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雨と無知と蜜と罰と 弟双子/気紛れ弟/クール弟
雨と無知と蜜と罰と 37
しおりを挟む別れ際にも情交を結んだ。恍惚としたまま玄関で抱擁する。ベッドで上から下から何度も吸い合った唇にまた趣きの違ったキスをする。
「では、帰ります。おやすみなさい」
最後に洗い立ての髪をを撫でていく。
「おやすみなさい。また待っていますから」
「はい」
外まで見送ろうとする加霞を生天目は困惑気味に止めた。
「湯冷めしてしまいます。あれだけ熱くなったのに。おれも別れが惜しくなる。中にいてください」
「気を付けてください。暗いですから。たくさんして、疲れたでしょうし……」
「はい。また明日」
舞夏の疑念に満ちた態度と弟を覆う白布が交錯する。胸元で拳を握り締め、彼が背を向けるのを見つめた。
「久城さん」
ノブに手を掛けた生天目が首だけ振り向く。
「はい……」
「あ、の……えっと……」
「はい……?」
「愛してます」
彼の青白い肌はみるみるうちに耳まで赤くなった。加霞が投擲された言葉の意味を理解する間もなくドア閉まった。数秒遅れて、脳に届く。彼女もまた顔を真っ赤にした。激しいエクスタシーを遂げた肉体がまた欲熱に滾ってしまう。加霞は自分の身体を抱いた。
仕事を終え、9割帰宅していた。エントランスにはやはり舞夏の姿がある。
「ストーカーみたい」
「今日の怪文書」
まるでポストの擬人化だ。彼は加霞の文句を気にした風もなく茶封筒を渡す。
「郵便物、いちいち確認してるの?」
「中は見てない。刺さってた。いや、お遣いのコから直接もらったっつーか」
ポストの中は依然として護符が貼られ、線香と数珠が散らかり、その中に宗教勧誘とフードデリバリーのチラシ、光熱費の請求書が入っていた。
「加霞サン……」
「寝ようか」
「え?」
「一旦わたしと寝たら、こんなもんかって冷めるんじゃない?」
彼女は郵便物を回収しながら性懲りも無く舞夏の嫌いそうなことを言った。
「自信ありげな言い方だな」
「ないよ。でもストーカーされるの嫌だもの」
「ハマったら余計にマズいだろ」
「舞夏ちゃんの好みじゃないから平気」
彼女の口振りは淡々としている。
「なんだよそれ。バカにしてるのか」
「叶わなかったことって引き摺るでしょう?だから叶ったら、案外あっさりなのかなって」
「あのさ、加霞サン」
肩を掴まれ、彼女はポスト群に押し付けられる。背中に取っ手がぶつかる。両側に腕をつかれ、閉じ込められている。
「オレがもしすぐにオーケーしてたら、あんた、生天目センセのことはどうすんの?ただのセフレじゃないんだろ?」
加霞は黙った。
「分かった。してくれるって言うなら気の変わらないうちに甘えさせてもらおうかな?させてくれよ。長いこと好きだった女を抱けるんだ。こんな願ったり叶ったりなこと、ないだろ」
「なるほど」
そこに今までなかった声が混ざった。加霞は舞夏と声の主のほうを見た。眼鏡が白く照った。それが怪人のようだった。生天目が立っている。
「今日は早く終わりましてね」
舞夏は加霞を閉じ込めていた腕を垂らし、後ろに身を引いた。
「おかえりなさい……生天目先生」
「ただいま、久城さん」
「怪文書、また来たんですか。内容は?同じ?」
彼は加霞の手の中にある茶封筒を指す。
「い、いいえ……まだ目を通していなくて」
「おれが先に見ます。ショッキングな内容なら心の準備が要るでしょう?」
「でも、生天目先生の精神的な負担に……」
「なりません。久城のことが書かれているのかも知れませんが、少なくとも久城さんほどのショックは受けないでしょう」
青白い指が茶封筒を引き抜いた。よくあるサイズのコピー用紙が三つ折りにされたのを開いた。
「こ、こうみょうじ……?こうみょうじえけい、こうめいじですかね?まなえ?めい?……」
おかしなことを言い出した生天目に頭を寄せた。「弘明寺愛恵」と記してある。
「弘明寺愛恵ですね。わたしの知り合いです」
「グミ?」
頷く。彼の知り合いでもある。知り合いと言わず、昔は仕事仲間だった。
