彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「もう結構です。そこまでで。分かりました。私事ですみませんが、私にも子供がいるものですから…」
 極彩は言葉を止めた。淡藤は蒼褪めた顔をした口元を撫でる。
「そうでした、わたしには子供がいるのでした」
「忘れていたんですか」
「父親失格ですね」
「分かりません」
 失格ですよ。彼は断言した。
「とりあえず、そのことは上に報告しておきます。明日くらいに何か進展があれば…」
「頭のおかしい人間だと思われませんか」
「城勤めなら大体どこか頭がおかしくなりますから。床下に何かあると感じられたんですよね。営業申請書を調べれば間取りなどが分かります。そこから何か得られるかも知れません。埋蔵金とか」
 淡藤は極彩の知る副組長だった頃の貌に戻り話を進めた。
「これからわたしはどうなるんですか」
 報告を終えて淡藤の不機嫌な表情が分かりづらく変わった。極彩は躊躇いがちに訊ねた。
「今の段階では私からは何とも申し上げられません。この後の指示は若様から仰ぐので…」
「そうですか」
「不安ですか」
「…少し」
 不思議と素直に肯定してしまう。淡藤は癖になっている眉間の皺をわずかに動かした。管の繋がれた腕が伸ばされ、極彩は頭に重みを感じる。
「大丈夫ですよ。大丈夫です。大丈夫」
 包帯の巻かれた手首を慎重に外す。彼はどうしたとばかりに彼女を見た。
「一体何が大丈夫なんです」
「きっと大丈夫という一本筋が必要なんです。お持ちでないなら、私が姫様の一本筋になります」
胡乱うろんです」
「はっきり形にはできませんよ。必要なら形にします。このように」
 淡藤は薄い紫色の数珠飾りを暮れなずむ明かりに照らした。室内に光の粒が回る。
「淡藤殿は詩的な方ですね。夢想的というか」
 彼はくすくす笑った。詩は好きです。そう言った。
「以前お見せした諷詠ふうえいノ麒麟は有名な詩から影響を受けたんです」
 擦れた外見とは合わない無邪気さで彼は言った。
「どんな詩なんです」
 淡藤はその詩をそらんじた。そしてその訳をする。仁の国の王子が産まれた時によく薫る白梅の木の下で鱗を持つ馬に似た四つ足の獣が現れたという話を聞いたが読み人は見ることもなく朽ち果てるという内容だった。
「それを視たら仁の国になるということですか」
「はい。仁の国の象徴です。視てみたいです。若様が風月王になられた日にはきっと…」
 極彩は目を逸らした。
「まだ仁の国ではないということですか」
 淡藤は「これからしていくんですよ」と言った。これからしていくんです。彼はもう一度念を押す。極彩は蛇であり馬であり鹿にも似たその醜い四つ足の化物を見てしまった。仁の国の象徴だという。だがそれは神経症が作り上げたものに過ぎない。
「この国は仁の国に近付いていますか」
「貧しい者にはまだ厳しい現状がある…というのが私なりの見解です」
「この国は、仁の国になんかなりませんよ!」
 神経症が、人里に現れたなら石を投げられ、棒で叩かれ、火を点けられながら罵詈雑言を吐かれるような何者にもなれなかった怪物を見せたに違いなかった。淡藤は叫んだ極彩に反発することもなく同情を灯すだけだった。
「姫様?」
「国をひとつ潰して、国が人を殺して、国が人を殺させて、仁の国になんてなれないですよ。なれるわけがない」
「そうですね、しかし血塗られていない国なんてありません。だからこそ守っていくことに意義があります。できるだけ…そうですね。国が…城勤めが…そうですね」
 淡藤は諭すような口振りから段々と同意ばかり口にして、自信がなさそうに俯いていった。
「何とかの麒麟は現れません。だから伝説で、幻なんですね。その姿というのもどこかの神経症を拗らせた狂人が視た狼か野犬に決まっていますよ」
「野犬かもしれませんね。狼はこの頃にはまだいたのかも知れませんが」
 気を悪くした様子もなく彼は的の外れた補足をした。互いに無言になり、極彩は自身の息切れを聞いていた。
「すみません、興奮してしまって」
「いいえ。半ば、」
「その任も請け負っていたとしても癇癪に付き合わされるのは厄介でしょうに」
 淡藤は上品にくすくす笑った。愛想がなく不機嫌が付き纏っている顔立ちにその穏やかな表情は似合わなかった。
「おかしな方ですね」
「淡藤殿には惨敗しますけれど」
 加工された果物の容器を開けてやると彼は手を合わせて刻まれた真桑瓜を食った。梨に近い甘味を持ったそれは「梨瓜」として売られていた。
「もう春なんですか」 
「もうすぐ春で、まだ冬です」
 淡藤はぼんやりと果物を見ていた。虫でも入っていたのかと容器を覗くが異物らしきものは見当たらなかった。彼は一個人として対すると理解に及べない変わり者だった。天晴組として報告するだけの関わりを越えると、口数は多く、表情もみせるようになった。
「すみませんでした。淡藤殿は天晴組の組長で、城勤めだから風月国が仁の国になると信じて疑わないのは当然のことなのに真っ向から否定するようなことを言って」
 再び楊枝を動かし林檎りんきんを食む淡藤に謝った。彼は口をしゃりしゃりと鳴らしながら極彩へ首を曲げた。大人びた外見に似合わない滑稽な仕草だった。
「これは私の個人的な意見なので天晴組を代表しての声だとは思わないでほしいのですが…仁の国になると信じるしかないんです。私たちにはまつりごとは分かりません。分かったとして、口を出せる立場でもなければ権利もない。信じるだなんて聞こえはいいですが、丸投げだとか諦めだとかではないつもりですが…消極的な期待です」
 林檎を嚥下してから彼は言った。
「立場があるというのも大変なんですね」
「実際立ってみると、そうでもないです」
 謙遜なのか本音なのかもこの変わり者がいうと途端に分からなくなった。
「言ってくださったのが私でよかったです。他の人だったら少し拙かったですよ」
 苦笑して薄膜まで剥かれた白欒はくらんが口元へ運ばれていく。
「すみません、梨瓜は喉が痒くなってしまって」
 淡い緑色の果肉だけ残して彼は他の果物をひょいひょいと食べた。極彩はもうひとつ附属している楊枝で残った真桑瓜を口に入れる。この果物自体は高価なものの、他の果物との盛り合わせは比較的安価で色艶からあまり美味そうではなかったがしっかりと甘味がある。
「りんごや甘蕉かんしょうは何ともないんですか」
「はい。梨瓜だけです」
 ひとつの容器に同時に楊枝が入った。黙々と果物を腹に収め、しかし気拙さはなく、無言が心地良くもあった。先に言葉を発したのは淡藤だった。明日退院するという旨だった。極彩も明日にはこれからのことが決まるだろう。
「天晴組のお世話になるのもこれが最後かも知れませんね」
「寂しいですか」
「分かりません」
 淡藤は最後の果物を口に放った。極彩は容器と楊枝を中身のない買い物袋に入れる。
「長居してしまいました。そろそろ失礼します。また明日、会う機会がありましたら」
「はい。お待ちしております、お会いできる折があれば」
 上体ごと屈めて礼をする。淡藤が引戸で消えていく。いくらか気分が和らいだ。




+++
真桑瓜まくわうり梨瓜なしうり。メロンを指す。
甘蕉…バナナの漢名。
林檎りんきん…野生種の漢名。きんは漢音。
白欒はくらん…グレープフルーツの意。文旦ぶんたんの和名。
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