彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「今日は御主人に…極彩さまに結婚を申し込みたく、お伺いしました」
 桜は菖蒲を忙しなく見遣る。今朝髭を剃ったばかりの中年男は安堵感を押し付けるような穏和な笑みを浮かべた。2人は城で面識があったようだ。
「わたしがすでに結婚していることは、貴方も分かっているはずです。一体何故」
 分かっていたこととはいえ思っていたよりも衝撃は無かった。それは桜の口調が形式張り、声音も無機質な感じがあったからだった。
「極彩さまの旦那様は実在する人物ではないと聞き及んでおります」
とどけは受理されました。実在はしませんでしたが存在している者とすでに結婚しています。風月国は紫雷教を除いて重婚は禁止しているはず。そしてわたしもその紫雷教では―ありません」
詭弁きべんです」
「詭弁で結構。再婚するつもりはありません。お引き取りを。お引き取りいただけなければ城に連絡を入れます」
 極彩の予測に反し、来訪時とうってかわって桜は毅然とした態度を崩さなかった。
「縹様が手続きを済ませた書類で、すでに御主人には後見人が別にいます。縹様は極彩さまの叔父ではなくなりました。城の人とも婚姻関係にない極彩さまはもうただの平民です。城は平民の女性を囲いません」
 隣の菖蒲が反応したが何か発言するでもなく足を組み直すだけだった。それを一瞥すると極彩はすばやく立ち上がった。桜の視線が揺らぐ。彼女は衣服が乱れるのも構わず卓袱台に片足を乗せた。湯呑が軋む。器の中で波紋が生まれる。菖蒲は驚きの声を上げた。
「舐めなさいよ、そのお育ちのいいお口で」
「ちょ、ちょっと…極彩さん…?」
「平民になってもね、城に囲われていたんだから、わたしは!」
 爪先を向けられた求婚者は戦慄しながら横柄な女を見上げたが、ゆっくりとその手は彼女の足に伸びた。
「将軍の家に生まれておいて、しがない茶屋の息子になった落ち毀(こぼ)れの薄汚い元・使用人なんかと!わたしは結婚しない!こんな女ひとりもマトモに扱えない尻の青い坊ちゃんと!わたしは!結婚なんかするもんですか!」
 桜の手は極彩の足を掴んだままで慎ましやかな唇を寄せた。生温かく湿った感触が彼女の足の甲に這う。
「結婚なんか!あんたみたいな出来損ないなんかと!」
 足の側面で小さな頬を蹴り払う。菖蒲も立ち上がって反動により大きく傾く身体を支えた。
「わたしのこと幸せにできるのは大金持ちか二公子だけなんだから。二度と生意気言うな!身の程を知れ!あんたの知ってる縹の姪御はもういない!」
 一度放させても頭を伏せた純朴な若者は床を這い、暴れる女の足を包むと舌でその皮膚を辿った。
「極彩さん…!」
「あんたとなんか絶対結婚しないんだから!桃花褐さんにでも泣き付きなさいよ!清めてもらいなさいよ!天に導いてもらいなさいよ!」
「極彩さん!桜さんもこんな要求きかなくていいんです!」
 菖蒲は困り果て、呆れ、叫んだ。遠慮がちに羽交い絞めにしていた腕が極彩を後ろに引き、桜との距離が開く。
「落ち着いてください、2人とも。極彩さんだって悪ぶるのはやめてください。桜さん、この人は乱心してるんです。春に先駆けて病んでしまったんです。どうか、お許しください」
「御主人…僕の御主人は極彩さまだけです…たとえ縹様との御関係が書類上どうなろうとも、僕は御主人と、」
 桜の可憐な口元に手を伸ばす。だが菖蒲に捻り上げるように手首を掴まれた。
「ひとつ質問させてください。桜さん、貴男は本当に極彩さんを好いているんですか。その、愛とか恋とか、そういった類のもので」
 極彩の腕を宥めるように力強く降ろさせると中年男は桜を真っ直ぐ見つめた。桜は瞳を伏せる。返答には間を要した。
