彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「次が生まれるので、若様が悲しまなくて済む、自分は絹毛鼠や若様のことは忘れられないというようなことを」
 人形に触れていた手が卓の上の小さな袋を摘まんで放り投げた。続けざまに絹毛鼠を包んだ手巾を放る。壁にぶつかり小さな死骸が露わになる。麗らかな双眸が極彩を打前遣いに睨んだ。彼女は視線を逸らして動かない毛玉を見る。
「ただの土くれに信仰だの思想を重ねるのは無駄だよ。偽善だ。遺言を破って叔父の死体を焼いた君のほうが理解は深いと思うけどな。擬似的に動いてるだけなんだよ、人間のフリをして。雄黄が生きていたらこんな青年だったかも知れない、だなんて幻想を形にした石に過ぎないわけ。まるで人間だったみたいな扱いはやめなよ、こんな土くれに!ただでさえ死体じゃないんだ。土くれだよ!土くれだ!」
「割り切れませんでした。未熟だったのかも知れません。土くれを見た今でも。彼は酒が弱く乱暴な甘えたの人でした。たとえその正体が土でも。わたしは彼に呆れて、掻き乱されて、振り回されました」
 目の前の青年は笑みを強くした。
「石黄殿の願いがひとつでも叶えられてよかったです。お時間を取らせました」
 極彩は深々と揖礼し、壁にぶつけられた袋と鼠の死骸を拾い、手巾に包み直す。香木の香りが近付き、吐き気を誘った。
「君は雄黄を殺した。その生まれ変わりみたいなあの子にそんな真似して、哀悼を通り越して侮辱だよ。君がその小袋をその辺の川原、肥溜め、ゴミ捨て場に投げ捨てて、やっと雄黄は救われるだろうさ。ああ、もう死んでるから救うもクソもないけどね。それくらいの覚悟もないくせに、弔った気にならないでよ。叔父の遺言を平気なツラで破れる君だからね、言ったところで理解する能がないんだろうけどさ。君は根っからの破綻者だよ。吐き気を催すほどの偽善者だよ。最低の勘違いをしてる癲狂病みだよ」
 天藍は真後ろに立っていた。極彩は後ろを向いた。
「君には救済が必要なんだよ、君には…!独り善がりの人非人ひとでなしには。巨悪ともいえる気違いには…」
 絹毛鼠を巻いた手巾を奪い取ろうとする手をに抗った。
「君に弔われるなんて可哀想だ!オレは今、初めて新しい信仰を持ったね!人間には…いいや、君の傍にいる人間、違うね、君の傍にいる有限な生命体には、否、無機物だって、概念ですら…!君の所為で死後にも苦界があるよ。死して尚、君に辱められる!縹然り!雄黄然り!そのネズミ然り!その人形然り!君の存在してさえいなかった夫然り!」
 部屋の主が怒鳴り声を上げ、天晴組の羽織りを纏った者たちが扉を開け、警戒態勢に入った。天藍は極彩の髪を引っ張った。人形とは違い人工的に巻かれた毛が指に引っ掛かる。空いた手が彼女の胸に抱いた膨らみのある手巾をぎ取ろうと躍起になっていた。
「君は卑劣な女だよ!泰平をぶち壊す悪鬼だよ!」
 天晴組の白刃が極彩へ向けられる。二公子は息を乱して彼等を制した。
「いいよ…これはオレ等の問題だから」
 親衛隊を退かせ、髪を鷲掴んで歩かせた。組員の1人を指して極彩を拘束するよう命じた。彼女は手首を重ねて掴まれ、強い力によって仰向けに倒れた。
「情夫と同じにしてあげるよ。嬉しいだろ。君は破廉恥な人だからね、自分を捨てた既婚者男と同じ跡を背負って生きなよ」
 天藍は他の組員に道具を頼んだ。着ているものを引き裂かれ、人形と同じように腿が晒された。彼は白い手袋を嵌める。
「君の綺麗な肌が惜しいけど」
 布越しの体温が左腿をなぞった。
「何色がいい?群青と同じ色にする?」
「群青殿…」
