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蒸れた夏のコト 全36話+α(没話)。年下男子/暴力・流血描写/横恋慕/高校生→大人
蒸れた夏のコト 1 男児を送って帰った夏から数年後のこと。
しおりを挟む小規模な自然公園を背に作られた中央図書館は蝉のうるさい鳴き声を聞きながら涼しい室内で勉強することができる。特に学習スペースが自然公園を見渡せるガラス張りの壁際なのだから一季節限定の騒音が最もよく聞こえる。紙を捲る音に、どこかで嚏、文房具の落下、図書館司書の控えめな声、時折クーラーが運転を切り替える。日が延びて18時を過ぎてもまだ明るい。閉館時間も夏だけ少し延びている。
夏霞はこの図書館で勉強をしていた。家に居て活発な弟に気を遣わせたくない。周りの勉学に勤しむ引き締まった雰囲気も意識が高められる。それだけでなくもうすぐで大きな夏祭りがあることを匂わせる道中の貼紙や飾り付け、近くの小学校の子供たちが育てた鉢植えや、暑さに気怠くなったこの季節独特の空気に浸るのも好きだった。言葉を交わしたりはしないけれど、すでに顔ぶれは覚え、何を勉強しているのかも分かるようになった。夏季休暇までの一方的で、けれどどこか居心地のいい仲間意識さえ夏霞の中には芽生えつつある。ふと息抜きにノートから顔を上げ、館内を見回していた彼女も少し休むとまた学習に励んだ。やがて館内に控えめながらも閉館の迫っている音楽が鳴り始めた。地区の時報が鳴ってから大分経っていたらしい。次々に参考書やノート、ペンケースをしまう様々な物音が聞こえ、それもまた風情があって夏霞は好きだった。今から帰るとメッセージを送ったのは家にいる弟にだけでなく、大袈裟なことに結婚を前提として交際を申し込んできた異性の恋人にもだった。若さ真っ盛りであったが、話したり、手を握ったりする程度で時折抱擁を交わすことがあれども大人たちが言うところの"健全な"付き合いをしている。顔を見て声を聞き、傍に居るだけで満足だと相手は言い、夏霞もまたそれで満たされた。同い年だが少し子供っぽく、甘え上手なところにとても弱い。今から帰る。その報告はこれから電話にしろメッセージにしろ話すことができるということだ。話題は特にないが一言二言でもやり取りできればそれでいい。端末を抱いて返事を待つ。すぐに震える。恋人は飼っている猫の画像を送ってきた。これから風呂に入れるらしい。するとメッセージのやり取りが再開するのはまた少し後だろう。出入り口が少し混むために夏霞はゆっくり荷物を片付けていた。特に焦る必要はない。リュックのファスナーを小気味よく締める。ふとまだ隅で本を読んでいる子供が目に入った。学習スペース付近の壁にそのまま座面を付けた読書スペースでいつも読書をしているかぼんやり自然公園のほうを見ている可愛らしい男の子だ。クーラーが点いているとはいえ外は夜まで真夏だというのに暑気を感じさせないさらさらの細く色素の薄い髪に、くりくりと大きな目は小動物のようで、まだ成長期にもなっていない頃合いというのもあるが全体的に女児と見紛う雰囲気があった。
「そろそろ図書館閉まっちゃうよ。帰ろう」
機嫌の好さが夏霞をそんなふうに人懐こくした。著名な作者ながら題名からして難しい印象を抱かせる本だった。夏霞も読んだことはあるが、彼よりも幾分歳がいってからだ。図書館司書たちが貸出カウンターに札を立てる。出入り口にはもう人気がほとんどない。
「お母さんかお父さんが迎えに来るの?」
内気な子らしく彼は本を閉じて首を振った。
「ひとりで帰るの?」
少年は躊躇いながらこくりと頷いた。
「家、近いの?」
彼は数秒迷ってからまた首肯する。夏霞も少し迷った。自然公園を見渡せる窓一面、ほぼ暗くなってきている。
「途中まで送ってあげる。危ないから。夏っていってももう遅いし」
少年が本を返しに行こうとすると目の前を通った図書館司書が預かった。そして付き添っている夏霞に気付くと、彼に対して「お姉ちゃんいたのね」と言ったのが聞こえた。少年は否定もせず、ただこくんと頷いた。