「尊敬はしております」
 仲裁をしていた付き添いの男は小さく溜息を吐いた。
「質問と趣旨が異なりますね」
「それ以外は…分かりません」
「彼女は見てのとおり、かなり気性が荒い。桜さんの知る極彩さんはもういないのかも知れません。結婚をるということはそういうことです。たとえその相手が実在しない人間だったとしても」
 そして付き添い人は極彩へ戻った。
「もし極彩さんの出した婚姻届の印と提出印が一致していなかったら、存在しているほうの相手は重罪です。早々に書類申請をしてとどけを破棄しましょう」
 諭すような優しい口調で菖蒲は言った。すぐに返事はできなかった。婚姻届に押された指の紋と、提出時に同行した者の指の紋は一致しない。菖蒲のいう人物は新婚生活を送っている。頷くほかなかった。
「桜さん。こればかりはワタクシからも口添えできません。尊敬だけでは結婚は成り立ちませんからね」
 同情を隠さず付き添い人は求婚者の顔を覗き込む。
「…分かりました」
 大きな風呂敷の包みを菖蒲に押し付け、桜は潔く帰っていった。極彩は庭をぼんやりと眺めていた。玄関扉の音と見送る声と謝罪の言葉、そして消えていく靴音が聞こえた。そのうち居間に付き添い役が戻ってくる。
「お見苦しいところを見せてすみませんでした」
 重苦しい気分のまま廊下へ首を曲げた。菖蒲は鴨居のすぐ傍で突っ立っていた。白い薔薇そうびの花束を抱えていた。困惑気味に彼は媚び諂った笑みをみせる。
「もしボクが貴方の父親だったなら」
 極彩は固唾を飲んだ。抱えきれないほどの花束から一輪、白い花が落ちた。続けざまに二輪、三輪と綻んでいく。
「頭を下げてでも娘を頼むくらいです。愛情よりも恋心よりも尊敬がなければまず結婚など成立しません」
「彼とだけは…どうしても、駄目です。いけません。彼の家族を奪ったのはわたしも同然ですから。そんなわたしと一緒になったところで桜は絶対に幸せになれません」
「…そうですか。たとえ仮にもし何か貴方に過失があったとしても、貴方と一緒に不幸のドン底まで堕ちるのが案外あの方の幸せなのかも知れませんよ」
 床に落ちた花を拾おうとして菖蒲の腕からは次々に真っ白な薔薇そうびは逃げていく。
「幸せになるべきとかならないべきとかそんなものはないとは思いますが、それでも桜は誰よりも幸せになるべき人です。誰よりも。今日の出来事など掠り傷にもならないくらいに」
 極彩は震える膝に力を込めて立ち上がった。卓袱台や座布団を片付けようとするが菖蒲は休んでいるように言った。一日中動き回った後のような疲労感が確かにあった。隣室にいる紅のもとへ身を引き摺るように移動した。
「ごめんね、紅。もう終わったから」
 射抜くような大きな橙色の双眸に極彩はたじろいだ。聞こえていたのだろう。醜態をすべて晒してしまった。普段と変わらず小さく座っている身体に触れようとしたが、宙を掻くだけだった。燃えるような瞳は俯いた彼女を凝視する。
「ごめんね、気持ちのいい話じゃなかったよね」
 鏡を思わせる眼だった。紅に表情がないことは知っている。だが極彩はそこに侮蔑の念を見出してしまう。彼の眼差しから逃れたかった。
「買い物に行ってくるから」
 紅のことをも見ていられず、彼に背を向けた。菖蒲にまた改めて礼を言うと買い出しに行く旨を告げた。付き添い役を全うしたその男は縁側にどかりと腰を下ろしていた。膝に野良猫を乗せている。一服したらすぐに帰る予定らしかった。
「本当にありがとうございました」
「いいえ。礼には及びませんよ。頼りにしてくだすって嬉しい限りです」
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