彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「さっきのお返しっす。ちょっと硬いけど」
「ありがとう。気持ちだけ」
「ンじゃあ、寝たくなったらいつでも言うっすよ」
 八重歯がきらりと光った。すべてを打ち明けたいが背負わせてはならない。彼の笑みを曇らせてはならない。畦道の彩りを毟り取ってはならない。夜、相手してください。夜、相手してください。夜、相手…
 薄い掌が肩に回る。若い店長が帰り道にしてくるものとは違う肉感があった。子供を寝かしつけるみたいに鼓動に合わせて肩を打つ。四指が上下に動き、咀嚼の動きを模しているみたいで、下手だった。弟の顔を見られず、彼の肩口に頭を委ねる。木漏れ日のような体温が牛車の揺れとともに眠気を誘う。
「おやすみっす。着いたら起こすっすよ」
 小さく彼は言った。鼻唄が聞こえ、遠くなっていく。季節外れの童謡だった。東雲南区で夕方に流れる曲だった。彼が歌うと哀愁漂う調べが陽気とまではいかないまでもどこか明るさを伴っている。

 式場は花畑に囲まれ、煉瓦造りの大規模な建築物が並んでいた。初めて触れるような趣と漂う情緒に牛車を降りてから戸惑ってばかりだった。銀灰も辺りを見回して花畑と花畑の間にある石畳の上を辿っていった。
「最近は結婚式も色々あるんすね」
 尖塔がいくつも並ぶ空を見上げ、銀灰は呟いた。両端が短い階段になっている煉瓦の壁が花畑の列なる道の奥にあり、さらにその奥に建物が並ぶ。まるで小さな商店街の一画のようだった。進んでいくと煉瓦の壁の前に準礼服の男性が立っているのが見えた。黒髪には櫛が通され、固められている。
「菖蒲(あやめ)殿?」
菖蒲しょうぶさん?」
 同時に彼の名を呼んだ。壁の前で尖塔を仰いでいる男性が振り返った。彼は涼しげな目元を驚きに染めた。
「あっれ、どうしました?」
 醸す空気感は普段の菖蒲とはまったく違っていたが喋ると普段の菖蒲だった。無精髭も綺麗に剃られている。胸元には大きな機会が下げられていたがよく見えなかった。
「菖蒲殿こそ、何を…」
 彼は円錐の屋根を指で差した。
「知り合いの結婚式なんですよ。呼ばれていないんですけど、一目見に来たんです」
 銀灰は口を半開きにして母親の恋人とその指の先を見比べた。
「常盤地区の石材で造られているそうですよ。城の式典の会場より立派ですね。俗世間のほうが質がいいってもんです」
 彼は建築物の薀蓄を傾けはじめる。しかし平生よりいくらか早口で、興味深い事柄に対しての興奮というよりは動揺と緊張が感じられた。
「こんな式場ところで結婚式を挙げられたら、さぞいい思い出になることでしょう。人生の一頁ぺーじというやつですな、ええ」
 隣で銀灰もわずかばかりの落ち着かなさをみせた。
「さて、そろそろ始まります。ボクは行きますね」
 菖蒲は困惑したような、しかし優しさのある、だが強張った笑みを微風の中に吹かれているみたいに浮かべて革靴を鳴らした。隣の少年は離れていく後姿を気にしていた。
「新郎の知り合いかもね、仕事仲間」
「職無しって聞いてたんすけど、就職したのかな」
 猫背だった中年男は背筋を正し、短い階段を上がっていく。
 式場は至るところに花が飾られていた。館に似た造りで広い玄関に三和土たたきかまちはなく、深紅の絨毯が敷かれ、常夜灯のような照明が点いていた。壁の隅には硝子細工が展示され、特殊な反射で輝いている。館内は準礼服の者たちばかりで極彩たちは従業員によって別の施設に案内された。石材博物館や、宝飾店、雑貨屋、花屋、食事処が敷地内に併設されているらしく、他の施設を見学しながら会場を探した。そしてすぐに見つかった。花畑の広がる方角とは真逆に向かって緩やかな長い階段があり、屋根には大きな鐘が黄金に光っていた。階段の対面には距離を空けて骨組みだけの四阿があり、一面の芝生と空が広がっている。
