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2 動乱の始まり編
062 レムオンの問い
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ジルはレムオンの書斎へと通された。戦争の英雄と称されるわりには、意外にもかなりの蔵書量である。聞けばこの部屋に入りきれない本がまだ地下に保管されているという。
「このクリストバイン家は、本当は兄が継ぐはずだったのだ。だから私は若い頃から呑気に家で書物ばかり読んでいた。それが兄が戦争で死んだものだから、私に出番が回ってきてしまった。今では書物を読む時間などほとんどないのだ」
レムオンは肩をすくめ、いかにも残念だという仕草をしてみた。ジルの知るレムオン=クリストバインという男は、バルダニアとの戦争で若き英雄として頭角を現し、現在は軍の重鎮として強い影響力を持った人物だ。ジルにとっていまの話は意外な過去であった。
「さて、君も飲むかね?」
レムオンは酒のボトルの前にグラスを2つ置き、ジルに聞いた。シュバルツバルトでは酒に関する法はない。男であれば14歳ですでに一人前と認められることもあり、酒を飲むこともそう珍しいことではない。しかしジルは過去に一度しか酒を飲んだことがない。それもわずかに口をつけた程度である。
「宮廷では当たり前のように酒が出てくるぞ。貴族の付き合いで酒が飲めないのではやっていけない。まあ君も試してみたまえ」
他ならぬレムオンの言うことでもあり、ジルは酒をもらうことにした。シュバルツバルト特有の蒸留酒で、かなりの高級品らしい。ジルは口をつけ、酒を微量口に含んでみると、火に焼けそうな感覚に襲われ、思わずむせてしまった。
「ははは、この酒はちょっと強かったかな。じゃあワインにしておくか。738年ものの良いのがあるんだ」
レムオンは棚から赤ワインのボトルを取り出し、ジルと自分のグラスに注いだ。口をつけてみるとまろやかな口当たりで、ジルでも飲みやすいワインだった。
ジルは部屋を見渡してみた。改めて見ると、その蔵書量に驚かされる。
「この書物の山も無駄ではなかったんだ。幼い頃から家にこもって書物ばかり見ていたが、それが軍人になってから敵や味方の心理を推測したり、敵を打ち破る戦術の知識を得るのに役立ったよ。人間何が役に立つか分からんものだよな」
レムオンは冗談めかしてそう話しているが、かなりの実感が込められた言葉のように感じられた。レムオンにはきっとまだ話していない何かが過去にあったのだろう。
「さて、ジルフォニア=アンブローズ君。娘から聞いたのとは別に、私も君のことは聞いていたよ。むろんアルネラ様の一件でだ」
レムオンの声のトーンが先程までとは打って変わり、ジルも居住まいと正す。レムオンの顔はすでに笑みを浮かべてはいない。そこには、さきほどレニやアニスに見せた顔とは違う顔があった。王国軍の重鎮として、あるいは名門貴族として、そしてジルはそれとも何か違う奇妙な圧力をレムオンに感じていた。
「君はこの一件で一躍有名となった。君自身は意識していないかもしれないが、私のところにも名前が聞こえてくるくらいだからな」
「それで、だ。もし、君がレニを妻にしたいと考えているのなら、早く地位を昇りつめることだ」
「……いえ、私はそんな――」
突然レムオンがレニとの結婚について言い出したので、ジルは思わず慌ててしまった。
「まあ、待ちたまえ。君が娘のことをどう思っているかは分からない。それは今は聞かないでおこう。しかし、娘がどう思っているかは私には分かるつもりだ。少なくともあれは君の事を必要としている。それを前提として、もし君が娘と結ばれたいと思っているなら早くしなさい。いま娘のところにはひっきり無しに縁談が来ている。あのブライスデイル侯からもな」
「ブライスデイル侯からもですか?」
「君は侯に会ったことがあるのかね? 私を自派に引き入れようとする見え透いた政略結婚だが、侯の孫であれば相手としては悪く無い。私としてもいつまで断り続けられるか分からん」
アニスが言っていたように、王国内部の政治状況によっては、レムオンとしても生き残るために貴族たちの派閥へ入らざるをえなくなるかもしれない。その時、ブライスデイル侯の要求を果たして断れるだろうか。
「私はこれでもレニの父親だ。出来ることなら、レニには好きな相手と一緒になって幸せになってもらいたいと思っている。だからレニが欲しければ早くしなさい、と言っているのだ。君の身分ならせめて魔導師にはなってもらわなければな」
ジルの貴族としての身分は「騎士」である。これは半貴族と称されるような低い身分であり、到底伯爵家と比較できるようなものではない。それゆえ婚を結びたければ地位を高めよ、というのであろう。貴族の結婚は親類縁者の意向や、なにより伯爵家の存続という見地からするものであり、たとえレムオンといえど自分一人で決められるものではないのである。