 胸に置いた手巾の包みを取られ、極彩は取り返そうと藻掻き、無意識のうちに出された名をそのまま復唱していた。
「返して…!お返しください…!」
 両脚を開き固定される。内腿に外気が触れた。
「お返しください…」
「返さないよ」
 道具箱が届いた。天藍は彫師を呼ぶよう言った。左腿の側面を丸みを帯びた筆先が擽った。目張り帯が貼られ、規模を決めていく。群青の下半身を引き摺る姿が蘇った。そして可憐な少女と並ぶ姿に変わっていく。本人の同意なしに彫れませんね。上擦った違和感のある声がした。いいよ、オレが同意してるから合意です。それは同意と見做せませんね。言い合っているうちに膨らんだ手巾を取り返す。身体が浮いた。樟脳の匂いに薄らと甘酸っぱい香りが漂った。足音は高く響き、そのたびに伝わる振動も大きかった。追われているらしく、天晴組の威嚇の声が聞こえた。コツコツ、コツコツと音がする。それは二公子に与えられた履物や愛庭館めいていかんや女豹倶楽部でも穿いている、踵の上がった不安定で華奢な靴のものだった。極彩は鼠の死骸の包みを確認し、彫師を見上げた。鮮やかな赤い唇と黒い髪が見えた。鋭い感じのある美しい女だった。首を隠す詰襟は光沢があり、その服装は夜の山奥で見た町医者だった。目が合いそうになり、すぐさま逸らして絹毛鼠の骸を撫でる。彫師も兼業しているらしき町医者の女は無言のまま極彩を城門の外れで降ろした。
「ありがとうございます」
 山では町医者を名乗っていた背の高い女へ礼を言う。彼女は肩を竦めて消えていった。結局絹毛鼠は犬を飼っている菖蒲から聞いた飼育動物専用の墓園に埋葬することになった。木蘭寺の管理している寺社から少し離れている雑木林に囲まれた墓園だった。綺麗に刈りこまれた芝生と石畳に迂闊に歩いていればつまずいてしまいそうな低い墓石が並ぶ。傷むことも腐ることも硬直することもない亡骸は手巾の中に変わらず佇み、元の飼い主だった石灰のような固まりと葬った。肩の刺傷の痕がむず痒くなる。置いていかれた褐色の果物酒を買ったばかりの墓石にかける。まだ名前も彫られていない。彫る名前も決めていなかった。何と呼んでいたのかも覚えていない。呼んですらいなかったかもしれない。腕を登り、肩や頭の上で頻りに鼻を突き出し、また降りては忙しなく動き回る小さな毛玉との思い出は浅く、湧き起こる感情も凪いでいた。乾燥した風に皮膚が張り、女豹倶楽部に行く前に何か食べるか否かを考えながらなかなか石の前から立ち退けないでいた。黒煙が拡散し撹拌かくはんしていった空は青く澄んでいる。もうすぐで赤みが差す。小さな男の子が道を踏み外したのか、将又はたまた決めたのか、そのきっかけになってしまった暑い日は遠く、陰は薄い。擦り付けた砂利の感触も忘れ、遊びにきたトンボもおそらく生きていない。墓を持たず、弔いもなく、信仰を馳せられることもなく。隣にいた若者もいない。風邪を患ってはいないだろうか。知るよしもなく、知る必要もなく、知ったところで成すこともない。溜息を吐いて骨でも灰でもない壺を埋めた石の前から去った。線香と花の匂いがする。身体の外から薫る花は優しい。雑木林の中にある白梅の木に鳥が止まっている。人間でもない生物が弔われる様を嘲笑して空へ発つ。墓園を出て女豹倶楽部へ出勤する。白く乾いた石の青年に頼まれた事柄に関することなど何ひとつなかった。淡藤に報告するまでもない報告をするつもりで帰宅すると二公子がひとりで待っていた。興奮していたと謝り、態度を軟化させた。白い夜が明け、暗い朝が訪れ、歯を鳴らし震えるほど寒かった。
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