彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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青人草あおひとぐさの血税で生かす価値なし、と…』
 半壊している部屋を訪れた者が書状を差し出す。黒い髪の小柄な少女は深々と頭を下げた。死亡日時を告げられ、弟に受取を拒否された耳飾りを渡される。
『城にお戻りください。考えをお改めになって。この国には縹様が必要なのです』
 お願いします。少女はそう言って、亀裂の入った廊下へ出ていく。すでに消された土地の廃れた集合住宅だった。


「少し話してもいいですか」
 緩やかに目が覚めてしまい、静かに枕元の傍の男に問う。照明は点け放しだった。彼は横目で女を見下ろした。はい、という口調は優しいが隙が無い。
「どうしてそんなに頑張れるんですか」
 話し始めた途端、群青は顔を背け、小さなくさめをした。薄い毛布を掛けられていたがそれだけでは十分な防寒とはいえなかった。
「寒いですよ。もう一枚足したらどうですか」
「いいえ…動きづらくなりますから。お心遣い感謝いたします」
「わたしはそんな物騒な集団に狙われているんですか。それとも、わたしを警戒しているのでしょうか」
 布団の中で立ち上がる。冬用の厚い生地がふわりと温い風を起こして潰れた。
「何があるか分かりません。用心するに越したことはないんです。任じられているのは極彩様の護衛と監視ですから」
 落ちた布団を摘まみ上げ、彼の隣に腰を下ろす。群青はびくりと肩を震わせ身を引いた。
「何を…」
「守ってくれるのでしょう」
「ですが、」
「わたしが妙なことをしたら斬られるのですか」
 隣の青年は不安げに目を伏せ、首を振る。
「その時は貴方のお好きなようになさってください。二公子の大切な御方を斬ることは赦されておりません」
 羽織った厚い布団に男を巻き込む。薄荷と淡い香りが近付く。強張り、逃げようとした。
「仕事になりません。離れてください」
 弱った小動物然とした動作で彼は極彩と距離をとる。
「残念です」
 分厚い布団を群青へ投げ、代わりに薄い毛布を奪うと引き摺って布団へ戻る。
「風邪をひきます」
「寝て起きるだけの生活ですから、風邪をひいて何を困ることがあるのです」
 群青へ背を向け、冬の夜の寒さをくすぐったく感じながら繭を作る。
「さっきの話、続きを聞かせてくださいな」
「…家の復興のためです。俺には、下に同胞きょうだいがいるみたいなんです。顔も名も、性別すら分からないんですが、いつか会えるんじゃないかと…思いまして…居場所を作っておきたいんです。今までの生活に戻るにせよ、俺と一緒に生きてくれるにせよ。何も分かりませんが…会えば分かると思うんです…きっと…」
 後ろから布の摩擦が小さく聞こえた。
「会えるといいですね。弟御か、妹御と」
「はい。真っ先に極彩様にご報告申し上げたい。…いいですか」
「楽しみにしています。どういう御人なのでしょうね」
 群青は口を閉ざしたが、少しの静けさの後、彼は遠慮がちに問う。
「極彩様は無理をなさっていませんか」
「無理をしているように見えましたか。けれど、出来る無理なら無理ではありません。そうでしょう?」
 以前、城で偶々耳にした叱責をそのままなぞった。城勤めならば骨の髄にまで沁み込んだ理念のはずだろう。
「そうだとしても、俺は貴女が無理をしているように思えてならない」 
 潜められた声ではあったがしっかりした口調で、断言に等しかった。答えずに、眠るよう努めた。

 激しい物音に目が開いた。物騒な感じはなかった。台所のほうで複数の物が落下する音だった。眠気は残っていたが現場へ向かう。調理器具が散乱し、加熱中の鍋が沸騰していた。
「大丈夫ですか」
