彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「寝ていてください。肌着もあることですから」
「…そうですか?」
「淡藤殿が泊まっているだなんて知れたら面倒なんです。それとももう話してある?」
 若様と組当番以外こちらからは報告していません。淡藤はそう言って襖の奥に行った。溜息を吐くと同時に再び襖が開いた。極彩はなんですか、と呆れたように訊ねた。
「いいえ。お先に失礼しますね。おやすみなさいまし」
「はい、おやすみなさい」
 素っ気なく返事をした。この日はアッシュからの手紙だった。朝飯の礼と短い返信を書いて毛むくじゃらの使いに渡す。居間の明かりを落とし、隣室に移った。襖は静かに開閉したつもりだったが掛布団が翻る音がした。
「菖蒲殿とは親しいんですか」
「言うほど親しくはないです」
「あの人は…優しくて人当たりはいいですが……何だか怖いです」
「革新派がどうこうって話ですか」
 いいえ。暗闇の中に否定の言葉が短く沁みていった。
「もっと個人的な話かもしれません。忘れてください」
「淡藤殿にもそういうのあるんですね」
「あります、ありますよ。何十人、何百人、何千人、顔を合わせるんですから。仕事となればそうも言ってられませんが」
 淡藤の声音は少し弱っているような感じがあった。
「隠していた菓子でも食われましたか」
「何言ってるんですか?」
「何も言っていません」
 淡藤は笑ったような雰囲気があった。極彩は口を噤んだ。布団に潜る隣の布団に背を向けると彼も寝返りをうった。
「変なことを言いますけど、」
「十分聞いていますけれどね」
 ぴしゃりと返すと彼は「まぁまぁ」と宥めにかかる。
「今日、泊まれてよかったです」
「今から追い出すかも知れませんよ」
「明日に言うべきことだったかも知れませんね」
 淡藤は黙って、極彩も何も言い返さなかった。菓子は食われてないんですけど。寝たものかと思った隣の布団がまた話題を掘り返す。
「菓子は食われてないんですけど、まるで子供の菓子を私が盗って食べてしまった…みたいな風なんです」
「何を言っているんですか」
「何も言ってません」
 会話は止んだ。極彩なりに先程言われたことを考えてみたが訳が分からなかった。関わってみると剽軽を通り越して変わり者のまだ少年とそう変わらない年齢であるはずの青年然とした淡藤がその妙な気性から誤解を与えたのかも知れない。菖蒲の性格から個人的な軋轢を生みやすいとも考えられなかった。しかし2人には根深い溝があるらしい。思考を働かせているうちにうとうとしはじめ、そう親しくもない者が隣に寝ているというのに浮遊感に似た心地良い眠気に呑まれた。

 朝起きると隣の布団は片付けられていた。音も気配も感じられなかった。書院窓から日の光が入り薄暗くなっている。
「淡藤殿?」
 襖を開けると卓袱台に料理が置かれていた。鍋の残りを使った乾酪雑炊だった。庭には布団が干されている。すでに天晴組の仕事に戻ったものかと思われた。だが浴室から水音がする。朝風呂をしているらしかった。乾酪雑炊の脇に置かれている書置きにしては畏まった紙を手に取った。書き出しは遺書と同じ体裁を取っている。手紙を放って極彩は浴室に駆けこんだ。酒の匂いがした。湯船が真っ赤に染まり、その中に片腕を入れて淡藤は眠っていた。排水の追い付かない赤い湯に浸かり飯匙倩酒の小瓶が転がっている。色の付いた湯から腕を抜く。ざっくりと裂けた手首の傷を着ている物を脱いでその袖で縛り上げ脱衣所まで引っ張り上げると庭に出て天晴組を呼んだ。彼等は焦る様子もなく、またか、といった反応で屋敷に上がると処置に入った。担架で運ばれていく。極彩は組員に淡藤のことを訊ねた。