玉焼きは半生が一番だな、と思いながらサラダにも手をつける。
 「ところで、ねえ……凛」
 「ん?」
 「お義父さんの三周忌、ホントにやらなくていいのかしらね。あの人はやらなくていいって言うけど……お義父さんには凛が一番懐いてたでしょ」
 「……」
 凛はふと視線をリビングの出窓に飾られた数々の写真立てに移す。笑顔があふれる中、ただ一枚口をキッと一文字に結び、銀縁のメガネをして、真っ白な髪を軽く撫でつけた老人の上半身を写した写真があった。

 五島雪之助。

 双葉にとっての義父、つまり凛にとっての祖父である。仕事が忙しい父と家事に追われる母に代わって凛の遊び相手となったのは祖父の雪之助だった。今から三年前、凛が小学六年生の時に亡くなっている。
 雪之助は息子の総一にもよくわからない出自の人だった。わかっているのは一九一四年生まれで旧帝大に通い、イギリスに遊学もしたインテリであったこと、元は有栖川という家の出であったらしいがその後親戚筋の五島家の養子となっていること。そしてその五島本家ともだいぶ前に縁を切っていること。本名が有栖川雪之助だったということは雪之助の葬式にやってきた昔の学友により判明したことだった。

 雪之助には謎が多い。長く独身を貫き、結婚したのは四〇歳の時で、総一が生まれたのはその十年後である。祖母は総一を産んですぐ亡くなってしまったため総一は家政婦によって育てられた。しかし雪之助が家を留守にすることは少なく、寂しい思いをしたことはなかったという。なにか物書きか怪しげな骨董商でもやっていたのではないかと総一は言っている。怪しげな骨董商、という理由は家に大量の古い洋書やレコード、アンティーク物とおぼしき海外の土産物があったからだという。これを売りさばいていたのではないかということだ。結婚の報告に五島家を訪れた双葉はその珍妙な大荷物に圧倒されたという。コレクションは多岐にわたった。ただ総一と双葉の結婚を機にこれらは必要なもの以外処分されることになった。郊外の高層マンションの一部屋を買ってそこへ住むことになったからだ。それでもかなりの量が残った。雪之助は移住に特に反対する事もなく了解した。もともと高齢の雪之助のことを慮ってファミリータイプのマンションでの同居を言いだした双葉だが、あまりにあっさりと承諾されたので、実家を売ることになるが本当にいいのかと問うたところ、
 「あれは仮の住処じゃ。わしに生家はもうないから構わん」
 と答えたらしい。

 その後嫁の双葉とも良好な関係が続き、総一との結婚から六年後、凛が生まれた。凛の名付け親は雪之助である。長年待ち望んだ我が子が生まれて両親はハイな気分になってしまったらしく、ああでもないこうでもないと漢字をこねくり回し、なんと名をつけるか珍しく夫婦の意見がわれた。不毛な争いに喝を入れたのが雪之助である。
 「どんな時も凛として前を向いていられるように」
 その一言で「凛」と名前が決まった。
 「――僕はおじいちゃんの遺言どおりでいいと思うよ。お葬式もああだったし」

 雪之助は年を考えてだろう、生前に遺言を残してあった。その中に死んでも位牌と墓はいらない、葬式も簡素にすませることとあった。総一は遺言どおり家族と少ない親戚、それと雪之助に今でも年賀状をよこしていた知人に知らせを出して質素だがあたたかい葬式を出した。位牌と墓は無用、という雪之助の遺言に元学友らはあいつらしいと笑った。遺言には遺骨をどうするかまで細かく書いてあり、灰にして海に撒くよう指示があったのでそのようにしたのだった。死後はいっさいの年忌は無用といい、一周忌も仏壇の写真に好みの食べ物と花を置いて手を合わせたぐらいだ。
 「凛がそういうのならねえ。でもせめてお花くらいは飾らないと。菊より百合の方がいいかしら。ああそう、凛、前から言っておいたけど今日は」
 「綾小路さんちへ行くんでしょ。わかってるよ」
 双葉はたまに元同僚たちと懇親会を開いている。懇親会といっても仰々しいものではなく、ようするに飲み会である。大抵昼間に出かけて夜帰ってくるのだが、今回は主催者が遠方に住んでおり、泊まりでの宴会が決まったのである。
 「夕御飯はシチューを作っておいたから温めてね。朝御飯はいつも通り。サラダは冷蔵庫に入ってるから。あ、お昼考えてなかったわ。どうしよ」
 「平気だって。お腹すいたら勝手に何か食べるよ。明日土曜だし、朝飯はどうせお昼になるよ、多分。明日の夜には帰ってくるんでしょ」
 「ええ、せっかくの泊まりだからちょっとした観光もしてくるつもりよ。でもやっぱり一夜といえど息子一人きりにさせるのは心配だわ。戸締りはしっかりするのよ。最近物騒なんだから……なにかあったら鈴原さんちに駆け込みなさい」
 「はいはいわかったってば。あ、時間だ。じゃいってくる。母さんも気をつけてね」
 そういって凛はグラスに残ったオレンジジュースをぐいっと飲み干すと、自分の部屋に戻ってリュックをひっさげ、白いスニーカーを履くと玄関から出た。いってらっしゃーいという声と共にバタンとドアが閉まる。靴のつま先をトントンと叩いてズレを調整し、顔をあげるとよく晴れた青空が眼前に広がっていた。

 五島凛、一四歳。中学二年生。

 「さて、今日もいくかー」
 うんと伸びをしてまっすぐ前を向くと、凛は歩き出した。
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