彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 日が昇る頃に血相を変えた銀灰と険しい顔をした柘榴が訪れた。推測される話題から苦手意識が先走り、菖蒲に間に入ってもらいたかったが、彼は眠気を告げ座敷牢に引き籠ってしまった。銀灰は前振り的な挨拶も雑談もなく、顔を合わせた瞬間に書状を差し出す。絶縁状の類だと高を括ったが、筆跡は見慣れないものだった。よくある判型に読み易い大きさの健筆で、柘榴の経営する宿の宛名や封の閉じ方、余白の空け方まで上品さを醸し出している。そこには桜を拉致した旨が綴られ、彼の身柄を引き渡す条件として、早苗川埋立跡地に極彩ひとりで迎えにいくことが挙げられていた。それだけで犯人が特定できたような気がして緊張感は然程抱けなかった。しかし銀灰は不安を隠さず、柘榴は眉間に深い皺を刻みながら極彩を見つめている。
「分かりました。行ってきます」
 書状の端々から感じられる神経質さは脳裏に染み付いている人物への印象とは合致しない。だが時機からいっても彼しかいなかった。
「待って、白梅ちゃん。危ないっすよ!オレっちも…」
 呆然としていた銀灰は猫を彷彿させる目を剥いた。極彩は首を振る。柘榴は無言でいるがいくらか目付きに凄みが増した。
「ひとりで、って書いてあるから」
 まるで瀟洒な印字と見紛う至妙しみょうな字の列を示し、焦っている銀灰に説く。
「でも白梅ちゃんの身にまで何か起きたら…っ、めっちゃ困るっすよ。そんなの嫌っす…」
 柘榴は2人を交互に見てから嘆息する。
「勝算があるの?一体アナタを呼び出して相手は何をするつもりなのか見当がついているのかしら」
 直感どおりの者であるなら、書状には伏せられている要求が透けている。
「はい」
 柘榴は驚きに黒く縁取られた目を見開き、それから銀灰を気にした。
「アテクシは要求に屈するべきじゃないと思っているわ」
 銀灰が素早くその言葉に反応した。大きく息を吸い込み、何か言おうとしていたが吃逆のようになっただけだった。
「次から次へと言いように条件を提示されて、それにひとつずつ応えていく気?アナタの身に何かあったらどうするの。取り返しのつかないところまで深みに嵌まったら?」
 試すような挑むような目が黒く縁取られた化粧の中でも飾られずに語りかける。
「桜が助かる確実な方法であるのなら応えます」
「言うは易しね。それならこの問答に意味は無いわ。アテクシはもうアナタに丸投げするから、2人で決めてちょうだい」
「オレっちは反対っすよ…!こんなの罠に決まってるじゃないすか」
 彼には似合わない厳しい表情を向けられる。実父を失い、義父を失って間もない少年の空虚感が分からないわけではなかった。詳細を知ることを拒否したが彼本人や桜の口振りでは義姉弟になっているらしい。そうなると形式であっても最後の家族になる女の身を案じるのも無理はなかった。
「銀灰くん、大丈夫。あなたを独りにしない」
 空虚に言葉は回った。彼の憂いを取り除くことはできなかった。緩く唇を尖らせている銀灰は頷かないが、それでも迷っているようで、低く唸っていた。
「桜ちんのこと、頼んでいいっすか…一緒に行きたいっすけど、桜ちんが危なくなるっていうんなら、分かったっす。でも、約束してほしいんす。無事で帰ってきてくれるっすよね…?」
「うん」
 銀灰は自身の頬を両手で叩くと、小指を極彩の前に突き出した。まだ快活さを取り戻してはいなかったが、落ち込んだ空気がいくらか失せていた。節くれだった関節に彼女も小指を絡める。
「白梅ちゃん、約束っすよ」
 離れた後も少し高い子供の体温が小指に残り、むず痒く思った。柘榴の眼差しが小さな約束の交わされた場所に留まっていた。この人工的な金髪の持ち主はいとこ婚を勧めた張本人だった。
