シュバルツバルトの大魔導師

大澤聖

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1 ルーンカレッジ編

003 野望の起源

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「ジル、新入生と会ったんだろ? どうだった?」

 尋ねたのはジルのルームメイトだ。このルーンカレッジの宿舎は二人部屋になっている。仲間と上手くやるのも魔術師になるためには必要ということだろう。ルーンカレッジには各国から身分を問わず、魔術師候補が集まってくる。中にはレニのような伯爵令嬢や公爵の跡取りなどという人間もいるのだ。カレッジは高貴で有能な人間とのつながりを得るための場でもある。

「ああ……、いい子そうだ。レニ=クリストバインという」

「クリストバイン? あのクリストバインかよ!?」

クリストバインだ」

「へー、超絶有名人の娘じゃねーか。うらやましいぜ!」

「なにがだよ?」

 ジルは呆れたように聞いた。

「ひと~つ、かわいーい子とお近づきになれる。これ以上のラッキーがあるか~? ふた~つ、あのクリストバイン家とお近づきになれる。お前の野望に使えると思わないか?」

「本当に呆れたな。俺はまだ彼女が可愛いなんて言ってやしないんだが……。それに俺はそんなやましいことなど考えてない。ただの指導する下級生だ」

「そりゃ、真面目なジルさんはそうかもしれんがさ。実際、指導生と新入生っていうのは、お師匠さんと弟子みたいに長い付き合いになることも珍しくないんだぜ」

 この遠慮のないルームメイト、ガストンに悪気がないことをジルはよく分かっている。ガストンはここフリギアの平民の出で、両親は下町で魔法塾を営んでいる。下町で育ったことから口が悪くなったのだ、というのが好意的な見方だが、果たして……。

 ただガストンは口は少々悪いがさっぱりとした気のいい男で、友情にも厚い。ジルはそこに親友の美点を見つけていた。ジルは自分のことを友情に厚いとは思わないが、なるべくガストンの美点を見習いたいと思っている。ガストンはガストンで、この4歳歳下の友人に魔法では到底敵わないとすでにその天才を認めてしまっている。

 ガストン自身もそこそこ優秀な学生であった。平均以上の速さで進級し、初めて魔法を覚えるのも早かった。しかしそんなささやかな自信も、ジルを知って打ち砕かれた。なにしろこの男は自分が3年かかった初級クラスをたった1年で進級し、中級も1年で終えそうなのである。とても自分の勝てる相手ではない。

 ガストンは持ち前の明るさで、ジルに対する嫉妬を友人に対する尊敬に昇華させることに成功したが、ルーンカレッジの中にはそれが出来ず露骨に態度に出す輩もいる。ガストンはむしろそんな敵意をもつ上級生から、年下のジルを守る保護者的な存在になっていた。

 そもそもガストンは宮廷魔術師を目指しているわけではない。ルーンカレッジに入ったのも、実家の魔法塾を継ぐためだ。経営者がルーンカレッジ卒の正規の魔術師となれば箔がつくのだ。それゆえ、将来の道でジルが自分のライバルとなることもないので、いっそ気が楽なのである。

「もう新入生の入ってくる季節になっちまったか。あいつら、明後日から魔法の基礎を学ぶのか。大変だろうな」

 同情の色を込めてガストンが言った。ジルなどには分からないことだが、魔法というのは至極難しいのだ。基本的に魔法が使えない状態で入学してくる新入生が、魔法の基礎を学ぶというのは、全く知らぬ言葉を一から学ぶようなもので、想像以上にハードルが高い。

 学校の入学試験を通った段階で、学生たちは一種のエリートと言って良い。なぜなら魔法の力というのは万人に備わっているわけではないからである。後天的な努力も必要であるが、まずもって生まれ持った才能がなければ話にならない。魔力を持つ人間はおよそ1000人に1人と言われている。新入生も1000人に1人の才能を持っているということだ。

 しかし、これはあくまで学校に入学を許されたということにすぎない。さらにこのルーンカレッジを卒業できるほどに魔法を修めることができるのは、その10分の1と言われている。つまり1万分の1の人間だけが、このルーンカレッジを卒業し正規の魔術師になることができるのである。そして当然その魔術師の中にも優劣は存在するのだが……。

 ガストンが同情するのは、初級クラスのこの最初の段階で落第していく学生が多いからである。魔法には一種の相性のようなものがあって、合わない人間は魔法を学ぶのに向いていないのである。

「その子、才能はありそうなのか?」

「さあ、今日ちょっと会っただけだが、人並み以上の魔力は感じられた。クリストバイン家なら事前にある程度の魔法教育を行っていたりするんじゃないか?」

「お前さんも、入学前から魔法使えたしな」

 ルーンカレッジに入ってくる人間の背景はそれぞれだ。多くはルーンカレッジに入ってから初めて魔法を学ぶことになるが、中にはあらかじめある程度魔法を身につけている学生もいる。

