彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 求人募集の旨が書かれた貼り紙がやっと目に入った。人の出入りが少ない店の前でそれをじっと読む。
 嬢ちゃん。ここは女を買う店だよ。
 客の呼び込みをしていた軽薄な雰囲気を漂わせた男が極彩に一声掛けて、それからまた手を叩きながら店の特性や女の売り込み口上を述べる。
 男を買うならそっちの区画だよ。あそこ曲がんな。
 立ち退かない極彩にまた呼び込みの男は声を掛けた。それを聞いていたのか、げらげらと笑いながらすれ違った通行人に肩を叩かれる。肉感を確かめているのだと疑ってしまう指の動きに蒸れた空間の中で鳥肌が立つ。とにかく息がしづらい場所だった。簡単なことだと思っていた。
「あ、の」
 呼び込みの男に訊ねようとしたが、しっかりしなかったそれは喧騒に掻き消える。
 君、可愛いね。
 横から全く関係ない者に肩を組まれ、身を強張らせた。無遠慮に顔を覗き込まれると首の後ろに回された腕は解かれ、舌打ちが聞こえた。相手の顔を確認するよりも先に人混みに紛れていく。
 まだいたのか嬢ちゃん、営業妨害なんだよな。
 毛の無い頭部が店の明かりで鮮やかに照る。苛立った語調であくまでも人の好さげな笑みを貼り付けている。身体をその男に向けた。今を逃せば次は無い気がした。言い出せない気がした。男の値踏みの視線が極彩の脳天から爪先まで何度か往復した。
 もしかして売る方かい。
 頷いた。勘弁してくれよ、という小さな呟きを雑然とした聴覚の中で拾う。気味悪がっていることを隠すことなく、男は自身の眉間から対面の目元を指でなぞる。顔面の大きな傷のことを指摘しているらしい。
 附子ぶすな女なら附子ぶすな女なりに売れっが、傷はダメだ。
 厄介だ。お断りだね。うちでは雇えない。大仰に手を振られる。そして北東の方角を指される。
 ヘンタイコウショクカンに行け。うちじゃムリだ。
 極彩は射抜くような視線から顔を伏せた。示されたとおりに北東へ歩を進める。湿気の中で寒気がする。妖しい空気が濃くなり、呼吸は出来るが、雰囲気に胸を押されている。「退役軍人」「没落貴族」と書かれた男を売ることに特化した店の看板や、「覗き見愛好倶楽部」と円形の中に目が描かれた看板が目立つ。売り文句が「あなたの性癖に答えます」の粗末な建屋の入口からは見慣れた色の光が漏れ、わずかな安堵の感を抱いたが、内部の壁一面に貼られているものが姦濫な男や女の写真ばかりで息を呑む。「ヘンタイコウショクカン」を探しながら左右に首を振り歩く。視界の端から現れた子どもとも少年とも判断できない人影とぶつかり、おねえさんぼくのこと買わない?と問われたが返事も出来ず何も見なかったことにして進む。身形はよかったが言葉で説明できないどこかが彼をひどく貧相に見せた。「変態好色館」の店の前に立つ宣伝用の人形の脇で蹲ってしまう。縦半身が捌かれ内部が露出しているが、その内部には臓器や血管と思しき物が詰められ透明な固い膜で保護されている。外観がどうであってもこの場所の空気にてられている生身の人間から与えられる圧迫よりずっと優しい。「変態好色館」の店の照明によって見えた地面をダンゴ虫が這っている。呼吸をした気にならず、呼吸を急く中で人混みへ入っていこうとするダンゴ虫を拾い上げ、薄気味悪い人形の足元へ戻す。身体のどこかに穴が空いたのか呼吸が全て通り抜け、吸っても吐いても焦りばかりが生まれた。
 幾度か足を運べば慣れる。ここが勤め先になれば慣れざるを得ない。吃逆しゃっくりの後の腹部の疲労に似た倦怠感に目的を放り出したくなった。店が開く度に当たる冷気が心地良く、入ってみればどうにかなるのだと膝を伸ばし腰を上げる。思っていたよりも店内は明るく、瀟洒しょうしゃでも奇抜でもない素朴な装いをしていた。広い受付と応接室が一体化した空間と四方にある階段。柘榴の経営する宿に雰囲気は似ていたが、暗く翳る四方の階段に胸騒ぎがする。引き攣る腹を押さえて店内を進む。
