彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「あんた、大丈夫かよ」
 三公子だった。極彩の肩を支え、立ち上がらせる。慌てた様子で喚きたて、この先の家に紫暗が取り残されているかも知れない、と死地と化した繁華街の先を指して吠えた。
「紫暗が…」
 世話係だった少女の名に唖然とした。火傷で赤くなっている手が極彩の衣類を引っ張る。だが彼女がすぐに立てないことを知ると珊瑚はひとり跳ねるようにいつ崩落するかも分からない真っ赤な街の中に入っていってしまう。一歩を踏み出せなかった。もう歩きたくなかった。何も見たくなかった。聞きたくもない。しかし立ち上がった。花の香りだけは熱を持たず、からからになった喉の奥から鼻腔を突き抜ける。炎の奥に揺らめく少年の人影を追い、飲食店街をひとつ外れ飲み屋街に入った。彼は激しい火柱の前に突っ立っていた。立ち入れる状態でも近付ける威力でもなかった。おそらくこの区画付近が爆心地らしかった。燃え広がり方が尋常ではなく、黒煙が空を覆う。家屋の陰が薄らと真っ赤な炎の中に浮かんでいる。三公子は立ち尽くして火の先端を見上げていた。またどこかで爆発が起きる。発育途中の肉体が均衡を失い、地に叩き付けられる。陽炎ではなかった。火花とは異なる赤が散り、極彩は少し固い身体を受け止める。どちらのものかも分からない汗が地面に落ち、蒸発した。周囲の温度と、親友がいるという家屋の惨状に思考は正常に働かず、いつの間にか懐剣を抜いていた。三公子を道の真中に置いて、辺りを警戒しながら歩いた。汗が止まらない。喉の内側と内側がくっついてしまいそうだった。空は明るく、空気は淀み、死臭ときな臭さが蔓延している。
「あんたにはここに来てほしくなかった」
 能天気な髪色が火に照っていた。染料を落としたらしく、傷んだ毛が光っている。背後を取った若者は携帯容器を極彩の足元に投げた。不言通りの街中にある自動販売所の飲料水だった。
「死なないで」
 相手が何者でも関係なかった。地を蹴り、知らない人ではいられなくなった若者へ飛びかかる。彼は悲しげに眉を下げたが、揺らぐものはもうなかった。懐剣が彼の胸に狙いを定め、距離を縮める。金属の摩擦が響き、白刃は獲物に届かなかった。火傷が治ったばかりの掌から弾かれた刃物は炎の中に吸い込まれる。黒い髪が朱色に煌めき、立ち塞がっていた。仮面の奥の冷ややかな眼差しに射される。緋色の一閃が空に光った。
「待ってヨ!このヒトは殺さないって約束だったろ!」
 場違いな雰囲気を残す若者が仮面の男に後ろからしがみついた。しかし肘で打たれ、退けられる。男の狙いは三公子で、極彩は自身越しに彼を捉える眼差しに気付いた。後転し、珊瑚の傍に侍る。脇腹に血が滲み、真っ白い顔に極彩の汗が落ちた。息はしているが、高温が体力を奪っている。
「渡せ」
 仮面の男から発せられる音は妖力の如く美しく、そして優しかった。ここが血生臭い場所であることも忘れるほどだった。腕の中の少年を強く抱き寄せ、渡さない意思を訴えるが、無言で見下ろしてくる瞳をみていると、そもそも三公子を庇う立場にあるのか疑心が湧いた。また美しい声を聞けないかと火傷痕が見え隠れする唇を凝視し、待ち望んでいた。
「私に惚れたのか」
 片側だけ晒された端整な顔が微かな喜びを灯す。汗が落ち、雫を受けた少年の頬を流れていった。
「無理もない」
 明らかな笑みを浮かべ、手を差し伸べられる。極彩は首を振った。理由はないが意地に似たものが珊瑚を渡すことを拒む。この少年は国の人形で、どう扱われようが知ったことではない。衝動に任せ殺そうとしたこともある。そしてまだおそらくその残滓は消えていない。
