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未完結打切り版(2010年)
NO TITLE 10
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不快な夢を見て、身体をがばっと勢いよく起こした。頬に濡れたままの髪があたる。視界は暗い。冬の夜の空気は身体に突き刺さってくるようだ。温かい筈の布団の中は冷たいまま。いつの間にか自分に体温がないことに慣れている。死んだのに生きている身体。まるでゾンビだ。夢の中で現れた忌々しい親代わりの男に、「苦悩する」ゾンビとして改造されたのは16年前の話だ。おかげさまで32歳であるはずの身体は髭も生えず、皺も増えない。親代わりの男が存在する限り絶えず繰り返される生命。腕が千切れても、目を抉られても、眠りから覚めたように起き上がればいつも通り。ただ一番初めの改造の時とは違い、死ぬ直前の記憶ははっきりしている。だからといって、「死ぬってどんな感じ~?」と訊かれても説明のしようがない。
アレイドは溜め息をついてテーブルに向かった。ヒーターの電源を入れるとその近くに座ってテーブルを引き寄せる。完全に目が覚めてしまった。テーブルの上にあるはずの照明のリモコンを手探りで掴むと、スイッチを押す。ピッと鳴って部屋が色を取り戻す。光がちりちりと目の奥に沁みるのが、生きている人間のようで嬉しく思えた。
依頼人に渡された大量の資料がテーブルの上にどっしりと存在を主張している。明日からは任務をこなそうと意気込み、資料にもう一度目を通そうとする。この街に標的がいるのは間違いないのだが、しっかり特定されていない。早く終わらせないと報酬額が低くなってしまう。アレイド自身に金は大して必要ではなかったが、必要性がなくなったら自分は廃棄されるのだろう。きっと酷い方法で。だから早目に終わらせて、自分の必要性を主張しなければならない。早目に終わらせて。早目に終わらせるには標的の居場所の特定だ。依頼人に電話し、訊いてみるのがいいだろうか。外はまだ暗い。数時間後くらいが丁度良いだろう。
数時間後に依頼人のアリエットに電話をして、居場所を特定出来たらすぐに任務に勤しもう。資料に目を向けたまま床に寝転び、照明を見つめる。
身体を改造された自分と、生きたまま執拗かつ苛烈な暴力を受けた被害者。どこか似ていると思った。どんな思いで、死んでいったのだろう。後から誘拐されてきた少女は死んでしまい、自分は助かって、そのまま生き続けて。数ヶ月前に死んだということは17年以上も暗闇を引きづり続けたわけだ。17年以上も前、自分はまだこんな仕事はしていなかったのだろう。自分がまだ普通の人間として生きていた頃、この被害者の少女は壮絶な目に遭っていた。
資料の中にはこの事件が小説化や漫画化されたものや、評論した本などが入っている。
――――シンナーかけると、よく燃えるんだぜ!!――――
資料の中にある犯人の言葉が頭を突き刺す。漫画はグロテスクすぎて観る気にはなれなかった。絵柄もホラー調で、紙が少し焼けている。
アレイドは眉根を寄せながら資料を読み進めていく。
やるせなさと、犯人への殺意、そして怒りが湧く。身勝手な欲望で殴られ、犯され。
身勝手な欲望で、自分を改造して。
暫く本を読んでいると、いつの間にか外は明るくなっている。それなのにアレイドの胸中は淀んでいる。
残り数ページの本を読み終える。瞳を閉じると、漆黒の意識の中に引きずられていくようだった。目を開けるという動作が面倒で仕方ない。
――――だめだ、寝よう。
頬がこけた、ぼろぼろの服を着た少年を見つめる視点。きっと第三者の視点だ。夢ではよくある。
――――これが、きっと僕なんだろう・・・・
黒く塗り潰された顔の女。これは母親だ。母親が手を伸ばす。口からは白く染まった吐息。手袋の中に包まれた小さな手袋。不思議と温かい。
