鈴鳴川で恋をして

茶野森かのこ

文字の大きさ
54 / 77

54

しおりを挟む




あの夜、鈴鳴川すずなりがわから家に帰る途中、ゼンは気を失うように倒れてしまった。本来、体の奥底に眠らせている力を無理に解放し、その上影の拘束を無理矢理剥がした体は傷だらけで、血も流しすぎていた。いくら妖の体が丈夫でも、無理を重ねれば傷口は広がるだけだ。
それから、近くにいたミオの部下であるカラスの妖に大急ぎで真斗まことを呼んで貰い、リュウジがゼンを背負って真斗の家に運び込んだ。
真斗の治療を受けている間もゼンは意識を失ったままで、そのまま一週間眠り続け、ゼンが意識を取り戻したのは今朝の事だった。

ゼンが目を覚ますと、まるで魔法のように銀色の長い髪が短い黒髪に戻り、緑色の宝石のような色合いの瞳も、黒く凛々しい眼差しに変わった。
そして、見慣れたゼンの姿にほっとしたのも束の間、動けるようになったゼンは、先ず春翔はるとの姿を確認し、問題がないと分かったのか、今度は皆の制止も虚しく外に出掛けてしまった。鈴鳴川の事が気がかりだったのかもしれないが、それはまるで嵐のような出来事で、春翔はぽかんとするばかりで止める間もなかった。
ゼンは、止めようとする真斗とリュウジの腕をいとも簡単にくぐり抜け、昨日まで眠っていたとは思えない身のこなしだった。だが、動けるといっても能力を使うには今の状態では体に負担がかかりすぎるという、ゼンは見た目にも包帯をあちこちに巻いた、傷だらけの怪我人だ。

「…ゼンさん大丈夫かな」

無理だけは、してほしくない。
そんな事をぼんやり考えていたからか、洗濯かごに取り込んだ物を入れ過ぎたせいか、春翔は洗濯かごを抱えた瞬間、思いの他かごが重く、バランスを崩してしまった。転ぶ、と咄嗟に思ったが、前につんのめった体は地面に倒れる事ない。

「え…」

春翔が驚いて顔を上げると、目の前にはゼンがいた。綺麗で無口な瞳がじっと春翔を見下ろしていて、その近さに春翔は心臓を跳ね上げると、衝動のまま、今度は後ろに飛び退いてしまった。

「うわ!」
「え、おい、」

ゼンは、正面から洗濯かごを受け止める事で春翔の体を支えていたので、まさか春翔が支えとなっていたかごから手を放し飛び退くとは思いもしなかった。それでもゼンは咄嗟に腕を伸ばしたが、その手は宙を掻き、結局春翔は自ら尻餅をついていた。

「いてて…」
「なにやってるんだ」

ゼンは溜め息を吐き、守られた洗濯かごを縁側に置くと、春翔に手を差しのべた。その顔は、言葉とは裏腹に穏やかで優しさに満ち、春翔の胸を再び高鳴らせるには十分の効果があった。

「す、すみません!びっくりしてしまって…!」
「胆が座っていると思っていたが、間が抜けてるな」

遠慮がちに握った手を強く握り返され、あっという間もなく引き起こされる。宙に浮きかけた体は、腰に添えられた手によってふわりと地面に足がついた。温かな手、その温もりに胸はドキドキと打ち付けるばかりだったが、その手首に何重にも巻かれた包帯を見て、春翔は浮かれた思考が一気に冷めていくのを感じた。

「す、すみません!ゼンさんまだ怪我治ってないのに…!」
「このくらい大した事ない、傷も大分塞がってる筈だ」
「そんな、大した事あります!一週間も寝込んでいたの忘れたんですか!?」
「あれは、真斗の、」
「真兄だって大人しくしてろって言ってたじゃないですか!今日はもう外に出ちゃいけませんからね!」