妻を失くして気が触れたんです。腹の子と一緒でしたからね。これが初めてじゃないんですか。たまにこういうことをするんですよ。組員は関わりたくなさそうに行ってしまった。風呂場の掃除を天晴組に任せ、極彩はすっきりしない気分のまま女豹倶楽部に出勤した。まだ明るい色街の区画の外れを通り、竹藪に呑まれかけている小道を端から眺めた。外灯はなく、廃屋の崩れかけた塀と伸びたい方向へ伸びた草木に作られた退廃的な空間が通っていた。そこにはもう衣類はない。捨てられたごみが散乱しているだけだった。
「危ないヨ、そこ。そういう事件やつ、多いから」
 背後の人の気配に隠し持っていた短刀を握る。しかしその手には掌が重なって制されている。ゆっくりと振り向いた。浮浪者の服装をしたはしばみが立っている。明るい茶の瞳が嬉しそうに細まった。
「あの店に勤めてもムダだヨ。あの店はもう何も関係ナイ」
 榛の手を払って突き飛ばし、寸延短刀を抜いた。
「ぼくのコト、殺すの?」
 まだ九蓮宝燈街は通れず、友人は怪我を負っている。
「ぼくは君を見てるヨ、ずっとネ」
「あなたはすずという男の共犯なの?不言通りの爆撃はあなたの意思でもあるの?」
 榛は首を倒した。浮浪者にしては健やかな光がある。
「…友達ダヨ。友達の意思だから、ノッたの」
 彼の足が動いた。浮浪者にしてはやはり身綺麗だった。短刀を構える。肌身離さず持っているくせあまり目にすることもない美しい時雨塗りを堪能している余裕はなかった。
「今日は守り人がいないんだネ…」
 彼は呑気に話しかける。竹藪の果てを見上げ、鳥の群れが飛び立つのを蜂蜜色の瞳が追っていた。
「なんで不言通りを焼いたの」
「三公子が見つからないから」
「狙いは三公子?」
「ううん、違うヨ」
 外に跳ねた明るい茶髪が無邪気に揺れた。
「じゃあ、何?」
「教えたいケド、教えられないの」
「…分かった。もうわたしの前に出てこないで」
 一歩一歩距離を空けていく。
つるばみさんは東雲しののめ南区の墓園だって」
「橡のコトは…興味ないヨ」
 榛が一歩踏み出した。近くの曲がり角から現れた背の高い女が彼の肩を抱く。花や羽根で装飾過剰な毛羽立った黒い帽子を深く傾けて被り、細かな網がさらに顔の半分を隠していた。町医者の女よりも華奢な踵の高い靴音を響かせて歩く。襟に巻いて輪郭を隠す漆黒の毛皮は高級感に溢れ、浮浪者と並ぶには不釣り合いな豪奢な風采だった。長い黒髪が靡いた。
「さようなら。また会おうネ…ううん、ぼくから会いに行く」
 榛は女に身体の向きを変えられても極彩のほうへ首を曲げた。討てる?自身に問うた。返事はない。今別れたのは浮浪者だ。目撃者の女もいる。弁明した。数歩進んで、黒ばかりを身に纏っている異様な女の正体を頭が勝手に解析してしまった。一瞬で寒気がした。異性装をした者を何度か目にした慣れがあの女の高身長というだけで片付かない骨格や立ち振る舞いの違和感を際立たせていく。両腕を摩って女豹倶楽部へ急いだ。誰かに会わねば恐ろしくてならなかった。
 開店間際になって男性従業員から呼ばれた。関係者専用の裏口に店長ともう1人男性従業員が壁を作っていた。その奥にいる人物を認めて極彩は紅玉るびぃを呼んでくると告げた。
「嬢ちゃん!あんさんに用があんだって」
 店長と男性従業員は割り入ろうとする桃花褐を押し返した。店長は極彩に文句があるようだった。やっぱり知り合いかよ。知りません。問答して紅玉るびぃを連れてくると言って控室に戻った。腹が出てきたため裏方に回った彼女は雑誌を開きながら適当な返事をしていたが用件を知ると踊るように裏口に行った。
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