――――まったく知らない感覚
誰かが待っている。母親の手に握られた厚紙のボックス。クリスマスツリーの横を歩く。イルミネーションの綺麗な繁華街。「モなり座」という昔流行ったグループの曲がかかっている。繁華街から少しだけ離れた住宅街。レンガ造りの2階建ての家。
おかえり
家の扉を開けたのは白髪で眼鏡の男。
ただいま、おとーさんっ
この顔を知っている。そしてこの人は父親なんかではない。夢だ。なんて無意味で、なんて非生産的なんだろう。馬鹿らしい。
ちゃんと手を洗って、うがいしなさいね
温かい。
そして光景が転換する。
血まみれの手術室で不敵に笑う父親と、生まれたばかりの僕。
二人きりの世界。
そして気付いた。彼の笑みは、僕への憎悪だということに。
そうか。そんな考え方も出来るのか。
彼は僕を恨んでいるのか。理由は分からない。
───そろそろ、起きなきゃ
この白銀の髪は貴方譲りね
生まれたばかりの赤ん坊を抱く女と白髪の男を後ろから見つめる。
それなら、このターコイズブルーは君譲りだね
やはり夢。
───だって僕の目はエメラルドグリーンだもの
「・・・・あさん・・・・・!」
「リア・・・さん!・・・」
「アリアさん!」
耳元で大きな声がし、アレイドははっと上体を起こした。
「ヨウスケくん・・・・?」
視界で逆さまに映るのはホテルのアルバイター(?)ヨウスケだった。
「大丈夫ですか?うなされてましたよ」
表情の無い顔で彼はそう言った。紙片をアレイドに突き出している。
「え・・・あ・・・、そう?何、これ」
「電話が来ました」
ヨウスケが差し出してきた紙片を見つめる。
「相手は女の人?」
「ええ、そうですよ」
アレイド自身が電話をしようとしていたところだったため、グッドタイミングだった。
「すみませんね、アリアさん寝ていたんで、勝手に電話出てしまって」
「いや、ありがとう」
他の客だったらやらないだろう。アレイドはそう思った。
「住所ですよね、それ」
紙片を眺めるアレイドにどう声を掛けた。
「うん。ちょっと探している人がいてね」
今日明日でこの少年ともお別れか、と思ったけれど、まだこの少年についているストーカーの駆除が出来ていないことに気付いた。
「最近、変わったこととかない?」
もしかしたらこっちの件の方が長引くかもしれない。
「変わったこと?」
「そう、変わったこと」
「そうですね・・・・無い・・・・ですね」
「そっか」
「なんでですか?」
「いや、・・・・別に、なんでもないよ」
また夜にでも出歩けば、あの少女を捕まえることは出来るだろうか。
アレイドは起き上がって、洗面所に向かった。
「・・・・・これは・・・・」
ヨウスケはテーブルやベッドに散らばった新聞紙の切り抜きや雑誌、書籍を見つめ、その中の新聞紙の切り抜きに手を伸ばした。
「・・・・・・っ」
17年前の事件。ヨウスケは口元を押さえた。
「アリアさん・・・・」
「何・・・・?」
歯ブラシに歯磨き粉を垂らしているアレイドはヨウスケの方を見た。
「これ、どうしたんですか・・・・?」
「・・・・・・・・・。ああ、大学のレポートで使うんだ」
自分なりに上手い嘘だと思った。
「そうですか」
ヨウスケは切抜きをもとにあったところに置いた。
「結構エグいよね」
「一晩中こんなの読み漁ってたんですか?滅入っちゃいますよ」
「本当にね」
アレイドは歯磨き粉のついたブラシを口に放り込む。
「おいガキ!こっち手伝え!」
オーナーの怒鳴り声が聞こえ、「それでは」とヨウスケは走って部屋を出ていった。
しゃこしゃこと歯を磨いている間、アレイドは鏡に映るエメラルドグリーンを見つめた。夢の中でいっていたターコイズブルーが自分の目だったらどんな感じなのだろう。
――――ちょっと変かな・・・・
アレイドはコップに水を汲んで、口を濯いだ。数回それを繰り返し、両手で蛇口から流れ出る水を掬い、顔にかけた。それも数回繰り返し、セットされた新しいタオルで顔を拭く。部屋に戻って、荷物を漁った。
