彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

文字の大きさ
192 / 339

192 ある謀反人の遺書 四

しおりを挟む
 久々に見た彼女は傷だらけでした。顔中に痣や傷があり、顔面を横切るように一筋、深い傷痕がありました。掘り込むようなその傷が十数年そこらでは消えないことはすぐに分かりました。その上から彼女は化粧をするものですから、傷口はさらに悪くなっていくのです。あれがひどく肌を乾燥させ、皮膚を苛むことは、一度関係を持った女性によって興味本位に紅や白粉を施されてから知っているのです。私は暴力の垣間見える様に絶句しました。朽葉様は私を観察するように見るだけでした。しかし応えようとすると逸らすのです。説明を求めることは許されないような気がしました。普段は人の目を覗き込むように捕らえて、穏やかなくせ尋問してくるような彼がその時ばかりは私と目を合わせることを拒むのです。彼女も黙ったきりで私は、私が話を回せという私の声に耐えられず、それでも朽葉様の名を呼ぶことで精々でした。彼は小さく謝るだけでした。また沈黙が訪れて、私はもうどうすることもできなくなり彼女に意識を持ちました。目が合いました。やはり彼女は美しかった。とにかく久し振りだったのです。最後にあったのはおそらく求婚した時で、最後に目にしたのも確かその時です。そういった計算が自分にも出来たことに驚きました。祝品だけで済ませたことを、諸事情で式に参加できなかったことに含めて詫びました。彼女は愛想笑いを浮かべるだけでした。この一方的で言葉の交わされなかった会話に朽葉様が割って入りました。それは好きな子を奪われたという類のものではありませんでした。その素直な気性ゆえの罪悪感によるものだと思いました。彼は私に、弟が彼女に暴力を振るっているという旨のことを言いました。そして別れさせるつもりであると言いました。公子の離縁というものはそう簡単にいかないのです。それを朽葉様は知ってか知らずか、おそらく知っていたと思います。しかし彼の意志は固いものでした。彼女への申し訳なさと、弟への猜疑で揺れ動いているようでした。彼女は何も言いませんでした。意見を求めることもしませんでした。私は反対しました。二公子の、朽葉様によく似た顔の下に秘められた異常性、凶暴性を恐れたのです。私に向けられることがではありません。二公子の傍にいなければならない彼女と、それから弟を盲信してしまう節のある朽葉様にその矛先が向くことを恐れたのです。朽葉様にしてもまだ二公子を信用していたいという態度を隠しはできないくせに、彼女と別れさせるとまた念を押すのです。自分が弟から奪うというのです。市井の者たちの痴話喧嘩や痴情の縺れとは訳が違います。公子ともあろう者が兄弟でひとりの女を取り合う構図ならまだよかったものですが、長子が義理の妹を奪うという構図ですので、ある種の近親相姦となり、破廉恥極まりなく、非常に不名誉なことでした。「この国の公子は理性の利かない遊び人で犬猫と同等の分別のない人非人であるということになってしまう」という説明が最も具体的で感覚的には近いかもしれません。
 彼には瞬発的で後先考えないところもあったものですから、私は無礼千万を承知の上でそのことを説明しました。渋々二公子の婚約をお認めになった風月王が許すとも思えませんでした。市井の者たちの認識と合致しているか外れているのかはやはり疎い私には分かりませんが、一言でまとめるのならやはり「恥ずべきこと」に違いありませんでした。市井の者として生まれたかったのではないかと、時折切なくなるほど市井の若者に触れ合い、感化される彼の認識や価値観では私の考えは伝わらないようでした。こう書いてしまうと私は朽葉様に愛想を尽かし、見限っているようですがむしろ逆です。時代は流れていってしまうものですから、公子の、ゆくゆくは風月王の在り方も変わっていくことに私は賛成でした。仮に朽葉様が風月王にならなくとも長子がそういった傾向にあるのは力関係的に理想だとすら思っていたのです。彼がすでに決めているのなら、私は考えを改めることができました。持論を曲げることも厭いませんでした。そういったところが三人の弟を抱える彼にさらに私というおもりを加えていることは分かっていました。しかし私は彼女をまだ好いていることも含め、朽葉様というある方面での父であり兄であり、師匠であった人物に縋りつき、甘えていたのです。
 すべてをこの手記に綴ろうと思っていました。そうすることが務めだと思っていました。ですがここにきて私は記憶に浸り、忠実になることに骨惜しみしました。大まかに挙げると彼女は死にました。二公子の暗殺を目論んだとして処されました。彼女が暴行を受けていたことは周知の事実でした。しかし誰にもそれが言い出せなかったのです。誰が悪いのでもありません。相手は国の第三位、第二位ほどの権力者です。反権力を掲げ、立ち向かえる者というのは一種の世間の敵とも成り得ます。人にはしがらみがあります。守りたいものがあります。社会に生きるということは、自力だけでは生きられないということもあります。何より不条理なほどの連帯感を求められ、同調しないものは悪にされます。良心を持たされた時それは苦しみに変わります。死と暴力をちらつかされたなら、見ない・見えない素振りをしてしまうのは仕方のないことでした。私は現場を知る者としてひとつの公平性のためにこう書き記しておきます。
 それでも化粧の下に増えていく生々しい傷や痣に皆が皆何も思わないわけではありませんでした。誤魔化したところで目に見えているものに変わりはなかったのです。彼女のことは闇に葬り去られました。城の者たちに訊ねたりしてはなりません。城内で一斉にみた悪夢なのです。朽葉様はその性分と立場ゆえに空気感と連帯性に従うことができませんでした。私は彼のことを想ったつもりで諌めました。しかし真っ直ぐな彼には保守的で保身的な私の声は届きませんでした。朽葉様との間に距離ができ、段々と開いていくようでした。比例して朽葉様の立場は悪くなりました。珍しく言い合いになりました。私が朽葉様に勝てるはずもなく、負けを認めて彼の前から去りました。その帰りに、罪人として処されたとは聞こえがいいですが、実際は苛烈な暴力によって果てた彼女の実家へと赴きました。空き地になって、雑草が生い茂っていました。足元に生えていた魚腥草ぎょせいそうの白い花を見た途端、抑えられない悲しみに泣きました。幼い時分から腹をきつく締め上げていた帯みたいなものがすっと消えていくような心地がしました。彼女の死を理解しきれなかったのだと思います。実家どころか芸妓の道も宗教家の道も捨て、辿り着いたのは刑死だったのです。私や弟と共にいた時間はこの結末に向かうための前置きに過ぎなかったというのならあまりにも不出来な話です。
 この口喧嘩から間を置かず、彼から辞任を勧められました。再び潜伏していた症状が現れた時で、兄の肺病と同じではないと知ったのは斑紋のためでした。大きな花柄の痣でした。長期療養に専念すべきとのことでした。この厄介な友人のような病は気まぐれに顔を出してはすぐに隠れてしまうのです。少し気取った言い方ですが、本当に内なる自分、しかし御せない友といった感じがしていたのです。このことを三公子が喧嘩別れだと勘違いしたのは間が悪かっただけです。どうせすぐに治ると軽くみていた私はこの提案を退けましたが、懇願になってくると私は弱かったのです。一時的な辞任という形をとり、私は城から離れました。これは捻くれた私の勘違いだったのかも知れませんが、城にはもう戻れないという気がしていました。登録を抹消されるか、正式な辞任が通達されるか、私が自らそういったことを申し出るか、それは分かりませんでしたが、そう感じ取っていたのです。理念を掲げる日々は人生という規模でみても短いものだというのに、無為に過ごす日々は長いものでした。兄はこの期間に病死しました。一人で住むにはもともと広すぎていたし、兄は離れで暮らしていたものですから、東雲中央区にあった家を売り払い、洗朱地区に移り住みました。そうこうしているうちに朽葉様が賜死、自刃という名目で処されました。市中引き廻しの儀もありましたから、やろうと思えば最期に会いにいくことも、或いは嘆願書を提出することも、抗議活動 乃至ないし暴動を煽ることだってできたはずです。しかし私はそうしませんでした。何故そうしなかったのかは分かりません。考え直してみたところで過去の自分が分からないのです。悪酔いしているような感覚が続きました。酒に溺れ、怠惰に過ごしました。そして罪も縁も由もない人々を巻き込み、破滅へと導きました。