「すごい名前ですね」
彼がぽつりと呟いたのがおかしかった。
怪文書の内容は「久城嵐恋は不義の子」「久城嵐恋は穀潰しのドブネズミ」「弘明寺愛恵にきいてみろ」の3点である。
「職場のほうのお電話は?」
「墓を掘り起こせと………」
双子の兄たちならばそれくらいの憎悪を弟に向ける。腹は立つが気にしていてはきりがない。
「本当に酷い」
生天目は三つ折りにされた紙を茶封筒に戻す。
「職場にまで嫌がらせされてるのかよ」
舞夏がいたことを思い出す。生天目もそうらしかった。まるで夫婦のように横に並ぶ2人のこの反応を、彼はどう思ったのだろう。
「蜂須賀さん。こんにちは」
「こんにちわ、生天目センセー」
狼狽する加霞の前に腕を出して生天目は舞夏のほうへ踏み出た。
「久城の呼び方に似ていて、少し驚きました」
ふわりと彼は柔らかく微笑した。舞夏に反し、教師のほうは友好的である。
「雰囲気も、なんだか……」
「よく兄弟に間違われたよ」
その声は投げやりだ。生天目はマイペースに加霞のほうを振り返った。
「どうしましょう。お二人で話されますか」
彼女は舞夏を一瞥した。彼はそういうつもりのようだった。しかし加霞は彼と話すことなどない。生天目の服を摘まむ。
「……久城さん」
「舞夏ちゃんとは、話したくない……」
「加霞サンのこと誑かすの、やめてくれね?」
舞夏は溜息を吐いた。加霞の頬に熱が走る。
「なんてこというの!ごめんなさい、先生……」
「話を、聞きます」
摘んだ服を引っ張る。その手に冷たい指が触れた。
「嵐恋くん亡くなって間もなくて、加霞サンがおかしくなってるところに付け込んで……要するに保護者と教師だろ」
「そういう見方もありますね。考えなかったわけではありません。ですが、久城が繋いでくれた縁です」
「物は言いようだよな」
彼も年少の友人を喪って頭がおかしくなったのかも知れない。加霞の知っている舞夏とは違う。
「舞夏ちゃんは誤解してるんです。生天目先生……わたしが、舞夏ちゃ……彼に迫ったんです。とにかく子供、欲しかったから……わたしと生天目先生の関係を、誑かしたとか言うなら、誑かしたのはわたしです。この人、わたしのことを理想化し過ぎていて…………」
「そんなことないけど」
舞夏は眉間に皺を寄せ、腕を組んでしまった。
「生天目先生は優しい人だから、わたしの傍にいてくれて、わたしが甘えただけで……生天目先生は悪くないから…………生天目先生におかしなこと言うの、やめてよ。迫ったこと、謝るから……」
「久城さん?そんなことはありませんよ」
彼女は首を振った。
「あーくんのお友達誘拐しようとしたり……おうち帰れなかったり………今思うとおかしかった。でもそうしないと、やってられなかった。そういうところ見せて……生天目先生がわたしを気に掛けてくださるのは無理ないでしょう?」
「加霞サンにケアは必要だ、オレも思う。でもそれは嵐恋くんの先生にやってもらうことか?家に足繁く通い詰めて、弟亡くして弱った女性に物理的に寄り添うのが教師の役目なんですか、生天目センセー」
舞夏は腕を組み替える。
「舞夏ちゃんはわたしにどうして欲しいの?期待させて思わせ振りなことして本当にごめんなさい。謝ります……!―生天目先生……わたしは生天目先生にだけカラダを求めたわけじゃないんです。舞夏ちゃんにもカラダの関係迫ったんです。ちゃんと、言わなくて………ごめんなさい」
「いいえ、説明はありました。望まない行為を経てきたというような。あの時の久城さんの状態からいって想像に難くありません。だからその点も含めて心配でした。誑かしたと見られても仕方のないことです。僕は何とも思っていません」
舞夏の眼差しは訝しさに満ち満ちている。
「逆にオレは期待も思わせ振りな行動もされてない。全部オレの一人相撲。加霞サンと嵐恋くんに好くしてもらってオレが勝手に久城家の仲間入りを夢見てただけ。それでも気持ちは久城家の一員になったつもりだった。だからムカつくんだよ、加霞サンを洗脳しやがって。なんであの日嵐恋くんと遊ばなかったのか、後悔ばかりだ。なんで加霞サンを放っておいちまったのかってことも」