「そろそろおいとまさせていただくわ。桜くんのこと、お願いするわね」
 気拙げに柘榴は言って、何かまだ言いたげな銀灰の頭を抱き、玄関に連れて行った。庭まで見送るつもりだったが柘榴の渋い表情はすぐさま別れたいといった様子だっため、外には出なかった。菖蒲のいる座敷牢に事の次第を話しに行く。開け放たれた窓から冷たい風が入り、無精髭の男は珈琲を飲んでいた。気怠げだったが、へらりと笑って極彩を迎える。群青はまだ布団の中にいた。
「話はなんとなく聞いていましたよ、ええ」
 説明する前に菖蒲は手の中にある機械をみせた。「部屋の声がここまで届くんですよ」と悪怯れることもなく説明した。近くにいた犬がそれに興味を示し、食べようとすらしていた。
「止める立場にありません…ええ。役人が介入すべき事案といえばそうですが、生憎そういうわけにもいかないんでしょう?ただ、これだけは頭に入れておいてください。極彩さんに何かあった場合、ボクも群青さんも相応の責任が問われるということです」
 軽率に笑っていたが、瞬時に引き攣ったものへ切り替わり、格子の奥へ注目する。
「行ってはなりません」
 群青は起きていたみたいだった。寝起きにはない強い意思が宿っている。菖蒲は珈琲を口にして肩を竦めた。
「断固として止めるべきです。極彩様の身に何かあったらどうするんです。わたくしには貴方がたを止める責任があります」
 格子の奥でよろよろと立ちあがったが脚に不自由があるようで、歩き方に違和感があった。片脚を引き摺り、もう片方の脚も震えている。菖蒲は失態に髪を掻き、面倒臭そうな顔をして黙った。
「それならその責任は果たされました」
「然るべき機関に任せるべきです」
「桜が捕まっているんです。覚えていますか、三等法務官補佐見習いだった…」
 いいえ。吐き捨てるように即答される。極彩は言葉に詰まった。群青を尊敬していると語った情けない若者の姿が滲む。
「貴方の身は保障されなければなりません。城に勤めている者なら、最優先事項です。その者も覚悟しているはずです」
「…桜はもう官吏じゃない」
 格子に掴まって身体を支え、群青は目を丸くした。極彩にも衝撃だった。菖蒲が珈琲を飲む音が響いた。
「城が捨てた人です」
 室内に一礼し、桜のもとへ向かった。我関せずといった具合の飼い主に代わり、犬が尻尾を振って見送りについてくる。庭に出る時に首や頭を撫で摩り、聞き分けのいい彼女と別れた。群青は桜を知らない。或いは覚えていない。そのことが道中、気分を重くした。指定された早苗川埋立跡地は蟄居先から東にあり、埋立公園もあったが土手だけが残っている跡地に桜はいるらしかった。立ち入り禁止になっているが、張られた鉄線を越えていく。雑草が生い茂り、開拓されていない。土地が広がっていた。その中に小丘があり、人影が認められた。しかし、空と青々とした名も知らない草花とその境界に現れた獣に気を取られた。馬のような大きさで、鹿の姿にも思えた。猛々しい角が両端に伸び、頭部から生えた紐のようなものが揺らめいていた。そこにだけ霧が発生し、朧げな光景だった。極彩は自身の癲狂病みの可能性を疑った。目元を擦ると、そのような奇々怪々なものはもう映らなかった。麻痺した緊張感が現れているのだ。そうに違いない。そう考え、小丘へ向かう。
 桜は枇杷の木の下に寝かされていた。両手足を拘束され、口も塞がれている。意識を失い、枇杷の木に括りつけられていた。暴れたらしく、太さもないその木は不自然に傾き、まるで枝葉が桜を覆うようだった。他人の預かり物である洒落た刃物で縄を切る。
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