私服がフォーマルな所為で、大体着る服は決まって、ワイシャツにネクタイ、スラックスだ。その上にコートを羽織って、アレイドは出掛けた。
切符を買って、電車に乗った。暫く揺られながら、外の風景を見つめていた。紙片に書かれた住所の方向は何度確認しても合っている。
一人の女性を誘拐し監禁し好き放題やった人物のもとを訪れるというのは緊張する。
――――でも、監視役を置くまでもないかな・・・
相手はきっと一般市民だ。警戒はしなくても大丈夫だろう。
1時間弱電車に揺られ、30分歩き目的地へは着いた。簡素なアパートだ。
「おにーちゃん?」
アパート付近には小さいけれど、公園がある。
「おにーちゃん?」
スラックスが引っ張られ、アレイドは振り向いた。誰もいない。
「おにーちゃん何してるの?」
視線を下に向けると、小さな子どもがスラックスを引っ張っていた。
「君は・・・・?」
「ねぇ、おにーちゃん、何してるの?」
無邪気な大きな瞳を開けてアレイドを見つめる子ども。男か女かは分からない。
「・・・・・ちょっとここの人に用があるんだ」
「・・・・?よー?」
「そう。君は何をしているの?」
「きみ?」
「ボク?は何をしているの?」
「ルピ女の子だよ?」
「・・・・・・・・ルピちゃんは何してるの?」
「もうすぐママが帰ってくるから待ってるの!」
アパートの周りは誰もいない。公園はがらんとしているが、ブランコが一つだけ大きく揺れている。この子どもが乗っていたのだろうか。
「一人で?」
「うん!」
「いつも?」
「うん!」
「危ないでしょう」
「なんで?」
ここには元強姦魔がいるんだよ、なんてことを言ったところで相手は理解しないだろう。悪い人がいる、と言って恐怖を煽るのも気が引けた。
「ここにいろってママが言ったの?」
「ママが帰ってくるまでパパがお家に入れてくれなくなちゃったの」
家庭の事情だろうか。自分がこの子どもの父親のもとまで出向いてああだのこうだのと言う筋合いはないだろう。
「そっか」
「おにーちゃんヒマなの?」
「・・・・・ヒマ・・・・なの・・・かな・・・・?」
「おにーちゃん、一緒に遊ぼうよ」
「・・・・・・・」
返事を待たずに子どもはスラックスを公園の方向に引っ張った。
――――不味い、予定が狂うな・・・・
「ねぇ、ルピちゃんのパパに頼んであげるよ、お家に入れるように」
アレイドは子どもにそう言った。
「ほんとー?」
「うん。やっぱり危ないよ。色々と」
アレイドがそう言って笑うと子どもは嬉しそうに笑い、アパートの階段へと走った。
「こっち!」
「はいはい」
紙片に書いてある部屋はA-28。A棟の28号室だ。子どもの住んでいるのもA棟らしい。
「もうすぐでお家建てるから、そのせっけーしてるんだって!」
「パパは建築士?設計士?」
「分からないけど、ずっとお家にいる!」
「へぇ」
部屋が番号順に並んでいる。20番台後半に来た頃、子どもの動きが止まった。
「ここだよ!」
アレイドはドアに書かれたナンバリングを見て絶句した。A-28。そう書かれている。
妻がいて子供もいるというのは聞いていた。けれどどこかあまり信じていなかった。「なんちゃって」なんていう言葉を待っていたのに、この子どもの言っていることは本当のようだ。
「君のパパは・・・・・」
子どもはドアを叩いた。
「パパー」
がちゃ、っと音がした。
「・・・・・・・はい」
ドアが開かれ、低い声と、酒と煙草の匂いがむわっとした。
「・・・・・・こんにちは・・・・っ」
アレイドは息を呑んだ。
「・・・・・・・ルピ、どうしたんだ・・・・・」
隈ができ、頬骨が浮かび上がっている。顔色も悪い。
「・・・・・娘さん一人、下で遊ばせておくの・・・・危ないですよ・・・・?」
「・・・・・そうですか、そりゃどうも。今、体調崩してんですよ。うつったら困るじゃなですか」
「・・・・・・・そう・・・ですか・・・・・・」
――――体調が悪い?
そんな域ではないように思える。
「他人の家庭の事情につけこむんじゃねぇよっ!!」
人が変わったように、怒鳴りつけられた。
「パパ!やめて!おにーちゃんを怒らないで!」
「うるせぇ!てめぇが連れて来たのか!?オレへの当て付けか!?」
酔っているのだろうか。彼から放たれる匂いからは納得がいく。
「・・・・・・どうしました?」
奥から声が聞こえた。父親の後ろから現れた人物の顔を見るなり、頬が疼いた。アレイドは目を見開いた。
「・・・・・なんでもねぇです」
父親はドアを閉めようとしたが、アレイドがそれを阻んだ。
「・・・・・ダンテ君っ?どうしてここにっ・・・・」
「・・・・・・・話の続きをしましょう」
けれど、ダンテは脚を止めることもなく、父親とともに部屋の奥へ行ってしまった。
「・・・・・・・パパ、最近変なの」
ドアを閉めて、アレイドは俯いてそう言う子どもを見た。
「前まではもっと優しかったのに・・・・。あの大きなおにーちゃんが来てから変になったの」
「・・・・・そうなんだ。ごめんね、何も言ってあげられなかったね」
「いいの。うん、ありがと」
アレイドは子どもの頭に手を置いてそっと撫でた。抱き上げて、下の公園に戻ろうと歩き出す。
「おにーちゃん、大きいおにーちゃんと、おともだちなの?」
大きいおにーちゃん、とはおそらくダンテのことだろう。
「・・・ともだちなんかじゃないよ」
「じゃあ、なに?」
「知り合い・・・・なのかな・・・・」
後輩?敵?
「じゃぁどうして、大きいおにーちゃんはおにーちゃんのことむししたの?」
言葉に詰まった。自分でもなぜ彼を呼んだのか分からない。それより彼等が何を企んでいるのか分からない。また事件を起こすつもりなのだろうか。
「・・・・・・ルピちゃん。あまりそういうことは訊くものじゃないよ」
「・・・・?」
「敵って言って分かるかな?いつか、戦わなくちゃいけないんだ」
きょとんとした表情で、「なにそれ?」と言いたいのが分かった。
「そのうち、大きくなったら分かるよ」
アレイドは微笑みかけた。
「おにーちゃんはさ、どーしてここに来たの?よーって何?」
「・・・・・・なんだろうね。忘れちゃった」
「・・・・・」
「下で、遊ぼう?」
「・・・・うん」
「パパのこと、好き?」
子どもというのは本当に苦手だ。
「うん、大好き」
愛されることに必死で、実は悟ってしまっている。
「そっか」
ブランコはアレイドには少し小さかった。
「・・・・・どうして?」
「パパはね、いつかいなくなるかもしれない」
言ってしまってもいいだろう。考えることに疲れた。この子どもに会ってしまって。なんて偶然なのだろう。この子どもの父親を殺さなければならないなんて。
「どうして?」
「どうしてだろうね」
僕が殺すからだよ、なんて言えるはずもない。
「ママは、何時に帰ってくるの?」
「・・・・分からない」
「ママはどんな人?」
「優しい人」
やる気が半減してしまっている。今日にでも始末できればよかったのに。
「・・・・・・・・・」
「おにーちゃん、悲しいの?」
「悲しくなんてないよ。むなしいだけ」
「むなしー?」
「さびしい・・・っていうのかな・・・・」
「・・・・・・・・・」
依頼人の指示ならこの子どもと、その母親も殺す必要がある。ここでぺらぺらと話をしたところで何も救われない。むしろ罪悪感に縛られるだけだ。
ブランコから立ち上がった。
「帰っちゃうの・・・・?」
「ルピちゃんのママが来るまで待ってるよ」
アパートの階段脇に自動販売機があるのが見える。
「何か、飲もうか。何がいい?」
「ココア」
「分かった」
アレイドは自販機に向かった。
もし、彼女を生かすことになっても、彼女はココアを飲むたびに思い出すのだろうか。自分の父を殺す男の顔を。
スラックスのポケットに入れた小銭をじゃらじゃらと漁る。
どうしてこんなろくでもない仕事に就いてしまったのだろう。
孔に小銭を入れて、ココアという表示の光るボタンを押した。ホットココアだ。子どもの手には少し熱いだろう。
プルタブに指を引っ掛け、缶を開けた。
「熱いから、気を付けてね」
「うん」
オネガイ、仇ヲ討ッテ
透き通った綺麗な声が聞こえた。
「・・・・・・・っ」
この子が言った。今。絶対。
「・・・・・どうしたの?」
