彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 視界に拓けていく薄暗い室内から香木の匂いがした。
「はいはい、次は何」
 肩を竦めてうんざりした声を上げた天藍は手にしていた紙束を机に置く。それ以外にも分厚く紙の束が積み上がっている。
「縹の姪が若に用があると…それは急を要するものではない。後に回しても構わん」
「あ~、本当?」
 肩を回しながら、世話係の説明を聞き終えるより早く極彩に微笑みを浮かべながら近付いた。世話係は険しい顔をさらに厳しくし極彩の前に入り天藍を遮る。
「うんうん、何?珍しいね。“叔父上”か山吹と何かあった?」
 天藍は立ちはだかる世話係をじっと見上げる。そしてわずかに首を傾げた。言葉は無かったが世話係はしっかりと首を振る。
「ちょっと野暮じゃない?」
「年頃の男女を密室に2人きりにせよと仰せられるか」
「…助平すけべいじじいか」
 天藍は諦めたらしく極彩の手を取り、金糸と上質な布で作られた座面の腰掛けに促される。
「お茶と果物水と珈琲どれがいい?」
「長居するつもりは…」
「じゃあ果物水」
 天藍は悪戯っぽい笑みを浮かべ、世話係に指示を出した。手の甲で追い払うような仕草が視界の端に見えた。世話係の恨みがましいような呆れたような視線を受けながらも剽軽な態度を崩さない。
「ごめんね。ちょっとオレの世話係、口煩くて」
「いいえ」
 天藍は対面ではなく密着するほど近く隣に座った。
「彩ちゃんの世話係は固定だっけ」
「はい」
「どんな子?やっぱ女の子だよね。あれか、宴の時の」
「はい。年下の…気が回ってよく働く娘でございます」
 うんうん、と大袈裟に声に出して頷いて表情が緩んでいる。朽葉によく似て、山吹とも雰囲気は違えど顔立ちは似ていた。
「いいなぁ。確かあの子、オレのとこに異動届出してくれた子だよね。リスみたいでかわいいし、専属にしちゃうのもいいかな~って思ったんだけど、群青が異性の専属は色々とまずいって言うからさ」
 あ、群青って分かる?。天藍は仕事中毒、働き過ぎ、不眠不休で、ヘマして骨折したと説明する。同い年だから色々と頼んで苦労をかけるとも言った。
「天藍様」
 雑談をしに来たのではないのだと、まだ何か話そうとする前に遮った。天藍のおどけた表情が消えていく。
「何?」
 突然今までの色を変え、戸惑い気味な声に極彩は黙ってしまう。
「話しづらいことかな…たとえば…」
「違います」
 縹のことではない。首を振る。天藍はまだ顔を曇らせたまま。
「とすれば―」
「洗朱地区のことでございます」
 雪融け水がせせらぐ小川に似た瞳が剣呑さを持ち、長い睫毛が伏せられると大きな息を吐く。
「…すごいね、彩ちゃん。オレの前でその話するなんてさ」
 苦々しく笑って極彩から顔を背ける。黙っていても天藍は積極的に話を続けさせようとする気はないらしかった。
「助勢したいと思っております」
「正気なの?」
 天藍は微笑んでいるが、どこか冷ややかだ。怯まずに見つめ合う。
「正気でないとしたら、あの焦土を見た時からでございます」
「あそこがどういう土地かは知ってるの?分かってる?理解してる?」
 天藍は立ち上がって、歩き回り、腰掛けの後ろで落ち着いた。
「風月国の土地で、この国を統べる者が守るべきはずの地区だったということは知っているつもりでございます」
「助勢するったってどうやってさ?もう焼野原でしょ。何が出来るの、孤立したあの土地に」
「ですから、天藍様にお願い申し上げに来たのです」
 無言と緊迫。
「昔ここに牙剥いた輩だよ。先見の明のない愚鈍の輩…建前はね」
「それでも、風月国の地であり、風月国を治める者が守るべき地のはずでございました」
 扉が開く。天藍の世話係が戻ってきた。木製盆に乗せられた、硝子製の杯の中で黄褐色の液体が小さく揺れる。
「若、飲み物を持って参った」
 氷が液体の中で小さく軋む。杯が目の前に置かれた直後に、極彩は息を呑む。顔の真横に短刀が突き刺さっていた。腰掛けの背凭れの生地が破ける。
「ちょっと、」
「その話をするな」
 鼻の前に、老齢の険しい顔がある。極彩は色の薄まった瞳を真っ直ぐ見つめる。刺さった短刀を抜く。柄を掴んだ手を大きな掌が包む。
「弱者は暴力で屈服させる。触れられたくない話は脅迫で逸らす。怠慢と無能は掻き消える。身を以て知りました。分かりました。理解いたしました」
 力ずくで僅かに傾けた短刀の刃に首筋を当てる。爪のような薄い鉄の板が冷たい。天藍の声が聞こえていたが耳を通っただけのただの音だった。天藍専属の世話係の掌が極彩の頭を掴もうとし、素早く上体を後ろへ引いた。ぱつんと小さく弾ける。弱い火花が飛び散るような明転。背凭れが大きく前に出ているため大した傷にはなっていない。刃の向きは大きく下に逸れていたはずだ。だから急所を外れている。
「お前!」
 薄暗い視界に太陽を直視してしまったときのように大きな穴が空く。消えていくと天藍の慌てた姿があった。
「突然の訪問大変失礼いたしました」
 天藍を躱し、2人に揖礼する。分厚い扉を開くと首が疼く。
「彩ちゃん!」
 天藍の叫びを扉が閉ざす。自身に出来ることは何ひとつなかった。天藍に頼ることしか出来なかった。仇の国の二公子。厚意を無下にしてしまった相手に瓜二つのおどけた青年。誰の仇も討てなかった。結局独り善がりだったのだ。故郷に戻ることもせず。同じように消される別の地と疎外された傷病者を見ているだけだった。何の為に生きているのか迷って、何かの為に生きなくてもいいのではないかと思いはじめ。どこかで悠々と暮らすのもおそらく不可能ではない。消えない思い出が蘇ることがないのなら。仕方なかった、出来なかった、やらなかった、どうにもならなかったと並べられるだけの弁解に納得するなら。悔いがないなら。
 食糧、医療品、生活用品。財さえあれば。金さえあれば。洗朱と杉染台以外の街は何も変わりがないのだ。短剣を売るしかない。高値が付くと言った。躊躇。あれは朽葉の厚意だ。彼の仇を討つための刃だったはずだ。だが朽葉は死んだ。意思などない。何が本望かなど、これからがある生者の見失った忖度でしかない。今は金が要る。
 極彩は痛痒い首を撫でながら離れ家に戻った。

 夜の不言いわぬ通りの裏路地を歩く。一層盛況を呈する飲食店が密集した区画から離れ、朝や昼に寂れて見えた長春小通りに至るまでの通りが、目に痛いほど異様な色の光りを灯し、性に奔放な男女が入り乱れる。下卑た会話と不自然な声、歯が浮くほど甘い言葉が平然と飛び交い、注目を集めることもない。息は出来るが空気が違った。呼吸は出来るが異質な息苦しさを感じる。不自然な光にじわりじわりと炙られているような暑さ。淡々としているくせ粘りつく気配。建物と建物の路地にもならない隙間や軒端のきばに這うような濁った目をした者が通行人を蝶にしているのとそう変わらない仕草で眺めている。
 極彩は窮屈に建てられた店の壁の貼り紙を探していた。
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