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しおりを挟む「SNSでも結構話題みたいだぞ、キヨエばぁの人柄とか、それに蕎麦打ってるのが思ったより若い青年とかでさ。勿論、味が良いってのが一番だけどな」
「匠海くんて、実家が蕎麦屋とかだったりするの?うちに来てるのって、修行の為とか?」
もしかしたら、匠海は、邦夫に蕎麦打ちを見て貰おうと思って、店に来たのだろうか。
だが、今の善庵には、蕎麦を打てる店主はもういない。だから、他の店にもアルバイトに行っているのだろうか。
「いや、実家は普通の家だって聞いたな。修行っていうなら、あいつのアルバイト先がそうだろうな。今のままでも十分美味しいのに、うちの看板に泥を塗らないようにってさ、蕎麦打ちの腕を磨きたいんだと。キヨエばぁの蕎麦に比べたら、本当に十分過ぎるのにな!」
「あら、いっちゃん、そんな事言って!」
やいのやいのと賑やかに言い合いをする二人に、貴子は純粋な疑問に首を傾げた。
「でも、それならどうして匠海くんは、うちに?」
もし、蕎麦屋で働きたいと思ったなら、潰れかけの店にわざわざ来るだろうか。それとも、匠海は邦夫の蕎麦を過去に食べた事があって、それがもう食べられないと知り、復活させたいと思ってくれたのだろうか。
だが、貴子の疑問には、キヨエと一輝は顔を見合せ、どこか曖昧に微笑むばかりだ。
「色々あるだろ、お前もさ。あいつも色々あって、あの店にいてくれるんだよ」
ふぅんと頷き、貴子はあまり深入りしてはいけない話なのかもしれないと、その先の疑問は胸に留め置く事にした。
貴子だって、何もない訳がない。誰しも何かしら戦って生きている。でも、どうしても気になってしまう、どうして匠海は、こんな小さな田舎の蕎麦屋に来たのだろう、給料も受け取ろうともしないで、喜庵の為に働く理由は何なのだろう。
キヨエと一輝の弾む会話を聞きながら、匠海は今日、何時頃帰るのだろうと、貴子はぼんやりと思い馳せていた。
**
匠海は今夜も、日付を跨いだ後の帰宅になるようだ。昨日は貴子が帰ってきたので家に戻ったが、本来は、店の仕事を終えると、すぐにアルバイトに行ってしまうらしい。
一人の晩御飯は寂しいだろうと、一輝が晩御飯に招いてくれた。温かな食卓を囲んで、昔話に花を咲かせて、他愛のない事で笑って。重井家の皆は、いつだって本当の家族のように貴子を迎え入れてくれる、そんな彼らに、貴子は心から感謝をした。キヨエが広い家に一人で過ごしていられたのも、きっと、彼ら集落の皆が気にかけてくれていたからだろう。
広く静かな家に戻ると、貴子は仏壇に手を合わせ、今日の報告をした。
おじいちゃんは、空の上から見ていたのかな。
店での自分の働きぶりを見たら、邦夫はどう思うだろう。貴子は、合わせた手を下ろして仏壇に飾られた写真に目を向けた。写真の中の邦夫は、細面ではあるが厳めしい、見慣れた姿ではあるのだが、何だか今日はお説教が飛んできそうな気がして、貴子はいたたまれず、そそくさと仏壇の前から退散した。
それからお風呂に入って、夕涼みに縁側に出てみると、賑やかな虫の音を清んだ夜風が浚っていくようだった。ふと空を見上げてみれば、降るような星空に、何度見ても圧倒される。街灯もないこの集落では、暗すぎて隣の家から帰るのも一苦労だったりするのだが、だからこそ、この星空は、目眩を起こしそうな感覚を覚える程だ。東京にある貴子の自宅からは、いくら目を凝らしても見えない星も、この場所では、夜空を埋め尽くさんと瞬いている。それでも、キヨエ達に言わせれば、昔よりも星が見えなくなったと言うのだ、この土地も少しずつ変わってきているのかもしれない。賑やかだった集落も、人は段々と少なくなってきている。そんな中、匠海はやって来た、キヨエも集落の皆も、嬉しかったのではないだろうか。
そう思い、貴子は部屋の中へ目を向ける。この家で、貴子の母は育った。子供達がいた頃は、この広い家も賑やかだっただろうが、子供達が巣立てば夫婦二人きり、邦夫が旅立ってしまった後は、キヨエはこの家に一人きりだ。一人で暮らすには、広すぎる家だ、住み慣れた家とはいえ、寂しさはあっただろうに、それでも店を守る為、キヨエは一人でここにいたのだ。
貴子はそのまま縁側に腰掛け、戸に寄りかかって空を見上げた。
静かな夜だ、虫の声や風の音が、広い大地に存在を示し、どこまで行っても果てはないような、そんな空の大きささえ感じさせられる。
清々しい夜、でも、一人をより強く感じさせられるようで寂しくもある。
こんな寂しさも、匠海は埋めてくれたのだろうな。貴子は一人で暮らしていたキヨエの寂しさを想像し、匠海の存在の大きさを実感する。
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