彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 予定より大幅に遅れた帰宅ですでに居間には淡藤と小姓の男児が恭しい態度で座っていた。待たせたことを謝り、夕食を作りながら台所での報告になった。届けられた食材と時間帯から、手軽に複数人で食べられる鍋にした。水菜と豚肉、豆腐を主に使った生姜鍋だった。
「姫様にぜひ見ていただきたいものがございます」
 食事と報告を終えると、淡藤は数秒の逡巡の後に話しかけた。
「何です」
「個展がございまして、綴織つづりおりを出すつもりなのですが…手芸を知る友人がおりませんで、恐縮ですが姫様にご感想をいただきたく存じます」
 淡藤は照れ臭そうに居間の脇に置いていた刀や荷物から絢爛な織物を優しい手付きで広げた。横糸で描かれた絵画で、燃えるような金や緋の背景が煌びやかだったが、中心に描かれたものに極彩は目を丸くする。狂気の中にいた醜悪な獣が美しくそこに佇んでいる。
「わたしが感想を述べるのは烏滸がましいほど素敵な出来栄えだと思います」
 それは本心だった。だが自身の癲狂が生み出した四つ足の獣から目が離せない。
「ありがとうございます。自信作ではあったのですが、自信作なだけに客観的にはどう映るのかは自信がなかったものですから」
 彼の繊細と精悍せいかんさと併せ持った冷淡な印象のある顔立ちに、穏やかな笑みが浮かんだ。
「あの、この動物は…?」
諷詠ふうえいノ麒麟です。仁の国の象徴と言われているんです」
 あまり普段から長いこと発さない声は上擦っていた。彼の小姓は白米と卵を投入した数杯目の雑炊を食らいながら妙な眼差しを上官にくれた。
「麒麟…」
「幻の生物なので、挿絵を参考にしました。何かおかしなところがありましたか」
 広く流布るふしている挿絵を知らず知らずのうちにどこかで目にし、幻覚として現れただけらしかった。
「いいえ。とても素敵な物を見ることができて嬉しいです」
 これも本心だった。しかし綴織では難易度や写実性の高さ、凝らされた技巧により美しく描かれているが、狂気として目にした生々しいこの生物は蛇と犬と鹿が混合したような外観に猫と同質の目で、馬に似た鼻先を持ち、ひどく醜かった。
「お褒めに与り光栄です。それからもう一件、お話がございます。姫様、先日申し上げた反物のことです。持って参りました。お納めください」
 雑炊を食らう呼称はまた奇妙なものを見る目。淡藤は綴織を片付け、大きく膨らんだ風呂敷を解いた。艶やかな布地が入っていた。
「こんなに…?」
「はい。姫様に似合いそうな物を選びました。お納めください」
 多弁な副組長に気圧けおされる。落ち着いた色合いから派手な色合いの布地が鮮やかさの階調に従って並べられている。
「…頂戴します」
 上質な布だと反射の具合ですぐに理解した。それきり淡藤は口を噤んだ。
「無駄口を叩き過ぎてしまいました。どうぞお忘れください」
 帰り際に恥ずかしそうに彼は言った。真横の少年は怪訝そうに副組長を見上げていた。極彩は無言のまま頷く。それが彼を一番煽らない手段に思えた。夕餉の礼を言って彼等は帰っていく。
 夜になってアッシュが手紙を届けにやって来た。菖蒲の近況と群青の様子、それから色街で物騒な事件が多発しているから気を付けるようにということが書かれていた。曲線が苦手らしい角張って潰れたような字は上手くはなかったが読めないほどではなかった。簡潔な返事を書いてアッシュに預け、彼女は少し甘えてから出て行った。

