鈴鳴川で恋をして

茶野森かのこ

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ある日の事。
この日はまだ陽の高い時間だったので、春翔はるとはゼンにサッカーを教えて貰おうとはりきっていた。ゼンにサッカーが出来るのかは不明だが、春翔にとって、ゼンは何でも出来るヒーローと位置付けられてしまったので仕方ない。



二人の様子を遠目に見守っていたスズナリは、楽しそうにボールを蹴っている二人に安堵してる様子だ。のんびり桜の木に凭れて見守っていると、ふわりと桜が舞い、桜千おうせんが現れた。

「いいのかい?あの少年を近づけて」
「なんだ、お前も人との交流は反対だったか?」
「そうではない、あの少年は一度妖に襲われている。またゼンと居れば、今度は本当に人質にとられるかもしれないぞ」

あの時、ゼンを襲った妖は誰かの指示で動いた事を訴えていた。そして、彼を救いに来たのは天狗のように思う。彼らが捕らえられていない今、再びゼンを襲いに来る可能性は大いにあった。

「だったらまた助ければいい。こうして二人が会っていなくても、あの少年が人質になる可能性は十分にある。ゼンが力を抑えられたあの姿の中、必死に春翔を守っていたんだ、ゼンにとって春翔は大事な人間と思われたかもしれないからな。それなら、手の届く範囲に居てくれた方がいいだろ。春翔が襲われた時、助けに行く側の顔は知っていた奴の方が安心するだろうしな」

スズナリは自らの手に視線を落とすと、手のひらの傷を親指でなぞった。その様子に、桜千はふいと顔を背けた。

「俺は、もう長くない」
「…まだ分からないだろ」
「何千年、この体と向き合ってきたと思ってる。そろそろ寿命な事くらい俺が一番分かってる」

思わず顔を顰めた桜千に、スズナリは困ったように笑った。

「ただなぁ、俺はゼンが心配だよ。いくら周りにいい奴が居ても、ゼン自身が受け入れないと何も変わらない。信じられない世界なら、俺は王位を捨てても良いんじゃないかと思うんだ」
「そう簡単な事ではない」
「分かってる。けどさ、民の不信感は根強いよ。もう何百年もたってるのに、人の血が混ざっているだけで、ゼンを誤解してるんだ。かつては人とも手を取り合って生きてきた妖だっているのにさ」

肩を竦めるスズナリに、桜千は小さく息を吐いた。

「一度出来た溝はそう埋まらないものだ」

いくら望んでも、受け入れられない思いもある。一度決めた生き方を、簡単には変えられない。

「うん、だからさ、それならゼンは人の世で生きても良いと思うんだよ。今はレイジのような生き方だって出来る、人の姿で生きる妖も増えたんだ」
「しかし、それでは逃げるようなものだ」
「ゼンはいつだって一人で戦ってるじゃないか、背を向けて考え方を変えるだけだ。それに、逃げたっていいと俺は思う。あいつは王子としてしっかり生きてきたんだから」
「…まぁ、そうだが」
「こっちで人脈が築けるなら、妖と人の世を守る仕事を請け負えばいい。ゼンの力があれば、妖を知る人々にとっても悪い条件ではない筈だ。人と妖、それぞれの血を持つゼンなら、妖の存在はより身近に感じられるだろうし、こっちで悪さをする妖共にいいお灸も据えてやる力もある」
「…確かにな。お前の顔を見るより、ゼンの顔を見せた方が大人しくなりそうだ」
「な?良い人選だろ?」
「…あぁ、そうかもしれない」
「あの少年と心通わす事は、ゼンにとって悪い事じゃない筈だ。人と触れ合う事は、きっとゼンにとっても糧となる筈だ」

桜千は頷きつつ、目を細めてゼンの姿を追うスズナリの横顔に切なさを覚えた。

長い年月を共に過ごした友人を失う時が、間近に迫っている事を受け入れなくてはいけない、そう思い知らされたからだ。




スズナリ達からは少し離れた河川敷で、ゼンは少し表情を曇らせていた。遠くからは、少年達が楽しそうに土手の斜面を滑ったりして遊ぶ様子が見える。次いで春翔に目を向けると、春翔は嬉々とした表情で、サッカーボールを抱えたままゼンと距離を取っていた。ボールを蹴る練習だ。

「…なぁ、俺なんかに会いに来ていて良いのか?友達はいるんだろ?」
「ゼンさんだって友達でしょ?」
「友達?」
「友達に会いに来るのは普通でしょ?」

えいっ、と掛け声を掛けてボールを蹴る春翔だが、その足は何故かボールにはまともに当たらず、コロコロと二回転しただけで止まってしまった。

「…本当に下手なんだな、何故ボールが蹴れない」
「蹴ってるのに当たらないんだもん」
「当てなければ蹴る意味がない」

もう一度ボールをセットして、春翔は勢いよく蹴ろうと足を振るが、今度は空振りだ。

「ちゃんとボールを見ろ、ボール目掛けて足を蹴るんだ」
「うん」

今度は真剣にボールを見つめ、春翔は足を振りかざす。すると、今度は当たりが良かったのか、ボールは勢いよく転がり、ゼンの元まで届いた。

「やった!蹴れた!」
「当然だ、蹴ったんだからな」
「凄い凄い!」

一体何が凄いのかと、ゼンはそう思いつつボールを蹴り返してやると、春翔はもう一度ボールを手で止めてそれと睨み合う。

その姿に、素直な少年だとゼンは思った。彼は本当に、体を使って何かをする事が苦手なのだろう、それでも出来るようになろうと一生懸命だ。そういったひたむきさと向き合っていると、自分の淀んだ心も洗われていくような気がする。

コロコロ転がったボールがゼンの足元にやって来る。春翔は楽しそうに「ゼンさん!」と、大きく手を振っている。
屈託なく笑う、春翔は出会った時から同じ笑顔だ。あんな笑顔を向けられたのは、いつ振りだろう。それこそ、ユキ達やスズナリ以来かもしれない。皆、ゼンに怯えた目を向けるのに、春翔は違う。
それが、自分の力の怖さを知らないからだとしても、ゼンは嬉しかった。だから、つい戸惑ってしまう。

「ゼンさん!早く早く!」
「…あぁ、」

楽しそうに弾む声に、ボールを蹴って返す。ポーンとゆるく弧を描いて飛んだボールの向こうに、春翔がいる。
その笑顔に、救われた気持ちになる。認め、受け入れてくれる存在に、許された気持ちになる。
そんな事、思ってはいけないのに。
なのに、もう少しだけ、もう少しだけと、この時間が明日も続いたら良いのにと、いつからか願わずにいられなくなっていた。


だけど、そんな日々も長くは続かなかった。



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