 ジルは父親が宮廷魔術師であったため、家には魔法に関する本や道具があふれていた。父親は小さな子どもに魔法を教えることに熱心ではなかったが、ジルが何度もねだって初歩的なことは教えてくれたし、あとは時間をかけて1人で研究を重ねていた。結果、ルーンカレッジに入る際に、ジルは第一位回魔法をいくつか使えるようになっていたのである。

「明日彼女と会うことになっているから、もう少し詳しいことを話してみるさ」

「いつか俺にも紹介しろよ」

 調子のいいことを言いながらガストンは部屋を出て行った。

「そのうちにな……」

 居なくなったガストンに答える。

(レニ=クリストバインか……。ガストンの言うとおり、シュバルツバルトの武の名門、英雄レムオン=クリストバインとのつながりが出来たのは大きいかもしれない。宮廷魔術師として上に行くためには、時に人脈も必要だからな)

 レニに大魔導師になりたいと言ったのは嘘ではない。だが、全てを話したわけでもない。ジルが大魔導師を目指しているのは、宮廷魔術師として上りつめれば、個人ではたどりつけない情報を手にすることができるからである。そしてジルが最も欲している情報は、自らの出生の秘密についてであった。

 ジルは自分が父ロデリック=アンブローズの子であることを疑ったことはなかった。宮廷魔術師の子として自分も魔術師になるのだ、そう単純に思っていた。幼い頃から魔法の勉強を始めたのも、子どもながらに父の仕事に誇らしさを感じていたからだ。……しかし世界はそう単純ではなかったのである。

 ルーンカレッジへの入学が決まった時、入学を喜んでくれると思っていたジルは、父の顔があまりに真剣であることに戸惑った。普段は子どもの前でヘラヘラと笑っている父がである。ルーンカレッジに入学できるなら、もうジルは大人として扱うべきである、ロデリックはそう考えたのであろう。ロデリックはジルを自らの部屋に呼び、そこでジルは自らの出生について知ることになった。

**

 13年前、ロデリックはシュバルツバルトの聖地グアナ・ファルム一帯を警備する駐留部隊に配属されていた。大魔導師、魔導師は基本的に王宮に務めることになるが、上級魔術師以下の魔術師は軍の部隊に従軍することもある。グアナ・ファルムはイシス教の聖地であり、世界各地から信者が巡礼に訪れる場所である。

 その日、ロデリックは朝早くまだ誰もいない聖地の神殿を訪れていた。前日の夜、部隊長など軍の指揮官たちの宴会に強引に付き合わされた。戦士たちの宴会の雰囲気や酒の飲み方は独特のものがあり、魔術師は大抵疎外感を覚える者が多いようだが、ロデリックは普通に彼らと付き合うことができた。そして朝まで飲み続け、ついに一睡もできなかったのである。

 ロデリックは壮麗な神殿の周りを散歩して、任務前に身体から酒を抜こうと考えていた。神殿の前には神イシスの像のある泉があった。泉の水は信者にとって聖水であり、神殿を訪れる者の多くは、その水を有り難がって持ち帰る。ロデリックは泉の水を飲み、頭からかぶって酒精を追い払おうと泉に近づいた。

 泉のふちにカゴが置かれていた。買い物などに使うようなものではなく、貴族の家にあるような装飾の入った高級なものである。誰かの忘れ物だろうか? ロデリックがそう思って近づくと、その気配を察してかカゴから赤子の泣き声が聞こえてきた。

「おぎゃー! おぎゃー!」

「!?」

 ロデリックは瞬時にそれが捨て子であることを悟った。この世界で捨て子はそう珍しいものではない。戦争はそこかしこで起こり、戦のたびに親の無い子どもや未亡人ができる。子を育てられなくなった親は、生きていくために子を捨てるしかなくなる。恐らくは、神殿の前に置いておけば神殿が育ててくれるのではないか、と親は考えたのであろう。とすれば、まだしも良心的な親なのかもしれない。

 ロデリックは赤子を抱き上げた。魔術師になるため魔法の研究に忙しく、妻はまだ居ない。いや、付き合っている女性も居ないのだが……。ロデリックは赤子を抱き上げた時、何か幸せな感情に包まれるのを感じた。いままで自分が子どもを好きだと思ったことはなかったが、意外にも自分は子ども好きの人間なのではないか。これはロデリックにとって興味深い発見であった。

 神殿に預けるという選択肢もあった。しかし未だ子のいないロデリックは、その子を自分の子として育てることに決めた。その子ども、つまりジルフォニアと名付けた子どもには、母親は彼を産んですぐに亡くなったと教えた。真実を伝えるのは自分で物事を決められる大人になってからでいい、ロデリックにもそんな普通の親としての配慮をすることができたのである。

 自分は何ものなのだろうか。魔法に天賦の才があるとはいえ、13歳の少年には重大な事実であった。ルーンカレッジに入り、ロデリックとは離れて暮らすことになったことは、ある意味ジルにとっては良かった。なぜならロデリックに対して何かわからぬ怒りのようなものを感じていたからである。

 それがその年代特有の反抗期から来る感情なのか、それとも実の親ではないことを隠していたことに対するものなのか、自分でもよく分かっていなかった。いずれにせよ、カレッジに入ったことが2人にとって調度良い冷却期間となったのである。
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