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jealousy -猛毒-
猛毒 2
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生まれながらに立場があるから、私たちは権利がないんだって。小さいころに姉に言われた言葉を思い出しながら、学術書のページをめくる。
アデルは緑の髪を掻き上げた。父はこの街の頂点に立つ、王だった。けれど母は、王政ではない街の生まれだった。自由な街の女はいいものだ。縛られるものが、両親くらいしかない。母の違う姉がいる。アルヴィスという美しい女だ。アデルに似て感情があまり顔に出ない。アデルには生まれながらに立場を与えられなかった。母が異文化の人間であったから。異文化の街と、父の街を隔てる山の奥に設けられた屋敷に住んでいる。父なりにアデルを想っているけれど、どうしようもないことはアデルにも分かっていた。姉には立場と義務があって、アデルにはない。だから姉がもうすぐ結婚することにもすぐに同意できなかった。隣の廃れた国の王子だという。領土拡大のための政略結婚である。幼くして別の国に嫁いだ妹が処刑されたという話だけ聞いている。以前姉のアルヴィスがいる、実家ともいえる城へ侵入した。逃げようと言った。けれど姉は顔色ひとつ変えず、私には権利がないと言った。血に従わなければならないと。
姉が好きだった。与えられた本で読んだ、男の子と女の子が冒険に出る話の、男の子に向ける感覚に似ていた。
―――じゃあ殺そう
簡単に次にするべきことが頭に浮かんだ。焼けた古いページをまためくりながら、テーブルの上に乗ったバスケットからリンゴを取る。母が生まれた街とは別方向にある街と父の街を隔てるようにリンゴの果樹園が広がっている。人の好さそうな老婆が持ってくるのだ。魔女様が住んでいると言って。
できたものは紫色のリンゴだった。赤いリンゴがそのまま紫に変色したように染まっている。それが食べることを目的としていないのなら、アデルにはとても美しいものに思えた。あまりにも簡単に作ることができる。少しの知識とすでにあったリンゴで。もともと化学は得意だった。
アルヴィスの婚約者が住まう国はすでに人の住めるような土地ではなかった。常に暗雲が空を覆い、乾燥している。試作品の毒リンゴをどう食べさせるかを考えながらアデルは地割れの起きている地面を歩く。集落の跡を思わせたが人はいない。広大な土地だと聞いているが、天候の不安定さや地質の悪さから住人は少ないとも聞いている。アルヴィスと結婚すれば、この必要のない土地が手に入る。アデルの住居がある山を越えた先にある発展した街のようになるのだろうか。
辿り着いた城には憲兵のひとりもいない。扉は外され、城を囲む堀は埋め立てられているのが、土地の土ではないことから分かった。窓も全て取り外されているせいで、雨や風や砂埃に晒され、城内の廊下は汚れている。廃城なのだろうか。ならば姉に婚約を申し入れた王子はどこにいるのだろう。上の階に行くにつれ内装はまともになって窓はあったが、どこの部屋も扉だけはずされていた。その中で唯一扉のある部屋があった。扉に背を向けて華奢な造りの椅子に座っていた王子は突然の来訪者に驚いたようで、肩を震わせてアデルを見た。それからすぐに穏やかな笑みを浮かべて、無断で侵入してきたアデルを問い詰めることなく迎え入れた。王子は暗い金髪だ。背丈はアデルより少し高い程度でまだ幼さを残す顔立ちをしている。もてなせるものがなくて申し訳ない旨を簡潔に伝えられる。王子のこけた頬や隈、ひび割れた青白い唇、艶のない髪やアデルが見てきた土地の様子から飢えているのはすぐに分かった。
「粗末な物でごめんなさい」
研究の成果を王子に差し出す。毒リンゴを。何も知らない王子は目元を細めて穏やかに笑う。
「美味しそうだ」
「どうぞそのままお召し上がりください」
遠慮なく。王子の骨と皮だけになった薄い手が毒リンゴを掴む。アデルは笑いを堪えるのに必死になった。姉は渡さない。廃れた王族に姉を渡すわけにはいかない。小君良い音がする。乾燥したこの地帯に響き、沁み渡る水分の音。毒性があることを除けばそれは甘く水々しいリンゴだった。
ごとり、と鈍い音を立て、節くれだった手からリンゴが落ちる。リンゴだけではない。王子の膝が床へと崩れ落ちる。両手が床に着き、震えている。アデルは笑った。暗い金髪を見ながら。姉を守った。不毛地帯も薄ら寒いこの王族も切り捨てられる。
「失礼した」
腕や脚を痙攣させながら王子は立ち上がった。アデルの嘲笑が凍り付く。致死量のはずだ。床に転がるリンゴを拾ってもう一度王子は齧りつく。アデルは王子を観察する。致死量を大きく上回った毒を盛ったはずだ。亡霊なのか。
「身体、なんともないの…?」
穏やかに問う。王子がアデルを金糸の奥から見据える。瞳孔が大きく開いている。そして眼振。無事というわけではないようだが、王子は死んでいない。
それから何度も毒殺を試みる。常に毒リンゴを改良した。リンゴの品種、毒の組み合わせを幾度も変えて。だが王子が死ぬことはなかった。その後も王子は明らかな身体異常が現れながらもアデルの持ってきた毒リンゴを口にした。金色の瞳の中にある瞳孔は閉じなくなった。薄暗かった金髪は濁っていった。それでも王子はアデルを拒むことなく、アデルの毒リンゴを拒むこともなかった。眼振も痙攣も失神も吐血もなくなった頃にアデルは確信した。耐性がついている。様々な猛毒に。そしてこの者を、己の力では殺せないことに。
