彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「わたしは忙しいから、他を当たって。やることがあるの」
「一緒に行きます」
 子供は下心も匂わせず極彩に抱きついている。もう少し歳を重ねていれば厳しく叱咤しただろう。
「これからの山に行くのだけれど、いいの?ついて来られないなら置いていく」
 彼が怯んだ隙に彼女はすたすたと先に行ってしまった。
「い、いいです。どうせ行くところありませんし、それに……お姉ちゃん、あの山に1人で行くの、向かないと思います」
「どういう意味」
 うぐいすとかいった稚児は構ってほしい子供みたいな態度で彼女を見上げる。
「ぼ、ぼく……ミえるから…………」
 彼女は取り合わないことにした。まともに話を聞こうとした己を恥じ、首を捻ってまたもや男児を置いていく。
「本当です、ミえるんです。お姉ちゃんに、子供の……憑いてるんです。足が折れてる子……頭もちょっと砕けてます」
「ふざけないで」
「ふ、ふざけてません……あの山、お化けが出るところです。お姉ちゃん、きっとお化けに食べられちゃうと思います」
 うぐいすは極彩の腕にしがみついた。
「お化け?そんなもの、いるわけないでしょう。会いたいときに姿を見せてもくれないんだから」
 幼い手を振り払う。ばからしい。注目も集めるために嘘と吐く子供というのはそう珍しくない。常套手段である。
「一緒に行きたいです。役に立ちますから。夜伽もします……!」
 彼女は顔面に走る大きな傷ごと深く皺を寄せた。
「やめて。そういうのが一番要らない。子供のくせに、変な気を遣わないでくれる」
 うぐいすはきょとんとした。何を怒られているのか理解していない。
「子供が自分から大人に向かって肌晒すなって言ってるの。子供の肌に触ってくる大人なんてろくなのものじゃない。分かる?わたしがいくらろくでなしに見えても、一線は守ってるつもりなの。一緒にしないで」
 極彩の語調は強く厳しい。前提の習慣が異なる相手に対しても遠慮がなかった。
「分かりません。ごめんなさいです。何がそんなにお姉ちゃんを怒らせちゃったのか……」
「わたしに対して肌見せてこないで。夜伽をするとか二度と言うな」
「ごめんなさい。言いません。言いませんから、一緒にいたいです。怒らないでください。謝ります。ごめんなさい」
 小さな顎を引き、彼はすまなそうにする。演技は上手い。ひとつひとつ、この男児の仕草が癪に障る。自身の中にあるおぞましさを的確に呼び起こす。相性が悪いらしい。
「わたしはこれから弟に会いにいくの。本当についてくる気?」
「弟!ぼくのことも弟にしてください」
 全身が粟立つ。銀灰とこのいやらしい稚児を同列に並べられるはずがない。弟にしたように、この男児と接する自分を想像して極彩は吐気を催した。
「お姉ちゃん。一緒に連れていって」
「これから行くところはあなたの嫌がっていた寺院なのだけれど、本当に来る?あなたには合せることはできないよ」
 稚児は何度も頷いた。彼女は応答もせずに歩き出す。実際、うぐいすはついてきた。距離が開くこともなく、身が軽いのか極彩のすぐ後ろから一定の間隔を保っている。むしろ彼女の歩みを待って調節さえしている感じだった。山に着くまでかなり急になる坂で彼女は息を切らせる。
「お姉ちゃん」
「黙りなさい」
 喋れば喋るだけ体力を使う。蟄居生活とは名ばかりの酒と引きこもり生活で著しい肉体の衰えを認めざるを得なかった。弟の実父には見せられない姿である。剣舞を披露した日が遠く思えた。―まだ叔父も師も生きていた頃は……紅も健やかで、身は清かった。
 石畳を踏み締め、水柿山の入口に辿り着く。地面と直角に近い石階段が木々を分断している。
「お姉ちゃん、お塩を撒きましょう」
 形の崩れた盛り塩が昇龍・降龍門の脇に置かれていた。小さな手腕が塩を振る。
「……ありがとう」
