Lifriend

結局は俗物( ◠‿◠ )

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アンフェアレイン 11-2

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 知らない誰かの声がする。奥の部屋だ。すでに炎の海の中である。片岡が足を止めてしまう。振り返ってしまう。狼狽えている。
「先に行って。後から行くから」
 すでに素人がどうこうできる範囲ではない。分かっているけれど。迷惑過ぎるほどの迷惑を掛ける。それも分かっていた。
「でもお姉さッ…!」
「何のためにここまで来たの!」
 片岡は一瞥して下の階へと続く階段へ向かっていく。背中を見つめる暇はない。網膜を灼く鮮やかなオレンジと黒煙。スプリンクラーは文字通り雀の涙そのもの。火災報知器は鳴っているのか止んでいるのかも分からない。聴覚は耳鳴りで閉ざされている。
「どこにいるの」
 喉はカラカラだ。まどかのいた隣の部屋だろう。扉は開いているが中は炎に包まれている。小学生くらいの男の子が紅蓮の中浮かび上がった。
「父さん母さんは」
「はぐっはぐれっちゃ…って…!」
 泣いてはいるが、元気はありそうだ。炎の中で手を伸ばす。身体中を炙られているようだ。少年の汗ばんだ手が繋がれる。腰が抜けて上手く立てないようだ。上の階で爆音と轟音がする。少年の腕を引いて、少年は立ち上がるけれど、突然胸に痛みが走る。
「お姉ちゃんッ!」
 息が突然、出来なくなった。何でも出来そうな気がした、病的な魔法が解けたのかもしれない。
「自分で、行ける…?」
 もう歩けない。動けない。そう思った。少年は頭を振る。エレベーターは封鎖されているのを見たばかりだ。
「行けるよ。ちょっと我慢して。消防士さん、下にいるから」
 喉を押さえながら少年の手を放す。だが行く気配のない少年の背を押した。
「そのまま下に行くだけだから」
 少年は頷いて去っていく。部屋を出ていった直後に廊下の天井の板が落ちた。連なって落ちていく。視界は揺らめいている。喉は痛い。息苦しい。脚も痛い。首を押さえた掌は大きく疼いて痺れている。だが意識だけはしっかりしていた。だから目の前を舞うモンシロチョウが幻覚でないことも分かった。まだ生きていたらしい。黒煙の中を飛び回って、羽根は紅蓮に照っている。生きていられる温度だろうか。生きようとしているのか。逃げ道が分からないのか。死への道が切り開かれた、そんなつもりでいると、片岡の声がする。
「お姉さん!」
 どうして戻ってくるの!怒鳴れるだけの声はもうなかった。すぐ近くで爆音がする。ここもすぐに爆発に巻き込まれる。
「まどかたち、無事です!一緒に逃げましょう!」
 轟音がする。記憶と経験で嫌な予感は的中する。炎の濁流が2人を包んだ。爆風は一瞬だった。廊下と同じようにこの部屋の天井が連なるように剥がれ落ちる。
「お姉さん…」
 身体を包まれている。そして重い。抱きすくめられているようだったが、片岡の体重だけではない。身体を押し潰すことに何の躊躇いもない重さ。汗が止まらない。熱い。喉が渇いた。叫びたい。頬が焦げる。そう思った。
「か…く…」
 空耳だったのだろうか。呼ばれた気がする。答えなければ。けれど声は出なかった。近くで大きな物音がして、炎に包まれた陰が崩れていく。
「か…お…」
 喉が痛い。声は掠れていた。やっと出せたと思った声もやはり音にはならなかった。視界の端に映る腕。皮膚に鮮やかなオレンジが反射している。
「…お…く…」
 身体中の水分という水分を全て失ったつもりでいて、それでも視界は潤っていく。すぐに熱湯になり、眼球が熱い。問いたいことがある。けれど声にならない。そして反応もない。背中に覆いかぶさっているのが片岡だというのは理解出来ている。様々な破片や欠片が頭上に降り注ぐ。揺らめく視界の中、床の上に散乱している。

「まだ、生きてっか」

 燻った視界の中で誰かいる。鮮やかなオレンジと紅蓮、黒の二極化した空間の中では姿がよく見えない。

「別れ、告げに来た」

 知っている相手で同時に全く覚えのない相手。記憶を辿るけれどすでに考えるだけの力はない。

「楽しかったよ」

 一方的な会話は耳を通すだけ。この場にそぐわない感想を述べられるけれど、何の情も湧かない。

「あんま難しいコト、考えんな」

 誰かがいた。記憶の片隅に、とても近い人だったはずだ。
「あなた…だ…れ…」
 揺らめく炎の中で誰かがいる。けれど陰しか見えない。だのに笑ったとはっきり分かった。一瞬光って、真っ暗になる。




「アンタの特別」
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