彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「そんな話聞いたことがありません」
「もともとそんなにみなさんが入れるような場所に特別管理区なんてありませんからね、当然です」
「こちらの匙加減ではどうとでもなりますけど、どうですか」
 ははは、と彼は声を高くして笑った。考えがまったく読めず、極彩は露骨に顔を顰めた。
「いやだな、何の話か分からないってカオですね。総括して姫様の選択は2つですよ。爆破犯の殺害および共犯者の捕縛か、色街の潜入か」
 どうしますか、姫様。何か含みを持った言い方で彼はくすくすと笑う。透明感のある双眸が照っている。いとこの逮捕を言外に仄めかされているようだった。その件とこの件は関係あるのかと明言を求めたくなる。関係あるわけないじゃないですか、と訊ねてもいない返答が幻聴となって現れる。
「あの子にそんなもの必要ない」
 極彩は重なった銀の腕輪を顎でしゃくった。あの少年の実父の真っ白な髪から覗いた耳介のない右耳をふと思い起こして胸が詰まった。
「匙加減ですからね、規定はないわけです。人間には大概、情というものがありますからね、嫌でも忖度しちゃうわけです。この人はこれだけ役に立ってくれたのだから、その身内をおもんぱかってしまいたくなる…そんな具合にですよ」
 主によく似た講釈を垂れ、肩を竦めた。まだ求めている返答には足らないらしい。
「二公子の密命は手掛りが少なすぎるから、出来るとするのなら色街の潜入ということになるけれど」
 石黄はふわりとした笑顔を毒々しいものへと変えた。
「でも、あの子を絶対に逮捕なんてしないで…絶対に」
 ふん、と鼻を鳴らして石黄は目を逸らす。
「ボクカラ、ウバッタクセニ…」
 桜色の小さな唇が動く。拗ねた幼児の恨み言に近い響きを持っていた。何も返す言葉は無かった。目の前で生きている亡霊へ償う方法も、償う必要性もはっきりと分からないでいた。思い当たる節があるとするのならば、小さな暗殺者の養家での出来事しかなかった。だが桜が今、腹を切らずに生きているのならそのことに彼女にとっては最善の現状だった。ただ将軍一家を救うために上手く立ち回れなかったという不甲斐なさだけしか判別のつくものがない。わずかな気落ちをみせた石黄を極彩はきつく睨んでいたが、居間へと戻った。転がっている寸延短刀とその芸術品といっても過言ではないほどの見栄えを誇る鞘を拾って纏めた。
「用が済んだなら、お帰りください。次からは副組長のご来訪をお待ちしております」
「そこまで姫様の意識に入り込めただなんて光栄です」
 居間へ顔を出した石黄に構わず、破れた衣服を確認する。二公子から支給された物のなかでも程良く草臥くたびれていたため着心地が良かったが、縫っても目立つ破れ方をしていた。
「それでは帰ります。また夜頃に組の者を伺わせますので。ちなみにこちらの店に入っていただきます」
 石黄は三つ折りの厚紙を差し出す。発泡性葡萄酒のような色味に金色の印字で「加虐娘いじめっコ・女豹倶楽部」とあった。
「目を通していただけるとありがたいです。大事なことですから」
 ふわりと笑って彼は出て行った。先程までの殺伐とした空気など彼の中にはなかったことのようだった。見送ることもせずに極彩は着替え、時雨塗りの寸延短刀を握った。掌が吸い付くように馴染んだ。

 夜に石黄が言った通り、天晴組の者がやって来た。副組長とその数歩後をまだ年若い男児が付き添っている。この男児は挙動や風采をみるに小姓らしい。不気味な組長さえいなければ話は円滑に進んだ。要点がまとめられ、無駄話もなくすぐに終わった。淡藤と名乗っていた副組長は小姓を連れて帰ろうとしたが、少年の腹が鳴ったため、夕飯を食わせていくことにした。かつお節が薫る大根と蒟蒻を千切った炒煮いりに、五目飯、鮭の小麦焼き、それから少し人参の大きい根菜が入った醤油の吸い物。そこに配達の者の厚意でもらった漬物数種が加えられた。招いていない客用に多く作っていたが今夜も彼女自身は残り物と即席麺が夕餉になるようだった。美味しい、美味しいと言いながら食べる少年を副組長は苦々しく眺めていたがおかわりを訊ねれば、彼は恥ずかしそうに茶碗を差し出しておかわりを頼んだ。彼等が帰って少しの間は自身の食事や食器の片付けなどやることがあったが、それが終わると言い様のない不安に襲われ、石黄に破かれた衣類を切り取って山籠もり中の老将から渡された黒曜石を入れる小袋を縫って洗濯した。静かな家の中で卓袱台に置かれた刃物と向かい合う。金属は何も言わない。ただ時雨塗りが反射によって色を変え、あでやかに輝くだけだった。

 あまり気の休まらない朝を迎えたが予定に変わりはなかった。春へと変わっていく晩冬の風は乾いていたが日差しが強かったため涼しく、撫でられている感じがして心地良かった。ただこれから色街に行かねばならないという一点が重く圧し掛かる。少し遠回りをしながら不言通りから離れ、弁柄通りや長春小通りとは違った穏やかさに包まれたこの住宅街の道行く人々の営みや、尾を振って籠を引く牛を眺めて気分を沈めた。道端には少しずつ緑が多くなり、干されている洗濯物も初春の彩りへと変わっている。気怠さと肩凝り、息苦しさと眠気から解放されないまま色街へと向かう。営業時間とは反対の時間帯ならばまだ治安もそう悪くないはずだ。そのうち背後から聞き慣れた鈴の音がして足を止めた。振り返る。桃花褐が片手を挙げて挨拶する。久し振りに目にする大男に何を言い、どういう態度で接すればよいのか分からず狼狽した。暑苦しさを残したのか、それとも先取りしたのか人懐こい笑みは彼女のそのような反応など大して気にも留めていないようだった。
「天の恵みとお導きに感謝を。あずきのお嬢ちゃんから事情は聞いてる」
 遠慮なしに近付いてくる男の分厚い掌が頭の上に乗った。じわりと胸の奥底に微熱が広がった。湧き起こった不可解な感覚に驚いて桃花褐の手から逃れてしまった。彼はおどけながら謝るが、嫌悪を覚えたわけではなかった。
「あずきさんはどうしているの」
「元気にしてまさ。まだ幼馴染のあんちゃんのこと聞き回ってるみたいだけどな」
「…そう」
「何か分かったんですかい」
 喉まで出かかった事実を呑み込んで首を振る。優しさを帯びた垂れ目に覗き込まれ、顔を背けた。この大男は節介好きだった。上手く装わなければ容赦なく踏み入ってくる。そこに怒りや拒絶など抱けない包容力を持って。
「そうかい…物騒なもの持ってるから、何か分かって、それを片しに行くもんだと思いましたわ」
 背に腕が回り、厚く筋肉の乗った胸元に寄せられる。隠し持っていた寸延短刀に触れられている。大した思い入れもない刃物がまるで身体の一部になったように、男の手が撫でる振動を感じて強張った。彼は普段の砕けた調子で耳元で囁く。
「なかなかの名刀だいな。持主は…亡くなってんな。こういう刀は良くない。いくらいい刀でも、持主と一緒に供養してやるべきだった」
「分かるの?触っただけで」
 はったりだろうか。低い声には慈しみが感じられ、間近で聞いていると腰や骨が痺れ、転んでしまいそうになる。
「刀は持てど、持たれるな」
 撫で上げられる短刀が自身の肌と一体化していく。
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