 男児はふわりと笑った。歳の頃が雄黄ゆうおうと同じだ。突如として幻影が重なり、彼を睨んでしまう。うぐいすはいくらか気圧《けお》された。
「起こった……ですか」
「あなたを見ていると、思い出す子がいただけ」
「どんな子……ですか?」 
 瑞々しい双眸を真っ直ぐ捉える。
「わたしがこの手で殺した子」
 相手はびっくりした様子だった。極彩は本気とも冗談とも判じられない切り方をした。
「え……?」
 彼女はそれ以上言わず、うぐいすに構うこともなく石段に足を置く。
「その子の話、もっと聞きたいです」
「どうして」
「気になりますですから……お姉ちゃんの目、怖くした子……」
「怖かったの」
 彼は小さく頷いた。
「あんたに話すのは気が引ける」
 後ろをちょこちょこついてくる男児。彼は控えめだった。だが思い出せば、この子供みたいに図々しいところがあったような気がする。畑に埋まった甘藷を掘り起こすように、薄れかけている記憶を引き上げてまた色を塗っている。小さな脳髄を貫いた手応えばかり鮮明だった。それから硝子玉のようなった眼ばかりが。
「お姉ちゃん」
「あなたによく似ていた。復讐に身を委ねてはいけないよ……わたしがまた、あなたを殺してしまうかも知れないから」
「え?」
 振り返る。極彩も驚いてしまった。片目の腫れた、鶏の雛を思わせる色素の薄い髪の男児がついてきている。
「君は……」
 光を照らさない虚ろな目に見上げられている。彼が黒煙になり、空に広がっていく様を彼女はしっかりとその目に灼きつけている。伸びてきた指が惑う額を突く。
「お姉ちゃん、やっぱりこの山、向かない」
 合わさっていたはずの焦点がぶれた。極彩は目の前の、知り合って日の浅い男児に気付く。まだ意識がぼんやりしている。
「お姉ちゃんにはぼくが必要」
 腕を引かれ、そこでやっと我に帰る。
「お姉ちゃんの周りに、よくない気が集まってるです。お姉ちゃん、ぼくのこと助けてくれたから、ぼくもお姉ちゃん、守る」
 子供が真剣な貌をしている。極彩は目を逸らした。
「あなたに守ってもらう義理はない」
 彼女は気色悪い子供に素気無く背を向けた。石段を上っていく。空気が澱んでいる。全身の毛孔がはっきりしないものに対して警戒している。生活の中の運動量と比べると重労働であるにもかかわらず、出てくる汗は暑さのせいではなく寒気のせいだった。山の気に拒まれている。膝はまだ動く。足の裏も平たくなったような鈍痛があるけれど、歩けないことはない。腰も地面の固さが響いているが、痛みというほどではなかった。ただ、肌が危険だと告げている。今のところ肉体に大きな反応が現れるほどの高さには達していない。寝不足か、日々の運動不足か。
「お姉ちゃん」
 振り向いた彼女の顔は真っ白く、汗で粘着質な輝きが貼り付いていた。だがそのことに自分で気付いている様子がない。
「頭がおかしくなっちゃいますよ」
「弟と大切な話があるの。ここで止まっていられない」
 顎から滴った汗が石の階段にシミを作る。
「……どんな方なんですか」
 うぐいすの声音は気遣わしげだった。極彩はぼんやりとした。石段に乗せる足は認識できた。それだけだ。視界のものを知覚することしかできなかった。そこに何の意識も伴わなくなるまでに、異様な靄がかかっている。
「片目が腫れていて……」
 自身の言葉を聞いて、すぐに違うと分かったもののそれ以外に出てこない。
「片目が腫れていて……?」
「違う、それは違う子……」
 うぐいすと話しているという認識もすでに彼女にはなかった。誰と話しているのか分からない、意識にも留めていない。
「片目が腫れていて、片目が……二公子が抱き上げていて……」
「二公子……?二公子って、あの二公子ですか?あの、怖い人って噂の……」
「違う……二公子……」
 恐ろしい顔が脳裏に現れた。
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