 ありがとうございました、またのお越しを。
 脇の廊下から現れた少女が事を済ませた客へ深く頭を下げる。紫暗と年の頃に思える。短い袖から伸びる2本の腕。同じ袖から腕が2本出ている。見間違いかと思った。右腕が2本、左腕が1本。左右で3本ある。右肘から2つに分かれた腕がありありと見えた。見たことがない。少女はじっと頭を下げている。客が出て行くまでそれはおそらく続くのだろう。極彩の視線に気付いたとして答えることできないまま。好奇の念も忘れ、驚きに固まっていると不意に腕を力任せに引かれる。身体が勢いについていけず、足を縺れさせ転びそうになりながら外へ連れ出された。屋外の湿気が全身を覆う。止まっている暇はないのだとばかりにまだ引っ張られ続ける。生々しい欲と吐きそうな色に蒸れた地に似合わない薄荷の匂い。そして甘さを残した酒の香り。
 長春小通り手前で方向を変えられ、暗く急な石階段を上らされた。あと一段で上りきるというところで足がついていけなくなり、躓く。面倒になって体勢を立て直さず極彩は緩やかに転んだ。強かに臀部を打つ。立ち上がらずに階段に座って階段の下の光る色街を眺めた。その奥で不言いわぬ通りが燦爛さんらんとしていた。素っ気なく落とした腕が放され、掌を合せて指を絡めて握り直される。
 薄荷の匂いが強くなり清涼感が鼻を駆けていく。そして頭に響く酒の芳烈。苛々として文句を言おうと立ち、無礼者と向かい合う。
「お会いしたかった」
 手を振り払う。空けた距離を縮められ、粗っぽい手に手首を掴まれる。寄せられた眉と小さく開かれた唇、落莫を映す眼差しから希求を感じて再び手首を振り払おうとする。だが逆に引き寄せられる。薄荷の香りとよく知った匂い。掴まれた手首が放され、その腕が背に回る。押し退けようとするが赦されない。
「あなたにお会いしたかった」
 聞き慣れた。言葉にではない。声にだった。首筋を湿ったものが撫でた。意識になかった鋭い痛み。自ら切り付けた傷を舐められていることに気付いて、両手で胸を押す。暗い中で目立つ右腕を吊った白い布。
「群青殿…」
 虚ろな瞳が眇められて、極彩を見つめる。
「よかった…」
 幼く笑って、油断していた極彩にまた腕を開き抱き寄せる。短く声を上げて笑っている。極彩の背に指を立て、ゆっくりと滑っていく。
「…好きです」
 笑い声が止む。切なく嗄れた告白。聞き間違いか。年が近かった。異性と触れ合うより仕事第一といった風な暮らしをしているようだった。その中で、接する機会が多かった。年が近い異性への勘違い、或いは友として惜しくなった。惜しくなったとは何か。仲違いをした。だがあれは仲違いではない。選ぶものが最初から交わらないのだから。極彩はぐるぐると真意を探る。だが安心した。知らない土地と息苦しい空気。妖しい眼光と、向けられた欲に不本意な値踏み。その坩堝で嗅いだ薄荷の香りに。
「群青殿…」
 群青は城では見せないだろう軟派な笑みを浮かべた。この男が出てきたのは「変態好色館」。この一連の流れは女遊びの延長なのだと理解した。この青年というには愚直でいて、かといって少年というには観念している男とも子どもともいえない姿を知っている身からすると理解はしきれなかった。しかし嗅覚だけで酔い潰れそうな酒の匂いで説明がついてしまう。
「帰りましょ…帰るんです…。の家…」
 酒の匂いと香草独特の清涼感が内側から鼻と頭を攻撃する。拒ませない握力で指を絡め直される。
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