彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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  彼はそう言いながらもその場にいる組員を数人、現場へ派遣した。邸内に上がると廊下に小姓が眠げな目元を擦って立っていたが、極彩の姿にぎょっとした。
「抜いてきますので少々お待ちください」
「専門家の域です」
 指示を終えた淡藤が追い付き、背後から言った。
「すぐに止まります」
「一体どうしたというんです。診療所には?何故紫煙殿が自害など…」
 浴室に入り、撥水する素材の場所で小刀に手を掛ける。一息に抜き取る。当てた乾布は瞬く間に染まったが、味覚を破壊するほどの花の芳烈とともに傷も痛みも消えた。
「…抜けたんですか」
 天晴組の羽織りが磨り硝子の奥に滲んでいる。
「はい。ご迷惑をおかけしました」
 カラカラと曇り硝子の戸を開けるとそこにいた淡藤は訝しげに彼女を見た。
「何があったんですか。腹部に刃物を刺したまま帰ってくるだなんて普通ではありません」
「色街では強姦、殺人、窃盗、小火ぼや騒ぎ、無理心中は普通のことのようですが。女豹倶楽部に関係したことではありませんのでご心配なく」
「では、何に関係したことなんです」
 彼は顔色ばかり悪くして表情は顔立ちのまま不機嫌そうだった。
「まったくの私事です」
「私事でも構いません。お話しください」
 極彩は淡藤を一瞥した。しかし、私事です、と返して断った。
「何故話してくださらない」
「もう一度腹を切るのが嫌だからです」
 吐物と血に汚れた衣類を緩め、報告することはないと訴えても彼は食い下がる。居間の隅にある洗濯物の山から着替えを引っ張り出す間も淡藤は極彩を追い回す。習慣化した餌付けを待つ野良猫のようだった。
「意味が分かりません。話すと腹を切る必要がある?」
「八つ当たりです。忘れてください」
「八つ当たりでも構いません。半ばその任も請け負っているつもりです。それよりも、然るべき機関が介入する事柄ではありませんか。相応の手続きを踏んだほうがいいです。相手は客ですか、通り魔ですか。紫煙殿の護衛を振り切ったとなるとかなりの手練れです」
 極彩は鼻で嗤った。
「教えていただけるまで待つことにします」
 連れの男児を引き合いに出すと彼は分が悪くなった。 
「然るべき機関なんて必要ありません。どこからも賠償金は搾り取れませんよ。むしろあの茶屋に…払うくらいです。血は落ちづらいですからね。布団は廃棄でしょうが、畳となると…」
「金銭の話は二の次です!」
 淡藤は寡黙げな外見に似合わない大声を上げた。極彩はその切れ長の瞳を見つめてしまう。
「自分で刺したんです。だから紫煙殿が何も出来ないのは当然ですね」
 彼はもともと寄っていた眉根をさらに狭めた。極彩から焦点を外し、薄い唇が力無く開いた。
「話すことは話しました。風呂に入ります。まだ何かご用なら、冷蔵庫に何かあると思うので適当に召し上がってください」
 衣類を脱ぐ素振りをみせても淡藤は立ち去る様子を見せない。
「入浴まで傍にいるつもりですか」
「いいえ…帰ります。ですが…」
 捨てるしかない衣を眺め、彼の言葉を待つ。
「…姫様をおひとりにしてもいいのか、迷っています。正直なところ」
 慎重に言葉を選んでいる感じがあった。そこまで繊細な印象を彼に与えているらしかった。
「ご心配なく。前の担当ひとが置いていったお酒でも飲んで寝ますから、死んだりしません」
 明らかな言葉に淡藤はまたいくらか眉間の皺を濃くした。
「信じますよ、姫様。酒量はほどほどにお願いいたします」
「ええそうですね、ほどほどに。少量が一番ですよ」
 男に構わず極彩は衣類を脱ぎ捨て硝子戸をぴしゃんと乱暴に閉めた。
