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雨と無知と蜜と罰と 弟双子/気紛れ弟/クール弟
雨と無知と蜜と罰と 35
しおりを挟む朝餉とも昼餉とも言えない飯を食い、加霞は生天目と自宅を出た。生天目のほうの弟の墓参りに行くことになった。帰りに確認するつもりだった久城家のポストは茶封筒を咥えているため目についてしまう。抜き取る。封筒に宛名がないのは大体マンション管理会社からである。
先を行っていた生天目が戻ってくる。
「どうしました」
「なんか、通達がきてるみたい」
茶封筒の中にはありがちなサイズのコピー用紙が三つ折りになっていた。大規模工事か、指定の曜日以外に粗大ゴミを出すな、指定シールを貼れという知らせだろう。開いてみる。紙面の中心に字が寄っている。
『久城嵐恋は不義の子だ』
加霞は何も言わずに生天目へ怪文書を渡した。彼はそれを受け取り、目を通す。
「これが、例の……」
「イタズラ電話と、多分同じだと思います。文言が一緒ですから」
返された紙を茶封筒に戻す。帰りに回収するつもりで自らポストに放った。
「久城さん」
「あの子が本当にわたしたち義同胞の誰とも血が繋がっていなくても、あの子がわたしの励みになっていたことは変わりません。元々血の繋がらない上の弟たちもいたことですから。もしわたしが落ち込んでいるように見えたら、血の繋がり如何よりも、こういう悪意をちらつかせるやり方に対してです」
生天目は唇を引き結んだまま加霞の手を握って駐車場まで連れて行った。半日以上の利用がなかなか高くつくことを彼女は気にしたが、生天目に厭う様子はない。曰く、他に趣味もないのだという。
日が暮れた頃に買い出しを済ませて帰ってきた。生天目は夕飯を食べたら彼の自宅に帰ることになっている。
「楽しみです。おれ、久城さんのごはん好きですから」
片手には大きな買い物袋を下げ、小さな買い物袋を垂らす加霞の手を握っている。陰がブランコようだ。
「あまり期待しないでください」
「からあげ、好きなんです。今後自分の人生で、作ってもらえるなんて思いもしませんでした」
「揚げ物好きなんですか。意外です。ではこれからは増やしますね」
「意外ですか?からあげ、大体の人が好きだと思いますよ。人口の……7割くらいですか。根拠はないです」
加霞は穏やかな風に乗せられふわりと笑った。
「からあげが人気なのは分かります。あの子も好きでしたから。でも、生天目先生は、蕎麦とかお刺身とか、そういうあっさりしたものじゃないと、胃もたれしそうだなって、思って」
怒った様子はないけれど、生天目は唇を尖らせる。
「おれまだ24ですよ。もうすぐ25ですが。世間的にはまだまだ若いです」
「だって生天目先生、随分と落ち着いていらっしゃるんだもの。教師って職業はそういうものなのでしょうか」
「落ち着いていますか?喜んでいいんですかね。少し照れます。まだまだ若いなって……思うことも多々ありますから。そういう点で、おれも久城さんをしっかりして落ち着いている方だと思いました。聡明な方だと……蓋を開けてみたら、しっかりするしかなかった方だった。久城はクラスで誰からも好かれる生徒でした。同級生からも、先輩からも、教師からも。彼個人の生まれ持った気質もあるのでしょうが、久城さんがしっかりしていたこともそこにあったと思います。傲慢でもなく卑屈でもなく……」
鼻の奥が滲みて痛くなる。嚏を押し殺したように彼女は薄らと笑んだ。
「あの子は誰にも愛されなかったって……わたし色々、言っちゃった。でもちゃんと、あの子を愛してくれる場所があったんだな。―生天目先生。ありがとうございます。わたしの意識に遺っているあの子が、救われた気がして」
生天目は相変わらず凪いだ無表情でいた。その睫毛が浅く伏せる。
エントランスで郵便物を回収しようとポストを開けた瞬間、彼女は思わず後退った。
「どうかしましたか」
