彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 違法賭博も脱税の手掛りも掴めない、普段と変わったところのない仕事を終えて店長と帰路に就く。しかし色街の区画を抜ける直前に女の啜り泣きを耳にして裏道へ走った。店長は何か言ったが極彩は構わず竹藪に入った。夫だった男の嫁が襲われ、極彩自ら腹を刺した鬱蒼とした場所と同じかなり暗い小道の半ばで極彩は眉を顰めた。暴かれた衣類の中に寒空の下素肌を晒す女がいた。何をされたのか一目で理解した。秋の庭園で身を以って味わった苦痛がそこにあった。顔面に拳骨を喰らったような衝撃があった。吃逆に似た怒りが一瞬で沸騰し、半狂乱になりながら女に自身の上着を投げた。誰に対してかも分からない憤激に駆られ、啜り泣きから啼泣へ変わった女にどこの誰にやられたのかと詰問した。女の悲鳴に極彩はびっくりして薄着のまま色街へ戻っていく。足は勝手にそこへ向かっていった。女に暴行した者の正体など何ひとつとして分からなかった。ただそこに知らない煙草と妙な匂いが残っている。
「どちらに向かうおつもりです」
 目の前の路地から出てきた紫煙に行く手を阻まれる。急に止まれず、ぶつかった。布越しの肉感のあまりない反発に極彩は頭が真っ白になって青年の身体を突き飛ばす。
「強姦魔を探します」
「それは姫様の仕事ではありません」
「じゃあ放っておくの!」
「被害女性の動向次第では」
 紫煙は艶やかな黒髪を色街の霓虹灯で彩られながら肯定した。
「次の被害が出るまで待ってろっていうの?城勤めのくせに?見てたんでしょう?」
「被害届が出ていません。同一犯の次の被害が出るまで待ちます。私は城勤めですが私人しじん間の法的紛争に介入する権限は持っておりません。たとえ目にしていたとしても第三者であることは変わりません」
 彼は淡々と答えた。極彩がその隙を突いて脇を抜けようとしても彼は進行を妨げる。
「何も思わないの」
「はい」
「何も思わないの!」
「はい」
 極彩は甲高く叫んで紫煙を殴った。彼の主人にぶつけらず、彼を殴打する。秋の空の下、ただ暴行を許してしまった自身にするように紫煙を殴った。周囲がざわつき、広くもない色街の大通りに通行人が偏る。
「何も思わないの?」
「はい」
 唇を切り、鼻血を垂らしている。拳には質量感があり、肉と骨の硬さがある。しかし主人はこれを土くれという。
「本当に?何も思わないの?じゃあ何を考えてるの!言いなさいよ」
「邸宅に戻り、早急に天晴組への報告を完了していただきたく存じます」
 困るんだよな、嬢ちゃん、騒ぎ起こされちゃ。屈強げな男たちに囲まれる。カレシ連れてさっさとどっか失せな。外野の声で我に返る。紫煙に一言謝り、上から退いた。道を引き返したが紫煙の袖を掴んで出逢い茶屋に連れ込んだ。彼は無言で無表情のまま従う。目に痛い塗料が混ざった土壁に桃を逆さにしたような意匠の曲線の窓、薄紅色の煎餅蒲団がある部屋に2人で入る。紫煙は襖の近くで座したまま動かなかった。
「脱ぎなさいよ」
 紫煙は感情のない目で極彩を捉えた。脱ぎなさいよ!と叫んで彼を殴った。脱ぎなさいよ、脱ぎなさいよ!と繰り返し騒ぎ、隣室から壁を叩かれる。極彩は発狂して紫煙に跨ると、隠し持っていた短刀で下に敷いた青年の衣服を切り裂いた。彼は顔色ひとつ変えなかった。
「人形のくせに!」
「はい」
 彼は肯定した。極彩は自らの髪を引っ張った。刃物が巻かれた毛束断ち切ろうとした。だが短刀は極彩の意思の通りに動かなかった。
「二公子の断髪の許可が下りていません」
 白刃を握る土くれの掌から赤い液体が流れている。
「二公子は長い髪を好いています」
「わたしの身体なのに…?」
