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さよならのプロポーズ70
しおりを挟む「待って、わ…!」
後を追おうとして、純鈴は片足が上手く動かせない事を思い出した。足を縺れさせて転びそうになる。咄嗟に側にいた迅が腕を伸ばして純鈴の体を支えてくれたので、純鈴は転ばずにすんだ。
礼を言いながら顔を上げれば、こちらに駆け出そうとしたのか、再びランと目が合った。すぐに怯むランに、純鈴は構わず大きく一歩踏み出して、ランへと腕を伸ばした。迅の腕をすり抜けて、一歩では距離が足らず、動こうにもすぐに足が動かせない。再び倒れそうな純鈴に、ランの腕が堪らずその体を受け止めた。
触れる温もりに、しっかりと支えてくれるその手に、純鈴は目の前のランのシャツをぎゅっと掴んだ。途端に騒ぎ出す鼓動に、純鈴は恐る恐る顔を上げる。
見上げたそこに、ランがいる。戸惑いに揺れる緑の瞳が純鈴を捉え、それから所在なく俯き、そっと体を起こしてくれる。腕を掴んだ手が純鈴の手へと滑れば、純鈴は咄嗟にその手を握った。
この手に心を解され、乱され、救われた。
掴みたくても叶わなかったこの手が、今は間違いなくこの手を掴み、そしてここにランがいる。
じわりと堪えていた涙が溢れてしまえば、もう止められそうになかった。
どうして言ってくれなかったの、生きてるって。傷つく事なんて今更怖くないのに、ランがいない事の方が怖いのに。
溢れ出した思いは声にならなくて、それでもこの手を離すなんて出来なくて。どうにも出来ない思いの先、ぎゅっとその手を握れば、右手に硬い感触が当たった。それは、ランにとっての左手だ。まさかと思い、滲む視界をどうにかこじ開ければ、その薬指に、あの指輪がある事を知り、純鈴は勢いよく顔を上げた。ランの瞳は、緑を深めたり、薄めたり落ちつきなく変化している。
どくどくと、鼓動がうるさい。涙はまだ止めどなく溢れていく。それでも、不思議と不安が消え、溢れる思いが徐々に言葉を作っていくみたいだった。
純鈴は泣きながら、そっと微笑んだ。
「迎えに来ましたよ、ランさん」
ランは緑の瞳を純鈴に向け、困惑を残した瞳を丸くした。その瞳の色が、少しだけ明るく染まっていく。
「覚えてますか?ランさんに、そう言われたの、一度じゃないですよね」
「…え?」
「…どうして、深悠さんだって名乗ったんですか?あの時迎えに来てくれたのは、ランさんでしょ?」
幼い頃、家を飛び出したはいいが、迷子になった夜。迎えに来てくれたお兄さんは、大苑屋の深悠だと名乗った。純鈴はほっとして泣きじゃくったから、その時の彼の顔をはっきりと覚えていない。ただ、送って貰った車から降りる時、隣に深悠がいたのは覚えてる。だから、純鈴はずっと深悠が探しに来てくれたのだと疑わなかった。
でも、そうじゃなかったと、今ならはっきり分かる。
あの時から、この手は変わらない。
「…どうして、黙ってたの?その事を教えてくれたら、私、プロポーズを受け入れてたかもしれないのに」
「…ヤチタカは、人を不幸にします」
ランは、握る純鈴の手にそっと触れ、その指先に視線を落とした。伏せた睫毛の影に見える瞳は、また深く色を染める。
「大苑さんは、昔から僕らをサポートしてくれてたから。幼いあなたがいなくなった時、ヤチタカの娘だから浚われたんじゃないかって、コウシさん含め、僕らは思ったんだ。あなたがヤチタカの血を引いてなくても、人質には十分だ。だから、皆で探して、たまたま僕が見つけた。僕と知り合うと、もしこの先、あなたと出会わなきゃならない時が来た時に、説明が必要でしょ?子供の時にあった人間が全く老いないなんて、嫌でもヤチタカの存在を知らせなきゃならない。コウシさんは、出来る限り秘密にしたいって言ってたので」
まさか、何も話してないとは思わなかったけどと、ランは苦笑った。
「ずっと、見守ってはいたよ。俺達がね、君の家のこと。本当に誘拐なんか起きたら洒落にならないからね」
ヤブキが場を和ますようにおどけて言った。
「…ほら、だから厄介でしょう。店を続けるにも、僕はあの町にずっとはいられない、僕は普通じゃ」
「そしたらその時考えましょう!」
純鈴はランの言葉を遮って言った。
「今からそんな先の事、考えなくても良いじゃないですか。見た目が若い人ならいくらでもいるし、そろそろ怪しまれるなってなったら、店は畳んで、全国を回りながらどら焼を売り歩いたって良いじゃないですか!」
笑おうとしたけど、涙が溢れて出来なかった。きっと、今一番不細工な顔を晒している、それでも、この気持ちを伝えなくてはならなかった。ランの為に、自分の為に、ランが未来を望んでくれているなら、この指輪に乗せて、まだ望んでくれているなら。
純鈴の言葉にランは目を丸くし、ヤブキと迅は顔を見合せそっと頬を緩めた。
「ヤチタカの木が心配なら、深悠さんに見て貰えないか頼んでみましょう。大苑屋さんなら、暫く潰れる心配もないし、何よりヤチタカの事をずっと思ってくれてます」
そう笑って、笑ったけど笑えなくて、顔をくしゃくしゃにしながら、純鈴はぐいと涙を拭って、それでもランの手を握って続けた。その手に、ぽた、ぽた、と涙が落ちていく。
小さな独りよがりの思いが、膨らんでいく。
どうか伝わって、そっちの世界へ行ってしまわないで。
願いながら、縋りながら、胸の中で純鈴は必死に祈っていた。どこにいるのか分からない神様に、ランの両親に。
「一人で背負うには、大きすぎますよ。秘密を隠すなら、協力者が必要です、私はもうヤチタカを知っているし、それにもう、簡単には傷つきません」
まっすぐとランを見上げれば、ランはその瞳を揺らした。
世界は、そう簡単に変わらない事は分かっている。ランの作り上げた世界に純鈴が必要なのか、もしかしたら苦しみを増やすだけかもしれない。それでも、分けあえれば、どんな事も辛いばかりではないと思える、それは決して奇麗事ではない。
ランだって、分かってる筈だ。だから、こんなに困ってる。
「こんな勝手に人を巻き込んでおいて、今更いいよとか言わないでよ。覚悟なんて、とっくの昔に出来てます、言ったでしょ、離婚なんかしないって」
ランは目を見開き、それからきゅっと純鈴の手を握り、それでも「いや、」と言葉を濁して、顔を俯けた。
その様子を見てか、ヤブキが困った体を装いながら、その背中を軽く叩いた。
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