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素人絵師③
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蔦屋が喋り疲れたところで、すかさず又座衛門が口を挟んだ。
「蔦屋さん、実はあんたに、歌麿に匹敵する絵師を紹介したいんだよ。ほら、斎藤さん、あんたの絵をこの男に見せてやりな」
十郎兵衛は半紙の束をもってきて、緊張の面持ちで蔦屋の前に差し出した。
「……お願いいたします」
蔦屋は行燈のそばで胡坐をかくと、身体を左右に揺らしながら、それらの絵を眺め始めた。そのうち、身体の揺れが止まった。眉間にしわを寄せて、絵を一枚一枚、丁寧に見ている。
十郎兵衛は内心、居ても立っても居られなかった。いうなれば、これは針の筵である。生まれて初めての強い不安を味わっていた。ほんのかすかな期待とともに。
蔦屋が最後の一枚を見終えた。十郎兵衛は座り直して、蔦屋の言葉を待つ。ところが、蔦屋は首を傾げて、口をつぐんだまま、もう一度、最初から見直しだした。
「蔦屋さん、どうなんだね。何とか言っておくれよ」しびれを切らした又座衛門が言う。「大した出来栄えだろ。ほら、この女の絵など、まるで歌麿のようじゃないか」
「『歌麿のよう』では商売にならねぇ」蔦屋はきっぱり言い切った。「歌麿を超えてもらわねぇといけねぇんだ」
「おいおい、蔦屋さん、無体なことを言うね」
当時、喜多川歌麿は市井の美女、吉原の名妓などを描き、蔦屋と組んで美人画の一枚摺版画を出版。江戸っ子の評判をかっさらい、浮世絵界の頂点に躍り出ていた。まさに、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったのだ。
その歌麿を超えろ、というのだ。又座衛門でなくとも、「無体なことを」と言うだろう。
蔦屋は十郎兵衛をジロリと睨みつけ、
「おまえさん、絵について学んできたわけじゃなさそうだな」
「ええ、お勤めの合間のほんの手なぐさみで……。あ、申し遅れました、私は、斎藤十郎兵衛と申します」
「そうかい、十兵衛さんかい」
「いえ、十郎兵衛と申します」
蔦屋は束ねた半紙を突き返すと、
「おまえさんの絵を見た江戸っ子は皆、口を揃えて言うだろうね。『何だ、歌麿の真似じゃねぇか』とさ」
「……」
蔦屋は目をそらして、独り言のような口調で
「俺は世間をあっと言わせてやりてぇんだよ。そのためには、この絵じゃいけねぇ。もう一皮も二皮もむけてもらわなくては……。もっとも、十兵衛さんに、もしその気があれば、の話だが」
「……はぁ」また名前を間違えられたと思いつつ、少々鈍いところのある十郎兵衛は、蔦屋の真意をつかみかねていた。「蔦屋殿、それは一体、どういう……」
「おまえさんの心持を訊いているんだよ。やるのか、やらねぇのか。おまえさんの絵がものになるのか、それともならねぇのか、そいつは誰にもわからねぇ。お天道様でもわかるめぇよ。しかし、やらなければ、何も始まらねぇ。それだけは確かだろうぜ」
皆まで言わすな、という蔦屋の口調だった。蔦屋の言葉は十郎兵衛の心を打った。鐘の音のようにゴォンと響いて、その余韻に浸りながら、彼は心を決めた。何か言いかけた又座衛門を制して、十郎兵衛は口を開く。
「わかりました。やりましょう。蔦屋殿、どうぞ御指南のほど、よろしくお願いいたします」そう言って、頭を垂れた。
この時、寛政五年〔一七九三〕、年末が近いというのに、妙に生あたたかい夜のことだった。
「蔦屋さん、実はあんたに、歌麿に匹敵する絵師を紹介したいんだよ。ほら、斎藤さん、あんたの絵をこの男に見せてやりな」
十郎兵衛は半紙の束をもってきて、緊張の面持ちで蔦屋の前に差し出した。
「……お願いいたします」
蔦屋は行燈のそばで胡坐をかくと、身体を左右に揺らしながら、それらの絵を眺め始めた。そのうち、身体の揺れが止まった。眉間にしわを寄せて、絵を一枚一枚、丁寧に見ている。
十郎兵衛は内心、居ても立っても居られなかった。いうなれば、これは針の筵である。生まれて初めての強い不安を味わっていた。ほんのかすかな期待とともに。
蔦屋が最後の一枚を見終えた。十郎兵衛は座り直して、蔦屋の言葉を待つ。ところが、蔦屋は首を傾げて、口をつぐんだまま、もう一度、最初から見直しだした。
「蔦屋さん、どうなんだね。何とか言っておくれよ」しびれを切らした又座衛門が言う。「大した出来栄えだろ。ほら、この女の絵など、まるで歌麿のようじゃないか」
「『歌麿のよう』では商売にならねぇ」蔦屋はきっぱり言い切った。「歌麿を超えてもらわねぇといけねぇんだ」
「おいおい、蔦屋さん、無体なことを言うね」
当時、喜多川歌麿は市井の美女、吉原の名妓などを描き、蔦屋と組んで美人画の一枚摺版画を出版。江戸っ子の評判をかっさらい、浮世絵界の頂点に躍り出ていた。まさに、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったのだ。
その歌麿を超えろ、というのだ。又座衛門でなくとも、「無体なことを」と言うだろう。
蔦屋は十郎兵衛をジロリと睨みつけ、
「おまえさん、絵について学んできたわけじゃなさそうだな」
「ええ、お勤めの合間のほんの手なぐさみで……。あ、申し遅れました、私は、斎藤十郎兵衛と申します」
「そうかい、十兵衛さんかい」
「いえ、十郎兵衛と申します」
蔦屋は束ねた半紙を突き返すと、
「おまえさんの絵を見た江戸っ子は皆、口を揃えて言うだろうね。『何だ、歌麿の真似じゃねぇか』とさ」
「……」
蔦屋は目をそらして、独り言のような口調で
「俺は世間をあっと言わせてやりてぇんだよ。そのためには、この絵じゃいけねぇ。もう一皮も二皮もむけてもらわなくては……。もっとも、十兵衛さんに、もしその気があれば、の話だが」
「……はぁ」また名前を間違えられたと思いつつ、少々鈍いところのある十郎兵衛は、蔦屋の真意をつかみかねていた。「蔦屋殿、それは一体、どういう……」
「おまえさんの心持を訊いているんだよ。やるのか、やらねぇのか。おまえさんの絵がものになるのか、それともならねぇのか、そいつは誰にもわからねぇ。お天道様でもわかるめぇよ。しかし、やらなければ、何も始まらねぇ。それだけは確かだろうぜ」
皆まで言わすな、という蔦屋の口調だった。蔦屋の言葉は十郎兵衛の心を打った。鐘の音のようにゴォンと響いて、その余韻に浸りながら、彼は心を決めた。何か言いかけた又座衛門を制して、十郎兵衛は口を開く。
「わかりました。やりましょう。蔦屋殿、どうぞ御指南のほど、よろしくお願いいたします」そう言って、頭を垂れた。
この時、寛政五年〔一七九三〕、年末が近いというのに、妙に生あたたかい夜のことだった。
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