彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 自分でも改めて普段と違う着物を身に着けているのだと彼女はこの時初めて実感した。確かに自身で着ていることに変わりはなかったがまだどこか展示品を目にしているような心地がしていた。
「へぇ!顔色が良く見えるんね。あずきのお嬢ちゃんも趣味がいいや」
 それから2人は黙り、喧騒に浸った。朗らかな時間だった。何をしに、何が目的でこの春の祭りを訪れたのかも忘れた。
「やっべ、居心地良すぎて眠っちまうとこだった。何か食うかぃ、嬢ちゃん」
 極彩は犬のような顔が大きな欠伸をするのを見て、首を振った。
満悦練乳ぐんびらそぉだとか飲まねェかい」
 満悦練乳は「悦乳水」と略され底部に赤い糖蜜、その上に練乳、最上層に炭酸水が入った飲み物で混ぜると鮮やかな淡紅色になる。異国の飲み物ではあるが風月国の祭りでは欠かせない定番の品だった。
「要らない」
「そうけ。じゃ、また何かあったら土産持って邪魔しまさ。ずっとここに居たら気持ち良すぎて寝ちまう」
 桃花褐は軽率げな笑みを浮かべて立ち上がる。極彩は逆光した垂れ目を仰いだ。
「関係者テントに居っからさ、ま、ナンパでもされたら逃げてきやっせ」
 厚みのある唇が緩んだ。彼女は頷いた。汗臭い外見に反し清潔感のある洗剤と髪用の香油がそこに残り、優しい風が吹き抜けて散らしていった。知った顔に重苦しさがいくらか緩和され極彩も懇親の部が開かれている場所へ戻った。談笑が聞こえる。平和的に進行しているようだった。畳の傍の草履取りが極彩に一声かけた。それが官吏と話している二公子まで届いてしまった。彼は盛り上がっていた話を一旦区切り、極彩を手招きしながら呼んだ。注目を浴びてしまう。彼女は面を伏せ、低姿勢になりながら脇に侍る。中断された話は再び盛り上がり、極彩は天晴組の若者が注いだ酒を次々と飲んだ。呷れば呷るほど注がれていく。澄んだ雑味のない口当たりは一口で良質なものとすぐに分かったが好みではなかった。洒落た小皿に乗った肴が渡される。炙ったばかりのするめいかだった。年若い組員に手酌させ、酒を何杯も飲んだ。政治の話も戦さの話も彼女には分からない。個人的な話も事情を知らない以上、これという感想も抱けなかった。ただ話し声を聞き、さらにその奥にある器楽に任せ酒を飲む。酒だけは味方だった。この場にいるだけで疲れてしまう。いつの間にか天藍の話相手は代わっていた。手酌をしていた天晴組の者がそろそろ自重するよう言いづらげに苦言を呈す。酒気が回っていた。二公子と若い女が喋っている。毒蛇の執心から解き放たれたような安堵を覚え、さらに酒が進む。若い組員のほっそりした白い腕に猪口を差し出す。彼はまだ若かった。頬の赤みや細い髪質、指先の逆剥けが桜と重なり、つい気が緩んだ。名や年齢などを訊ねる。白手袋が手酌をねだる彼女の肩を抱き寄せる。
「飲み過ぎだよ、ちょっと。酒臭いし、いか臭いしで…」
 新しく注がれた酒を奪われる。天藍はそれを一気に呷った。
「あんまり美味しくないね。城下の安酒が結局のところが一番旨いってことかな」
 極彩は酒気に支配されていた。肩に貴人の腕が回っていることにも気付かない様子で猪口を取ろうとする。独り占めしていた肴にも手袋の外された指が伸ばされ、炙られて香ばしく薫るするめいかを摘まんでいった。
 あら、彩の方様、いらしてたのですね!そういえば、青紫の君とは今のところどうなんですの?誤解されるようなご関係だったなら、奥様の前で潔白を示してみてはいかがでしょう!