とはいえ、レムオンの気の早い話に、ジルはいささか戸惑っていた。レニのことは憎からず思っているが、正直なところそこまでのことは考えていない。第一、レニも今はカレッジでの勉学を再優先にすべきではないか、ジルがそう考えていたところ、レムオンが思わぬ問いを投げかけてきた。
「このクリストバイン家は、本当は兄が継ぐはずだったのだ。だから私は若い頃から呑気に家で書物ばかり読んでいた。それが兄が戦争で死んだものだから、私に出番が回ってきてしまった。今では書物を読む時間などほとんどないのだ」
レムオンは肩をすくめ、いかにも残念だという仕草をしてみた。ジルの知るレムオン=クリストバインという男は、バルダニアとの戦争で若き英雄として頭角を現し、現在は軍の重鎮として強い影響力を持った人物だ。ジルにとっていまの話は意外な過去であった。
「さて、君も飲むかね?」
レムオンは酒のボトルの前にグラスを2つ置き、ジルに聞いた。シュバルツバルトでは酒に関する法はない。男であれば14歳ですでに一人前と認められることもあり、酒を飲むこともそう珍しいことではない。しかしジルは過去に一度しか酒を飲んだことがない。それもわずかに口をつけた程度である。
「宮廷では当たり前のように酒が出てくるぞ。貴族の付き合いで酒が飲めないのではやっていけない。まあ君も試してみたまえ」
他ならぬレムオンの言うことでもあり、ジルは酒をもらうことにした。シュバルツバルト特有の蒸留酒で、かなりの高級品らしい。ジルは口をつけ、酒を微量口に含んでみると、火に焼けそうな感覚に襲われ、思わずむせてしまった。
「ははは、この酒はちょっと強かったかな。じゃあワインにしておくか。738年ものの良いのがあるんだ」
レムオンは棚から赤ワインのボトルを取り出し、ジルと自分のグラスに注いだ。口をつけてみるとまろやかな口当たりで、ジルでも飲みやすいワインだった。
ジルは部屋を見渡してみた。改めて見ると、その蔵書量に驚かされる。
「この書物の山も無駄ではなかったんだ。幼い頃から家にこもって書物ばかり見ていたが、それが軍人になってから敵や味方の心理を推測したり、敵を打ち破る戦術の知識を得るのに役立ったよ。人間何が役に立つか分からんものだよな」
レムオンは冗談めかしてそう話しているが、かなりの実感が込められた言葉のように感じられた。レムオンにはきっとまだ話していない何かが過去にあったのだろう。
「さて、ジルフォニア=アンブローズ君。娘から聞いたのとは別に、私も君のことは聞いていたよ。むろんアルネラ様の一件でだ」
レムオンの声のトーンが先程までとは打って変わり、ジルも居住まいと正す。レムオンの顔はすでに笑みを浮かべてはいない。そこには、さきほどレニやアニスに見せた顔とは違う顔があった。王国軍の重鎮として、あるいは名門貴族として、そしてジルはそれとも何か違う奇妙な圧力をレムオンに感じていた。
「君はこの一件で一躍有名となった。君自身は意識していないかもしれないが、私のところにも名前が聞こえてくるくらいだからな」
「それで、だ。もし、君がレニを妻にしたいと考えているのなら、早く地位を昇りつめることだ」
「……いえ、私はそんな――」
突然レムオンがレニとの結婚について言い出したので、ジルは思わず慌ててしまった。
「まあ、待ちたまえ。君が娘のことをどう思っているかは分からない。それは今は聞かないでおこう。しかし、娘がどう思っているかは私には分かるつもりだ。少なくともあれは君の事を必要としている。それを前提として、もし君が娘と結ばれたいと思っているなら早くしなさい。いま娘のところにはひっきり無しに縁談が来ている。あのブライスデイル侯からもな」
「ブライスデイル侯からもですか?」
「君は侯に会ったことがあるのかね? 私を自派に引き入れようとする見え透いた政略結婚だが、侯の孫であれば相手としては悪く無い。私としてもいつまで断り続けられるか分からん」
アニスが言っていたように、王国内部の政治状況によっては、レムオンとしても生き残るために貴族たちの派閥へ入らざるをえなくなるかもしれない。その時、ブライスデイル侯の要求を果たして断れるだろうか。
「私はこれでもレニの父親だ。出来ることなら、レニには好きな相手と一緒になって幸せになってもらいたいと思っている。だからレニが欲しければ早くしなさい、と言っているのだ。君の身分ならせめて魔導師にはなってもらわなければな」
ジルの貴族としての身分は「騎士」である。これは半貴族と称されるような低い身分であり、到底伯爵家と比較できるようなものではない。それゆえ婚を結びたければ地位を高めよ、というのであろう。貴族の結婚は親類縁者の意向や、なにより伯爵家の存続という見地からするものであり、たとえレムオンといえど自分一人で決められるものではないのである。
とはいえ、レムオンの気の早い話に、ジルはいささか戸惑っていた。レニのことは憎からず思っているが、正直なところそこまでのことは考えていない。第一、レニも今はカレッジでの勉学を再優先にすべきではないか、ジルがそう考えていたところ、レムオンが思わぬ問いを投げかけてきた。
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