 引き攣った。
「いいえ。二公子の所有物からだです」
 鳥肌がたった。短刀を土くれの手から抜き取る。血飛沫が薄紅色の布団を汚した。紫煙の香油で纏められた黒髪を乱して鷲掴んだ。経糸たていとを薙ぐ。沈香が薫った。布団の中を這う手が蘇った。黒い糸が衣服の裂け目から覗く割れた腹に散らばった。頭の中に稲光がして、嘔吐えづく。腰に重なる体温を思い出してしまう。ごぷ、と音がした。青年は胃液をぶちまけられても眉ひとつ動かさなかった。だが口角の切れた唇を動かした。最近男性と寝ましたか、と問うた。血で汚れた手が携帯している小刀を抜き、極彩の腹に刃先を当てた。お答えください。頭から畳へ毛を落としながら彼は首を持ち上げた。
「貴方監視してたんじゃないの」
「室内と店内までは分かりません」
 口の中がからからした。喉が痛む。膝が震えた。
「答え次第ではどうなるの」
「二公子の不貞として胚子ごと死んでいただきます。許可は下りています」
 紫煙の口調は淡々としている。極彩は腹に向けられた小刀を掴んだ。げらげら笑って刃を迎える。秋風を気ながら、赤いトンボを見上げながら混ざった譫言がまだ鼓膜の裏にある。謝り許しを乞い、機嫌を取りながら布団の中に潜る声と腕の感触はまだ近く、胃を打った。喉奥に灼熱が詰まる。
「身籠っているんですか」
「二公子に聞いて」
「ならば良いです」
 音が消える。隣の部屋の睦事さえ聞こえなかった。身体が五感を手放している。黒い双眸にはもう何も伝わらない。何も分からない。何も理解しない。喉を縊られるような思いがした。
「良いのか!人の不幸がそんなに楽しいのか!ありがたいのか!」
 隣室の壁が叩かれた。短くなった黒髪を畳に叩き付ける。布越しに刃物が当たり、腹を圧迫する。
「そんなありがたいのか!そんなに愉快なのか!気持ちいいのか!もっと良くしてやる!喜びなさいよ!舞い上がりなさいよ…!」
 引こうとする刃物に体重を乗せた。衣類が濡れていく。血の混じった胃液の滝が紫煙の首や顎に落ちていく。喚いているうちに襖が開かれ、怒鳴り声に悲鳴が轟いた。鼻腔に花の香りが抜けていく。小刀は腹に刺さった。もう一度土人形の上に吐いた。唇を噛み切りながら精巧な作りの手に自身の手を重ねて切腹する。酩酊感があった。まだよく覚えている第一公子の後姿に寂しくなる。痛いな、つらいな、と過ぎた人の消えた感覚に同調する。不甲斐ない様を叔父は許してくれないらしく、傷が塞がっていく。強烈な花の香りに再び吐き気を催した。腹が波打つ。店主の仰天した姿が見えた。弁解の言葉も浮かばなかった。担架を急がせる声に怯えた。紫煙は上体を起こすとぼんやり極彩の腹から生える無機物を眺め、打刀を抜いて躊躇なく自刎した。襖から覗いていた男女がまた騒いだ。血の海に浮かぶ極彩を奇異の眼差しで見て、男は失神してしまった。女が耳を劈くような高い声でうるさくする。また改めて弁償しに来ると言って宿賃だけ少し多く握らせ極彩は身体を引き摺りながら色町を抜けた。不言通りは明るく、小刀が刺し放しの女の姿はひどく目立ったが本人は真っ直ぐ歩くことに必死で道を空けてもらっていることにも気付けないでいた。長春小通りにある階段で一度抜こうと思ったが、激しい出血が予想された。公共の場を汚すのは躊躇われそのまま蟄居先まで歩くことにした。歩行のたび刃がずれて肉を裂いていたがそのうち安定した。屋敷前で警備の天晴組も騒ぎ出し、邸内から淡藤がやって来た。色街の出逢い茶屋を告げ、紫煙が自害した旨を告げた。淡藤は不機嫌な顔立ちにさらに皺を刻んだ。
「ごめんなさい、すぐに捌ききれません」
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