そう言って春翔は、ゼンを家の中へ押しやろうとするが、ゼンは「それは出来ない」と、くるりと振り返った。

「まだ見回りが出来てない」
「それは、朝からユキさんがやってくれてます。リュウさんも今日は早く仕事が終わるから、様子を見に行くって言ってましたし」
「春翔」

ふと、ゼンは春翔の頬に手を添えた。しっかりと視線が合うと、またもや春翔の胸はドキリと跳ねる。綺麗な黒い瞳に、自分の戸惑う姿が映り、春翔は恥ずかしくなった。

「もう、お前を傷つけたくない。お前が傷つかないよう、念入りに結界や境界を見ておかなくてはならない」
「で、でも、体が」
「問題ない、俺は妖だ、人より丈夫に出来ている」
「で、では、僕も連れて行って下さい!」

春翔の申し出に、ゼンは目を丸くし、それから小さく息を吐いた。

「お前はまだ本調子じゃないだろ、大人しくしてろ」

確かに、春翔の体はまだ回復しているとは言えなかった。
ゼンのように寝込む事はなかったが、十年もの間妖に取り憑かれていた体は、時に重石がなくなった風船のようにふわりふわりと覚束なく、頭もぼうっとしてしまう事が多い。かと思えば高熱を出したり、身体中に痛みが走ったり。まだ体が、カゲが取り憑いていない頃の感覚に戻らないからだろうと、真斗は言う。それに、春翔はカゲの力も共有していたので、それが特に影響しているのだろうと。
なので、こんな風に家事が出来るのは、随分調子がいいという事なのだ。

真斗達には、とにかく体を休めていろと怒られてしまうが、居候の身で何もせずにいるのは落ち着かず、仕事も隼人や涼に任せきりで、その上、寮では和喜の事をリュウジを中心に皆に任せてしまっている。何も出来ない自分が申し訳なく、なので、こうして人目のない時間帯にせっせと出来る家事をこなしていた。

だから、ゼンの言い分も尤もであるのだが、春翔にも譲れない思いがある。何たってゼンは、今朝目を覚ましたばかりだ。

「それを言うなら、ゼンさんだって同じじゃないですか!」
「俺とお前は違う」
「違う事ありません!」
「分からないのか!」

突然の怒鳴り声に春翔の肩がびくりと震えた。そんな春翔の様子に、ゼンははっとして目を逸らした。

「…怖がらせてすまない。だが、二度も失いかけたんだ、もうお前を失いたくないんだ」

再び重なる瞳が、切実な思いを伝えてくる。泣きそうに揺らぐ瞳が悲しくて、恋しくて、春翔は胸が熱くなり、引き寄せられるようにゼンの頬へと手を伸ばしていく。

「何、兄貴たぶらかしてんだよ!!」

しかし、その手は体を後ろから引っ張られた事で遠く離れていく。ぎゅうと春翔の体を背後から抱きしめたのは、和喜かずきだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

Nova | 大人気アイドル×男前マネージャー

むぎしま
BL
大人気アイドル・櫻井来夢が恋をしたのは、 ライバル事務所のマネージャー・本郷ルカだった。 強く、知的で、頼れる大人の男。 その背中に憧れ、来夢は彼を追いかける。 ──仕事のできる色男・本郷ルカは、女にモテた。 「かっこいい」「頼りたい」「守ってほしい」 そんな言葉には、もう慣れていた。 けれど本当の心は、 守られたい。愛されたい。 そして、可愛いと思われたい。 その本心に気づいてしまった来夢は、 本郷を口説き、甘やかし、溺愛する。 これは、 愛されることを知った男と、 そのすべてを抱きしめたアイドルの、 とても幸せな恋の話。 独占欲強めな年下アイドル (櫻井 来夢)   × 愛に飢えた有能マネージャー (本郷 ルカ) ーー 完結しました! 来週以降、後日談・番外編を更新予定です。

