139 / 339
139
しおりを挟む君は誰も救えない。それで君を、誰も救えない。
腕を掴まれ、捻じれらそうになる。肘へ意思とは反対の力がかかる。
権力の前に平伏そうよ。オレを認めて?それで受け入れて…
手首に皺と肉が寄る。鈴が皮膚へと減り込んでいく。
そうすればオレが、オレだけが、君を守ってあげられる…これからは、ね?
腰へ指を立てられる。そして腿へ。内股へ。爪がくすぐっていく。
それだけで、君はオレを救えるんだよ…?
鎖骨を齧られ、その後慰めるかのように舌が這う。下唇を弄んでいた濡れた唇が肌を吸う。
そんな方だったのですね…がっかりです…
鼻の奥が冷たくなる。長い睫毛の奥の瞳に侮られる。愛想笑いばかりの口元に嘲りが浮かんだ。板ごと包帯を巻かれた腕へと変わる。
襤褸雑巾です。あなたは、二公子の襤褸雑巾なんだ。
揺さぶられる。激しく。熱かった。石ころや草が背に当たる。土が蒸れていく。チャバネセセリが飛んでいた。塗り付けたような白い雲。宙を掻いた手が他人の硬い肉感に当たる。微笑まれる。顎が震えた。歯が鳴った。灼熱と極寒に襲われる。
枕が動いた。飛び起きる。自身の叫び声が遅れて自身の中に響いた。隣の布団が大きく寝返りをうった。紫暗に背を向けられる。彼女は、うん、とはっきりしない返事のようなものをした。嚥下が聞こえる。紫暗は寝付きも寝起きもよかった。
「御主人?」
夜目の中で桜の影が近付いた。
「補水液です。少し甘めに作ってありますから」
細い管を口元に運ばれる。極彩はこの補水液があまり好きではなかった。桜はそれに気付いているらしかった。管の先端を口に含む。糖蜜の甘さが強いがやはり不味かった。
「ありがとう」
「魘されていたので枕を動かしてみたのですが逆効果だったみたいですね。すみません…」
「いいや…おかげで起きられたわけだから。でも桜、お前は眠れなかったのか。起こしてしまったかな」
桜は首を振った。
「ちょっと目が覚めただけです。喉が渇いてしまいまして」
傍らに両膝を着き、極彩が補水液を適量飲むまでそこにいる気らしかった。
「桜…途中で寝てしまって構わないから、少し話、してもいいかな」
「勿論です。御主人からお話を聞けるなんて嬉しいです」
桜は姿勢を正した。極彩は苦笑した。
「ここで聞く気か。寝ていてくれ。わたしもそのほうが話しやすい」
布団に戻る姿を見ると、長屋で紅がしてくれたように自身のことを話した。季節の話。好きな場所。楽しい思い出。四季国と、王を伏せなければならなかった。それだけが少し惜しかった。桜は相槌をうったり、うたかなったりした。返事を求めることは言わなかった。だがそのうち寝息へと変わった。喜ばしくもあったが寂しくもあった。手首の鈴が軽やかに鳴る。ふわりと心地良い浮遊感があった。掛け布団に包容される。大したことは話していない。紫暗がいたため声も大きくはなかった。だが喋り疲れたことを実感した。
3人での朝餉は久々だった。時間帯的に少し早めだったが、それはすぐに紅の朝餉を届けるためだった。旨味の効いた昆布と胡麻で絡め、味噌で炒めた野菜。醤油で煮立て長ネギと鶏肉、人参や榎茸が入ったせんべい汁。そこに鰯の水煮と冷奴が付いた。朝餉の後、紫暗は二公子の元へと帰り、極彩は地下牢へ加工した朝餉を運ぶ。気が重かった。しかし地下牢前まで来ると警備の者が、別室を案内するように言付かっているらしく、以前二公子の機嫌を激しく損ねた広い部屋に紅が移動していると告げられる。警備の前も届く廊下に接した場所にあるためすぐさま身を翻した。彼は部屋の隅で、薄く古い粗末な布団の上で壁に背を預けて項垂れていた。その姿が長屋で生活していた頃に見ていたものとよく似ていた。周りには茣蓙やその他私物も運ばれている。
「紅。おはよう。遅れてごめんね」
彼の前に膳を置く。懲罰房で腹に蹴りを入れられてから彼は少し様子が変だった。無口で無愛想なのは変わらないが、纏う空気感が変わった。それを気拙さと帰結させるしかなかった。擂り潰したほとんど液体と化している飯と、具のない味噌汁、乾酪を絡め餅のような状態の蒸した馬鈴薯を平らげていく。紅はよく食べる。今日も少し多めに持ってきたくらいだった。共に暮らしていた時は小食だった。我慢していたのかも知れない。
「背中痛くしちゃうからね、わたしの布団、持って来るよ」
寝癖のついた髪を撫で付けるが直らず跳ねた。
「広いし、わたしもここで寝ようかな…なんてね。こんな所でひとりで寝かせることになっちゃって、ごめんね…」
紅の体格を確かめながら抱き締める。背や腰を彼女の手が這った。硬い腿にまで伸びる。自身の傷をなぞるみたいだった。まったく無関係な紅へ矛先が向いてしまっていた。
「ごめんね」
己が何をしているのかに気付くと無抵抗な、少年とも中年とも分からなくなってしまった元護衛をもう一度抱擁する。
「紅を置いてなんていかないからね」