 聞き覚えのある声はいくらか頭に響いた。極彩はその持主を判じるより先に、挙げられた名の人物を探していた。若い夫婦は離れたところで驚いた顔をしていた。場の雰囲気も凍っている。
「あ~あ。ところで青紫の君って誰。参加してる?」
 二公子は呆れた様子で明け透けな茶番を演じ、わざとらしく形式上の問いを投げた。極彩は虚ろな視線で群青を射す。妻の隣で睦まじく話し合っているようだったがその空気はもう強張ってしまっていた。
「ちょっとこっち来てよ、青紫の君ことねずみクン」
 親しげに二公子は手招きした。呼ばれた相手は妻に一言置いてやって来る。
「彩が言いたいことがあるんだってさ。聞いてやってくれないかな。初対面で悪いケド」
 綺麗に髪が染まっていた。城で暮らしていた時のよく知らなかった彼よりも落ち着いてみえた。長い睫毛の下にある瞳が泳ぎ、危うげな雰囲気を醸し出している。
「……いいえ。初対面ではありません」
「へぇ、初めてじゃないんだ。そっか、そっか」
 天藍が一瞬戸惑うのを極彩は腕の動きで感じ取ることができた。
「このが妙なこと言うからさ、これ以上変な噂流されても困るでしょ。っていうかオレが困る。オレも困るし、何より秩序が乱れるよね。青年実業家の君に何人妾がいようが関係ないケド、律法じゃあんまり推奨してないし。この際解決しちゃおっか」
 話題を提供した娘は愉快げだった。楽しんでいる目と目が合う。極彩はするめいかを齧った。
「さ、妻御の前で噂を否定して、それでこの話は終わり。いいよね、それで?」
 二公子に同意を求められ、例の娘は頷いた。群青は極彩に目配せする。咄嗟に逸らした。彼の口から弁解と否定はすぐに出てこない。密着した二公子の身体から焦燥が伝わった。極彩もまた否定の言葉を待った。しかし勘のようなものが、返答を得られないと察した。極彩は髪を纏めていた簪を引き抜き優柔不断な男の前に迫る。
「抉り取って差し上げます!抉り取って差し上げますよ、そのお上品な御髪おぐしの下の卑しいものを」
 あずきが選んだ簪が少し悲しかった。極彩は立ち上がり、酔いはじめている足取りで群青ににじり寄る。彼は相手されたことがよほど嬉しかったのか、暴力の前に晒されておきながら穏やかに微笑する。
「偽るくらいなら、我が妻に弁明します」
ひとをナメるのも大概になさいな!ちゃんと綺麗さっぱりなかったことにして差し上げます。もともと気に入らなかったんですよ、あなたのそういうところ。優男が紳士ぶりやがって」
 極彩には焦りが窺えた。彼女は群青の胸元に掴みかかった。警護にあたっていた天晴組が身構え、天藍はにやけたツラでそれを制した。話を穿り返した張本人は口元を押さえ方を震わせていたが、この展開に戦々恐々としているのではなく、おかしさに笑っているようだ。
「二公子、この不義と不貞をお許しくださいまし……」
「ははは、許すよ。この色狂いめ」
 押し倒す形になった極彩を人の夫は受け止め脇に置くと、彼は地に両手をつき、二公子に土下座した。その妻は離れたところから呆然と醜態を見ていた。傍に座す老いた官吏たちも呆れた声を上げた。それは天藍をたぶらかす毒婦に向けたものだった。謀反人の親族の出席がそもそもの間違いであるだとか、縹の家の直系でないなら出は卑しいに決まっているだとか、家柄からして二公子に相応しくないだとか、そういったものだった。傍観しているほぼ部外者のあの娘はもう隠すこともできず満面の笑みによって腹を抱えていた。
「負けてられないよ」
 この一言はこの場にいる者たちの大半に不穏な印象を与えた。天藍は予想外の反応を示され立ち竦んでいる極彩の前に立った。
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