【完結】ままならぬ僕らのアオハルは。~嫌われていると思っていた幼馴染の不器用な執着愛は、ほんのり苦くて極上に甘い~

Tubling@書籍化&コミカライズ決定
BL
主人公の高嶺 亮(たかみね りょう)は、中学生時代の痛い経験からサラサラな前髪を目深に切り揃え、分厚いびんぞこ眼鏡をかけ、できるだけ素顔をさらさないように細心の注意を払いながら高校生活デビューを果たした。 幼馴染の久楽 結人(くらく ゆいと)が同じ高校に入学しているのを知り、小学校卒業以来の再会を楽しみにするも、再会した幼馴染は金髪ヤンキーになっていて…不良仲間とつるみ、自分を知らない人間だと突き放す。 『ずっとそばにいるから。大丈夫だから』 僕があの時の約束を破ったから? でも確かに突き放されたはずなのに… なぜか結人は事あるごとに自分を助けてくれる。どういうこと? そんな結人が亮と再会して、とある悩みを抱えていた。それは―― 「再会した幼馴染(亮)が可愛すぎる件」 本当は優しくしたいのにとある理由から素直になれず、亮に対して拗れに拗れた想いを抱く結人。 幼馴染の素顔を守りたい。独占したい。でも今更素直になれない―― 無自覚な亮に次々と魅了されていく周りの男子を振り切り、亮からの「好き」をゲット出来るのか? 「俺を好きになれ」 拗れた結人の想いの行方は……体格も性格も正反対の2人の恋は一筋縄ではいかない模様です!! 不器用な2人が周りを巻き込みながら、少しずつ距離を縮めていく、苦くて甘い高校生BLです。 アルファポリスさんでは初のBL作品となりますので、完結までがんばります。 第13回BL大賞にエントリーしている作品です。応援していただけると泣いて喜びます!! ※完結したので感想欄開いてます~~^^ ●高校生時代はピュアloveです。キスはあります。 ●物語は全て一人称で進んでいきます。 ●基本的に攻めの愛が重いです。 ●最初はサクサク更新します。両想いになるまではだいたい10万字程度になります。

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

僕たち、結婚することになりました

リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった! 後輩はモテモテな25歳。 俺は37歳。 笑えるBL。ラブコメディ💛 fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。

Please,Call My Name

叶けい
BL
アイドルグループ『star.b』最年長メンバーの桐谷大知はある日、同じグループのメンバーである櫻井悠貴の幼なじみの青年・雪村眞白と知り合う。眞白には難聴のハンディがあった。 何度も会ううちに、眞白に惹かれていく大知。 しかし、かつてアイドルに憧れた過去を持つ眞白の胸中は複雑だった。 大知の優しさに触れるうち、傷ついて頑なになっていた眞白の気持ちも少しずつ解けていく。 眞白もまた大知への想いを募らせるようになるが、素直に気持ちを伝えられない。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

龍の無垢、狼の執心~跡取り美少年は侠客の愛を知らない〜

中岡 始
BL
「辰巳会の次期跡取りは、俺の息子――辰巳悠真や」 大阪を拠点とする巨大極道組織・辰巳会。その跡取りとして名を告げられたのは、一見するとただの天然ボンボンにしか見えない、超絶美貌の若き御曹司だった。 しかも、現役大学生である。 「え、あの子で大丈夫なんか……?」 幹部たちの不安をよそに、悠真は「ふわふわ天然」な言動を繰り返しながらも、確実に辰巳会を掌握していく。 ――誰もが気づかないうちに。 専属護衛として選ばれたのは、寡黙な武闘派No.1・久我陣。 「命に代えても、お守りします」 そう誓った陣だったが、悠真の"ただの跡取り"とは思えない鋭さに次第に気づき始める。 そして辰巳会の跡目争いが激化する中、敵対組織・六波羅会が悠真の命を狙い、抗争の火種が燻り始める―― 「僕、舐められるの得意やねん」 敵の思惑をすべて見透かし、逆に追い詰める悠真の冷徹な手腕。 その圧倒的な"跡取り"としての覚醒を、誰よりも近くで見届けた陣は、次第に自分の心が揺れ動くのを感じていた。 それは忠誠か、それとも―― そして、悠真自身もまた「陣の存在が自分にとって何なのか」を考え始める。 「僕、陣さんおらんと困る。それって、好きってことちゃう?」 最強の天然跡取り × 一途な忠誠心を貫く武闘派護衛。 極道の世界で交差する、戦いと策謀、そして"特別"な感情。 これは、跡取りが"覚醒"し、そして"恋を知る"物語。

処理中です...