生天目もポストの内部を覗き込む。彼の愛想のない顔にも険しさが浮かぶ。銀色のポストの中に一面、悪霊退散の護符が貼られていた。そして線香の束と紐を切られた数珠が散らばっている。行きにはなかった。外出中に誰か来ている。そして茶封筒が無くなっていた。携帯電話会社のキャンペーンの知らせのハガキが入っているだけである。
「然るべき対応を取った方がいいです」
「そうですね」
双子はどちらも気が触れていた。飛び降り自殺未遂をしたほうで言えば、あの出来事で元々備わっていた気違いの素質を増長させたに過ぎない。もう片方も謎の療養期間に入ったらしいが、最後に会った段階で頭がおかしくなっていた。すでに幼少期から彼等の行動は常軌を逸していた。建前的な社会性を身に付けた風の異常者である。法律さえ許せば早々に牢獄に放り入れておくのが人民の為である。そういう人間だ。
「でも、気が狂っているんです。弟たちは。おかしなところを見せてすみません。行きましょう」
ハガキ1枚だけ回収して階段を上っていく。生天目もそれ以上は容喙しなかった。しかし彼女は階段を上りきったところで急に立ち止まる。後ろからやって来た教師がぶつかった。
「どなたですか。お知り合いですか」
彼もまた加霞の視線の先にいる人物を捉えていた。
「あの子の……友達です。年上の……」
「あの方がマナツさんですか」
当の舞夏も2人に気付いた。玄関前で、手摺りに背を預け立っている。改めて遠目から見ると、頭は小さく胴が短い。腰は細く尻も小さく、脚は特に膝下が長かった。愛嬌を隠せない顔立ちに意固地そうな表情が張り付いていたが、同年代の同性の存在に気付くとさらに拗ねていく。
「加霞サン」
「舞夏ちゃん……」
「そちらは?」
舞夏から生天目のほうを気にした。それは興味関心というよりも、一応の礼儀に近い様子だった。本心を読み取るならば、話題にしたくなさそうである。
加霞は彼の亡友の高校の教師を紹介しようとした。だがそれよりも早く後ろにいた本人が彼女の前に出る。
「こんにちは。生天目 和巳と申します。久城嵐恋くんの担任をしておりました。お話は予々、久城から聞いておりました」
舞夏の眉間に深い皺が寄る。
「加霞サンから聞いたんじゃなくて?」
「ま、舞夏ちゃん……!」
「……蜂須賀舞夏です」
生天目はさらに舞夏へ歩み寄ろうとしたが、同じタイミングで舞夏は手摺りから背中を剥がした。
「お邪魔したみたいで、ごめん。加霞サン、忙しいもんな」
「ま、なちゃん……………何か、用があったの?」
「何もない。何もないけど。何もないのに来て悪かったよ」
舞夏はすい、と2人の脇を抜けていく。
「ま、待って……」
階段を降りかける背中が止まる。
「酷いことしてごめんなさい。許してもらえるとは思ってないけれど…………ごめんなさい」
「今言うことじゃないだろ、それは…………」
振り向くこともなく舞夏は階段を降りていく。生天目は不思議そうな顔をした。
「舞夏ちゃん………舞夏さんに、わたしは……」
「いいですよ、教えてくださらなくて。久城さんは自罰的過ぎます。おれにすべて打ち明ける必要はありません。気にならないと言えば嘘になりますが、言いたくないことを言わせませんし、訊きません」
「変なところを見せて、すみません」
「いいえ」
彼女はドアノブに手を掛けた。捻った瞬間に鍵を挿すのを忘れたことに気付いたはずが、ノブは反動を起こすことなく半回転した。鍵を閉めた覚えがある。だが鍵が掛かっていない。
「どうしました」
「あの………」
「鍵を失くしましたか」
「違くて…………鍵が開いているんです。閉めたはずなんですけれど……」
言った途端、加霞は背後から引っ張られ、玄関扉から離された。
「ポストのこともありましたから……おれが先に入ります。いいですね」
「い、いいえ!危ないです。生天目先生にそんな危険なことさせられません。きっとわたしが鍵、掛けたつもりできちんと掛けていなかったんだと思います……!大丈夫です、!」
「目的が久城さんだとしたら、おれが行くより危険です」
「い、嫌です!生天目先生に何かあったら………」
玄関ドアに行こうとする生天目にしがみついた。
「何かあったら、まずは久城さん、貴方は自分の身の安全を確保すること。つまり逃げてください。それから、警察か救急車を呼ぶんです。いいですね。久城さんならできます」
