鈴鳴川で恋をして

茶野森かのこ

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体が軽い。ふわふわと空に揺蕩う雲は、こんな気分なんだろうか。頭もスッキリしていて、春翔はるとは気分が良かった。

そうか、僕はついに死んでしまったのかもしれない。
それならこの感覚も納得だ。
ゼンさんは無事かな、和喜かずきは悲しむだろうな…。けれど真尋まひろ君もいるし、真兄だって、皆がきっと側にいてくれる。

そう思ったら、春翔の心は幾分和らいだ。

さて、これからどうしよう、死んだ事なんてないから分からないや。

「……」

誰かの声が聞こえたような気がして、春翔は立ち止まった。
そこで春翔は、自分が立っていた事や、目を閉じていた事に気づき、目を開けた。目の前には何もなく、音さえ一つもない、ただただ真っ白な空間が広がっている。

「春翔、」

誰かの声に振り返れば、小さな灯りが灯った。春翔は導かれるようにその光へ手を伸ばした。温かい、とても優しい光は、次第に無音の空間に響き渡る。

「春翔」

悲しい声に、はっと顔を上げた。光に隠れて顔が見えないけど、誰かが泣いているのが分かる。春翔はその人影に近づき、そっとその涙に手を伸ばした。綺麗な滴が指先に伝い落ち、銀色の髪が触れた気がした。長い髪が徐々に薄れ、追いかけるように顔を上げると、緑色の綺麗な瞳が見えた。あの夢の中の少年だ。

「泣かないで」

そう呟けば、彼の指先が春翔の頬に触れた。小さかったその手は徐々に大きくなり、覚えのある温もりに春翔は目を瞪る。名前を呼ぼうとして、光に消えてしまいそうなその手を、春翔は追いかけた。





「春翔!」

開けた視界に一番に飛び込んできたのは、深い緑の瞳だ。ぽたりぽたりと、彼の髪や顔から滴る水が春翔の頬に当たる。ぼんやりその様子を眺めていると、緑の宝石のような瞳が泣きそうに歪み始めたのを見て、春翔はその頬に手を寄せた。

重たい。

さっきまで雲みたいに軽いと感じていた体は鉛のように重く、手を上げるだけで小刻みに震えた。

「泣かないで、」

そっと辿った手をぎゅっと握られ、くしゃりと髪を撫でられた。

「本当にバカだな、お前は」
「春ちゃん!」

ふ、と彼が美しく微笑みを浮かべたが、春翔が見惚れる間もなく、泣き声と共に別の温もりが春翔の体に覆い被さり、春翔は驚いて目を見開いた。

「良かった!本当に良かった!無茶な事するんだから!」

ユキが、ぎゅうっと春翔の体を抱き締める。きれいな顔を涙でぐちゃぐちゃにして。先程まで気丈に振る舞っていたが、春翔が目を覚ましたのを見て、耐えきれなくなったのだろう。

「ユキさん、ごめんね。泣かないで」

春翔は、空いてる手でユキの背を宥めるように撫で擦る。
そうしていれば、だんだんと春翔の思考もはっきりとしてきて、ふと違和感を覚えた。

「…あれ?僕、生きてる…?」
「何言ってんの!当たり前でしょ!死んで貰っちゃ困るよ!元気になったらお説教だからね!これ、決定だから!」
「おい、怪我人なんだぞ、いい加減離れろ」

言いながらユキの首根っこを掴んだのはリュウジだ。春翔にとっては、映画の撮影をしている筈のリュウジが何故ずぶ濡れでここにいるのかと、目を丸くしていた。

「リュウさん、どうして…それにその格好!」
「撮影なら、りょうが妖達を使って上手いことやってくれてる。お前ら二人くっついてるから、引き上げるの苦労したんだぞ」

わざと困ったように肩を竦めるリュウジだが、濡れた前髪を掻き上げる姿がやはり男前だ。駆けつけてくれたのか、その思いに胸が熱くなる。ユキも大泣きする程心配してくれてる。一度は失う事を覚悟した命だけど、今はここに居られて良かったと、心から思った。

「…あれ」

キョロキョロと辺りを見渡して、大事な人の姿がない事に気付き、安堵も束の間、春翔の顔は一気に青ざめた。

「ゼンさんは…?ゼンさんはどこですか!?なんで、だって僕だけなんて、そんな、」
「おい」

絶望に頭を抱え始める春翔に、ずっと春翔の手を握っていた彼がその手を引き顔を上げさせた。

「ここに居るだろうが」
「…え?」
 
緑の瞳が困った様子で訴える。今まで泣いていたユキも、思わずといった様子でリュウジと共に吹き出した。

「え?ゼンさん?だって、夢の中の少年が大人になったんじゃ…」
「何を言ってる」
「あはは!気づかれてないでやんの!」
「黙れユキ、今すぐ狐にするぞ」
「ごめんごめん!春ちゃん彼はゼンだよ。多分こっちがゼンの本来の姿なんだ、俺達も滅多に見る事ないけどな」

不安そうにしている春翔に、ユキは笑って教えてくれる。
まじまじと見れば、髪や瞳の色が変わってしまったが、確かにその顔も声もゼンだ、春翔も納得した様子だ。

「…じゃあ、夢の中の少年って、ゼンさん…?」
「夢?」
「はい、あの…」

問われて口を開いたが、春翔は口を開けたまま固まり、ぼっと顔を赤くした。

説明なんて出来る筈がない、毎朝少年のあなたと人口呼吸をして目を覚ましていました、なんて。変態みたいだ。

何より、あの少年がゼンさんだったなんて。そう思うと同時に、春翔は先程の川の中での事を思い出した。そういえば、川の中なのに空気を吸い込んだが感覚があったと。ぼんやりしていたのではっきりした記憶ではないが、川の中で助けてくれたのがゼンならば…。

「春翔?」

ゼンの唇をじっと見つめていた事に気づき、春翔は名前を呼ばれると、びくりと肩を跳ね上げた。

「どうした、どこか痛むか?」

心配したゼンに顔を覗かれ、春翔は更に顔を真っ赤に染め上げ、必死に頭を働かせた。ゼンは心配してくれているのに、ゼンと唇を合わせたのでは、なんて、ドキドキしてる自分が恥ずかしい。したかどうかも分からない、したとしても、それは人工呼吸で、自分を助ける為なのに。

「あ!あの、僕らどうなったんですか?僕の中のカゲは一体どうなったんでしょうか…!」

こんな時に何を考えているんだと、挙動不審になりながらも、春翔は必死に話を切り替えた。今はこれが一番大事な事だ。

「それなら大丈夫、真尋まひろが捕まえてくれたよ」
「真尋君が?」
「こっちおいで」

ユキが手招く方を見れば、春翔達から少し離れた所で佇む真尋の姿があった。そしてその後方には、暗がりで見えにくいが、大勢の人影、いや、妖の姿がある事に気づいた。それらは皆、拘束されているのかぐったりと項垂れていた。
気づけば町は静かな夜を取り戻していて、あれだけ炊かれていた炎も、すっかり消えていた。

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