 「加虐娘・女豹倶楽部」の始業は色街の中では早かった。家庭のある者たちが仕事終わりに訪れることが多いらしかった。新人の顔を拝みたいとばかりに2人からの指名が入り、教本どおりに時間を過ごす。石黄に依頼されていたことなど忘れるほど変わったことは何もなかった。客の要求や好みは異様だったが、色街全体に感じられる嗅覚を伴った異臭やどこか血生臭い雰囲気と比べると大したものではなかった。
 仕事場からの帰り道、ある会話を耳が拾った。―また殺しだってよ。菖蒲からの手紙が思い出された。色街に於いて物騒な事件などそう珍しくはないはずだった。―なんでも顔面がズタズタにされてるんだろ。―おっかねぇな。―暫くはおとなしくしとくかね。話題は妻の不満へ移っていく。色街に漂う甘い香りの中に潜んだ不穏な匂いが強くなる。季節問わず蒸し暑いが、鳥肌が立つ寒気を覚えて蟄居先へ急いだ。
「白梅ちゃん!」
 玄関で陽気な声に迎えられる。夜にも眩しいほどの笑顔に極彩は三和土たたきで静止した。
「どうして…」
「おかえりっす。夕飯作ったっすよ」
 快く彼は八重歯を見せた。肩越しに居間から石黄が出てくる。
「おかえりなさいまし。今日は副組長の淡藤は休みなものですから」
「石黄くんと一緒に作ったんす、ごはん」
 輝かしい笑みで銀灰は親しげに不気味な青年の名を口にする。
「素敵な弟御をお持ちなんですね。紹介してくださればよかったのに」
 澄んだ目を眇め、石黄は銀灰の肩を抱く。長年の友のように。
「触らないで!」
 極彩は叫んだ。自身の感情的な声でそのことを知った。不気味な青年はほくそ笑むだけで、銀灰は目を瞠る。
「どうしたんすか…」
「帰りなさい、銀灰くん」
 あどけなさの残る猫に似た目が不安に揺らいだが、口元はまだ笑みの形を保ったままだった。彼とは目を合さず、押し退けるように框を上がる。
「勝手に台所いじってごめんっす…」
「それは別に、」
「銀灰さんはお忙しい姉を気遣っただけですよ」
 石黄は呑気にそう言った。銀灰は肝を潰して縮こまりながら彼女を追った。
「ごめんっす…家の中はいじってないっす、本当に…」
「叫んでしまってごめんなさい。銀灰くんのことは怒ってない。そっちの人と大事な話があるから。折角来てくれたのにごめんなさい。夕食作ってくれてありがとう。銀灰くんは夕飯まだ?これで足りるといいのだけれど」
 小銭を握らせ、能天気な笑みを絶やさない不気味な青年を睨む。
「白梅ちゃ…」
「もうここに近寄ったらだめ。何か用があった?」
「桜ちんの大きな友達が、白梅ちゃんから目を離すなって…」
 石黄は極彩を真っ直ぐ射抜きながらくくっと笑った。
「桜…」
 そして不気味に呟き、また笑い声を漏らす。青年から守るように少年を背に回す。その動きに彼は戸惑った。
「桃花褐って人?」
「そうっす、その人…。白梅ちゃん、何か悩んでそうだからって」
 石黄は一歩横に移り、極彩の前に立ち塞がる。
「家族想いな弟御で、羨ましい限りですよ」
 手を打ち合わせる仕草も笑みと同じくこの男の主人によく似ていた。
「銀灰くん、帰りなさい。もう遅いから。不言通りでご飯は食べられる?もうここには寄らないで」
「嫌っす。白梅ちゃんのコト心配っすもん。義兄にいさんにも挨拶したいっす」
「成り行きの義弟おとうと、存在しない夫、忠実な使用人、甲斐性無しの間男…」
 妬ましいことです。石黄は顔を伏せ、肩を震わせた。気色悪い声がひっひと漏れている。
「何も追い返すことはないでしょう。私がお邪魔ならすぐに帰りますから…お勤めの報告を聞かせていただいたら、ただちに」
 ちらりと気味の悪い大きな双眸が極彩の奥に配られる。反射的に片腕を背後にいる銀灰へ回した。
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