鈴鳴川で恋をして

茶野森かのこ

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「はっ…!」

一気に肺が膨らんだような感覚と共に、青年はベッドの上で飛び起きた。いつもは愛嬌のある瞳も、今は不安に揺らぎ零れ落ちそうだ。ド、ド、ドと落ち着かない心音の中、自分が生きている事を感じると同時に、慌てた様子で周囲をぐるりと見回す。
見慣れた天井、白い壁、部屋の中心にはローテーブルがあり、その上には昨夜片し忘れた書類が散らかっている。壁沿いの本棚にはお気に入りの作家、藤波ゼンの小説「妖冒険譚」シリーズがズラリと並んでおり、それを見てほっとした、ここは間違いなく自身の部屋だ。

「…良かった、夢だ…」

死を予感した全ての事は夢だった。その事にほっと安堵の息を吐いたのも束の間、その顔はみるみる内に真っ赤に染め上がり、彼は立てた膝に顔を埋めると、両手でぐしゃぐしゃと頭をかきむしった。

「最悪だ、もう…」

最近、よくあの夢を見る。夢の内容に変化があるわけではなく、決まって同じシーンの繰り返しだ。そしてあの夢を見る度に、彼はこうして顔中を赤らめ猛省している。成人男性が見るにしては、あまりにも適さない夢だと思うからだ。美少年が出る事は百歩譲って良しとしても、いくら人工呼吸とはいえ、その美少年と毎度唇を合わせるというのは、自分で自分の性癖を疑ってしまう。そんな願望ある筈ないのに、断じてある筈ないのにと。
では、何故繰り返しあのような夢を見てしまうのか。

「………」

思い至った答えに思考も呼吸も止めそうになったが、ふと、どこからか漂う香ばしい香りが鼻を掠め、はっと我に返った。

「マズイ!」

弾かれるように顔を上げて時計に向けた目が、ぎょっとして見開く。転がり落ちるようにベッドから抜け出すと、青年はそのまま部屋を飛び出した。


彼は、西宮春翔にしみやはると。桜が咲き誇る新年度、四月生まれの春翔は早々に年齢を重ね、童顔なので少々幼く見えるが、これでも二十四歳になった。派手な顔立ちではないが、少し小柄なのもあり、素朴で愛らしいという表現が似合う青年だ。
芸能事務所STARSで働いており、今年度から“バッカス”というアイドルユニットのマネージャーを務めている。この家は、STARS所属のタレント達が暮らす寮だ。未成年も入寮している為、安全面も考え、春翔も共に暮らしている。家事はそれぞれのスケジュールを照らし合わせて当番制となっており、春翔も当番に組み込まれている。共に暮らしているのが人気役者と高校生という事もあり、仕事や学業を優先と考えると、自然と春翔の当番は多くなる。この日も朝食を作る役目だったのだが、先程から食欲をそそる良い匂いが漂っている。当番ではない誰かが、寝坊した春翔に代わって朝食を作ってくれているのだろう、こんな気の利いた事をしてくれるのは、この寮には一人しか居ない。それが春翔には申し訳なくて、寝間着姿のままでも、寝癖が奇跡のように踊り狂っていたとしても、構わずキッチンへ急ぐ理由の一つでもあった。

「すみません!寝坊しました!」

二階建ての一軒家、春翔の部屋は一階の端にある、キッチンから一番近い部屋だ。ドタドタと廊下を駆けてキッチンへ飛び込むと、勢いよく頭を下げた。春翔の胸は罪悪感でいっぱいだ。普段から誰よりも忙しなく働いているその人に、出来るなら朝くらいはゆっくり過ごさせてあげたいと思っていたからだ。更に、寝坊である。彼はこれくらいで気を悪くしないだろうが、寝坊は良くないとお叱りは受けるだろう、あぁ、どうしようと頭の中でぐるぐると考えを巡らせていた春翔だったが、聞こえてきたのは吹き出すような笑い声。不思議に思い頭を上げると、突然大きな手が、春翔の頭をわしゃわしゃとかき混ぜ始めた。

「ははは!お前、髪が凄い事になってるぞ」
「わ、え、」

突然の事に、春翔は慌てふためきながらその手を止めようとするが、楽しそうな声色は「もうちょい、もうちょい」と、構わず春翔の頭を撫で回す。

「よし!直ったぞ、色男」

そしてそのまま両手で頭を上向きにされ、男前な爽やかな笑顔と共に優しく頭を撫でられれば、思わず春翔の胸はドキリと震えた。男相手に何をドキドキしているんだと、やはり自分には、自分でも気づかない内に同性への恋愛感情でも芽生えているのかとヒヤリとしたが、いや、彼相手では仕方ないのではと思い至る。

彼の名前は、土岐谷ときやリュウジ、二十六歳。STARSの看板役者であり、若手注目株の人気俳優だ。まっすぐな力強い瞳が印象的な端正な顔立ち、短い黒髪は清潔感があり、スラリと背の高いその体はがたいも良く、爽やかなスポーツマンといった印象だが、その中にも溢れ出る男らしい色香に目が離せなくなる。その存在感に加え、演技力にも定評があり、その顔を見ない日はないという程、映画やドラマ、舞台にと引っ張りだこである。
そんな彼が、自分の寝坊を怒りもせず寝癖を直し、その上、朝日を浴びながら手際よくフライパンを返して朝食を作っている。朝の絵になる光景に胸を鷲掴みにされ、思わず「カッコいい」と、惚けた声が漏れてしまった。そんな春翔に、リュウジはきょとんとしたが、それはすぐに笑い声に変わった。

「まだ寝ぼけてんのか?春」
「あ、いえ!その…」
「そうそう!リュウなんかより、俺の方が格好いいよねー春ちゃん!」

弾む声と共に背中に抱きつかれ、春翔は驚いて肩を跳ねさせた。振り返り見上げれば、そこには美しい微笑みをたたえた青年。

彼は、美乃咲みのはきユキ、二十六歳。リュウジとは幼なじみで、同じ町にある鈴鳴すずなり神社で祢宜として働いており、いつ会っても大体袴姿でいる。
リュウジよりも背は低いが、スラリとして華奢な印象だ。金色の長い髪を後ろの高い位置で一つに束ね、猫のような大きな瞳は青く澄んでいる。初めて会った時は外国人かと思ったが、日本人だそうだ。まるで造り物のように美しい顔立ちと人懐こい人柄にそっと微笑まれればうっとりしてしまう女性は多いだろう。お陰で鈴鳴神社は平日でも参拝客は絶えず、近くの商店街もユキのお陰で客が増えたと、商店街でもアイドル的存在だ。

そんなユキだが、リュウジとの繋がりもあってかよくこの寮にやって来る。今日のように朝早くから居る時もあれば、リュウジが居ない時でもふらりとやって来て、勝手知ったる我が家のように振る舞っている。それに関しては見慣れた光景なので文句は無いのだが、突然のスキンシップにはなかなか慣れない。イケメンは見慣れている筈だが、それでも突然の密着はどうしても緊張してしまう。うわ、どうしようと春翔が戸惑い固まっていると、ふと横から伸びてきた手に腕を取られ、強引に引き寄せられた。

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