彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 極彩は立ち上がった。着替えを掬い上げると乾いた泥が落ちた。それがとても罪深いことのように思えた。群青は気を失った娘を見下ろすばかりで動く気配はなかった。
「自害はいたしません。まだやることがありますから。血生臭さがこびりつこうと、必要とあらば…きっと貴方のことも……でもそれまでは…斬りません」
「香でも焚いたらいいんじゃない。所詮罰なんて、自分の中にしかないんだから、それが決まってるなら何も言うことはないね」
 襖の引手に触れた。ばちりと静電気が指を噛む。
「極彩様も、ご自身の罪の意識と戦われているんですか」
 吃逆に似た笑いが一度漏れた。群青へ身を翻す。
「嫌だな、群青殿。わたしにそんな後ろめたさがあるっていうの?一体どんな?二公子に手籠めにされたこととか?もう子供産めないこととか?そのことまだ夫に話せてないこととか?剣舞中に乱入者の腹に白刃入れちゃったことかな?ああ、将軍一家を皆殺しに導いちゃったことかな?それか、もしくは、分別のつかない三公子を誑かしちゃったこともあるね…?」
 喚いた。口にすると言いようのない感情が溢れ、眼球の裏に熱が籠る。群青は狼狽えた。立ち上がろうとしていたが、娘が小さく身動ぎ、意識を攫っていった。
「さようなら。本当にもう二度と顔を見せないで」
「それは…お断りいたします。俺は極彩様のすべてを知りません。ですが…知りたいとは思います。どんなことであれ、俺は貴女をそしれない。苦しんでいるのなら、傍で寄り添いたいとも思っています」
 娘の枕を直し、胸元を緩め、そうしてから群青は癇癪を起したらしき女と対峙する。
「胡乱な言葉だな。夫もわたしを愛する、好きだって言って、結局出てきちゃくれないんだから。それにさっき、必要ならわたしのこと斬るって言ったばっかで、実際わたしに攻撃しかけたでしょ。一体そんな男の何を信じろっていうのさ。甘い言葉は残酷だな。娼妓たちは仕事だし、騙されたフリしてくれるかもしれないけど…夫に相手にされない哀れな女の間男にでもなって、慰めてくれるってわけ?叩っ斬られるまでは?」
 立ち上がり、彼は近付いてくる。極彩は後退った。
「貴女が他の誰でもなく、俺で癒されるのなら。すでに醜穢しゅうわいな身ですから。微力ながら…しかし、貴女がこれ以上罪の意識に苛まれるというのなら俺は止めたいくらいです」
 彼の手が触れそうで極彩は竦んだ。接してしまったらそこから焼け爛れていきそうで、迫りくるであろう激しい痛覚に目を閉じる。
「もし本当に必要になれば、俺は貴女を斬ります。ですが、そんな日が来ることを考えるのも嫌です。この手で貴女を斬れるのかも、自信がありません」
 腕が背に回った。胸部が重なる。鼓動が伝わる。極彩は強張った。撥ね退けることも忘れていた。
「二公子のおこぼれだ、これじゃ?いつか殺されるかもしれない襤褸雑巾いぬっころに慰められて、本当に救いようのない女…」
「自分を卑しめるのはおやめください!」
 背中に添えられていた掌が項を辿り、髪を梳きながら後頭部を抱いた。女の手は震えた。両手で、着痩せするらしく意外にも厚い胸部へ押さえることしか出来ないでいた。彼の手も小刻みに震えていた。あまり体温は高くなかった。
「…お慕いしております」
 薄荷の匂いが鼻腔を擦り上げる。血生臭さなどどこにもない。弱りきった若者が女に告白する。
「娼館に行けば女なんぞいくらでもいるでしょ」
「それでも、貴女でなければ…こんなに焦がれないんです」
 女の口角が毒を帯びて持ち上がる。背伸びをして少し皮の剥けている唇を塞いだ。抱き締めていた腕が落ちていく。冷たく乾いた質感からすぐに離れた。
「満足?」
「どうして、」
 望みを叶えてやったというのに男は驚愕に唇を戦慄かせていた。それでいて双眸は、同情とかけ離れた憐憫を灯している。
「これがお慕いしてるっていう正体じゃないの?潰した腹には気遣い要らないから、情婦いろには都合がいいもんね。でもこれ以上は応えられないな…夫にもまだの、特別だよ。さようなら」
 群青の邸宅を出ていった。雨上がりの城下を歩く。纏わりついた駄犬の柔らかな匂いに涙が溢れ、それにも苛立ち、吐き気がした。訳の分からない怒りに熱くなる。城に戻っても止まなかった。通りがかりの下回りへ大量の酒を所望し、叔父がいる部屋へ向かう。何も呑まずともすでに酔っている心地だった。枕元の電灯だけの真っ暗で、そして凄まじい花の芳香が漂う中、叔父は眠っていた。かろうじて目元口元は避けられているが顔中に綿が当てられていた。首にまで包帯が巻かれ、薄らと血が滲んでいた。外気に触れている鼻梁をみるに、紋様のような痣が裂傷となり、出血しているようだった。叔父を眺めているうちに扉越しに酒を運んできたことを告げられる。重病人を肴に酒を飲む。漂った臭気だけで喉が焼けるみたいだった。舌はすぐさま拒絶していたが嚥下する。苦味と辛味ばかりの液体を、美味しいとは思えなかった。腹の奥に微熱が広がる。体内から温度が高まり、一度止まったはずの涙が大粒になって零れていった。酒というものの不味さが目の前の離別も、先程の愚行も忘れさせた。口に運び、嚥下する簡単な作業があまりにも苦しい。酔いが回り、肉体が二重になったような感覚に陥ると、意識が呑まれた。縹の世話をしに来た下回りに起こされるが、目覚めても目覚めても頑なに目を閉じた。
『このまま寝かせておいて差し上げましょう』
 身近な者の声がした。自身の肉体がさらに自身の肉体に覆われたような鈍く重く、痺れた感覚の中で手を伸ばした。
『御主人、いきなりの強いお酒は控えてください』
 情けない姿ばかり見ていたが、人の世話をする時ばかりは頼もしい若者の声がした。宙を掻きかけた手を拾われ、そして心地良い毛布の中に直される。
『まだそういうお酒にはずっとずっと早いです。自重なさってくださいね』
少し尖りを持った口調だった。慌てて彼女の口が動く。何を言ったのかは自身でも不鮮明だった。
『酔っ払いは往々にしてそう言うものですよ』
 保護者のような温もりに極彩は悄らしくなった。何と言ったかやはり不明瞭だったが一言放つ。
『はい。おやすみなさいませ』
 耳鳴りの中で使用人は穏やかに言い、それに安堵し泳ぐような酩酊感の中に沈んだ。
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