彼の手を引き図書館を出る。人通りは十分にある。しかし裏道に入った閑静な住宅街は寂れた様子はないものの子供ひとり歩かせるにはどこか頼りない。
「お名前は……?」
訊ねても少年は俯いてばかりで答えなかった。障害なり事情があって話すことのできない子なのかも知れない。性格もある。
「わたしは夏霞。気軽に呼んでね。怪しい人じゃないから……」
怪しい人間は自ら怪しいとはほぼほぼ申告しない。聡明げな少年は腹の内でそう思っていそうだ。
「夏休み中はあの図書館に居るから、怪しかったらお母さんやお父さんに話してみなさい」
少年は首を振った。夏霞からは脳天ばかり見える。
「るか……」
ぼそぼそと彼は呟いた。囁きに等しい。
「ん?」
威嚇に聞こえないよう努めて柔らかく訊き返す。
「る、るかっていうの……」
「るか?るかくんっていうんだ。よろしくね」
るかというらしい少年は了承した様子でこくこく頷いた。
少年の家は近いらしかったが夏霞が思うより長いこと付き添っていた。彼女の帰路とは反対の方面で、よく知らない土地を進んでいく。
「結構遠いんだね。いつもひとりで来てるの?」
彼は頷いた。人気はあるがやはり子供ひとり出歩かせるには不安要素もある。それは不審者であったり、また交通の面でも危うさがある。見通しが悪く、道幅も狭い。
「気を付けるんだよ、これからひとりで帰るときは」
少年はただ頷くだけだった。
結局夏霞は「るか」という少年の自宅まで送った。なかなかの豪邸だったが子供がひとり、日没まで気軽に往復するに距離ではなかった。道のりに慣れている彼にとっては近いという認識なのだろう。夏霞はメッセージを確認して元来た道を辿る。予定よりも大分遅くなった。弟からもそれを言及する文面が届いている。詫びてすぐに帰ると返信する。すぐに既読が示される。図書館の前を通った。すでに真っ暗になっている。図書館出入り口に隣接した公共施設のロビーの窓も鏡のようになって夏霞を映す。特に理由はないが、寂しい心地になる。
「おい」
不機嫌げな声が聞こえ、夏霞はびくりと肩を震わせた。図書館出入り口のすぐ脇にある掲示板の陰からすっと人が現れた。人気はあるが自然公園のほうへ引き摺られでもしたら途端に人目につかなくなってしまう。繁華街で見知らぬ者にすれ違っただけで怒鳴られたり、人混みでもないくせ小突かれたということは間々ある。そしてこういうものは結局のところ言い返さないのが最小限の負債で済む。夏霞は何も見ず聞かなかったふりをして過ぎ去ろうとする。
「待てよ、あんた」
図書館も文化センターもすでに暗く、近くの建物や外灯からも光が届かず容貌は分からなかった。しかし声質からいうとまだ若い男の印象を受ける。まず思い付いたのは忘れ物だ。心当たりはないが、気付かぬうちに何か置いてきていたのかも知れない。
「な……んですか」
「今から帰るのか?」
ぶっきらぼうな喋り方でどこか馴れ馴れしい。人通りはあるが疎らだ。
「は、はい……」
「もう遅いし、同じ方向だから…………送る」
相手には躊躇いがあった。それがかえっていやらしい感じがある。夏霞は夏の湿った空気の中で鳥肌を立てた。同じ方向か否か、何故知っているのだろう。今まで尾けられていたのか。変質者に違いない。
「へ、平気です!」
しかしこの不審人物との遭遇は逃げるという選択肢を彼女から奪ってしまった。
「でも、―」
「弟が迎えに来るのでお気遣いなく」
咄嗟に嘘を吐いて夏霞は足早に図書館前から立ち去った。同時にるかという少年の態度に納得がいった。知らない者から家まで送ると言われ、居住地を知るつもりだったのだ。あの子供には申し訳ないことをした。彼女は反省で俯き、駅前まで出てくると人混みの中に紛れていった。
置いたシャープペンシルが机面を転がり鈍い音を立てカーペットに叩きつけられた。身を屈める。夏霞はいつも同じ席を使っていた。読書スペースがふと視界に入る。るかという内気な男児はまた本を読んでいる。世界の民族衣装についての本だった。カラー印刷で写真も多そうだから眺めているだけでも楽しめるような本だ。今日も来ている。そしてまた遅くまで、子供が1人歩いて帰るには不穏な距離を行くのだろう。夏霞はまた学習に戻った。
閉館時間まで勉強する。地区の時報が鳴り、閉館を告げる音楽が流れる。弟にメッセージを打ち、ついでに恋人にも軽く今日のことを送った。さぁ帰ろうと緩んだ顔のまま端末から目を離す。彼女はるかのことはもう忘れていた。リュックを背負う。恋人と揃いのマスコットが揺れた。手を握られる。しっとりとした保湿の行き届いたなめらかな冷たい手。ぎょっとした。
「夏霞お姉ちゃん」
くりくりとした色素の薄い目が夏霞を見上げる。あと数年したらすぐに背丈を抜かされるのかも知れない。年少者の男はそういう寂しさを残す。弟もあまり背が伸びなかったけれどみるみる姉の身長を追い抜き、声変わりでなかなか上手く話せず静かになっていた時期もある。
「こんにちは。こんばんは……かな」
るかは夏霞の片手を大切そうに両手の中に収めてしまう。彼は綺麗な唇を引き結んで無表情のまま夏霞を見上げた。可憐な人形のようだ。一瞬、この少年の未来図として筋骨隆々で頑強な男性像を思い浮かべていたが、もしかしたら成長期を終えても骨格はそこまで変わらず線の細い青年になるのだろうか。
「と、途中まで……途中まででいいから、一緒に、一緒に、帰って欲しいです」
本人から頼まれては断れなかった。途中までとはいえども結局家まで送ることになるのだろう。何となくふと目を側めると図書館職員が意味ありげにこちらを見て笑っていた。るかの来た方向にいる。彼を心配し、昨日2人で帰ったのをみて今日も一緒に帰るよう促したのだろう。そして帰り道、彼もそう打ち明けた。相手は子供だ。断れるはずがない。もし断って何か起これば、無関係と言い張れなくなるのが分かっている。
ふと溜息を吐いてしまった。前を向いていた少年が不思議そうに夏霞を見上げる。彼女は慌てて話題を逸らす。
「そういえば、るかくんの"か"って字は夏なんだね」
彼の持ち物に書かれていた字面を思い出して夏霞は言った。夏美、夏樹、夏野、千夏、夕夏、夏子―「夏」の字が付く名前はそう珍しくない。
「夏生まれなのかな」
返答も反応もない。彼は無言を貫き足元ばかり見て歩く。
「わたしも同じ字なの。一緒だね」
そう言った途端にくりくりとした大きな目が夏霞を捉える。まだ輝いている街灯がそこにガラス玉のような光沢を作った。
「ん?」
何か言いたそうで夏霞は首を傾げたが、彼の可憐な唇は動かない。その後もずっとだ。結局また家まで送りった。親なり保護者なりが玄関まで迎えに来ることもないどころか、家から光が漏れることもない。門前で別れ玄関扉を開けるところまでは見届けるものの彼は暗闇に帰っていく。不気味な子供と不気味な家庭だ。明日も明後日も図書館に行けば帰りが遅くなるのだろう。心配する弟に詫び、恋人に電話を繋げながら夏霞も帰る。少し軽率な感じのする弟に改めるよう乞われ、見ず知らずの子供よりも夏霞が大切だと気を揉む恋人にも気持ちが傾いていく。
彼女は翌日から隣の地区の図書館に移ってしまった。中央図書館と比べるといくらか規模は小さく、わずかに遠くなったが誤差で、学習の目的には十分な設備で建物も新しかった。こうしてこの年の残り3週間程度の夏休みが終わった。
◇
また蒸し暑い夏、長い休みを迎える。恋人との関係は清いまま続いていた。夏期講習のない日の図書館学習も変わらず、中央図書館で勉強している。昨年とはがらりと面々が変わったことは分かるものの、名も知らぬが風貌や持ち物から認識していた誰がいたのかも1年経つと、たった1年でももう忘れてしまった。不要な情報として処理されたのだろう。おそるおそる読書スペースの隅に目をやった。瑠夏という少年ももういない。安堵した。同時に彼を邪険に思っていた自身にいくら嫌悪を催す。しかしそれも長くは続かず、やがて夏霞も勉強に勤しむ。理数系大学を目指すには科目の難易度が高い。家にいるときはほぼ勉強をしないため図書館にいる間は集中した。