 轟音を上げ、近くの家屋が倒壊した。中に紫暗がいたという。硝子らしきものが砕けていった。急かすように差し出された手が迫る。
「他人の体温は苦手なんです」
 汗がくすぐったい。水をかぶったみたいな量で極彩とその下にいる少年を滴る。
「三公子を渡せ。お前に用はない」
「断ったら」
 納めたばかりの刀がわずかに抜かれた。言いはしなかったがそれが返答だった。顎から汗が落ちる。暑気中りを起こしかけている。
あれがうるさい。できれば傷を付けたくはなかった」
 無言を貫くと聞き惚れるような囀りが痺れを切らし、抜刀する。渡さない理由はないように思えた。見殺しても問題はない。誰に売られたのか、この少年が暴露さえしなければ。そして胸糞の悪さを差し引けば。陽炎に炙られている榛を一瞥する。困惑していた。抗う体力はもうなかった。珊瑚を渡すか否か、自身の中で会議し選択することも暑さによって面倒なことこの上なかった。
「待ってヨ…カノジョには何もしないって…」
「素直に従えば、と言ったはずだ」
 刀が振り下ろされる。しかし物音がして、刃が肉を裂き、骨を断つことはなかった。茹でられていく心地と、意図せず腕の中の生き物を強く抱き締めた感覚ばかりが生々しかった。
「…ついて来てしまったか…」
 静かな物言いに目を開く。背の高い青年は口元に何か咥えた。高い音が空を劈く。笛だった。転がる榛と、顔を覆った黒髪の男がいた。仮面が外れ、火傷痕を隠していているようにみえた。
「杏さん…」
「歩けるか?…そっちは?」
 彼等から守るように背を向け、杏はもう一度笛を短く吹いた。生存者がいるぞ!と炎や瓦礫で見えなくなった通りの奥から呼びかけが響く。
「草柳診療所まで…行けそうか…?」
 言外に置いていけと言われているようで狼狽えた。帰還の宴で聞いた破裂音が今度ははっきりと片耳の騒がしさを上回って耳の奥を殴った。杏の腕が跳ねる。長身が傾き、鈍く光る筒を持つ男を露わにした。腕の中の三公子を放り投げ、杏の身を支える。美しい声を持った男は榛を助け起こし、背後を気にしながらも撤退の姿勢をみせていた。
「杏は…大丈夫だ。…早く行け。長春小通りに出ればすぐ分かるだろう」
 腕の布が破れ、出血している。傷の重さでみれば珊瑚を優先すべきだった。杏の手が彼女の腕を掴む。放置されていた携帯容器を拾い、珊瑚に口移しで一口飲ませ、残りを杏へ渡す。
「救助を呼びますから…」
 杏は頷いた。少年の身体を引き摺るように火災現場を歩く。目にすることは出来なかった故郷の終わりや洗朱地区の爆破が生々しく蘇る。火消や救助活動に当たっていた者たちが担架を用意して待っていた。三公子を預けるが誰もこの少年の正体に気付く素振りはみせない。杏の救助に数人が急いで向かった。長春小通りへ出るにも野次馬の多さに円滑には進めなかった。ひどい汗に皿専門店の店主が手拭いをくれ、飴屋の従業員に冷水をもらう。宗教的暗誦があちこちからひっきりなしに聞こえた。珊瑚の頭や赤い手に冷水をかける。担架が水浸しになったが誰も咎める者はいなかった。しかし草柳診療所までもう少しのところで行く手を阻まれた。視界の端から端までを同じ羽織で揃えた若者たちの集団だった。極彩は中心に立つ組長らしき者の前に対峙し、担架を運ぶ人々に先に行くよう告げた。
「三公子は深い傷を負っておりますので、ご無礼をお許しくださいませ」
 薄い茶髪のさらさらとした毛の青年はどこかで会ったような面影があった。穏やかに笑い、極彩を赦す。片目に淡く残る痣のような沁みが以前の世話係を彷彿させ、ほんのりと罪悪感を覚えさせた。
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