姉のウェディングドレス姿が思い浮かぶ。この手で直接―だがそれは姉の白いウェディングドレスを汚すようで、だがその隣にこの男がいることが受け入れられない。
アデルは緑の髪を掻き上げた。父はこの街の頂点に立つ、王だった。けれど母は、王政ではない街の生まれだった。自由な街の女はいいものだ。縛られるものが、両親くらいしかない。母の違う姉がいる。アルヴィスという美しい女だ。アデルに似て感情があまり顔に出ない。アデルには生まれながらに立場を与えられなかった。母が異文化の人間であったから。異文化の街と、父の街を隔てる山の奥に設けられた屋敷に住んでいる。父なりにアデルを想っているけれど、どうしようもないことはアデルにも分かっていた。姉には立場と義務があって、アデルにはない。だから姉がもうすぐ結婚することにもすぐに同意できなかった。隣の廃れた国の王子だという。領土拡大のための政略結婚である。幼くして別の国に嫁いだ妹が処刑されたという話だけ聞いている。以前姉のアルヴィスがいる、実家ともいえる城へ侵入した。逃げようと言った。けれど姉は顔色ひとつ変えず、私には権利がないと言った。血に従わなければならないと。
姉が好きだった。与えられた本で読んだ、男の子と女の子が冒険に出る話の、男の子に向ける感覚に似ていた。
―――じゃあ殺そう
簡単に次にするべきことが頭に浮かんだ。焼けた古いページをまためくりながら、テーブルの上に乗ったバスケットからリンゴを取る。母が生まれた街とは別方向にある街と父の街を隔てるようにリンゴの果樹園が広がっている。人の好さそうな老婆が持ってくるのだ。魔女様が住んでいると言って。
できたものは紫色のリンゴだった。赤いリンゴがそのまま紫に変色したように染まっている。それが食べることを目的としていないのなら、アデルにはとても美しいものに思えた。あまりにも簡単に作ることができる。少しの知識とすでにあったリンゴで。もともと化学は得意だった。
アルヴィスの婚約者が住まう国はすでに人の住めるような土地ではなかった。常に暗雲が空を覆い、乾燥している。試作品の毒リンゴをどう食べさせるかを考えながらアデルは地割れの起きている地面を歩く。集落の跡を思わせたが人はいない。広大な土地だと聞いているが、天候の不安定さや地質の悪さから住人は少ないとも聞いている。アルヴィスと結婚すれば、この必要のない土地が手に入る。アデルの住居がある山を越えた先にある発展した街のようになるのだろうか。
辿り着いた城には憲兵のひとりもいない。扉は外され、城を囲む堀は埋め立てられているのが、土地の土ではないことから分かった。窓も全て取り外されているせいで、雨や風や砂埃に晒され、城内の廊下は汚れている。廃城なのだろうか。ならば姉に婚約を申し入れた王子はどこにいるのだろう。上の階に行くにつれ内装はまともになって窓はあったが、どこの部屋も扉だけはずされていた。その中で唯一扉のある部屋があった。扉に背を向けて華奢な造りの椅子に座っていた王子は突然の来訪者に驚いたようで、肩を震わせてアデルを見た。それからすぐに穏やかな笑みを浮かべて、無断で侵入してきたアデルを問い詰めることなく迎え入れた。王子は暗い金髪だ。背丈はアデルより少し高い程度でまだ幼さを残す顔立ちをしている。もてなせるものがなくて申し訳ない旨を簡潔に伝えられる。王子のこけた頬や隈、ひび割れた青白い唇、艶のない髪やアデルが見てきた土地の様子から飢えているのはすぐに分かった。
「粗末な物でごめんなさい」
研究の成果を王子に差し出す。毒リンゴを。何も知らない王子は目元を細めて穏やかに笑う。
「美味しそうだ」
「どうぞそのままお召し上がりください」
遠慮なく。王子の骨と皮だけになった薄い手が毒リンゴを掴む。アデルは笑いを堪えるのに必死になった。姉は渡さない。廃れた王族に姉を渡すわけにはいかない。小君良い音がする。乾燥したこの地帯に響き、沁み渡る水分の音。毒性があることを除けばそれは甘く水々しいリンゴだった。
ごとり、と鈍い音を立て、節くれだった手からリンゴが落ちる。リンゴだけではない。王子の膝が床へと崩れ落ちる。両手が床に着き、震えている。アデルは笑った。暗い金髪を見ながら。姉を守った。不毛地帯も薄ら寒いこの王族も切り捨てられる。
「失礼した」
腕や脚を痙攣させながら王子は立ち上がった。アデルの嘲笑が凍り付く。致死量のはずだ。床に転がるリンゴを拾ってもう一度王子は齧りつく。アデルは王子を観察する。致死量を大きく上回った毒を盛ったはずだ。亡霊なのか。
「身体、なんともないの…?」
穏やかに問う。王子がアデルを金糸の奥から見据える。瞳孔が大きく開いている。そして眼振。無事というわけではないようだが、王子は死んでいない。
それから何度も毒殺を試みる。常に毒リンゴを改良した。リンゴの品種、毒の組み合わせを幾度も変えて。だが王子が死ぬことはなかった。その後も王子は明らかな身体異常が現れながらもアデルの持ってきた毒リンゴを口にした。金色の瞳の中にある瞳孔は閉じなくなった。薄暗かった金髪は濁っていった。それでも王子はアデルを拒むことなく、アデルの毒リンゴを拒むこともなかった。眼振も痙攣も失神も吐血もなくなった頃にアデルは確信した。耐性がついている。様々な猛毒に。そしてこの者を、己の力では殺せないことに。
姉のウェディングドレス姿が思い浮かぶ。この手で直接―だがそれは姉の白いウェディングドレスを汚すようで、だがその隣にこの男がいることが受け入れられない。
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