 ここからは私個人の話になるのですが、私はある筋からこの肉体を流れる蝕まれた血は不治の病に打ち克つ仙薬だと知りました。
 洗朱風邪の正体は、洗朱地区一帯の建築物に使用された空五倍子うつぶしにしきと呼ばれる特殊な鉱石です。それが爆破により粉塵と化し、飛散したものを長期的に吸入してしまったため起こったものです。私の友人がいる異国ではすでにその危険性は指摘されており、使用が禁止されているそうです。さらに詳細を記した書簡と製薬法は城の上層部へ送りますのでいずれ公になると思いますが、時間との勝負になる洗朱風邪末期患者の前では長いものです。せめてもの償いにこの血肉をお使いください。

 それから覚えているかと思いますが、花緑青という芸妓の話です。「花緑青」という名跡は実在するのですが、現在襲名している者はおりません。

 そして遺書らしく今後の話をしておかねばなりません。私の養子と姪をある社会的地位の高い人のもとへ姉弟として勝手に書類を纏めさせていただきました。いずれ配偶者と住むための邸宅を絹鼠きぬねず町、今でいう枯野かれのパールグレー停留所付近に用意しました。ですが同居を望まない場合は売り払うなり、貸し出すなりするといいでしょう。
 遺産は没収されないよう、すでに然る機関で片付けてあります。半分は姉弟に、半分の半分は杉染台、残りは城に充てました。
 辞任したにもかかわらず官吏に復職した手前、一度姪を明確に二公子宛ての贈答品として扱います。この手記が届く頃に書類が送られる手筈になっています。後見人とはすでに特別書類を作成し、手続きも終えましたが、効力が発生するのは私の死後すぐにというわけではありません。それだけ頭に入れておいてください』
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

王様の恥かきっ娘

青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。 本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。 孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます 物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります これもショートショートで書く予定です。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

処理中です...