「洗脳……ですか。洗脳という表現をされるんですね。今の加霞サンの状態が尋常ではないと。いいえ、そこは否定しません。確かに危うい状態だと思いました。もしかしたら今も……何も心配していないわけではありません。何かあってから気付くのはもう勘弁ですから。だからその点について気を悪くしないでください、久城さん」
生天目がふいと相変わらずの凪いだ無表情で加霞を見遣った。
「そんな状態で優しくされて頻繁に顔合わせたら、惚れちまうだろ。惚れさせたんじゃないのか。加霞サンは素敵な人だから、付き合いたいの、分かる」
「やめてよ、舞夏ちゃん。舞夏ちゃんのこと、嫌いになりたくない。すごくお世話になって、優しい人だったのに、どうして……」
弟が介在しなくなると、舞夏との関係はあっけなかった。蜘蛛の糸を断つのに等しい。そして絡まり纏わりつく。
「独りにしておけませんでした。誑かした、洗脳した。その表現は否定できません。甘んじて受け入れましょう。自覚がないわけではありませんでした。そして今、蜂須賀さんに言われて、僕の思い過ごしではなかったと確信しました」
離れていってしまいそうだ。加霞は生天目を放さない。風に吹かれて散ってしまいそうだ。茜空を透かしているような気さえする。寒かった。
「舞夏ちゃん…………酷いよ」
「ごめんな。酷い男で。でも長続き、しないだろ。実際に生天目センセーが認めたとおり、後ろめたさ抱えたお付き合いじゃ」
「わたしと舞夏ちゃんの関係にも後ろめたさ、あるよ。舞夏ちゃんにあったか知らないけど、わたしにはあった」
「オレたちのオツキアイはそこまで深くなかっただろ。だからやれてたのかもな。嵐恋くんがいたときは」
舞夏は陰湿に笑った。意地の悪そうなそういう貌は初めて見る。
「オレの言いたいことはひとつ。生天目センセーを信じなさんな。別れたほうがいい。教師の在り方として、そういうのはアリなんですか、生天目センセー」
彼女は視界に亀裂が入るような衝撃を受けた。異様な閃きが脳裏を駆け巡る。弟の別れ際の姿がフラッシュバックする。子供みたいな手を振っていた。そしてこま送りで、人の形を浮かせた白い布、ガーベラに埋まった遺骸、灰白色の人骨が流れていく。可愛がっていたつもりの、小さな頃から看てきた人間の本体を見てしまった。灰白色で薄汚い塊でしかなかった。人体解剖図や骨格標本は嘘ではなかった。内部構造までしっかりした蝋人形だとまだ信じかけているのである。あれが弟とは信じられない。火葬場で発狂したときに似た吃逆に似た苦しみが発作的に起こる。
「いや……!離れたくない。離れたくないです、生天目先生………別れるの、いや………お願い、傍にいて。生天目先生がいい……」
吐き気がした。目の前にいる男の本体も、もしかするとスポンジを固くしたような汚らしい灰白色の塊なのかも知れない。しかしそれでも傍に置いておきたい。弟の薄汚いスポンジの塊は墓石の下に埋めてしまった。
「先生………お願いです。お願いです……」
舞夏も驚いた顔をした。彼も口からナイフどころかチェーンソーを取り出したとは思わなかったのだろう。小刻みな刃物が彼女の精神を斬り刻み、粉砕し、切断してしまうとは思わなかっただろう。
加霞は激しく取り乱し、生天目の背中にしがみついた。目には涙を溜めて、額を彼の身体に押し付ける。生天目は加霞のほうを向いて抱き締めた。身体を半転させるのでさえ彼女は恐れ、怯える。気の狂った少女に接するみたいに彼は慎重に扱う。首だけを舞夏に向けた。
「蜂須賀さん……その要求は呑めません。洗脳でも誑かしたのでも構いません。彼女が完全に壊れてしまうくらいなら。……もし彼女を壊せるとしたら、それは怪文書でも悪戯電話でも、久城を喪った生活でもなく、きっと貴方からの残酷な仕打ちです。蜂須賀さんと久城さんが親しかったことは久城からよく聞いています。3人で食卓を囲んだのが楽しかったと、よく日誌に書いていましたから」
生天目は啜り泣く加霞の肩を抱いて歩かせた。マンションには戻らなかった。コインパーキングに停めた車の後部座席に並んで座り、手を繋ぐ。
