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キトラの男①
しおりを挟むなぜ、バカな連中ばかりなのか。そんな想いが表情に出ないように、真壁マキナは笑顔をとりつくろう。
毎度おなじみ、数え切れないほど繰り返してきたバイト説明会である。マキナは男女八人のカードホルダーに対し、いつもと同じ説明を繰り返している。
身につけているのは、トレードマークの赤いミニスーツ。自慢の胸が相変わらず、男どもの視線を独り占めにしていた。
「私からのお願いはただ一つ。皆さん、ルールは必ず守って下さい」
「ルールを守るだけでいいんですか? それだけで、一日10万円がもらえるんですか?」
この質問と回答は定番だ。
「このアルバイトの条件は、ルール厳守。この一点に尽きます。ただ、それだけです。簡単でしょう? 日常生活においても気を抜かず、必ず徹底すること。決して忘れないでください」
もっとも、八人はワイワイと騒いでいて、マキナの説明など聞いてはいない。
まぁ、これも、いつも通りの情景だ。危機感も警戒心も注意力もない。彼らの行く末が目に浮かぶ。彼女の予想は99.9%の確率で的中する。
だから、ささやかな警告として、マキナはポツリと呟くのだ。
「ルール厳守よ。死にたくなければね」
その口元に浮かんだ妖しい笑みに気づいた者は、一人もいない。
いや、一人だけいた。他でもない。久しぶりに見つかった〈キトラの男〉である。
あの日の記憶は今も尚、鮮明に残っている。
*
血に染まった荒川河川敷は、陽が暮れてしまうと暗闇に包まれた。街灯は数えるほどしかなく、数キロメートルほど上流にある茅野原大橋から、ぼんやりした光が届くだけである。
恭介は、この数時間の出来事を思い返していた。OMの森山が死に、深原詩織こと森山夕呼も天に召された。おまけに、真壁マキナに反旗を翻した海老丸まで後を追った。
気が付くと、濃紺ツナギたちは作業を終えていた。海老丸と詩織の遺体を荷台に載せると、ワゴン車は速やかに走り去っていった。
現場に残されたのは、マキナと数人の濃紺ツナギ、そして、恭介だけである。
ルール違反が不問になったのだから、恭介は帰っても問題はない。しかし、まだ現場にとどまっているのは、マキナから言われたからだ。
「君はさっき、デスゲームと言ったわね。なら、そのゲームの狙いに興味はない? 君はあと数時間で、開始六日目を終える。実は、七日目を迎えたカードホルダーは一人もいないのよ。そんな君に敬意を込めて、私たちの秘密の一端を開示してあげる。まもなく、裏の仕掛け人がここにやってくるから」
そう言われては、何者でも立ち去れないだろう。
恭介が所在なげに待っていると、やがて暗闇の中から、獣の目のような二つの光が出現した。それは乗用車のヘッドライトだった。悪路に四苦八苦しながら、一台の軽自動車が近づいて来た。
「尾白くん、お待たせ。ようやく来たみたいね」
マキナの待ち人とは、汚れた白衣の中年男だった。恭介が会うのは三回目だろう。軽自動車から降り立った鈴木は、見事な太鼓腹を揺らしていた。
「デスゲームの裏の仕掛け人、鈴木先生よ」と、マキナが笑う。
「真壁主任、何を仰います、人聞きの悪い」と、鈴木が応じる
マキナより一回りは年上だが、口振りと態度によると、鈴木はマキナの部下になるらしい。
鈴木は恭介の頭から足まで、嘗め回すように見る。
「ふむ、尾白恭介くん、最後まで生き残ったのは君か。精神的肉体的特性から鑑みても、もっともな結果でしたな」そう言って、マキナに笑いかける。
「そうね、鈴木の言葉を借りれば、尾白くんこそ、〈キトラの男〉ということになるのかしら」
「〈キトラ〉……? 何ですか?」恭介は怪訝な表情で訊く。
「詳しい説明は後回しだ。その前に、ちょっと採血させてもらうよ」
鈴木が医療用注射器を取り出した。鈴木のグローブのような手にかかると、まるで玩具のように見える。
注射嫌いの恭介は真っ青になって、ビクンと身体を震わせた。だが、薄暗いので気づかれなかったようだ。鈴木は躊躇いなく恭介の左腕をつかむと、ささっと消毒して注射器の針を突き刺した。
恭介は目を閉じて、顔をそらした。注射器のポンプが血液を吸い上げていく。ゴキュゴキュゴキュ。そんな不気味な幻聴を聞いた気がした。
鈴木は恭介の血液を試験管に移すと、恭しくクーラーボックスに保管した。
「はい、尾白くん、どうも御苦労さん。また、良いサンプルがとれた」
「サンプル? さっきの〈キトラ〉のサンプル、ということですか?」
「ああ、正しくは〈キトラシオン〉だ」
「あのう、すいません、〈キトラシオン〉とは一体なんですか?」
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