桜と星と初こいと

茶野森かのこ

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桜と星と初こいと23

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アトリエでは、再び三人による作業が進められていた。キャンバスに筆を走らせる織人おりとは、どうしても幼稚になる絵の出来映えに溜め息を吐いて顔を上げた。斜め前には、服を絵の具で汚した咲良さくらの背中がある。その背中を少し眺め、織人は壁に立て掛けられた絵に目を向けた。
線が巡るような絵は、形があるようで形がない。まきは咲良の絵を気に入ってるようだが、何を描いてるのか分からない絵は理解し難く、一体どこが良いのだろうと、織人は首を傾げるばかりだ。
ぐるぐる渦巻くような不思議な絵は、春の芽吹きを祝福しているようでいて、織人を抜け出せない春の呪縛に連れ込むようにも見える。

「…なんで、槙は教師になったんだろ」

学校なんて、槙にとっては良い思い出なんかないだろうに。
ぽつりと呟いた織人の疑問に、隣で絵から顔を上げた恋矢れんやが答えてくれた。

「自分じゃなくて、先生の夢を叶えたかったんだって、先生がする筈だった、教師の人生を代わりに歩むってさ」

どこか投げやりにも聞こえた声に、織人は釈然としない様子で、目の前の絵を睨みつけた。

「なんだよそれ、あいつ何の為に生きてんだよ」

吐き捨てるように言い、荒々しく手を動かす織人に、恋矢と咲良は顔を見合わせた。

槙は、文人ふみとの為に生きている。文人の為に教師になった。そんな事、文人は望んでいるのだろうか。
ガシガシと、知らず内に力のこもる手を見かねてか、咲良は立ち上がると、織人の筆を持つ手を掴んで止めた。

「なにすんだよ」
「絵にあたるな、その気持ち、絵に乗るぞ」

静かな低音に、思いがけず言葉が詰まった。冷静に諭された事もだが、咲良にこの気持ちを見透かされている事にも悔しさが込み上げて、織人は咲良から目を逸らし、その手を振り払った。
こんな気持ちを槙にぶつけても、槙はきっと悲しむだけだ。だが、分かっていてももどかしさは募る、募る思いは募っただけ苛立ちに変わっていく。

「でも、それじゃあ、なんであんた達は何も言ってやんないんだよ。あいつ、いつまで背負う気だよ、何で死んだかも分かんねぇ奴の事をさ。好きだったって言ったって生徒に…」

生徒に対して、文人がどこまで本気だったかなんて分からない。結局、大事なのは家族の方だったんじゃないか、槙の事だって、都合の良い相手としか見てなかったんじゃないか。
だって、槙は文人の生徒だ、教師からしたら生徒は子供だ。

織人が途中で言葉を切ったのは、その考えが全て自分に跳ね返ってきたからだ。
織人も、教師である槙に思いを寄せている。それも、二人の関係は織人が子供の頃から始まる。槙は織人の事を、弟のようにしか見られないと、以前言っていた。

今、この世にいない文人よりも、自分が槙の心を埋める事はない。

そう思えば、胸がぎゅっと痛んで仕方ないが、それでも織人が思い浮かべるのは、涙する槙の背中と、無理したように笑う顔だ。

自分がただの弟にしか見られていなくても、それでも、槙の心を苦しめるものがあるなら、織人は許す事が出来ない。
織人はぎゅっと拳を握ると、気持ちを切り替えるように顔を上げた。

「不倫して生徒に手ぇ出すとかさ、そんな奴なのに、あんたらも何で庇うんだよ」

理解出来ないと、織人が不機嫌に言えば、恋矢は困ったように表情を緩めて笑った。

「…槙ちゃんが、学校に来たからだよ」

その静かな言葉に、織人が恋矢に顔を向ければ、恋矢は重い空気の気配を消すように、からっと笑った。

「俺、槙ちゃんから、先生と付き合う事になったって聞いても、あんま驚かなかったんだよね。先生の気持ちは分かんないけど、槙ちゃんの気持ちは分かったからさ。槙ちゃんが好きになるのも、まぁ無い事じゃないなってさ」