昨年と変わらない閉館の音楽を聞き、教材を片付けていく。わずかに残る蟠りが溶け、機嫌が好い。帰りにアイスでも買っていこうと考えた。夏期講習期間を終え、弟と夏休み初日を楽しむのもいい。
肩に手が乗る。
「夏霞お姉さん」
振り返った。色素の薄い髪、同じく色素の薄い大きな目、陽射しの強い夏だというのに日に焼けていない桜色の唇は狂い咲きのようだ。見覚えがあるようでない。夏霞はぽかんと口を開けた。男子の成長の早さに。弟の成長課程には感じることのない驚きがある。
「いやだな、1年しか経ってないのにお忘れですか。僕です。瑠夏です」
目元を眇め、口元も笑んでいるがそこに喜悦は窺えない。本能的な恐怖に夏霞は弾かれるようにその手から逃れた。彼はここまで人懐こい態度を取るような子だったか。
「る、瑠夏くん。もちろん覚えてるよ。大きくなったね……」
上手く笑えていたか分からない。
「すっかり見違えたから、びっくりしちゃって……」
「よかった。僕、夏霞お姉さんのこと傷付けちゃったのかと思って、変わろうと思ったんです」
「そ、そう……」
夏霞はリュックを抱いた。そして周りの帰っていく者たちに流されるように席を立った。明日から隣の地区の図書館に行くことになるだろう。瑠夏という少年は夏霞の後ろめたさを刺激する。付いてこようとする彼に微苦笑する。
「また明日ね」
明日はまた新しい建物で、学習室と図書スペースの仕切られた隣の地区の図書館に行く。会うとしたらまた来年のことになるだろう。
「送ります」
「え……っ?」
「一緒にいる女性を1人帰せませんよ」
「い、いいよ。君みたいな子供が気を遣わなくていいの」
瑠夏の微笑を深まる。それが尖ってみえた。
「これでも結構背、伸びたんですよ。成長痛で眠れなかったくらいです」
「そういうことじゃなくて……大丈夫だよ。気を遣ってくれてありがとう。親御さんが心配しちゃうよ。気を付けて帰るんだよ」
ただ笑みを浮かべるだけの少年が薄気味悪い。昨年は寡黙だった子が急にぺらぺらと愛想良く喋るのだから、夏霞の印象が目の前にいる者に追いつかない。背丈も、昨年は下方にあった目が今はほぼ同じくらいで、おそらく来年には見上げることになるのだろう。
「送ります。送らせてください。だって夏霞お姉さんも、随分遠回りをして僕を送ってくれたじゃないですか」
「別に……遠回りなんかじゃ………」
「お家反対方向だって聞きましたよ、僕」
「だ、れに……?」
生温いクーラーと日が落ちてもまだ灼熱のアスファルトに炙られ決して寒くはないというのに鳥肌が立っている。
「僕、あの後毎日、夏霞お姉さんくらいのお兄さんと帰ったんです。もうお姉さんに頼るのはやめるよう言われたんですよ。家も反対で、結構遠いんだって。帰り、遅かったんでしょう?僕、悪いことしちゃったなって思ったんです。図書館の人のアドバイスなんか聞かなければよかったなって」
帰り道が途中まで同じ人がこの少年を送るところも見ていたのだろう。そうに違いない。
「だから今年は僕が送ります」
自分自身で囚われていた後ろめたさが拭い去られていく。夏場になると胸の内に軽く残る得体の知れない靄から許された気がした。この少年とはもう関わりたくないけれど最後くらいはいいのではないかという思いになる。
「じゃあ、途中まで……」
夏霞の苦笑を分かっているのか、いないのか瑠夏は引くこともない。彼女の譲歩は遠慮ではなかった。彼に家を知られるのが何故だか躊躇われた。
「ふふ、分かりました。頷いてくれて嬉しいです。昨年のお礼をやっと返そうですから」
「気にしなくていいんだよ。あれはわたしが勝手にやったことだから……」
「でも、そのあとは違いましたよね。断れなかったんでしょう?だから尚更、悪いことをしたと思っているんです」
美少年はどこか小賢しい。夏霞は目を逸らした。しかし瞳の逃げた先に回り込まれる。
「行きましょう。どちらですか」
「こっち」