簡単に加霞の手を払い落として彼は一度インターホンを押した。それから徐ろに玄関扉を開ける。加霞は張り裂けそうな胸の痛みを抑えた。
結局のところ彼女の恐れていたことは起きなかったが、救急車を出動させることになってしまった。リビングに弟がうつ伏せで倒れていた。全体的には金髪だが、地毛が伸びて頭頂部は黒髪である。近くには嘔吐の跡があり、夥しい数の錠剤が原型を止めて残っている。室内は荒らされていた。遺影は転がりガラス面に罅が入り、位牌もまたソファーの下で、瑕が付いて割れた状態になっていた。。花も菓子も例に漏れず散乱し、ジュースなどは踏み潰されたかして家具に飛び散るか、床にぶち撒けられるかしている。故人への猛烈な憎悪を窺わせるには十分な有様だった。
最初加霞はその弟がどちらなのか分からなかった。生天目は「雫漣だ」と言ったが、加霞からすればどちらにしても雫漣と顔は同じなのである。持ち物に、事務所の名刺が入っていてそれが雫恋であることを知る。だがそれは些細なことだった。彼女はこの後に、聖域の荒廃ぶりを知ったのだ。
付き添いを拒否した。生天目からはどう見えるのだろう。恐れもしたが、怪物みたいな弟に付き添えない。それよりも加工された木の塊のほうが大切だった。割れた箇所を何度かくっつけたり離したりしてみる。戒名の彫られている板状になった部分と土台で真っ二つになっている。胸に抱いた。停滞していた感情が波を描く。
「救急隊の人が困って、病院の人が困っても、わたしは、あの弟には付き添えませんでした」
生天目は何も言わない。加霞はかちかちと板状の部分と土台を合わせたり離したりする。水気を帯びていく鼻を啜る。随分と曲がって置かれたローテーブルに大仰な木片を乗せ、遺影を拾う。弟は兄たちに虐待されていたときもこの写真のとおり、それよりは誤魔化したようによく笑っていた。
「死んじゃってもあーくんは、お兄ちゃんにいじめられるんだ」
写真を撫でる。ガラス片が肌に刺さった。
「ごめんなさい。後で片付けます。今、ごはんを作りますから……」
生天目はただ返事もせずに突っ立っている。吐物はすぐに処理しなければならないが、ジュースや花弁や菓子、ガラスの破片などは時間がかかる。
「久城さん……ここに書置きがあるみたいです」
振り返ると彼はダイニングテーブルを示した。遺影を立て掛けて、その書置きを手に取る。そう大きくない紙で二つ折りにされている。開くと『アレンは姉ちゃんの弟じゃない』と走り書きされていた。
「あの電話や怪文書の犯人は……」
「あの弟かも知れませんし、同じようなのがもう1人、双子の兄におりますから。とんだ愚弟です」
片付けには生天目も積極的に参加した。それをすまなく思う。
「久城はおれの教え子でもあります。久城を冒涜するようなら許せません。久城さんの対応を尊重しますが、もしものときは力になります」
「ごめんなさい。ありがとうございます。今すぐにごはんを作ります。遅れてしまって……」
「久城さんが大変なら外注しますか」
微苦笑を浮かべられ、却って気持ちが切り替えられた。現実は目交いにやることが山積みされている。
「い、いいえ。からあげ作ります。期待させてしまいましたからね」
「手伝います。あまり高度なことはできませんけれど」
「座っていてください。ソファーは危ないですが」
「片付けます」
こういう時にも生天目は趣味の手繋ぎをする。両手を握り込まれている。冷たい手なりの温かさが心地良い。
「だめです。座っていてください」
「ごはんを作ってもらってただ座っているだけなのは……」
「ここで先生にそんなことやらせたら、反省してしまいます。座って、わたしを見ていてください。一人暮らしにはまだ慣れませんから」
彼は握っていた女の両手をすぱっと放した。かと思うと彼女の肩をそれぞれ掴んで、風が吹いたようにその胸に閉じ込めた。
「生天目先生……?」
骨張った腕が背中で交差する。胸の膨らみが彼の薄い胸板に当たると柔らかさが返ってくるように安心した。ふと顔を見上げると、視界を遮るようにキスが落ちてきた。背伸びをして生天目の唇を迎え打つ。触れ合い、弾むだけで脳天から蕩けていきそうになる。