「また明日会えますね」
「明日でも明後日でも明々後日でも会えますよ」
 硝子に湯が爆ぜた。

 湯で体温を上げても眠る気が起きず、夜更けまで飯匙倩酒を飲んでいた。叔父が叔父でもなかった初対面の頃の為体ていたらくを思い出して酔った頭はひとりにやにやと寒空を愉しんだ。起毛した掛布一枚で満足し床に寝転がる。うつらうつらとした眠気が訪れ、睫毛が絡んだ。まだ飲めるのだという誰に対してでもない主張が譲れず、身体を起こした。故人の置いていった酒も開ける。首も頭も重くなり、卓袱台に伏す。
『極彩様?』
 少女の声に身体を起こした。
「紫暗…?」
 硝子杯に残った酒を飲み干す。胃酸とは違う焼かれ方が心地良い。台所から彼女の少し大雑把な足音がした。心臓が大きく鳴った。目の前に水が置かれる。円い大きな瞳を探す。あの娘は不言通りの襲撃で無事ではなかったはずだ。ふわふわとした毛が頬に擦り寄る。へっへっ、という荒々しい息遣いと背中にぶつかる柔らかい感触は毛布のようだったが生きている。
「紫暗…会いたい…」
「おじさんも会いたいです」
 予期せぬ返事に首を持ち上げる。
「あまり不摂生な暮らしをしているといい加減怒りますよ」
 卓袱台の汲んだ覚えのない水の奥に菖蒲が座って洗濯物の山を畳んでている。ごった煮状態の洗濯物は小分けの低い山をいくつも作っていた。
「友達の夢をみていました」
「話を聞いていませんね」
「会いたいな…」
 菖蒲は投げやりに「会えるといいですね!」と言った。下着だけが残ってしまい、彼は渋々手を付ける。
「ボクは反対ですけどね!こんなおじさんにこんなことをさせてる人をボクは貴方のお友達に会わせられませんよ。娘氏のだって躊躇われるのに、年頃の女性の下着を畳む生活なんてそろそろ勘弁です」
「世話係の子なんですけど、妹みたいな子で。いつもわたしの味方をしてくれるんですよ。可愛い子なんです」
「やっぱり話聞いてないですね」
「みんな離れていっちゃうな……わたしが突き放してるんだ」
 背中にいたアッシュも愛想を尽かして菖蒲のほうへ行ってしまう。
「極彩さんは神経症をこじらせていますね」
 彼は下着の山を積み上げていく。
「二公子、お人形持ってました。わたしにそっくりな」
「見たんです?」
 極彩は頷いた。
「もうすぐ自由ですよ。もうすぐ自由です。海に行きたいです。お墓参りに行きたいです。紅に義手を作って、どこかで2人で住むんです。海が見える場所がいいです。紅は歌が上手だから、紅がいっぱい歌を歌えるような広くて大きな場所に…」
 極彩はへらへら笑った。菖蒲は下着の山をばんばんと叩いて他の衣類を片付けていく。
「布団を敷きますから、さっさと寝ることですね」
「起きたら朝は苦しいだけです。でももうすぐ自由ですよ!そうしたらお墓参りに行くんです。どうせ…どうせわたしは墓参りにいく資格なんかないんですよ、わたしには…わたしには紅と住む資格なんかないんです」
「泣き上戸の酔っ払いは面倒臭いですよ。好き勝手翻弄して、布団を掛けたら寝ちゃうんでしょう、知ってるんですからね」
 これ以上ないくらい呆れた調子で布団を摘まみながら菖蒲は言った。
「もうすぐ自由です。記念に一緒に寝ましょう。一緒に…わたしは一緒に寝る相手を選ぶ資格もないんですよ。わたしにあるのは首肯うなずくか、首を振るかですよ。わたしには何の資格もないんです」
「早く寝る資格は十分にありますよ、酔っ払いさん。貴方に必要なのはお酒ではないと思います。むしろ毒です。貴方に必要なのは日の光です。澄んだ空気です。炒めたての野菜と焼きたての魚、炊きたての白米です。そして対等な話し相手です。これは普通の日常であって大切な基盤ですよ、きっと」
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