手を差し出されるが夏霞は応じなかった。彼は緩やかに笑って手を下ろす。どちらも、すでに手を引き引かれるような年頃ではない。
2人でいるのなら図書館と文化センターを挟む外通路から自然公園を突き抜けほうが早かった。暗くなると不気味で、昨年は遠回りを選んだ。何より実際に変質者にその場所を通りかけようとして遭っている。瑠夏という少年も不気味で油断ならないが、途中までならば自然公園を出てすぐにあるスーパーマーケットの前で別れれば良い。足は自然公園のほうに入っていった。図書館を覆う雑木林とよく整備されたグラウンドがある。休日の昼間は人が多く見られるが日没後は閑散としている。何か法に触れるようなやり取りさえ交わされていそうな治安の悪さをそこに見出してしまう。
「夏霞お姉さん」
馴れ馴れしい呼び方がナンパのようで気持ち悪い。顔を覗こうとするような仕草があざとく、身構えてしまう。
「何……?」
「また会えて嬉しいですよ。冬休みや春休みは居ませんでしたから」
この口振りでは冬休みも春休みも待ち伏せされていたみたいではないか。懐かれたようで、それがこの奇妙な少年となると不快感が否めない。
「この辺りで大丈夫。弟が迎えに来るから。もしよかったら、また明日送って?」
嘘がすらすらと出て来る。明日は別の図書館に行く。また来年か、これきりか。
「ねぇ、夏霞お姉さん」
「どうしたの?」
「ふふふ。また明日。また明日会えるといいなって思って。僕も、勉強のし甲斐がある」
何かしらはっきりしないものの厭な感じを抱かせる。グロテスクなほど醜い、あるいは不潔な容貌をしているだとか、悪臭を放っているだとか、話し方に強い癖があるだとか、そういうものもない。ただ第六感的な部分で夏霞に不快感を与える。それは彼女の後ろめたさが生んだ罪悪感の裏返しだったのかも知れない。冷静にみたとき瑠夏少年は誰からも好かれそうな、穿った見方をすると無難で、その美しさにさえ特徴のない平々凡々に無味無臭な可憐さを加えた程度の見た目をしている。つまり華のない美少年だ。美少年と気付くにもまず人目を引かないのだ。だからこそ夏霞は彼に対する不審感が不思議でならなかった。
「そう。お互いに勉強頑張ろ?暑いから、無理はしちゃダメだけれど……じゃあね」
瑠夏のほうを見もせずに言って彼女はひとり、ゆったりとした帰路に就こうとした。だが後方から腕を引かれる。驚きで声も出ない。転倒しそうで振り向いたとき、唇が柔らかくなる。微かな体温と弾力。頭の中が真っ白だ。
「夏霞お姉さん。じゃあね」
最初は事故を疑った。それならば仕方がない。詫びが来たなら詫びで返して穏便に済ませ、無かったことにする。そのほうが為倒しではなく実際、まだまだ年若い子供にとっても良いだろう。そう思っていた。だが第一声はそうではない。確信的だったのだ。
「最低だよ、瑠夏くん。こんなことするなんて……」
「明日、また会えますよね?」
「最低……女の子に興味を持つ歳なのは分かるけれど、こんなこと、他の人に二度としたらいけないんだから」
彼の返答を待たず夏霞は口元を乱雑に拭いて足早に去った。恋人に隠し事があるのは嫌だ。しかし打ち明けたら嫌われてしまうかも知れない。相手は随分と年下だ。恋人といるのなら秘しておくべきだ。もう一度唇を拭う。不気味な子供に世話を焼くのではなかった。1人で来たのなら1人で帰せばよかったのだ。直感的にあの子供に嫌悪を覚えたなら上手く躱せばよかったのだ。夏霞はぐるぐると同じことを考え、反省しながら帰った。明日は違う図書館に行く。それがいくらか心強い。あの子供は来ないだろう。見かけたら帰ればいい。学校も開いていないわけではなかった。ただ無駄話に花が咲きそうで避けていたのだ。勉学の場所は他にある。あの子供と会わないやり方ならいくらでもあるのだ。唇が荒れるほど拭き、帰宅後すぐに顔を洗った。乱暴に扱った粘膜は乾燥し、リップクリームを塗る。
気味が悪い、気味が悪い。魘されて起きる。
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