この子には知る権利がある。けれどまだ、幼すぎる。
「あ・・・のさ・・・・」
言えるはず無い。言えるわけない。
「・・・・おにーちゃん?」
“パパ”ヲ殺シテ。ソノタメニ私ハ生マレタ
「そんなこと言うなよ・・・・・」
「・・・・・・・?」
「ママ、早く帰ってくるといいね」
「うん・・・・」
「17年前、女の子が死んじゃったんだ」
「・・・・・?・・・・うん」
「それを思い出しただけだよ」
自分はこんな子どもに何を言っているのだろう。
「悲しいね」
「うん」
ごめんね、で許されるはずなんてないんだけれど、せめて。
「ごめんね・・・・・・」
アレイドは溜め息をついてテーブルに向かった。ヒーターの電源を入れるとその近くに座ってテーブルを引き寄せる。完全に目が覚めてしまった。テーブルの上にあるはずの照明のリモコンを手探りで掴むと、スイッチを押す。ピッと鳴って部屋が色を取り戻す。光がちりちりと目の奥に沁みるのが、生きている人間のようで嬉しく思えた。
依頼人に渡された大量の資料がテーブルの上にどっしりと存在を主張している。明日からは任務をこなそうと意気込み、資料にもう一度目を通そうとする。この街に標的がいるのは間違いないのだが、しっかり特定されていない。早く終わらせないと報酬額が低くなってしまう。アレイド自身に金は大して必要ではなかったが、必要性がなくなったら自分は廃棄されるのだろう。きっと酷い方法で。だから早目に終わらせて、自分の必要性を主張しなければならない。早目に終わらせて。早目に終わらせるには標的の居場所の特定だ。依頼人に電話し、訊いてみるのがいいだろうか。外はまだ暗い。数時間後くらいが丁度良いだろう。
数時間後に依頼人のアリエットに電話をして、居場所を特定出来たらすぐに任務に勤しもう。資料に目を向けたまま床に寝転び、照明を見つめる。
身体を改造された自分と、生きたまま執拗かつ苛烈な暴力を受けた被害者。どこか似ていると思った。どんな思いで、死んでいったのだろう。後から誘拐されてきた少女は死んでしまい、自分は助かって、そのまま生き続けて。数ヶ月前に死んだということは17年以上も暗闇を引きづり続けたわけだ。17年以上も前、自分はまだこんな仕事はしていなかったのだろう。自分がまだ普通の人間として生きていた頃、この被害者の少女は壮絶な目に遭っていた。
資料の中にはこの事件が小説化や漫画化されたものや、評論した本などが入っている。
――――シンナーかけると、よく燃えるんだぜ!!――――
資料の中にある犯人の言葉が頭を突き刺す。漫画はグロテスクすぎて観る気にはなれなかった。絵柄もホラー調で、紙が少し焼けている。
アレイドは眉根を寄せながら資料を読み進めていく。
やるせなさと、犯人への殺意、そして怒りが湧く。身勝手な欲望で殴られ、犯され。
身勝手な欲望で、自分を改造して。
暫く本を読んでいると、いつの間にか外は明るくなっている。それなのにアレイドの胸中は淀んでいる。
残り数ページの本を読み終える。瞳を閉じると、漆黒の意識の中に引きずられていくようだった。目を開けるという動作が面倒で仕方ない。
――――だめだ、寝よう。
頬がこけた、ぼろぼろの服を着た少年を見つめる視点。きっと第三者の視点だ。夢ではよくある。
――――これが、きっと僕なんだろう・・・・
黒く塗り潰された顔の女。これは母親だ。母親が手を伸ばす。口からは白く染まった吐息。手袋の中に包まれた小さな手袋。不思議と温かい。
――――まったく知らない感覚
誰かが待っている。母親の手に握られた厚紙のボックス。クリスマスツリーの横を歩く。イルミネーションの綺麗な繁華街。「モなり座」という昔流行ったグループの曲がかかっている。繁華街から少しだけ離れた住宅街。レンガ造りの2階建ての家。
おかえり
家の扉を開けたのは白髪で眼鏡の男。
ただいま、おとーさんっ
この顔を知っている。そしてこの人は父親なんかではない。夢だ。なんて無意味で、なんて非生産的なんだろう。馬鹿らしい。
ちゃんと手を洗って、うがいしなさいね
温かい。
そして光景が転換する。
血まみれの手術室で不敵に笑う父親と、生まれたばかりの僕。
二人きりの世界。
そして気付いた。彼の笑みは、僕への憎悪だということに。
そうか。そんな考え方も出来るのか。
