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桜と星と初こいと19
しおりを挟むこの時の文人が、槙の家系の事を知っていたのか槙には分からなかったが、槙は文人に知らしめてやろうと思った。
自分の家系の事を知れば、文人も怖がってここには来なくなる。人とはそういうものだ、優しくしてくれても上辺だけで、それも最初の内だけだ。その内、誰も自分には近寄らなくなる、ヤクザの家の出だと知れば、皆、槙とは無関係を装うのだ。
誰だって、自分の事が大事だ。槙は、それでいいと思っている。自分を必死に守る気持ちは、槙にも分かる。槙だって自分を守ろうと思うから、学校にも行かないし、うっかり信じてしまいそうになった文人を、こうして突き放そうとしている。
もう、誰かの優しさに期待して一人傷つくのは、懲り懲りだった。
「うちのじーさん、ヤクザやってんの。久瀬ノ戸組、母さんはそれが嫌で家を出た。でも、結局バレるから、また、誰も知らないこの町に来たんだ。こいつも組員だよ、あんまりしつこいと、あんたどうなるか分かんないよ」
「久瀬ノ戸君、」
「だから、もううちに来んな。五体満足でいたきゃな」
槙はそう言うと、何か言いかけた文人をそのままに、玄関のドアを閉めると鍵を掛けた。トン、と、ドアに手を当てたような音が聞こえたが、文人はそれ以上、何かを言うでもなく、その内に遠ざかる足音が聞こえてきた。
「坊っちゃん、良かったんですか?あんな堂々と言って、もし言いふらされたりしたら、また」
「良いんだよ、どうせ知られる事になるんだ」
これで良い。もし、文人が槙の家がヤクザの家系だと知らなかったとしても、今の槙の発言で調べるだろうし、そうしたら、文人も納得して、きっとこの家に来る事もなくなる。今までも、そうだった。教師も友人も、槙の家系を知れば、途端に厄介なものを見るように遠巻きに眺め、そして噂話をして、睨めば怯えたような視線を向けられる。
どうせ居なくなるなら、期待なんてさせないで欲しい。もう誰もいらない、母親がいて、龍貴がいて、恋矢がいて、槙にはそれだけで十分だった。だから、もう放っておいてほしかった。
しかし、その翌日、槙は言葉を失う事になる。文人が何事も無かったかのように、翌日も現れたからだ。
「なんで、あんた怖くないのかよ!」
そう噛みついてみせても、文人は柔らかに笑うばかりだ。
「久瀬ノ戸君は僕の生徒だから、怖くないよ」
「だから、俺じゃなくて…」
「君のお祖父さんが何をしていようが、君が僕の生徒には変わりないからね」
その柔らかくも芯を持つような言葉に、槙の心はまた揺れそうになる。
そんなの上辺だけだ、本心は分からない。今までだって、物分かりの良い事を言いながら、本心では恐れ、結局、自分は否定され続けてきた。
文人もそれと同じだと、槙は何度も自分に言い聞かせてみても、見上げた眼差しは真っ直ぐと槙を見つめていて、どうしても、その言葉が嘘だとは思えなかった。
柔らかに微笑み、文人はそっと槙の頭を撫でた。どうしてそんな事をするんだ、どうして優しくなんかするんだと、心は必死に抵抗しようとするのだが、どうしてか体が動かなくて。俯いた足元に、ぽた、と滴が落ちて、槙は自分が泣いている事に気づいた。
そして、思わされる。自分は、この教師を信じたいのだと、槙は、もう自分に嘘はつけなかった。
「大丈夫、僕は君を怖がったりしないよ。だから大丈夫、怖くないからね」
優しく大きな手のひら、槙が恐る恐る顔を上げると、文人はまるで槙を包み込むように、優しく微笑んでくれて。
真っ暗な夜空に見つけた、ただ一つの星みたいだった。
それから少しして、槙は学校へ通うようになった。
朝の何でもないような会話が心地よくて、もう少し一緒に話していたくて、側に居たくて、もっと知りたいと思ってしまって。そうしたら、学校や他人への恐怖が不思議と薄れて、学校が文人に会える特別な場所のように思えてしまったからだ。