「どうする?」
 極彩は階段から骨組みだけの四阿までの道を指で辿った。
「あそこから出てきて、あそこに向かうと思うのだけれど」
 会場は違うが、何故だが似たような構図を目にしていた。白襞の婚礼服を身に纏う女と、純白の燕尾服の男が笑みを交わし、海を望む大窓へ向かっていく光景。それは写実的な絵だった。写真だった。他にも数枚、衣装の意匠や女の髪形が違ったり、風景そのものが違ったりした。写真の下の説明書きや折られた紙はそれが雑誌であることを知らせた。しかし極彩には覚えがなかった。館内から骨組の四阿の間を何度も指で辿る。銀灰は黙ったきりで、明らかな緊張を窺わせた。
「胡桃ちゃんのこと、やっぱり考え直したらならそれでいいよ。こんなすごい場所だもの。胡桃ちゃんのこと想ってなきゃできないよ」
 ある程度の構想を描いてから銀灰の答えを待ち、まだ人の気配のない式場から離れた。半ば追い出されるような扱いを受けた館に戻る。周回している従業員が増えているような気がした。極彩はそのうちのひとりと目が合ってしまった。迷いなくやってくる。また石材博物館から迷い込んだ者として扱われてしまうのだろうか。だが従業員は丁寧な物腰で、奥で連れが待っているというようなことを言った。銀灰と顔を見合わせる。胡桃ちゃんかも。彼が言った。関係者以外立ち入り禁止の扉を潜る。従業員は女性で、ついて来る銀灰に不審な目を向けた。男性のお客様はご遠慮くださいませ、と彼女は申し訳なさそうに言う。胡桃の元に行くのだという認識が強まった。しかし入った部屋に人の気配はなく広い室内には端から端まで白襞の婚礼衣装が掛けられていた。従業員は振り返った極彩に接客用の笑みを向ける。
「これは、どういう…」
 従業員は新品らしき透明な袋に入っている下着のような衣類を極彩へ渡し、試着室へ促した。連れの方から試着させるよう託っております。接客のための形式的な笑みが迫る。
「人違いです。そんな連れは知りません」
 従業員は間違いありませんと言い切った。特徴的な方でしたので、と付け加えられ、彼女の目が極彩の顔面の傷へ移ったのが分かった。
「すみません、急いでいますので」
 扉へ平静を装って向かっていった。把手に届くより先に扉が開く。入ってきた人物とぶつかった。両肩を押さえられ、真っ直ぐ立たされる。
「隣の隣のそのまた隣の部屋で待ってますよ…さらにそのまた隣です」
 落ち着いた声が降ってくる。顔を上げるとめかした菖蒲が片目を閉じて笑いかけた。その格好では奥に入れませんからね。彼はぼそりとそう続けた。
「え?」
「彼女を頼みますね。じゃじゃ馬娘なので、多少力尽くでも」
 菖蒲は従業員へ頭を下げた。連れというのはこの中年男のことらしかった。颯爽とした立ち振る舞いで野暮ったさが消え失せた菖蒲は彼らしくない。この式場がそうさせているのか。出て行く際にも極彩に一瞥し、従業員に微笑する。
素敵なお義父様ですね。
 従業員の声は陽気なものになり、態度も少し崩れていたが、かといって無礼というほどでもなかった。もう聞くこともないと思っていた単語に眉を顰める。気を取り直し、胡桃の結婚の情報を集めようと今日の挙式について訊ねてみたが詳しく知ることはできなかった。髪を整えられ、化粧を施される。白襞の婚礼衣装を身に纏う頃には従業員がもう1人増え、背面の編み上げが結ばれていった。手首から肩までを編刺繍が覆い、肌寒さと擽ったさがある。
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