彼はぼんやりと極彩を見るだけだった。赤茶けた髪へ顔を埋める。洗ってもらったらしく洗剤の香りがする。男性用頭髪洗剤で、柑橘と香草の清爽感が残る匂いだった。
「紅はいつもいい子だね。今日もいい子にしていられるかな。また来るから」
幼い顔は口を開かず縦に揺れる。決まった文句だった。低く見積もっても計算上30代後半に差し掛かっている、この同郷の者と再会し、その事情を把握した時から極彩にとって彼は弟になり、息子になった。
「今、布団を持って来るから」
紅の癖毛を梳いてから離れ家へと向かう。廊下に出てすぐ、地下牢に向かうらしき天藍に会った。息苦しさがあったが揖礼する。何も反応を示さずにいるだろうと思っていた。互いに無関心を装えるならばまだ楽な気がしていた。
「おはよう。今日も一段と綺麗だね。季節の変わり目で体調を崩しやすくなるから、気を付けるんだよ」
天藍は目の前で足を止め、顔を傾けもしなかったが最後に柔らかに笑いかけるためだけに極彩へ首を曲げた。そして地下牢に伸びる廊下を進んで行く。姿勢を低くして世話係たちが前を通過していった。鼻に新鮮な香木の匂いが届く。膝から力が抜けた。紅の移った部屋の扉の前で尻餅をついたまま動けなくなった。何度か瞬目した。離れ家への道程は大したことはないはずだというのに遠いような気がした。何より突然、意欲が喪失した。腰を上げることすら面倒臭くて仕方がなかった。
「大丈夫ですか」
天藍は侍らせている世話係たちとは随分遅れて別れたばかりの紫暗が散歩のような足取りで近付いてきた。極彩の傍で身を屈め、助け起こす。
「もう、行ってしまったよ」
「自分はいいんですよ。体のいい人質にさえなれば。他にも優秀な方々がたくさんいますし」
脚に力が入らないことを察しているらしく、紫暗は極彩から離れようとしなかった。
「どちらへ?一緒に行きます」
「離れ家に。紅に布団が足らなくて」
「極彩様が風邪をひいてしまいます。備蓄倉庫から出しましょう。自分がやっておきます。これから寒くなりますもんね」
円い目が細められる。彼女の身体と密着するのは心地が良かった。しかし、中間まで行ったところで紫暗がふと後方を気にした。幾度か振り返っては気難しく眉根を寄せる。
0
あなたにおすすめの小説
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
王様の恥かきっ娘
青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。
本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。
孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます
物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります
これもショートショートで書く予定です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
ローザとフラン ~奪われた側と奪った側~
水無月あん
恋愛
私は伯爵家の娘ローザ。同じ年の侯爵家のダリル様と婚約している。が、ある日、私とはまるで性格が違う従姉妹のフランを預かることになった。距離が近づく二人に心が痛む……。
婚約者を奪われた側と奪った側の二人の少女のお話です。
5話で完結の短いお話です。
いつもながら、ゆるい設定のご都合主義です。
お暇な時にでも、お気軽に読んでいただければ幸いです。よろしくお願いします。
地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません
藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は
愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。
夫が愛人を持つことも、
その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。
けれど――
跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。
その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。
私は悟ったのだ。
この家では、息子を守れないと。
元々、実家との間には
「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。
ならば話は簡単だ。
役目を終えた私は、離縁を選ぶ。
息子と共に、この家を去るだけ。
後悔しているようですが――
もう、私の知るところではありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる