彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 日が暮れ、空が紺色に染まると天藍がやってきた。疲れた顔をしていたが麗らかな笑みを絶やさない。もてなすものがないことを謝ると、空腹を訴えたため作り終えたばかりの夕飯を出した。
「いいなぁ。群青と菖蒲は毎日、君の手料理を食べられて」
「二公子がお召し上がりになるようなものでは、」
「そう謙遜しないで。それに呼び方も。そろそろ慣れてよ」
 オレのことはなんて呼ぶんだっけ?と天藍は煮物を摘まんだ。まだあまり煮汁が沁み込んでいない。
「申し訳ございません、御主人様」
「ふふ、いいよ。夕飯もいただいちゃってごめんね。君にお礼を言いに来たのに」
 美味そうに炊き立ての白米を口に運ぶ。ふふ、と再び笑って、まったく違うことを話しはじめる。
「群青の手料理食べたことある?熱出した時に食べさせてもらったんだけど、柿の酢とか魚醤ぎょしょうとか使いまくるからさ、なんかクセ強すぎてあんまり得意じゃなくて。菖蒲なんてみるからに料理してくれないでしょ。地方を食べるって感じで臣下に料理作ってもらうの好きなんだけどさ」
 甘辛く炒めたきのこをひとつひとつ箸が摘まんでいく。彼は話題をすり替えては本題を促されることを待っている。よくそういう話し方をするのだった。望みに応えようか否かを考えあぐねていた。
「ま、一番美味しいのはやっぱり下回りたちのご飯だね。毒見係が何度もつまんだ宮廷料理じゃなくて。家庭の味が出過ぎず、作業っぽすぎない味」
 はははという笑い方は昼間に来た複雑な情念を起こさせる若者の集団の長によく似ていた。
「焦らすじゃん」
 黙って聞いていると天藍は声を低くした。何の話だか分からないとばかりの恍けた顔をすれば、陰険に口角を上げた。それから茗荷みょうがの甘酢漬けを口に放った。
「申し訳ございません」
「いいよ。興味ないんでしょ。群青とあの片輪にしちゃった子にしか興味ないんだもんね?」
「いいえ…そのようなことは…」
 天藍は笑んでから野菜の浮かぶ味噌汁を掻き回して美味そうに啜る。
「弟のことだよ。助けてくれただろ。それから菖蒲を通して危険を知らせてくれたことも。一応避難勧告は出せたからね。全然役に立たなかったけど」
 二公子は疲れた顔をしたが瞬時に隠す。大きく切った玉菜と人参、椎茸、油揚げが入っている。
「よく見つけてくれたね。すぐに保護に回そうとしたけど見つからなくてさ。行方不明ってやつ。もう拉致られてたのかと思った」
「三公子のご容態はいかがです」
「悪くないよ。意識はあるみたいだし」
 主菜である豚肉の叩焼を彼は小さく刻んだ。中から溶けた乾酪が肉汁とともに溢れる。杏と三公子の無事は知らされたが、それでもまだ空虚だった。だが訊くに訊けない。二公子がまるで話題にしないことを勘繰ってしまう。
「君の気にすることじゃない。でも、窒息ごっこしていじめていても、命の危機になったら心配してくれるんだ?」
 玲瓏《れいろう》な瞳がまた疲労を窺わせ、しかしすぐにそれを消す。夕飯を平らげていく二公子が霞んだ。
 彼は夕食を摂った後少し眠り、城に帰るつもりらしかった。
「君の不安はまだ拭えないようだね」
 帰り際に寝起きとは思えないほど麗らかな顔を、わずかに厳めしくして彼は言った。つい目を逸らしてしまう。
「弟のことなんて話すだけムダだね。本題は別にあるんだ。紫暗ちゃんのこと」
 天藍の口にした名に身構える。心臓を射抜かれたような心地がした。見透かすような眼差しに呼吸ひとつできなかった。
「この国はさ、仇討ちって重罪なんだ。でも今回ばかりは見逃してあげようと思ってね」
 体内から血液や臓物をどこかけ吸い取られていくような浮遊感があった。立っているのか否かも分からない。瞬きも忘れて、視界は色を失う。
「まだ生きてるよ。生きてるけど…予断を許さない状況なんだ。ねぇ、彼女をそんな目に遭わせた輩、殺したくない?」
 淡々とした声と砕けた口調が耳を通り抜けていく。目の前に寸延短刀を差し出される。意識は確かだが、どこか夢のようでもあった。
るかい?」
 この者の兄から託された短剣と同じ大きさで、孔雀石を思わせる深い青と緑の時雨塗りが美しかった。
「傷付けられたら傷付けて、奪われたら奪わないといられないんだな」
 無関心を装って平静を保って、何の恨みもありませんみたいなカオしてるけど、君もそうだろ?
手を握られ、差し出した短刀へ乗せられた。拒むことができなかった。
「寝返ったフリでもして、さくっと討ってきて。城にはオレから通しておくから」
 二公子は簡単に言った。添えられていた手が離れても、極彩の手は短刀の上に乗ったままだった。
「最善を尽くすよ。オレの世話係でもあって、弟の恩人でもあるんだからね」
 短刀を支えていた二公子の手も離れていく。重みが女の手にかかった。ぶらりと腕が落ちる。しかし短刀が床へ叩き付けられることはなかった。
「仇討ちなんて言い方はやめようか。これは粛清だよ。風月国に病巣は要らないんだ。これは正義。これは正しい行いなんだよ。だから別に君は手を汚すということはないし、ちょっと生臭い思いをするだけだけど、立派な貢献だよ。精神性に於ける美しい犠牲だ。名誉ある殺人だよ」
 できるね。返事も聞かずに二公子は帰っていく。極彩は唖然としたまま力が抜け、床に膝を打った。爪が白くなる。全身にはっきりした感覚がなかったが、空腹だけは確かだった。菖蒲が大量に買い込んだ即席麺をひとつもらい、本来の夕飯の余り物と腹に収める。砂を固めた物を食べるほど飢えたことはなかったが、砂を固めた物のような味がした。日常に戻ろうとする。薬用酒を嗜好品同然に飲み、布団に潜った。酔いと共にすべてが醒めることを期待して。

 深い眠りは自身の吐息に混じる酒気によって断ち切られた。起こしにやって来る髭面の男も、朝飯を作りたがる青年も、無遠慮に顔を掃く獣もいない。書院窓から入り込む光で随分と明るい室内がこの世の端から端のようだった。身を起こして襖をぼうっと凝らし、ゆっくりと起床の準備が体内で整っていく。布団の傍に雑に置かれた寸延短刀が昨晩の天藍の訪問を夢として処理することを赦さない。外観から受ける印象よりも重いそれを拾い、居間へ移る。不安になるほど静かで、誰の姿もない。昨日の繁華街の騒動も嘘のようだった。時間を稼ぐみたいにのろのろと支度を終え、まだ行くか行くまいかと広い居間で思案していた。何度目になるのかも分からない溜息を吐き、気分は乗らないまま外へ出る。二公子は容易く説いたが、榛と接触できるのかももう分からない。散歩のつもりで塀の外で警備している天晴組の者に外出の旨を伝えた。話は聞いているとばかりだったが、どこか勘繰るような眼差しを向けられ断る空気を醸し出していたが許可が下りたため、蟄居先の家屋を恋しがる身を引き摺り、色街へを目指して歩いた。不言通りの方角の空を見上げては足が止まり、目的を思い出してまた歩く。榛に案内された道を辿って愛庭館に着いたが営業時間から大きく外れているため人気ひとけはなかった。裏口に回り、簡素なつくりの扉の把手を握る。ばちりと静電気が起きた。手を宙で払い、もう一度把手に触れる。またもや微弱な電気が指先を弾いた。掌を指で擦ってから把手を握り込む。金属越しに波打った刺激が柔肌に感じられた。手首から先が動きづらくなり、手を放す。電気が流れているらしかった。治安の悪い色街ならば対策が必要なのだろう。愛庭館以外に榛と会えそうな場所をに心当たりはなく、踵を返した際に目が合ってしまった物乞いにいくらか金を握らせて色街を去る。その足で菖蒲のもとに顔を出そうと考えたが彼は連れが怪我をしていると群青が話していた。邪魔になりはしないかと気が引け、蟄居先へすごすごと帰った。ほんのわずかな時間で帰ってきた極彩に天晴組の者は妙な表情をしたが何か問うこともなく敷地へ通した。彼女は広い居間に寝転び、ただ日が沈むのを待って目蓋を閉じる。どうすべきか考えることを拒絶し、ただ天井を見上げた。いつの間にか浅い眠りに落ち、玄関扉の音で意識が浮上し、足音で目が覚めた。石黄だった。白い袴が床に反射して揺らめいている。
「姫様、上がらせていただきましたよ。ところで、密命はいかがされたんですか」
 石黄は少しの遠慮も見せず、人を喰ったような顔をしていた。寝転んだままの極彩を不躾に見下ろし、口元は緩んで引き締まることはない。屈託なく軽快に笑っている。それは機嫌を窺うようでもあったが、意図的に神経を逆撫でするようでもあった。
「おひとりで行けないのなら私がご一緒しましょうか」
 冗談か否か分からなかった。相変わらずの薄情な笑顔で節くれだった手が差し伸べられる。極彩は彼から鼻先を逸らす。
「放棄するつもりですか。それもいいですけど。では私と遊びましょうよ」
 女に素気無すげなくされ天を仰ぐ掌が翻り、投げ出された彼女の手を拾う。折られた指が怖気付おじけづき、人畜無害を装っているとしか思えない気味の悪い青年の手から逃れた。彼は無邪気に首を傾げる。
「ああ。姫様は私のこと、お嫌いですもんね。でも逃がしません。若様は私に姫様を託してくださったんですから」
 透明感のある石黄の瞳に捉えられ、切り離すことができなかった。
「密命に従ってくださらないなら、私と遊びましょう。色街で姫様と行きたいところがあるんです」
「公務中では」
「ははっ。やっと口を開いてくださいましたね。ですが姫様、これも私の仕事のうちなんです」
 石黄の足が仰向けの女の肩を踏む。突然の荒々しい行いに極彩は眉を顰めた。しかし彼は後ろめたいことはないといった調子で彼女の肩を床へと踏みつけ、円やかに笑っている。
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