「ごはん……作ります」
「では座って待っています。何かあったら言ってください」
冷たく硬い身体を惜しく思いながら夕飯の支度にとりかかる。カウンター越しに生天目の視線を受ける。
加霞は風呂上がりの男を求めた。彼は快く行為には応じた。彼女は縋り付いて、そのままの相手を求める。薄い隔たりを厭うた。心身共にもう少し距離を詰めたかった。しかしその望みは聞き入れられなかった。
ベッドが一鳴きし、干したてシーツが薫る。ボディーソープも匂い立つ。
「せ、んせ……っ」
「久城さんはまだ、おれにすべてを預けてくれないでしょう?まだダメです。全部、久城さんの全部おれに見せてからです」
腕立て伏せみたいな体勢で緩やかに腰を揺らす生天目に両手を伸ばす。
「でも………あっ、」
彼は落ちてこない。ただ長いストロークで奥を穿たれた。頭の天辺を貫通するような甘い痺れに彼女の大きく濡れた目は虚ろになる。
「久城さん……」
「あっああ……んっぁ、」
「久城さんの後悔しない男ですか、おれは」
「せんせ、せんせぇ、あっ、あっ……」
勢いのない粘膜接触で前後左右不覚に陥るほどの悦楽を得る。彼の腕に指が減り込む。
「久城さん」
「なば……ためせ、んせ……」
亀の歩速を思わせるリズムで生天目が迫る。蜜肉が削られ、熱く滲む。奥のほうまで蜿(うね)る。
「まだだめです。おれはすべてを晒しているつもりなんです。だからあとは、久城さん次第なんですが」
漣に漂うように加霞は押されては引いてシーツに皺を作り、伸ばしを繰り返す。短い間隔を往復する。快感は確かに湧き起こっているが物足りない。冷めることもなく煽られ続けているくせに燃え滾ることも叶わない。欲に煩悶する狭間で監禁されている気分だ。
「きもちいい………っ、せんせ………、せんせ、………!」
「イきたい?」
長い睫毛に翳る爛々とした眼光に好き放題されたくなった。この無欲そうな男を欲望の獣にしてみたくなる。その果てに、齧りつかれ、噛み千切られ、食い散らかされることを期待した。
彼女は何度も縦に頭を振った。別のリズムで肉体ごと縦に揺らされている。
「じゃあ、イこうか」
筋張った薄い手が腰を両脇から固定した。激しい抽送がはじまる。加霞は眉間を歪ませ、眉尻を下げて甘い悲鳴を上げる。
「あっあっあっあああっ、!なばためせんせ……っ!」
身体を通っていく摩擦の熱を感じる。
「加霞……―ッ!」
腰を押さえていた手が離れた。強く抱き竦められ、加霞もまた薄い身体の暴れ馬を捕まえる。腹奥が一直線に蠢く。極上の悦びに身体中のあらゆる閊えが溶け出していくみたいだった。復帰までに時間を要した。乱れた髪を硬い指先に直されていく。
「ごめんなさい………今起きます」
「いいえ。見送りはここで大丈夫です。とても気持ち良かった。久城さんにもこの余韻に浸っていて欲しいです」
しかしそれでは気が済まず、起き上がろうとするのを彼が制する。
「鍵、閉めておきますから。起きたらドアの鎖も忘れないでくださいね」
「行きます、わたしも……」
「帰るに帰れなくなってしまいます。久城さんに見送られると。ですからここで。おやすみのキスをしてもいいですか」
寝たままの加霞に目線を合わせるようにして彼は床で屈んでいる。
「してください」
「では……おやすみなさい」
唇を重ねる。部屋を出ていく生天目の背中を見届け、玄関扉に鍵が掛かる音を聞いていた。
◇
怪電話がまだ続いているところからすると、かけているのは錠剤を大量摂取したほうではない弟が犯人らしかった。気の触れた義弟の話をすると電話をよく受け取る事務員に同情的な対応をされた。