彼は僕を恨んでいるのか。理由は分からない。
───そろそろ、起きなきゃ
この白銀の髪は貴方譲りね
生まれたばかりの赤ん坊を抱く女と白髪の男を後ろから見つめる。
それなら、このターコイズブルーは君譲りだね
やはり夢。
───だって僕の目はエメラルドグリーンだもの
「・・・・あさん・・・・・!」
「リア・・・さん!・・・」
「アリアさん!」
耳元で大きな声がし、アレイドははっと上体を起こした。
「ヨウスケくん・・・・?」
視界で逆さまに映るのはホテルのアルバイター(?)ヨウスケだった。
「大丈夫ですか?うなされてましたよ」
表情の無い顔で彼はそう言った。紙片をアレイドに突き出している。
「え・・・あ・・・、そう?何、これ」
「電話が来ました」
ヨウスケが差し出してきた紙片を見つめる。
「相手は女の人?」
「ええ、そうですよ」
アレイド自身が電話をしようとしていたところだったため、グッドタイミングだった。
「すみませんね、アリアさん寝ていたんで、勝手に電話出てしまって」
「いや、ありがとう」
他の客だったらやらないだろう。アレイドはそう思った。
「住所ですよね、それ」
紙片を眺めるアレイドにどう声を掛けた。
「うん。ちょっと探している人がいてね」
今日明日でこの少年ともお別れか、と思ったけれど、まだこの少年についているストーカーの駆除が出来ていないことに気付いた。
「最近、変わったこととかない?」
もしかしたらこっちの件の方が長引くかもしれない。
「変わったこと?」
「そう、変わったこと」
「そうですね・・・・無い・・・・ですね」
「そっか」
「なんでですか?」
「いや、・・・・別に、なんでもないよ」
また夜にでも出歩けば、あの少女を捕まえることは出来るだろうか。
アレイドは起き上がって、洗面所に向かった。
「・・・・・これは・・・・」
ヨウスケはテーブルやベッドに散らばった新聞紙の切り抜きや雑誌、書籍を見つめ、その中の新聞紙の切り抜きに手を伸ばした。
「・・・・・・っ」
17年前の事件。ヨウスケは口元を押さえた。
「アリアさん・・・・」
「何・・・・?」
歯ブラシに歯磨き粉を垂らしているアレイドはヨウスケの方を見た。
「これ、どうしたんですか・・・・?」
「・・・・・・・・・。ああ、大学のレポートで使うんだ」
自分なりに上手い嘘だと思った。
「そうですか」
ヨウスケは切抜きをもとにあったところに置いた。
「結構エグいよね」
「一晩中こんなの読み漁ってたんですか?滅入っちゃいますよ」
「本当にね」
アレイドは歯磨き粉のついたブラシを口に放り込む。
「おいガキ!こっち手伝え!」
オーナーの怒鳴り声が聞こえ、「それでは」とヨウスケは走って部屋を出ていった。
しゃこしゃこと歯を磨いている間、アレイドは鏡に映るエメラルドグリーンを見つめた。夢の中でいっていたターコイズブルーが自分の目だったらどんな感じなのだろう。
――――ちょっと変かな・・・・
アレイドはコップに水を汲んで、口を濯いだ。数回それを繰り返し、両手で蛇口から流れ出る水を掬い、顔にかけた。それも数回繰り返し、セットされた新しいタオルで顔を拭く。部屋に戻って、荷物を漁った。
私服がフォーマルな所為で、大体着る服は決まって、ワイシャツにネクタイ、スラックスだ。その上にコートを羽織って、アレイドは出掛けた。
切符を買って、電車に乗った。暫く揺られながら、外の風景を見つめていた。紙片に書かれた住所の方向は何度確認しても合っている。
一人の女性を誘拐し監禁し好き放題やった人物のもとを訪れるというのは緊張する。
――――でも、監視役を置くまでもないかな・・・
相手はきっと一般市民だ。警戒はしなくても大丈夫だろう。
1時間弱電車に揺られ、30分歩き目的地へは着いた。簡素なアパートだ。
「おにーちゃん?」
アパート付近には小さいけれど、公園がある。
「おにーちゃん?」
スラックスが引っ張られ、アレイドは振り向いた。誰もいない。
「おにーちゃん何してるの?」
視線を下に向けると、小さな子どもがスラックスを引っ張っていた。
「君は・・・・?」
「ねぇ、おにーちゃん、何してるの?」
無邪気な大きな瞳を開けてアレイドを見つめる子ども。男か女かは分からない。
「・・・・・ちょっとここの人に用があるんだ」
「・・・・?よー?」
