彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 力の無い腕が持ち上がってしっかりしない指が林檎の乗った皿を差す。
「そんなキレイじゃないけど」
 珊瑚は膝を抱える。朽葉を思い出してしまったか。灰白も朽葉の姿を思い出していた。森から出て行く背中を。
「食べる…」
 沈んだ声で珊瑚は林檎の小皿へ手を伸ばす。灰白は白いその手に小皿を差し出す。細い指が摘み上げて桜色の唇へ運ばれていく。うさぎの耳を模した皮ごと噛まれていく。
「大兄上は、いつも耳のとこ、折る。もっとゴツゴツしててさ…でも俺、すぐ頭痛くするから…」
「うん」
 林檎を食べるうちに空腹を思い出したのか珊瑚は粥にも手を付けはじめる。
「縹は大兄上のこと、もう嫌いなのかと、思った…」
 食べている途中で珊瑚はぽつりとそう零す。灰白は何故かと問う。縹は朽葉が大事だったから共に城へ来たはずだ。灰白を探すにもそれなりの手間をかけたようだった。
「喧嘩別かれ、してたから」
「喧嘩別かれ…」
「縹もすぐ身体壊すから、大兄上、鶏粥ばっか作ってさ。雑用に任せればいいのに。鶏粥しか作れなくてさ。それでも全然上達しなくて」
 ネギが切れておらず、繋がっていたりしたらしかった。卵が上手く割れず卵殻が入っていたこともあったという。
 散蓮華を粥を小皿に落とす。綺麗に食べきっていた。食べる所作も美しかった。時折聞こえる咽ぶような音には気付かないふりをした。縹が朽葉を嫌っているはずがない。朽葉の仇を討つためには命の確約は出来ないとまで言われている。だが灰白の口からは言えなかった。
「ありがとな」
 小さな感謝の声。珊瑚は膝を抱える。まだ兄の死に塞ぎ込んでいるようだった。
「お大事にね」
 頭痛薬の瓶から数錠薬を出し、食器を片付けて台車を押す。珊瑚は膝に顔を埋めていた。扉を静かに閉めると、照明を点ける時に聞いた音がした。
 台車を押しながら厨房へ向かう。縹はもう仕事を終えてしまっただろうか。だが厨房には縹がいた。
「疲れているところを、任せてしまって悪かったね」
 厨房に雑に置かれた椅子に腰掛けていた縹が立ち上がり台車の上の食器を水場へ運ぶ。台車の上に置かれた頭痛薬の瓶はローブの中にしまった。
「そんな。力になれて良かったですよ」
「後はやるから、君はもう下がりなさい」
「縹さんに話があったんです。だからわたしも手伝います」
 縹さんは休んでいてください。灰白は使った食器や調理器具を洗いはじめる。縹は台車を片付けてくるから待っていなさいと言って台車を押し厨房から出ていった。暫くして戻ってきてから話は何かと促した。灰白は胸元に潜ませられていた紙片のことを話す。洗朱通りの鴨跖草つきくさに明日の夕方、何者かが待っていると。思い当たる人物はいない。断ち切ろうとした期待がまた膨らみ、だが断ち切る。
 縹はすぐには返事をしなかった。数秒ほど黙っていた。
「行ってみたら、どうかな」
 思い当たる人物はいないが皆目見当がつかないわけではなかった。だがそこには期待が含まれている。あの日会った人物。
忘れるはずがない。だが記憶の人物とは違った。返事をしないでいると無理に行けとは言わないよと縹は言った。君の自由だと。だが鴨跖草自体はそうでもないがそこに行くまでは治安が悪いらしかった。心配なら行かないのも手だと言う。灰白の期待通りである可能性は低い。仮にそうだとしても、中身が違うかも知れない。だが低くても可能性がある。他人の空似でないなら、四季国の面影に会える。もしかしたら紅が突然連絡を寄越したのかも知れない。
「行きます」
「ちょうど花緑青はなろくしょう殿が同じ方面に出稽古があるようだから、一緒に行くといい…違うね。頼むよ、彼女を」
 群青には適当に話をつけておくと付け足される。
「…はい。分かりました」
 灰白は食器を洗う手を止めて、ありがとうございますと振り返る。縹は擽ったそうに微かな笑みを浮かべた。
「今日は…楽しかったかい」
 振り返ったまま灰白は固まる。声音は優しかった。初めて会った時の柔らかさがある。試されているのかと灰白は思った。情を捨てられているのか、問われているのかと。答えが分かっているが、無理矢理にでも本音と裏腹の言葉を紡げそうになかった。口が開いたまま、動かない。声に出せない。返答を躊躇い、せめて何か言わねばと変わりのものを探す。洗剤は十分に落ちている食器をずっと濯いでいる。間の抜けた吹き出す声がした。怒るか嫌味を言われるかすると思っていた。縹は笑いはじめている。
「素直に答えてくれていいのにな。難しい質問だったかな」
「…楽しかったです」
 灰白は不要な勘繰りをしてしまったことに頬を膨らませ、渋々思った通りのことを答えた。それは良かった。思っていた刺々しい言葉を縹は投げなかった。考え過ぎたと反省した。本来縹は疑うべき相手ではないのだ。共謀者なのだから。唯一の。少し笑ってから縹の表情が一瞬だけ真顔に戻った。
「今のうちに思い出でも作っておくことだね」
「…そうですね」
 今日のことは縹の気遣いだったのか。灰白は妙な切ない気分になった。食器を洗い終え、縹に礼を言われる。灰白の使っている浴場の使用制限の時間が迫っていると急かされ、厨房で別れた。


 山吹と花緑青の合同稽古が終わる頃まで灰白は炊事班や掃除係などを手伝っていた。縹が約束を取り付けたらしく時間通りに大玄関の前で待っていると着替えた花緑青がやって来て、遅れたことを詫びた。だが待ち合わせの時間には少しも遅れてはいない。そして思い出したように恭しく頭を下げ、群青から手巾を贈られたと話しはじめる。
「とても素敵でしたわ。ありがとうございます」
「わたしは何も…ほとんど群青殿が決めたんだし」
 花緑青は2つの折鶴の刺繍がとても気に入ったと嬉しそうに話す。花緑青の雰囲気は灰白にはたんぽぽの綿毛を思わせる。
 城の話をしながら長い坂を下る。人気のある茶屋や雑貨屋の話をしながら不言いわぬ通りを曲がる。洗朱通りへ入るのはわずかに緊張した。物騒な場所で稽古をするものだと思った。花緑青は特に気にした風もなく洗朱通りへ入っていく。栄えて鮮やかな街から突然殺風景になったり、崩れかけ傾いた建物が並んでいたりする。豪雨や強風になれば崩落しそうなほど不安定に上へ上へと増築したような家屋は人が住んでいる気配がない。
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