シュバルツバルトの大魔導師

大澤聖

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1 ルーンカレッジ編

022 帝国への使者

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 レミアの実家、帝国のシュライヒャー家は武門の家として名高い。もっとも代々の名門というわけではない。レミアの父エルンスト=シュライヒャーは、兵士からの叩き上げで将軍にまでなった帝国でも異数いすうの人物である。

 神聖グラン帝国は現存する国家の中では最古の国家であり、古代にはこの大陸全体を統一していたこともある。その後シュバルツバルト=バルダニア王国が独立し、両国との戦いで次第に領土が縮小していった。

 帝国は古き伝統があるがゆえに、貴族を中心とした身分制が政治や軍事を強く規制していた。無能な貴族が戦を指揮し、有能でも身分のない者は力を発揮することができなかった。その辺りに帝国が衰退していった理由があったのだろう。帝国は緩やかな滅びの道を歩んでいる、それは帝国も含めて多くの人間が共有する事実であった。

 ところが、ここに傑物けつぶつが登場する。先々代の皇帝レオニッツ4世である。レオニッツ4世は優れた統治感覚を持ち、帝国を再び繁栄へと導いたことで「帝国中興ちゅうこうの祖」と称された。

 彼は古き帝国の制度を改革し、多くの新たな制度を確立した。例えば、従来平民が軍でつくことができるのは最高でも下級指揮官止まりであったが、彼の改革によって、優れた功績さえあげれば平民でも制限なしに出世できるようになったのである。

 当然これには旧習に慣れた貴族層から強い反発を招いたが、レオニッツ4世は時に反対派の貴族を弾圧して取り潰し、時に懐柔かいじゅつするなどして巧みに貴族たちを自分の改革に従わせていった。レミアの父エルンスト=シュライヒャーは類まれな才能をもった軍人であったが、レオニッツ4世の改革がなければ、部隊長になるぐらいがせいぜいであったろう。

 そしてレオニッツ4世の改革は、皇族にも及んだ。無能な君主=皇帝が即位すれば、帝国全体を衰退させる。レオニッツ4世はそれをうれいていた。彼には5人の息子たちがいたが、すぐには後継者や継承順位を定めなかった。

 彼は息子たちが成人するまでの言行をつぶさに観察し、息子たちの才と性格、そして家臣からの評判を細かく評価した。そして最終的に後継者を定めると、それを紙にかいて封印し保管したのである。彼が死んだ後、その封が解かれて初めて後継者が分かるという仕組みである。

 一度定めた後継者は、その後の息子たちの行状によって変更されることもある。レオニッツ4世の判断しだいで封印書の名前が書き換えられる可能性があるのである。それゆえ、彼の息子たちは長い間極度の緊張を強いられた。皇帝の息子という権力者ではあったが、優れた才能を示し、家臣からの信望が厚くなければ、後継者となることはできず、父の死後に冷や飯を食うことになりかねない。

 それだけならまだ良いが、後継者争いに勝利した者は、往々にして競争相手であった兄弟たちを様々な理由をつけて抹殺する。息子たちは時に意にそぐわぬとしても、家臣たちの歓心を買うようなことまでしなければならなかった。レオニッツ4世の考えでは、それぐらいのことに耐えられない者は、この斜陽しゃようの帝国を率いることなどできないのであった。

 そして現皇帝ヴァルナードは、このような熾烈しれつな後継者争いに勝利して皇帝に即位した。先代皇帝が比較的若く死んだため、ヴァルナードが即位したのは22才の時であった。彼には2人の兄と3人の弟がいたが、有力な貴族を味方につけ、家臣の評判を高めることに意を使い、優秀な兄を罠に陥れ皇帝の座を射止めたのである。

 ヴァルナードは若くして強力な指導力を発揮し、レオニッツ4世の再来と称されていた。いずれ彼の名を受け継ぐ子孫が現れ、ヴァルナード1世と称されることになるだろう。

 ジルたちが向かう帝国とはそんな国であった。シュバルツバルトはもともと帝国から独立したため、関係は良くないはずであった。ところがともに独立したバルダニアとの対立が生じ、二つの国家に分裂したことから、むしろシュバルツバルト・バルダニア間の関係の方が悪化している。帝国との関係は友好的とは言えないまでも、相対的に悪くはなかったのである。

 レミアの実家シュライヒャー家は、シュバルツバルトとの国境近くを領地としている。シュバルツバルトとの小競り合いが起こる国境地帯に、この有能な軍人を領主として封じたのは先代の皇帝であった。これはなかなかに人事の妙と言えるだろう。

 さて、シュライヒャー家の領地まで行くためには、国境を通過して帝国領を行かねばならない。当然それには、事前に帝国政府に許可を得る必要がある。シュバルツバルトは皇帝ヴァルナードに信書を送り、弔問ちょうもん団派遣の許可を申請した。

 帝国としても、これはとくに害のあることではないから許可された。その上で、シュバルツバルトはシュライヒャー家に使者を送り、弔問ちょうもん団派遣の可否をたずねている。エルンストは使者から王国の意思を聞くと、しばらく瞑目めいもくし「使者殿の到着を心よりお待ちしている」と答えたという。

 レミアの遺品は女子用宿舎にあったため、任務とはいえジルたちが立ち入るわけにはいかない。遺品は、ルームメイトが整理して木箱に入れ、ジルたちに引き渡された。レミアはそれほど物持ちのいい方ではないらしく、遺品は木箱一箱に収まった。遺品の木箱を前にして、3人は厳粛な気持ちにならざるを得ない。どうしても彼女の死を再認識させられることになったからである。

 王宮に行った時とは違い、ジルたちは正装を荷物の中に入れ武器と防具を装備する。シュライヒャー家を訪問する段階で初めて、正装を着用することになるだろう。それまでは帝国領なので、何か不測の事態が起こらないとも限らない。すでに戦いを経験したジルとガストンは、準備を念入りに行った。何が生死を分けるかわからない、という意識が強く働いていたからである。

 3人は迎えに来た王室の馬車に乗り、王宮へと向かう。前回は客人として招かれてのことであったが、今回は形式的にせよシュバルツバルトの人間として任務につくことになる。ゼノビアなどの態度も、これまでほどは甘くないだろう。ジルたちは、自然に身が引き締まる思いであった。
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