「そう。君は何をしているの?」
「きみ?」
「ボク?は何をしているの?」
「ルピ女の子だよ?」
「・・・・・・・・ルピちゃんは何してるの?」
「もうすぐママが帰ってくるから待ってるの!」
アパートの周りは誰もいない。公園はがらんとしているが、ブランコが一つだけ大きく揺れている。この子どもが乗っていたのだろうか。
「一人で?」
「うん!」
「いつも?」
「うん!」
「危ないでしょう」
「なんで?」
ここには元強姦魔がいるんだよ、なんてことを言ったところで相手は理解しないだろう。悪い人がいる、と言って恐怖を煽るのも気が引けた。
「ここにいろってママが言ったの?」
「ママが帰ってくるまでパパがお家に入れてくれなくなちゃったの」
家庭の事情だろうか。自分がこの子どもの父親のもとまで出向いてああだのこうだのと言う筋合いはないだろう。
「そっか」
「おにーちゃんヒマなの?」
「・・・・・ヒマ・・・・なの・・・かな・・・・?」
「おにーちゃん、一緒に遊ぼうよ」
「・・・・・・・」
返事を待たずに子どもはスラックスを公園の方向に引っ張った。
――――不味い、予定が狂うな・・・・
「ねぇ、ルピちゃんのパパに頼んであげるよ、お家に入れるように」
アレイドは子どもにそう言った。
「ほんとー?」
「うん。やっぱり危ないよ。色々と」
アレイドがそう言って笑うと子どもは嬉しそうに笑い、アパートの階段へと走った。
「こっち!」
「はいはい」
紙片に書いてある部屋はA-28。A棟の28号室だ。子どもの住んでいるのもA棟らしい。
「もうすぐでお家建てるから、そのせっけーしてるんだって!」
「パパは建築士?設計士?」
「分からないけど、ずっとお家にいる!」
「へぇ」
部屋が番号順に並んでいる。20番台後半に来た頃、子どもの動きが止まった。
「ここだよ!」
アレイドはドアに書かれたナンバリングを見て絶句した。A-28。そう書かれている。
妻がいて子供もいるというのは聞いていた。けれどどこかあまり信じていなかった。「なんちゃって」なんていう言葉を待っていたのに、この子どもの言っていることは本当のようだ。
「君のパパは・・・・・」
子どもはドアを叩いた。
「パパー」
がちゃ、っと音がした。
「・・・・・・・はい」
ドアが開かれ、低い声と、酒と煙草の匂いがむわっとした。
「・・・・・・こんにちは・・・・っ」
アレイドは息を呑んだ。
「・・・・・・・ルピ、どうしたんだ・・・・・」
隈ができ、頬骨が浮かび上がっている。顔色も悪い。
「・・・・・娘さん一人、下で遊ばせておくの・・・・危ないですよ・・・・?」
「・・・・・そうですか、そりゃどうも。今、体調崩してんですよ。うつったら困るじゃなですか」
「・・・・・・・そう・・・ですか・・・・・・」
――――体調が悪い?
そんな域ではないように思える。
「他人の家庭の事情につけこむんじゃねぇよっ!!」
人が変わったように、怒鳴りつけられた。
「パパ!やめて!おにーちゃんを怒らないで!」
「うるせぇ!てめぇが連れて来たのか!?オレへの当て付けか!?」
酔っているのだろうか。彼から放たれる匂いからは納得がいく。
「・・・・・・どうしました?」
奥から声が聞こえた。父親の後ろから現れた人物の顔を見るなり、頬が疼いた。アレイドは目を見開いた。
「・・・・・なんでもねぇです」
父親はドアを閉めようとしたが、アレイドがそれを阻んだ。
「・・・・・ダンテ君っ?どうしてここにっ・・・・」
「・・・・・・・話の続きをしましょう」
けれど、ダンテは脚を止めることもなく、父親とともに部屋の奥へ行ってしまった。
「・・・・・・・パパ、最近変なの」
ドアを閉めて、アレイドは俯いてそう言う子どもを見た。
「前まではもっと優しかったのに・・・・。あの大きなおにーちゃんが来てから変になったの」
「・・・・・そうなんだ。ごめんね、何も言ってあげられなかったね」
「いいの。うん、ありがと」
アレイドは子どもの頭に手を置いてそっと撫でた。抱き上げて、下の公園に戻ろうと歩き出す。
「おにーちゃん、大きいおにーちゃんと、おともだちなの?」
大きいおにーちゃん、とはおそらくダンテのことだろう。
「・・・ともだちなんかじゃないよ」
「じゃあ、なに?」
「知り合い・・・・なのかな・・・・」
後輩?敵?