久瀬ノ戸の家の事は、まだ生徒達には知られていないようだったが、散々学校をサボっていたお陰で、槙はすっかり不良生徒として周知されており、クラスメイト達には興味と怯えの混じった視線を浴びる事になった。それでも、学校には文人がいる、味方がいる、それだけで槙にとっては心強かった。
文人は、槙の外側ではなく、内側を見てくれる嘘のない人。文人を信じたいと思ったし、信じられると思った、文人は槙にとっての新しい居場所になってくれた。
そんな文人に対する信頼が、恋心に変わるのに時間は掛からなかった。もしかしたら、槙自身が気づいていなかっただけで、出会った時から文人は特別だったのかもしれない。
そうして学校に通い始めた槙だったが、今までより文人と一緒に過ごせる時間が増えるかと思いきや、そうとは限らなかった。たしかに顔を合わす機会は増えたが、二人きりで過ごせる時間はほとんど無くなってしまった。槙が学校に行くようになったので、槙の家に文人が通う事もない。文人は教師なので仕事があるし、生徒も槙一人ではない。分かっているけど、それが寂しくて、少し不安で。だけど、そんな事を打ち明けるのは恥ずかしいし、勇気が出なかった。
文人を特別に思ってしまったから、離れていかれるのが怖かった。もっと近づきたいと望んでしまった、もし、恋心を抱いているなんて知られたら、文人は今度こそ自分を突き放すのではないか。
そう思ったら、臆病が顔を覗かせて、せっかく文人が声を掛けてくれても、上手く顔を見て話す事が出来なかった。
だけど、それでも文人は、槙の視線に合わせて話してくれる。
放課後、階段の踊り場で偶然行き合った時、「さようなら」も言えずに黙って立ち尽くす槙を、文人はそっと頬を緩めて、俯く頭をぽんと撫でた。校内に響く生徒達の賑やかな声が、途端に遠くに消えて、槙は目を瞬いて顔を上げた。
「最近、元気ないな。何かあった?」
その腕の距離に自分がいて、その瞳いっぱいに自分を映してくれる。この瞬間だけ二人きりで、今だけは自分だけを見てくれている、そんな風に思えば、顔が熱くなって、どうしてか泣きそうになって、それでも振り払えないこの距離に、槙は必死に視線を俯けて声を絞り出した。
「…なんもない」
そう言いながら、槙はどうしても気持ちが抑えきれなくて、文人がいつも着ているカーディガンの裾を小さく握った。この距離にまだ自分を置いてほしくて、でも、言葉にするのは怖くて、心はもどかしいくらい揺れ動いて落ち着かない。そんな槙の姿を、文人はどう思っただろうか。ややあって、文人はそれきり黙ってしまった槙の手をそっと握った。誰が通るとも限らない階段の踊り場、文人は人が来ない事を確かめたのだろうか、それとも、ただの生徒の手を握ったくらいで、文人にとっては何の問題もない事なのかもしれない。でも、槙は違う。他の誰とも違う、文人の前でしか、こんな風に苦しくなる程、胸を打ち付けたりはしない。
槙が反射的に顔を上げれば、文人はそっと微笑みながら、ゆっくりとカーディガンから槙の手を離していく。途端に寂しい思いが胸を過ったが、離れるとばかり思った手が、文人の大きな手にそっと包まれて、槙はどきりと胸を震わせた。
「他の先生達とも話してたんだけど、久瀬ノ戸君、ちょっと勉強遅れてるでしょ?放課後、時間作れるなら、勉強会をやれないかなって」
「…それ、あんたが見てくれんの?」
「僕は、担任の先生だからね、責任を持って、」
「やる!勉強する!」
思わず勢い込んだ槙に、今度は文人が目を瞬いて、それから彼は嬉しそうに笑って、わしゃわしゃと槙の頭を撫でた。
「それじゃ、授業の遅れを取り戻す為に頑張ろうね」
「うん!」
槙の心を占めていた、寂しさや不安は一気に吹き飛んで、翌日から、早速二人きりの授業が始まった。
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