 尻餅をついている群青に問う。存在に気付いていなかったらしく、怯えたような顔を一瞬みせた。蒼褪め、汗ばんでいる。
「起こしてしまいましたか」
 水場の奥の窓の外は白かった。朝は朝だが早い時間帯のようだ。
「鍋の火、止めますね」
 彼に答えず、加熱器具のつまみを回す。鍋の中の心地良い鼓動がゆっくりと鎮まった。
「すみません」
「いいえ。包丁が落ちています。気を付けてください」
 彼の手の傍にある包丁を俎板まないたの脇に戻した。黒豆を入れた容器が横たわっていた。弁当を作っていたらしく、焦げ目のついた玉子焼きや揚げ鶏が曲げわっぱに詰められていた。
「ごめんなさい。わたしがもう少し料理が上手ければ、群青様にお弁当を作って差し上げられたのですけれど」
 俎板から落ち、床に転がってしまっている黒豆を一粒拾い、息を吹きかけ口へと放った。甘い味が広がる。呆然と彼女を見上げていた男は目を瞠る。色の悪い唇が開いて、それから痛々しげに顔を逸らす。
「違うんです。誤解です」 
「いいんです。まったく気にしていませんから」
「それは極彩様に召しあがっていただきたくて作っていたんです」
「わたしにですか…群青様は?」
 曲げわっぱはひとつしか見当たらない。力強く群青は首を振る。
「食べられないんです。酒と点滴で健康面に問題はないのですが…固形物を口に入れると戻してしまうので…極彩様のお料理が下手だとか、合わなかっただとかではございません。無駄にしてしまうのも心苦しかったので他の者にくれてしまいました。…ごめんなさい」
 項垂れ、極彩の言葉を待っている。
「そうでしたか。気にしないでくださいな。勝手に作っただけですから」
 彼は顔を上げることも、立ち上がることもせず、こうべを垂れたままだった。
「怪我をしてしまいましたか。お腰を?足ですか」
「していません」 
 動揺しながらよろよろと立ち、散らかした調理器具を片付けはじめる。
「いつからですか」 
 彼の手から小型の鍋が逃げた。耳障りな音が破裂する。窓の奥から入る光が彼の瞳と横顔を溶かす。唇が開いても答えはない。もう一度訊くことはしなかった。ひとり台所に残し、布団を片付けに戻る。そのうち彼も居間へ姿を出す。卓袱台へ弁当を置くと、身を縮めて腰を下ろした。悄然としていた。何度も唇を舐め、硬直している。
「群青様のご負担になってしまっていたなら、やらなければよかったですね。その程度のことですから、本当に気にしないでくださいな」
「気に…します。嬉しかったものですから…極彩様の作った物をまたいただけるなど思ってもみなかったので。きちんと前もって言っておけば貴女に気を遣わせることもなかった」
 彼は緊張していた。極彩は朝支度を終えると対面に座った。
「食べられないのは仕方なのないことですもの。話してくださってありがとうございます。暫くはそういう風に過ごしていきます。わたしの料理なんて治り次第いつでも食べられるのですし」
 軽快に微笑みかける。おそるおそる持ち上がる白い顔が仄かに赤みを帯びた。
「原因はもう分かっているんですか」
「…はい」
「わたしで役に立てそうなことがありましたら、言ってください」
 こくりと小さく頭が上下した。そして仕事に行くと告げる。
「お礼というのも烏滸がましい話ですが、もしよかったら召し上がってください。口に合うといいのですが」
 自信はなさそうだった。玄関で見送り、引戸が閉まりきるまで笑みを絶やさなかった。鍋の中の味噌汁を温め直し、朝餉に弁当を食べた。玉子焼き、揚げ鶏、里芋と人参の煮物、かんざわらの白味噌焼き。そこに野菜が添えてあった。見目はそれなりに整っていたが味はどうにも舌に合わなかった。下味の手間や味付けが空回っている。しかし伝えるべきことは「美味しかった」の一言に決まっていた。
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