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逝けない女⑦

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 夜風に吹かれながら、渋谷駅に向かって道玄坂を下り始める。思い起こせば、去年の年末は、まだ『キャッスル』に在籍していたのだ。あれからまだ一年しか経っていないのか。

 去年の大晦日は僕にとって、忘れたくても忘れられないターニング・ポイントだった。

 後輩のコールボーイの罠にはまり、レイプまがいの仕打ちを受けたのだ。しかも、その直後、僕は男のプライドを取り戻すために、大好きだった女性を強引に抱いている。(『裸のプリンス』「溺れる身体」参照)

 彼女から別離を切り出されて強いショックを受けたとはいえ、許されないことをした、と自覚している。

 振り返っても、心が冷える。彼女から訴えられても文句の言えない状況だった。

 コールボーイを始めて2年と4ヵ月。恥ずかしいことを何度も繰り返してきた。恥の数だけ成長したのなら、まだ救いはあるのだけど……。

 ついネガティブに陥りそうになるが、両手で頬を叩いて奮い起こす。

 クリスマスを過ぎても、渋谷の夜は賑やかだ。忘年会や飲み会の流れなのだろう。笑い声や大声が絶えない。

 デート中のカップルとも擦れ違う。珍しく、人恋しさを覚えてしまった。

 僕にはこういう時、電話をかける相手はいない。真由莉さんとは月1ペースで会っているけど、今度会えるのは2週間先だ。

 心がもやもやしていた。変則的なセックスで右手首と右肘は強張っているけれど、体力はありあまっている。

 このまま、根津のマンションまで歩いて帰ってしまおうか。もし疲れたら、途中でタクシーを拾えばいい。そんなことを考えていた時、スマホが着信した。

 ドクンと心臓が跳ね上がる。電話をかけてきたのは、レイカさんだった。

『クラブ・キャッスル』のオーナー兼マネージャーであり、僕の最も憧れていた女性。一年前、強引に抱いてしまった女性でもある。『キャッスル』を辞めてから一度も連絡を取り合っていない。

 なのに、どうして、今になって……。とりあえず、冷静に対処しよう。

「はい、もしもし」喉の奥から、どうにか声を絞り出す。

「シュウくん、突然ごめんなさい。どう、その後、元気にしているの?」

「はい、元気にやっています」

 バカっぽい受け答えに赤面する。緊張で口の中がカラカラだ。

「うん、君はココナさんの方が合うみたいね。君の活躍ぶりは噂で聞いているし、事務所を移って正解。本当によかったよ。それで、用件なんだけど……」

 軽やかに告げるレイカさんに、僕は少し落胆する。ああ、やっぱり誘いじゃなかったか。そんな可能性を思い浮かべた己の女々しさを呪う。

 だが、レイカさんの言葉で一気に現実に引き戻された。
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