「今日はおれの家に行きますか」
「ごめんなさい………変なところお見せして」
「いいえ、まったく」
「舞夏ちゃんの言うことは、気にしないでください…………ごめんなさい、上手く人と付き合えなかった結果がこれです。あーくんには好くしてくれたんですけれど」
「気にしていません。むしろ吹っ切れました。蜂須賀さんが悪い人でないことは久城から聞いてよく知っているのでご安心ください。加霞のことが大切なんだということも伝わっています。お兄ちゃんみたいな人、だったんでしょう。蜂須賀さんも自覚もなく混乱しているのかも知れませんね。男女差別と言われてしまうかも知れませんし、男女で分けていい話なのかは分かりませんが……男性の多くはもしかしたら、肉体構造的といいますか、女性よりも圧倒的に、精神の不調と向き合うことに慣れていないと思うんです」
彼はポケットに手を突っ込むと少し乱れたハンカチを取り出したが、助手席に投げてしまった。そして手を離したかと思うと運転席と助手席の狭間に上体を割り込ませ、新しいハンドタオルを取り出した。
「さぁ、どうぞ」
どうぞと言いながらハンドタオルは差し出されることもなく泣き噦る女の目元に押し当てられる。
「すみません。いつも、助けられてばかりで……」
「そうでもないですよ。助けたつもりもないです」
加霞は生天目の肩に凭れ掛かった。彼にさらに抱き寄せられる。
「自分と向き合えました、加霞の傍に居て」
「生天目先生……」
弟の担任の教師の胸に抱き付いた。ニットベストの繊維がむず痒い。
「髪を触ります」
「撫でてください……」
「キスもしていいですか」
「してください」
髪に手櫛が入る。額に唇が落ちた。それから顔を上げた彼女の唇に唇を重ねる。口元自体はすぐに離れたが、生天目は加霞で暖を取るかのようにきつく抱き締めた。
「生天目先生……」
「久城さんは、一生徒の保護者という扱いでしたが、世間でいえばまだ女の子なんですよね……」
「女の子なんて歳じゃ……ないです」
「同い年ですから、おれにとっては女の子ですよ」
あやすように身体を揺らされる。
「生天目先生。もう、平気です。ごめんなさい、本当に……みっともないところを見せて」
「いいえ。こちらこそ。久城さん、まだ車、怖いでしょう」
乾布摩擦でもするかのように両側から肩や腕を撫でられる。加霞は苦々しく笑った。彼女なりに気を張っていたが見抜かれている。その上で、彼はドライブ中に忖度していたのだ。
「……想像してしまって。あの子がどんなふうに苦しんで、最期は何を見たのか…………自分も同じように苦しまなきゃ、いけない気になって」
「おれもです。見えない傷を想像して、なぞって、その深さと広さを理解した気にならないと、恐ろしくなります」
彼の弟は激しい暴行を受け、不可逆的な傷を負ったと聞いている。凄惨な事件はインターネットの片隅に記事として残っていた。
「少しだけ、落ち着くんです。他の人に言うと、そんなのやめろ、そんなこと考えるなって言われるかも知れないけれど」
「なんだか片割れに会った気分です。こういう出逢い方をするとは思いませんでしたが」
固い抱擁の中で身動ぐと、腕が緩んだ。見下ろす優しい瞳をして生天目が首を傾げた。
「キスしたいです。いいですか」
「いいですよ」
加霞は首を伸ばした。柔らかな感触に蕩ける。薄い胸板に撓垂れかかる。
「キスもセックスも、自分からしたいと思ったこと、なくて………怖いことだと思ったから……………なのに生天目先生と会ってからわたし、変なんです。いつも触られてから頭もカラダもおかしくなるのに、生天目先生に対しては触るだけじゃなくて触る前から、いやらしくなるんです…………」
「いやらしい?いやらしくなるんですか。見たことないんですが、いやらしくなる久城さんは。いつも可愛いですよ。おれのほうが、淡白だと思ってたのに……夢中になっています。強いて言うなら、艶めかしい、ですね」
彼の鼓動を服越しに聞きながら、その筋張った手や節くれだった指を遊ぶ。
「変な気分になってしまいます」
「変な気分になってください」