恋矢は言いながら、丁寧な仕草でパレットに筆を置いた。

「俺は幼なじみとして、槙ちゃんが普通に生活出来るようになったのが嬉しかったんだよ。そりゃ、不道徳な事して何考えてんだってくらい言いたかったけど、槙ちゃん見てたら、先生にだって言えなかった。そしたら先生、急に死んじゃうし、何死んでんだよって、それこそ逃げたのかって腹立ったりもしたよ。でも、逃げたなんて思いたくないのよ俺は」
「なんで」
「槙ちゃん、自分のせいだって思うだろ」

困ったように眉を下げて表情を緩めたその様子からは、槙を思う恋矢の正直な気持ちが伝わってくる。恋矢だって、槙の事を心配して見守ってきたのだろう。恋と友情の差はあれど、それは織人と同じで、同じだと思えば、腹を立てるしかない自分がまた子供のように思えて、織人は堪らず、ふいっと恋矢から顔を背けた。

「…逃げたとして、そいつの勝手だろ」
「でも槙ちゃんは、そうは思わないよ。いくら不道徳でも、先生が槙ちゃんの気持ち変えたのは本当でしょ?槙ちゃんが見てきたものとか、信じたものとか、全部が先生の最期に繋がるなんて…そんなの辛いだろ」

恋矢は寂しそうに笑った。
幼なじみとして、槙が辛い思いをしているのを恋矢は見てきた。恋矢は、自分では何の力になれなかったと悔いてきたのかもしれない。恋矢には、文人が救世主に見えたのだろうか、それが間違った恋だとしても。

「確証は何もない、先生が何を思ってたのかなんて分からない。でも、遺書もない。突発的なって事はあるかもしれないけど、でも、先生が自ら命を絶つなんてさ、やっぱり違う気がしてさ。
それでも、俺らが何を言っても、槙ちゃんの心には届かないんだ。届ける事が出来なかった」

もう自分を責めるのはやめてほしいと思っても、槙は必ず桜の時期には涙を零し、自分が幸せにならないようにと生きてる。
教師と生徒、しかも不倫の恋だ、それは誰をも不幸にする。でも、それを悔いて文人が命を落としたとは言いきれないのではないか。
相手の家族から見れば、槙は責めて憎む存在だろう。でも、咲良や恋矢は、槙の友人だ。これ以上苦しむ友人を見たくないと、どうしたって願ってしまう。

「だからさ、…まぁだからって訳じゃないけど、織人は槙ちゃんの側にいてやってな」

ぽん、と恋矢に頭を撫でられ、織人はきょとんとして顔を上げた。話の矛先が突然自分に向けられ、織人は、「だから」と言った恋矢の思いが分からなかった。
恋矢の中で、何がどう自分に繋がったのか、織人は分からずにぽかんとしていたが、ふと、恋矢に頭を撫でられている状況に気づくと、遅ればせながら目一杯に眉を寄せた。そのまま、その手を振りほどこうとしたが、そんな織人の思いに気づいてか、また恋矢はからっと笑ってその手をかわすと、ぽんと織人の肩を叩いて手を離した。

織人は、不機嫌な顔を浮かべたまま、撫でられた頭をくしゃと掻き混ぜたが、内心では、心が沸き立つような思いを感じていた。

今、託されたのだろうか、自分は何も出来ないのに。

織人は絵の具に染まった筆を握りしめ、色とりどりのキャンバスを眺めた。
子供だから、分からない。周りの事とか分からない。
織人はわざとそう開き直った。自分が子供だというなら、それに甘えてしまおう、今は。子供じみた思いでいい。文人の思いとか、文人が槙に与えたものとか、そんなものはどこかに置いて、自分だけは、今の槙だけの事を考える。そういう人間が一人いたって、構わないんじゃないか。
織人は気を取り直して、ただ槙を思う、それを伝える為に、再びキャンバスに向き直った。


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