仕事帰りに自宅マンション前で妙な女とすれ違った。何が妙ということはなかった。ただ意識が向いた。見たことがない。新しい入居者か、入居者の客人かも知れない。人形のような服装の可愛らしい、まだ少女といえるくらいの小綺麗な身形をしていた。夜の繁華街でよく見る。量産型と揶揄される、特定の界隈の中では流行りのファッションが、この住宅地では目を引いた。繁華街に行くのかも知れないが、加霞もこの近辺では初めて見るくらいだった。服装や持ち物、化粧などが可愛いらしく、つい気を取られたが、マンションのエントランスが見えた途端すぐに忘れてしまった。ポスト群の前に見知った人影がある。舞夏だ。彼は加霞に気付いていた。彼女もまた彼と目が合っている気がした。進むか退くか、選択を迫られている。これから生天目が来る。立ち止まっている加霞へ舞夏からやって来た。手には茶封筒が握られている。一瞬脳裏を掠めたものと同じ素材に同じ色合いだ。
「それ……」
「今日は先生はいないのかよ?」
彼女は俯くだけで答えなかった。腕を取られる。
「舞夏ちゃん……」
「ちょっと来て」
エントランスまで引っ張られる。彼は躊躇いもなくポストを開けた。中にはまだ護符が貼られ、線香と数珠が散らかっている。
「覗くつもりはなかった……って言っても信じてもらえないだろうけどさ、封筒突っ込まれるところ見ちまったものだから……」
舞夏は茶封筒を掲げた。その顔は訝しんでいる。
「誰が入れたのか、見ていたの?」
「さっきすれ違わなかった?ルカちゃん人形みたいな服装の……」
加霞は眉を顰めた。すれ違っている。
「でもわたし……あんな子知らない…………」
「"レイラくんに頼まれた"って言ってたけど。レイラくんって誰」
突如現れた"レイラくん"なる人物を加霞も知らない。それよりも舞夏の怪訝な眼差しが怖かった。
「なんだよ、この手紙」
弟の出自について疑惑を暴露する文書ならば、舞夏も完全に無関係とはいえない。
「分からない……わたしも、分からなくて………」
怪電話の相手が怪文書と同一人物である可能性は高い。それはおそらく加霞にとっての長弟だ。とすると"レイラくん"は長弟なのかも知れない。彼はホストクラブで働いているのだから、その客層から外れていない者から"レイラくん"と呼ばれているのも肯ける。
「嵐恋くんが不義の子ってなんだよ!」
掴まれたままの手に腕を握り潰されそうだった。怒声に身を竦めた。エントランスが静まり返る。
「こんなの気にして、加霞サン、あんな……おかしかったのか?」
「ち、違う……」
舞夏をレイプしたときに怪電話や怪文書はまだ来ていなかった。弟が"不義"の子とまでは言わずとも「久城の子ではない」と幾度か言われ、それを真に受けたことはない。貰い児であるはずはない。義母の妊娠をこの目で見ている。しかし出産は見ていない。義母は赤子を抱いて帰ってきたのだ。本当の末弟は実は亡くなっていて、代わりに貰われて来たということが無いとは言えない。しかしここまではただの妄想と先走りである。実際はそうではないだろう。正式な手続きをした貰い子ならば義は通っているはずだ。不義というからには、義母の膨らんだ腹の父親か、はたまた正式な手続きというものを疑うことになる。そして後者ならばそういう書き方はされないはずだ。これらはすべて彼女の揣摩憶測である。それでいて「久城の子ではない」「俺たちの弟ではない」「誰に似たのだろう」という何気ない言葉が急に現実味を帯びてくる。
「加霞サン……」
「違う……!」
舞夏を突き飛ばす。よろけた彼が壁にぶつかりはしないかと、突き飛ばしてから気にかけた。女の突発的な拒絶などで、舞夏がよろめくことなどない。
「あーくんが不義の子だったらなんなの……!」
茶封筒を破く。中の紙も破く。繊維が裂かれていく。弟は不義の子かも知れない。その可能性は受け入れられた。だが世間がそうではなかったら……いずれ自身がその価値観に呑まれかけたら……
「不義の子とは、遊びたくなかった?だったら謝るよ……ごめんなさい。舞夏ちゃんに不義の子押し付けてごめんなさい…………押し付けたのはわたしで、あーくんは悪くないから、恨まないで………」
宥めようと伸びてくる腕から逃げる。禽獣の手のように見えた。頭の中に恐ろしいスズメバチの巣ができてしまった。それを突つかれてしまいそうだ。脳味噌が食い荒らされ、刺され放題されてしまう恐怖を覚える。
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