「じゃぁどうして、大きいおにーちゃんはおにーちゃんのことむししたの?」
言葉に詰まった。自分でもなぜ彼を呼んだのか分からない。それより彼等が何を企んでいるのか分からない。また事件を起こすつもりなのだろうか。
「・・・・・・ルピちゃん。あまりそういうことは訊くものじゃないよ」
「・・・・?」
「敵って言って分かるかな?いつか、戦わなくちゃいけないんだ」
きょとんとした表情で、「なにそれ?」と言いたいのが分かった。
「そのうち、大きくなったら分かるよ」
アレイドは微笑みかけた。
「おにーちゃんはさ、どーしてここに来たの?よーって何?」
「・・・・・・なんだろうね。忘れちゃった」
「・・・・・」
「下で、遊ぼう?」
「・・・・うん」
「パパのこと、好き?」
子どもというのは本当に苦手だ。
「うん、大好き」
愛されることに必死で、実は悟ってしまっている。
「そっか」
ブランコはアレイドには少し小さかった。
「・・・・・どうして?」
「パパはね、いつかいなくなるかもしれない」
言ってしまってもいいだろう。考えることに疲れた。この子どもに会ってしまって。なんて偶然なのだろう。この子どもの父親を殺さなければならないなんて。
「どうして?」
「どうしてだろうね」
僕が殺すからだよ、なんて言えるはずもない。
「ママは、何時に帰ってくるの?」
「・・・・分からない」
「ママはどんな人?」
「優しい人」
やる気が半減してしまっている。今日にでも始末できればよかったのに。
「・・・・・・・・・」
「おにーちゃん、悲しいの?」
「悲しくなんてないよ。むなしいだけ」
「むなしー?」
「さびしい・・・っていうのかな・・・・」
「・・・・・・・・・」
依頼人の指示ならこの子どもと、その母親も殺す必要がある。ここでぺらぺらと話をしたところで何も救われない。むしろ罪悪感に縛られるだけだ。
ブランコから立ち上がった。
「帰っちゃうの・・・・?」
「ルピちゃんのママが来るまで待ってるよ」
アパートの階段脇に自動販売機があるのが見える。
「何か、飲もうか。何がいい?」
「ココア」
「分かった」
アレイドは自販機に向かった。
もし、彼女を生かすことになっても、彼女はココアを飲むたびに思い出すのだろうか。自分の父を殺す男の顔を。
スラックスのポケットに入れた小銭をじゃらじゃらと漁る。
どうしてこんなろくでもない仕事に就いてしまったのだろう。
孔に小銭を入れて、ココアという表示の光るボタンを押した。ホットココアだ。子どもの手には少し熱いだろう。
プルタブに指を引っ掛け、缶を開けた。
「熱いから、気を付けてね」
「うん」
オネガイ、仇ヲ討ッテ
透き通った綺麗な声が聞こえた。
「・・・・・・・っ」
この子が言った。今。絶対。
「・・・・・どうしたの?」
この子には知る権利がある。けれどまだ、幼すぎる。
「あ・・・のさ・・・・」
言えるはず無い。言えるわけない。
「・・・・おにーちゃん?」
“パパ”ヲ殺シテ。ソノタメニ私ハ生マレタ
「そんなこと言うなよ・・・・・」
「・・・・・・・?」
「ママ、早く帰ってくるといいね」
「うん・・・・」
「17年前、女の子が死んじゃったんだ」
「・・・・・?・・・・うん」
「それを思い出しただけだよ」
自分はこんな子どもに何を言っているのだろう。
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「うん」
ごめんね、で許されるはずなんてないんだけれど、せめて。
「ごめんね・・・・・・」
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