「いやです。今日くらいは久城さんの前で、かっこよくありたい」
「もったいないと分かっていても手放せなくなっているくらいには、かっこいいですよ」
繋いだ手が爛れるほど熱い。
「振り解くのが怖いです」
生天目がぽつりと言った。
「振り解きたいんですか」
「久城さんが振り解くことになるかも知れない」
「どうして」
「おれはろくでもない、さもしい人間だからです」
加霞は下から生天目を覗き込む。彼は助手席のヘッドレストレイントの向こう、フロントガラスのさらに奥を見ていた。
「わたしのみっともなさを見ても同じこと、言うんですか」
「断固として"はい"です。だって久城さんはみっともなくないですからね」
「何がそこまで、生天目先生を苦しめるんですか」
生天目はまだ薄ぼんやりとした視線を虚空に送っていた。何度キスしても、何度もキスしたからか乾燥した唇は鱗状に張っている。枯渇した土みたいだった。
「貴方に打ち明けるのは心苦しい」
「おっしゃってください。弟のことですか」
意思のなさそうな手が加霞の髪を撫でた。それは肯定のように思える。
「夢を見ると言いましたね」
「はい」
「生徒を虫けら同然に殺害していく夢です。夢の中の久城はおれの弟でした。クラスは、全員が全員、今現在、現実でおれの受け持つ生徒たちではありませんが。年齢も場所も違う生徒たちが混合という感じで、性格なんかも現実とはまったく違うのですが」
加霞は生天目の指同士が癒着してしまうほど強く握り込む。そこが唯一の温かな場所という感じがある。懐炉みたいだった。
「夢の中でも、おれの弟は…………。おれはクラスを恨むんです。現実問題、何の落ち度もない生徒がいたかも知れない。心を傷めながら何もできなかった生徒もいるかも知れない。けれどそれは外野が言うことです。遺族感情はそうはならない。―久城さん」
「はい」
「おれには、理屈として憎むべき人間が現実にいて、感情として怨んでいる相手がいます。だからやって来られました。自分に矛先が向かずに。現職として、ゴミ屑同然でも、平然と。けれど、久城を喪った貴方を目にした時、おれも独り悲しみに酔っている場合ではないと知れたんです。同時に夢の中でおれが何度も久城を守りきれなかったから現実でも……………そんなふうな考えが起こると、もう貴方には申し訳なさしかありません」
加霞は彼の温かくなった指を放す。冷めた目がやっと彼女を見る。まだ熱の残る掌は青白く厚みに欠けた彼の頬に添わる。
「夢は夢です、先生。生天目先生は綺麗な人ですね。ひと様の苦悩だから、そんなこと……だなんて言えませんけれど、生天目先生は純粋なんですね。わたし、少しも、それであーくんが命を落としただなんて思いません。だってそれならわたしは、あーくんが幸せになる夢ばかり見ていたんですから。願いもしました。初詣のときなんか。あの子が幸せになるのなら、漏れなくわたしも幸せになることを意味していたんですから。つまり欲を張ったんです。それで先生の夢が採用されて、わたしの夢は無かったことにされるなんてこと、ありません」
泣き出してしまいそうな彼の頭を抱き締めた。
「加霞……」
「わたしも和巳さんと呼んでいいですか」
「ふふふ、恥ずかしいですが、いいですよ。同い年なんですから呼び捨てで。変な性癖に目覚めかけていたのでちょうどいいです」
「意識させられると、呼びづらくなります……やっぱり、生天目先生がいいです。生天目先生……生天目先生。生天目せんせ~」
彼女の顔に笑みが戻る。泣き腫らした目で無邪気に笑っている。
「あまり呼ばないでください。照れます。キスしますよ」
「生天目先生。なばためせんせ……」
抱いていた頭が加霞の両腕を擦り抜け、物理的に騙された。3回目過ぎてからはもうカウントしていないキスがまた2回3回と数を増やす。
「……和巳さん」
「熱いです。カラダが」
胸と胸を擦り合わせ、腿と腿を擦り合わせ、背には腕を擦り合わせる。3人は乗れる後部座席が狭くなる。
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